藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

続・「たった1秒の為に」


       

多くの薬やワクチンは許容外のリスクもあり、場合によっては罹患してから対峙したほうが
許容出来るリスクで済む場合も多いものです。上記添付の写真だけではありません。
そして、全否定も出来ません。時には必要な場合もあるでしょう。
 
しかしながら、整形領域、精神科領域含め、
無駄なリスクを抱えて無駄な薬を飲んでいる人間はゴマンといます。
精神科領域に関しては全て不必要であると思います。
 
医療介入、医療選択を強制する権限は、誰も持ち合わせていません。
幸いな事に、今の日本では全て患者が選択権を握っています。
不必要なものだと個々人が判断した場合、拒否する事も可能です。
 
最近は私自身の考え方も悪い意味で変化してきたかもしれません。
個人的に望まない医療及び代替医療を患者が受け続けていたとしても、
患者が具合が悪くなろうが何だろうが、それは患者の自由であるという事です。
単に、このブログでは考え方を述べているだけであり、
患者自身が薬漬けを望むのであれば、それはそれで仕方無いと思うようになりました。
 
ただ、私は私なりの意見を述べるでしょう。「全くの無駄だ」と。
いつまでも薬を飲み続け、いつまでも強圧で指圧を受け続け「治らない」と私に言われても、
「そりゃそうだ」の回答しか出しませんし、出せません。その論拠は幾らでもあるのです。
 
患者の人生を左右するターニングポイントでポジショントークも出来る訳がありません。
患者や患者家族にとってご機嫌取りした都合の良い話ばかり出来ません。
今まで取り込んできた医療とやらを全否定しなければ前に進めない時もあるのです。
否定されるのが嫌なら今まで通りの医療を受け続けてもらうしかないでしょう。
 
「この薬を飲んでから大人しくなってね」
「この薬を飲んでから机から立たなくなってね」
「この薬を飲んでから徘徊が減ったわ」
 
それは誰にとって都合の良い状況なのでしょうか?
それは患者自身の都合ではなく、監視する人間にとって都合の良い人間になっただけです。
患者自身の気持ちは既に置いてけぼりです。そんな白い拘束衣は要らないのです。

各論的意味合いが濃いと、アレはコレはと結果的に枝葉な話になり但し書きも増えますが、
根源的要因を紐解けば、身体の何処が痛かろうが痺れてようが冷たかろうが火照ってようが何だろうが、
治癒までの過程と治療内容の咀嚼内容は同一で済むという話は以前も行いました。
 
結論から言えば、鍼屋が出来る事、鍼屋がしている事という内容を今一度鑑みれば、
身体に針というステンレスの棒を突き刺す事により派生して起こり得る現象を以って、
患者が訴える諸症状と対峙しているだけであり、極々シンプルな内容で時間は過ぎています。
 
その結果、治療中、治療後、治療後から数十時間~数日経過後の様態変化に関しても、
非常にシンプルに追跡していく事ができ、且つ患者自身も自己変化に関して追跡し易く、
生活時に於ける環境変化、姿勢変化等々での著名な症状の改善~憎悪、
若しくは憎悪~改善時の理屈も掴みやすく、各種諸症状と対峙するに辺り、
患者自身での疼痛回避も簡便になってきます。
 
過去に書きましたが、私は何を以って「健康」と言うかが分かりません。
 
WHOで健康の定義のような事を述べていますが、
あくまで「健康」か「不健康」かは個々人が判断するもので、
何処かの誰かが決めた数値で判断する事でもありません。
 
誰しも無痛で一日を過ごす事なんて成し遂げる事は出来ないと思います。
腰に負荷の掛かる姿勢を取り続ければ、腰が痛むのは当たり前です。
腰に負荷が掛からないようにと寝続けても腰が痛むのは当たり前です。
腰に限らず、首でも肩でも腕でも膝でも何処でも痛みます。起きてても寝てても痛みます。
そんな当たり前の日々の患者の痛みに対して「応えよう」、若しくは「解決しよう」と考えた結果、
多くの要らぬ医原病を生み出し、複雑化していくだけの足取りを辿ったのが現代医療のガンなのでしょう。

「痛み」として感じるまでの閾値が高いか低いか、この事で人間は「健康」と「不健康」の線引きをします。
フト考えれば、そこに至るまでの経緯が患者自身の基礎身体能力によって左右されるだけです。
 
食べ過ぎれば胃もたれし、お酒を飲みすぎれば二日酔いにもなるでしょう。
身体が弱いと単なる風邪も肺炎まで発展するでしょう。その傍ら、風邪すら引かない人もいます。
花粉症で毎年のように悩んでいる人がいる一方、全く悩まない人もいます。
同じ労働条件で腰を傷める人もいれば、傷めない人もいます。その違いは何なのでしょうか。

痛みを感じるという事に対して、ネガティブな思考を持つ必要はありません。
痛みを起こしている身体を自己で分析する事は自身の財産となり、
今後の取捨選択を研ぎ澄ますタイミングともなるチャンスでしょう。
 
前項でも書いた通り、患者自身が予測可能な症状、
若しくは、患者自身が予測可能且つ、自らが発生させる事を前提とした痛みには受容的です。
 
しかしながら、患者自身が予測不能な痛みに苛まれた時、強い不安が訪れます。
但し、その痛みは患者自身が予測不能であるという理由であっただけで、第三者が見た場合、
極々当たり前に起きるであろう予測下で巻き起こっているイベントであり、不思議な事ではありません。
 
誰しも痛みの無い生活を望むでしょう。私自身も痛みの無い生活を望むでしょう。
その望みを即効で叶えてくれるのが薬なのかもしれません。
勿論、中には効かないという人もいるでしょう。的外れな処方をされていた場合、
効果を実感出来るどころか訳の分からない副作用に苛まれるだけかもしれませんが、
全体として見た場合、薬を飲む事で痛みを感じなくなっている方は多いと思います。
 
治癒という頂点までの過程の間、日々の生活での痛みも可能な限り避けたいものです。
しかし、今飲んでいる薬がどういうものであるかを患者側が理解しなければ、
頂点どころか回り道して途中でずっこけたり、具合が悪くなったりという
半ば強制的にロシアンルーレットに乗せられると言う事の理解も必要になるでしょう。
 
私だけが理解していても、薬を飲んでいるのは私ではなく患者です。
言われたまま薬を飲み続け、第三者の指摘を面倒臭く聞いているようでは何時まで経っても薬漬けからの
脱却は出来ず、自分の首を絞めるリスクが上がり続ける事を自覚せねばならないのです。

痛みで悩んでいる間は、スタートラインにも立てていません。
痛みに苦しんでいる時間程、そして重症度が高ければ高いほど、
社会との接点は薄れ、焦燥感や不安感、自己嫌悪感、疎外感等々は強まるものでしょう。
 
傍から見て怪我人や病人というような視覚的なアプローチは大半の方は出来ません。
ギプスを巻くまででもない、松葉杖を使うほどでもない、車椅子を使うほどでもない、
何より、そのような補助具を使う患者自身のプライドが許さないかもしれません。
 
痛みの根源的原因と症状と診断名の相関関係の有無を取り違えて、
無駄な手術、無駄な投薬を行われ続けた患者の身体は単純な理屈ではなくなってきてしまいます。
 
しかし、ここ最近は私自身の考えも少しずつ変化してきたようで、
改めて医療の選択は患者の自由であるという事に対して、悪い意味で容認し始めています。
過去にも随分と書いてきましたが、無駄な手術、無駄な投薬は幾らでも存在します。
そして、幾らでも言い訳が通用する世界であり、患者側が負ける世界です。
 
何だかんだで医療という立場に立つ人間のほうが強く、明確なミスが無い限り患者側は負けます。
何故なら、国がその治療法を、そのガイドラインを容認している以上、負けるに決まっているのです。
患者自身もその治療法に納得し、手術だ薬だ検査だと望んでいる以上、責任の所在は何処にあるのでしょう。
 
容認された治療法を、ガイドラインに沿った治療法を、医療者も正しいと思い込んでいるかもしれません。
患者側も、「先生に任せます」と言っているかもしれません。幾つかの選択肢を医療者が提示しても、
幾つかのリスクを提示しても、結局はお任せになっているかもしれません。
又は無理強いしているところもあるかもしれません。
 
それでも、最終的には患者判断で決められる医療というのは、
私達は常に受け身の立場であり、私達から強制出来るものではありません。
今行っている自身の医療を医療業界の人は悪い言い方はしないでしょう。
 
只単にそれは経営的な視点から述べているかもしれませんし、それは諦めから述べているのかもしれません。
正しいか正しくないのかも分からないかもしれません。
スーパーのレジを打つのと同じ感覚なのかもしれません。
でも、それでも最終的な判断は患者である以上、強制は出来ません。
 
身近な例えをすると、根源的要因を変化させるスピードを求める為に、
鍼を打つという行為以外にも、栄養摂取内容の変革や運動も積極的に推奨する場合があります。
しかし、鍼治療のみであれば、患者側は寝ていれば終わりますが、
栄養摂取内容を変えるのも、運動をするのも患者自身でしか出来ません。
 
 
1)薬物による肝機能や腎機能障害により派生する回復時に於ける再合成の阻害及び遅延
2)特定栄養の過剰摂取による回復時に於ける再合成の阻害及び遅延
3)現労働環境による回復時に於ける再合成の阻害及び遅延
4)周辺環境から入る様々な情報により、回復の阻害及び遅延
5)患者自身の思い描いている「治癒」という理屈と、発生している諸症状との整合性が見られない状態
6)諸症状と投薬内容が全くリンクしていない状態、且つ、思い込み(鵜呑みも含む)による状態
 
が入り込んでいる場合、ハードルはますます高くなります。
とは言え、鍼屋に訪れる方々というのは、過去の医療機関でニッチもサッチもいかなかったから
来ているケースも大半である為、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれませんが、
これらのハードルが無い場合は、驚異的なスピードで治癒に向かうという事も忘れてはならないでしょう。
 
いわゆる「自然療法」的なカテゴリーに分類される治療法は、患者自身の積極性が求められます。
そこを蔑ろにするか否かで、治癒までのスピードは大きく変化します。
それが面倒臭いなら薬に頼ってもらうしかないと思っています。
 
しかし、その薬とやらが何をしているのかを知らなければなりませんし、
知ったところで根源的要因の解除にはならないという事を知るだけでしょう。
 
今一度、「治るとは」という意味を私達や患者も含め見直さなければならないのではないでしょうか。

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  ~針治療から病態定義の見直しを~