藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

椎間板ヘルニアの術後後遺症を訴え精神病者扱い


痛みとは患者自身から発せられる無慈悲で暴力的な正論を突き付ける。暴力的に痛みという指令を出し続けるには理由がある。動く事が危険である事のサインである。しかし、自身から発せられる正論という現実に背いた結果、寝たきりまで追い込まれる事になる。痛みはネガティブな事であり、ネガティブは精神を病む。精神を病んだ患者は更に動けなくなる。痛みは孤独である。痛みは患者にしか分からない世界である。患者にしか分からない世界に、医療が入り込めるのだろうか。否、入り込んで良いのだろうか。入り込んだ結果が今の惨状なのかもしれない。
痛みを抱える人間にとっての最大欲求は、痛みを消す事であり、それが最大の幸せとなり、快楽へと繋がる。一度でも手軽に快楽を覚えた人間は抜け出せなくなる。それは痛みという世界だけでなく、様々な領域でも同様かもしれない。人は手軽さを求める。痛みを抱えた人間は、術者に笑顔と優しさと手軽に治る手段を求める。現在に至るまで、正解はこの中に1つでもあっただろうか。笑顔で治った人間はいない。優しさで治った人間はいない。手軽さで治った人間はいない。何も苦労せずに痛みが消えるのであれば、誰だって苦労をしないで痛みを消したい。
医療は正論で成立させなければならないと考えている。患者から発せられる痛みが正論である以上、正論で対峙しなければならない。患者の痛みは嘘ではない。痛いと言ったら痛いのだ。痛みを抱えた人間は、年齢も職業も地位も権威も全て垣根を越えて正論を患者自身に突き付け、痛みを抱えた人間は、年齢も職業も地位も権威も関係なく、正論を言葉で発してくる。
「足を切り落としてくれ」と叫ぶ患者に嘘はない。痛みが正論で無ければ私も正論を述べない。正論は無慈悲で暴力的であり、追い詰められる事になるのは分かっているからだ。

point
>>椎間板ヘルニアと言う呪縛と誤認
>>精神病と言う概念に対しての考え方
>>薬漬け医者と薬好き患者
これらが合うとアウト。そんな一例。
椎間板ヘルニアの術後後遺症を訴え精神病者扱い」 
動作に伴う腰椎下部痛が数ヶ月継続した事を理由にMRI撮影。L4/5の椎間板ヘルニア(側方脱出)と診断。痛みを強く訴えた為、早期段階で手術。
その後、当初抱えていた腰椎下部痛は変わらず、左腰臀部、左大腿前面、左下腿外内側に疼痛が広がり、左下腿部は痺れと皮膚知覚異常も伴い、左臀部を上にして(健側を下にする)横臥位且つ安静姿位あれば症状は出ないが、1歩も歩けない程の激痛。症状が憎悪及び広範化した事で執刀医に伝え、数回の神経根ブロックを受けるも目覚しい効果は得られず。
某病院に回され「精神異常に伴う下肢痛」と診断され、他院の精神科を紹介される。患者は某病院で手術等での治療手段は無いかと訴えるも、「精神病に麻酔をすると何が起きるか分からない」と取り合ってもらえず(精神病と麻酔は関係ない。要は院側が面倒臭かっただけ)。結局患者は精神科を受診し入院。退院後、リリカ・トラムセット・セレコックス・デパスリボトリールサインバルタレンドルミンモーラステープ等を現在服薬する。入院したからと症状の軽減はなし。
患者「俺は精神病だから治んねーんだ」
 僕「もし腰に針刺して良くなったら精神病じゃねーですよね」
                    プス。プス、プスプス…。
患者「あら?」
…治療ベッドに横になってれば済む腰下肢痛よりも、長期服薬に伴う鎮痛剤や向精神薬の減薬の手間が圧倒的に大変。知らない人はいないような有名病院でも、術後検査で画像上、異常が無ければ「異常なし」。患者の出方次第では精神病者扱い。大病院故に、このような流れになっただけかもしれないが、似たような流れは何年経っても変わらない。
術後大腿前面痛はL4ヘルニアを切除した事で、椎間板の不安定性が惹起され、上位脊椎であるL3が損傷を受けた。下腿や足底の知覚異常や痺れも同様で、切除に伴う術後患部の不安定性が高度になり、L4及びL5が損傷したものと推測される。
鎮痛剤や向精神薬の減~断薬は患者自身の努力が相当必要となり、服薬期間によっては大なり小なり日常的に離脱症状で苦しむ可能性もある。それらの理解と覚悟も必要ともなるし、患者が医師との関係性を気にし、針治療で改善されたとしても服薬し続ける患者も少なくない。
そこまでして飲み続けたいという患者にも問題はあるが、飲み続けなければならないという強迫観念を植え付けたキッカケも、病院内外であったのかもしれない。この手の患者は何処にでもいる。他の方々はどうしているのでしょう。症状の改善があっても薬を飲ませ続けているのでしょうか。
余談…多根に渡る神経障害の場合、単根ずつしか処置の出来ない神経根ブロックは不利。責任高位診断の意味合いもあったのかもしれない。若しくは術後後遺症を認めない為の意味での処置だったのかもしれない。硬膜外ブロック辺りを当初から積極的にしていれば状況は変わっていたのかもしれない。その点、多根性神経障害の場合、針治療が極めて優位に立てる治療手段である事が明白ともなる。

医療化の弊害が叫ばれて久しいですが、健康被害が生じるリスクを冒してまでも薬を齧り続ける必要性があるのかを先ずは患者に問いたい面もあります。「市販の解熱鎮痛剤を飲み続けたいんだけど、この事で起きている胃腸障害を針で治せないか?」との依頼も実際に多いのですが、アナタでしたらどのように答えますか?
そもそも、そのような質問が発生しない状況を、先ずは私達が作らなければならないのです。100歩譲って、同量で生涯の幸せを獲得出来るのであれば、服薬に対して反対する事はないでしょう。
但し、耐性(抵抗性の獲得)が伴う以上、高確率で薬を調整し続ける日々に追われます。
副作用なのか常用量離脱症状なのか、切り替えた際の過去の薬物による離脱症状なのか、もしくは切り替え後の新たな薬物の副作用なのか常用量離脱症状なのか、多剤による相互作用で生じているのか、もしくは現病としての症状なのか、誰も判断出来ない領域に足を踏み入れる事になるだけで、それは闘病とは名ばかりの調整という日々であり、脱出不可能になるのです。
整形外科領域のような末梢神経系由来であれば、80代や90代の寝たきりでも何とかする事が出来るし、向精神薬が強く絡んでいない中枢神経系由来の症状であれば希望もある。
しかし、経時的に中枢神経系機能に損傷を与え続けた向精神薬由来の諸症状が一度強く惹起された場合、10代や20代でも取り返しがつかない事態が待っている時もあり、これらをフォローアップ出来る環境や手段が現医療機関には存在しないという事に気づくのは実害に遭ってから。
そうならないように、今、どんな病名を下されて服薬しているかは分かりませんが、精神病は死に至らない病である事、そもそも、病でない事。どんな経緯で精神病名を下されたか鑑みる事、その精神病名は、何故、存在するのかを調べる事。
大変かもしれませんが、理解が無ければ精神医療の問題、向精神薬の脱却からも果てしなく遠くなる事には変わらず、仮に一度成功したとしても、直ぐに躓く可能性もあるのです。先ずは、このような事態に陥らないように未然に防ぐには患者個々での知識も必要かもしれませんし、仮にこのように陥った場合の対策というのも早期段階であればスンナリと脱出出来ます。
重篤例の場合は周りの理解が絶対になってくる上、ある程度の長期的なサポートが必要にもなってきます。薬で引き起こされた症状を薬で潰していく方法もあるかもしれません。上記の薬以上に強力な薬は幾らでも存在し、鎮静なぞ容易いかもしれません。しかしそれが患者の将来を見越せば、正しい選択であるべきかという事に目を向ければ、鎮静は患者以外の都合の為である事が分かります。
明らかに薬剤性であるにも関わらず、それを気づいた患者家族は知らぬ存ぜぬを繰り返され、途方に暮れている姿を見るのは偲びないものです。その間、患者はどうなりますでしょうか。他人に危害を加えて刑務所に入るか、自身に危害を加えて精神科病棟に入るかの二択に迫られるのです。
もしもアナタに大切な守るべき人がいて、その人が向精神薬を飲み始め、アナタに向ける感情が薬に支配されているとしたらどう思いますか?病気だから仕方ないで済ませますか?そもそも、何の病気で向精神薬を飲んでいるのですか?向精神薬はどんな病気にも効く夢のような薬です。中枢神経系機能を壊滅的に低下させるから当たり前なのです。

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  ~針治療から病態定義の見直しを~