藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

針治療の開拓と発展に向けて


~針治療の開拓と発展に向けて~
 
保存的治療という言葉を聞くと、如何にも消極的な治療手段であり、妥協策の果て、諦めの中での姑息的治療手段とも捉えられがちです。残念ながら、針治療も同カテゴリ内に置かれ、手術のようにビジュアルが派手派手しくもなく常に地味な時間が流れている為、脚光も浴び難い世界です。しかしながら、治効理論の原点となり、症状発症の原点ともなる血流動態の異常から生じる諸症状と直接的な対峙が出来る手段として、針治療以上の存在は無く、幾らでも可能性を大きくする力を持ち合わせています。
 
~保存的治療の垣根を超越する針治療~
 
手術以外の治療手段を保存的治療(保存的療法)と呼称し、認知度の高い保存的治療の内訳として、薬物治療、理学療法作業療法、食事療法、心理療法柔道整復術等が存在し、針治療も保存的治療のカテゴリに分類される中、外科的侵襲能力を持つ針治療は、他の保存的治療手段と比較しても類を見ない積極的治療手段に位置します。現在、針治療は世界各国で導入され、様々な治療理論にて研究~臨床が行われております。術者側の根本的観点として、経絡経穴を標榜する東洋医学的観点を持つ一派、現代医療が標榜する病態理論から刺針点を考察する現代医学的観点を持つ一派の2大派閥が柱となります。更に、臨床現場を通して構築された個々の術者の理論は根を伸ばし、独自の身体観へと発展を遂げています。
 
皆さまが見慣れている整形外科や内科(所謂、医科)に関しての多くはガイドラインが存在し、保険病名に基づいた上で全国一律に治療が受けられます。しかしながら針治療にはガイドラインが存在せず、派閥毎で治療法は類似してくるものの、術者側の経験則から構築された治効理論や病態把握が異なれば、医療機関で告げられた疾患名に対しての解釈、術前術後の説明、治療後の経過、症状の改善速度は異なります。且つ、個々の術者が標榜する理論に応じた刺針が施される為に、患者の体内へ刺入される針の深さや太さも異なってきます。昨今ではホームページを持つ治療院も多い事から、術者毎の得意分野や治療内容も提示され、患者側が治療院を選定する場合でも、情報を得られやすい時代になったと思います。
 
原則的に針治療はどのような診断名が付いていようとも、命を脅かす疾患外に関して適応します。患者依存による内的外的因子問わぬ、基礎身体適応能力を超過及び超過し続けた末に、発症した諸症状との対峙と言えば分かり易いかもしれません。器質的な異常に発展するのはその結果であり、狭窄やヘルニアのような脊椎変性疾患の類の小さな話しでなくとも、骨折とか肉離れが分かり易い例です。
 
症状自覚は患者個々が抱える閾値が存在する為、治療対象となるか否かは常に患者依存であり、何者も病人であるとレッテルを貼る事は医療者としてのエゴであり、患者が症状を訴えない限り治療対象とはなりません。針治療に於ける初発の来院患者層というものは、激烈な痛みを抱えた時や、何処に行っても治らなかった時、というのが針治療を受療する対象となる傾向として高いものです。急性憎悪期は情報伝達にワンクッション挟む為にやや厄介な面もありますが、針治療に来る人は大体、暫く痛くて痛くてどうしようもないという人が来る所です。既存患者が別件で症状を抱えた時は別で、針治療という意味や、症状惹起の意味を一度でも知れば、一般的に蔓延している薬物治療の無意味さを知る事が出来ると同時に、更なるパフォーマンスアップを獲得する事が可能である事を既知しているからです。一度でも針治療を受け、症状改善という経過を知る事が出来れば、その逆となる損傷過程も細分化されて自覚出来るようになり、再発率は低下するメリットもあります。
 
その意味を一番知っているのはプロスポーツや、それに準じる方々ではないでしょうか。彼ら彼女らは基本的に薬物に対してはアンチ傾向である事は皆さんも知っていると思います。大きな大会はドーピング検査がありますし(勿論全ての薬物が使用不可ではありません。時折更新されますから知らない人が見ても為になります)、薬物使用による機能上の鎮痛は得られても、機能面での低下や薬物使用による肝臓及び腎臓での代謝時の負担等々を鑑みれば、全体的なパフォーマンスが低下する事も知っています。常に高い目的を見据えて限界を超えた身体能力を発揮させ続けている方々は、幾らでも身体は壊します。損傷度合いは大なり小なりかもしれませんが、何れ位の損傷をすれば、何れ位の回復期間が必要であり、何れ位の期間を経れば以前の状態まで戻れるかも知っていますし、これらの壊れた身体が薬で「治る」とも思っていません。
 
外的内的問わず、損傷を起因とした整形領域疾患と自律神経系の異常は常に付いて回ります。一度自律神経系の異常が生じると、スポーツをしていない時も諸症状を自覚し続ける事になる為、自律神経系症状からメンタルが壊れる事もあります。では、これらの諸症状に対しても薬物を使っても良いかと言ったら、それも又出来ません(したくない)。その為に、常に高いパフォーマンスを発揮し続ける方々というのは自分自身をよく知っています。常に栄養摂取面に於いても気を配っている方々は回復も早いのですが、機能異常に対して更なる回復を求めた場合、針治療がファーストチョイスになったのは、恐らく私以上に身体機能を熟知している、自身の身体をフルに使った職に就かれているからこそ故なのでしょう。
 
では、当院の身体観等含め、考え方を僅かですが触れたいと思います。針治療は、感染症や内臓疾患を除いた様々な症状に適応し、主に整形外科領域疾患、自律神経症状に対し圧倒的なパフォーマンスを示し、他の追随を許さない程の作用を上げ続ける事が可能です。年齢や受傷時期、症状の内容、症状発症箇所、生活様式、労働環境、栄養摂取状態、薬物治療の有無及び服薬期間に於いて治療回数や治療期間は変動致しますが、針治療を受療されながら、生活様式や栄養面の見直しで相当の回復と好循環維持が見込まれ、過去と同一量、もしくは同一量以上の負荷を身体に掛けた場合でも、症状として自覚する事なく日常生活を過ごせるようになります。手術の提案をされた各種疾患に関しても、針治療にて回避可能となる疾患も多く、既存医療の概念を払拭出来るキッカケにもなります。
 
一時的な疼痛緩和や対処療法的手段は治療と考えておらず、有益な結果を患者に与えているとは考えておりません。症状を抑えるだけの姑息的な治療手段ではなく、症状を消滅させる治療方針を常に考察、検討します。発症部位ではなく原因部位にアプローチを行い続ける事で、経時変化による症状の収束を実感出来る理論を組み立てる事で、患者自身が日常生活でも負荷動作、負荷姿勢の回避姿勢を形成可能となる為、治療時間外に於ける負荷も軽減され、治癒速度は向上していきます。現行の患者の身体状態に依存される針治療という手段は、患者個々により治療時の身体状態は異なる為に杓子定規な説明は出来ませんが、過去から現在に掛けての栄養摂取状態、服薬状況、セルフケア等々も見直しながら、回復過程に於ける阻害因子や悪化因子を内外から限りなく排除していく事で大きな成果に繋がります。
 
そして針治療は鎮痛作用も求められます。特に筋由来疾患を発症し易いスポーツ選手に関しては、鎮痛作用を求める針治療というのもケースバイケースで必要です。見方を変えて、鎮痛作用のメリットとは何でしょうか。それは、「目前に控えている最大の目的に対して、全てを犠牲にしてでも勝利を掴み取る時だけ」と捉えています。しかしながら、鎮痛を求めた結果、他のものが犠牲になる事も知らなければなりません。痛みを感じなくなれば、損傷度合いは激しくなり、各関節の摩耗から派生する炎症や神経症状の惹起、そして回復迄も時間が掛かります。これらの予後の犠牲を理解しているのであれば、鎮痛作用というのは求めても良いかもしれませんが、但しそれはあくまで超限定的な患者に対してのみであり、その鎮痛作用というものを一般的に日常生活を送る方々が漫然と薬物にて取り込んでいる場合、天秤はデメリットに傾き続ける要素しか見えません。
 
例えば、先ほどスポーツ選手のパフォーマンスアップと針治療に対して書きましたが、一般的な日常生活を送っている方々に例えたら如何でしょうか。腰を反らせる度に下肢に激痛が走る人がいたとします。このような方々は洗濯物を干せません。それもパフォーマンスの低下です。肩が上がらなくても洗濯物を干せません。パフォーマンスという言葉を使えば如何にも競技仕様に聞こえるかもしれませんが、日常生活時に於けるパフォーマンス性の向上は、全ての生産性向上に繋がるというの事も知っていて損ではありません。干すのを諦める。それも1つの選択かもしれませんが、日常生活時に於けるこれらの機能低下は、全機能低下にも繋がる状態を示唆します。
 
損傷する度に炎症は大なり小なり生じます。微細な損傷(炎症)は血液検査では数値異常を示さないでしょうが、その度に湿布を貼って解熱鎮痛剤を飲むという姑息的手段を用いて凌いでいれば、いずれ気づいた頃には各種関節の変形が待っていますし、変形が一度生じれば、人一倍、症状自覚速度は早まります。そうならぬ為にも痛みに気づく事は大切な事ですし、痛みが出た時の対処方法を知るよりも、痛みの出ない身体環境を早期に獲得しておく事が、中長期的将来に渡り多大な恩恵を患者自身に齎してくれる事になります。洗濯物を干すプロを目指す事も大切です。
 
~針治療と高齢社会~
 
加齢は全ての機能を否応なしに低下させます。全機能の低下を示す老化に関しても、何処までパフォーマンス性を向上させるかが大きな課題にもなってきます。高齢だからと言って、身体機能は衰えていくかもしれませんが、精神機能は熟成されて発展している事はご存知だと思います。高齢患者の一番の哀しみや苦しみは何でしょうか。
 
身体機能と精神機能のギャップなのではないかと思います。「動きたい気持ちはあるのに体がついていかなくてね」という状態の事です。身体機能が衰えていれば、外出もままならず、家に隠るようになればメンタルも壊れる可能性もあります。その為には、常に高い身体機能を保持して自由の効く状態にしておかなければ生きながらにして自身の肉体の衰えに恐怖を覚え続ける事にもなります。今の医療は患者を「生かす」事は出来ますが、患者を「活かす」事が出来ているでしょうか。それが今後の高齢社会の課題にも繋がるのですが、現行の薬物治療一辺倒の姑息的手段が蔓延している限り、より一層の内臓負担や各種易損傷から派生する機能低下が見込まれ、メリットは見えてきません。
 
高齢層と針治療。老化と針治療の相性は非常に良く、若年層の場合は「回復」と「損傷」のバランスは比較的「回復」に傾き続ける為に、予測以上の成果は上がる場合も多いのですが、高齢層の場合、日々「回復<損傷」に傾き続けていく為、針治療を行う度に1回1回明確な回復傾向を示し、針治療の効果というのを掌握し易すくもあります。針治療は命を脅かす疾患に対して適応しないと冒頭で書きましたが、老化という病気は寿命に向けて一歩一歩進む避けられない病です。寿命は日々のQOL向上でグンと伸びていく事を中長期的に治療を行えた患者群を見ていると常に思います。寝たきりから車椅子へ、車椅子から歩行器へ、歩行器から杖歩行へ回復を遂げていく姿は患者だけでなく、患者家族、患者の周囲の方々の人生すら明るく変えていきます。他、先方で「歳ですね」で話しが終わっている為に覆すのが簡単だという理由もあるでしょう。どうでも良い病名を沢山抱えている場合は、常に病名が先行してしまい、病名に責任を押し付けたがるのは目に見えていますから厄介な部分はありますが、患者が「治してやる」という強い信念さえあれば何とかなるものです。しかしながら周りを見渡してみればどうでしょうか。症状があっての病名である事を患者側が理解していれば薬を飲むだけの毎日で終始せず、症状を打ち消す為にはどうしたら良いかというのを患者自身も個々で考察するものですが、如何せん患者自身の努力や積極性を奪っているのも又、病名であり薬なのかもしれません。
 
猫も杓子も鎮痛薬と向精神薬を飲んで治りませんし、寧ろ誰もそのような治療手段では治りません。抹消神経系のみならず中枢神経系へのダメージが免れない状況を医療が作ってしまっている状況です。その為、気づくのは個々の患者であり、医療からの脱出の架け橋を私達が早期で作らなければならないのです。
 
今後、人口減少と共に高齢社会は益々進み、高齢である事に責任を逃れていた「高齢であるが故の疾患」の数々に対しても、私達は逃げ場の無い状況に立たされます。針治療の最適応となる整形外科領域に関しては、主に経年変化に伴う椎体の自重圧壊から派生する、神経及び脈管由来の諸症状を抱える患者群は急増します。今現在も積極的に観血的治療を施す医療機関も多々ありますが、如何せん脊椎変性疾患を中心とした観血的治療の数々は術後成績が芳しくなく、再発症率も高度を示し、術後患部及び、上位椎体の不安定性が経時変化で惹起され、より一層の逃げ場のない神経及び脈管症状を呈する患者が後を絶たない状況にもあります。且つ、鎮痛剤を処方しながらの歩行訓練等が一般的に浸透してしまった事により、患者が気づかぬ内に更なる各関節の摩耗より変形の進行、及び、鎮痛剤の長期投与による肝機能低下の懸念は不可避な状況であり、今後の対高齢者医療も再考察しなければならない時代となってくる中、薬物に依存しない保存的治療が評価される時代になってくるものと思われます。
 
人は生まれた時から老いは始まり、様々なアクシデントを経験します。そのアクシデントの一つが「痛み」です。痛みこそ多くの随伴的合併症を患者周囲に生じる事になり、自身の肉体や精神のみならず、社会、経済、時間、家族、全ての接点に歪みは生じ、症状悪化の一途を辿った場合、負のスパイラルは暴走し始め、周囲を大きく巻き込みます。これらのスパイラルの根源を断ち切るのが医療となるのかもしれませんが、現行医療は患者を活かす医療かと問われれば、諸手を挙げて賛成は出来ない状況です。PEGやIVHで平均寿命は伸ばす事が出来たとしても、健康寿命は何処まで伸ばす事が出来るでしょうか。年々増え続ける医療費は健康寿命と比例する事もなく、国の財政は単なる食い物と化しています。
 
人は生まれた時から老いは約束されています。老いを約束されている以上、今からでも良い老い方を模索する必要はあり、患者個々が医療に対しての考え方を今から見つめ直す必要はあります。
 
「最期まで2本足で歩いて」というようなキレイ事を言う事は出来ません。人は途中途中でアクシデントを重ねる生き物であり、歯も無くなれば、足も動かなくなり回復不能となる場合もあります。まして、皆と同じように目や鼻や口や耳や手足が2本ずつ無くても、大切なのは日常という泥臭い毎日を送る中での自己の確立であり、自己の意思を自己が尊厳する事でもあります。日常には多くの誘導があり、多くの誘導を自身の意思で取捨選択出来る人間が、最期まで幸せに生きられる時代です。
 
~標準治療が薬物治療であるが故の、発展の乏しい痛み治療の世界~
 
何故発展が乏しいかを考えなければなりません。種々検査で異常が無ければ「心因性」「気のせい」「年のせい」「精神疾患」として心療内科や精神科にバンバン送ってしまったのも1つ挙げられます。治るものも治らない。治るものに対して匙を投げた。治る患者に対して薬漬けにした。病気を病気のせいにした。病気と対峙する力を患者に対して求めなかった。そのような甘甘な繰り返しが今なのです。仮に経営的な視点で見たら、患者の言いなりになって薬を出していれば喜ばれるでしょうし、良い先生になれる。眠れなければ睡眠薬でも増量すれば診察は終われる。たったそれだけの話しです。何処の世界でも可視化が可能な検査に於いて異常所見が無ければ対処手段が見つからないのですから匙を投げるしかありません。かと言って、これらの患者群に対して向精神薬を飲ませる事が治療なのかと言われれば、より一層のリスク向上という結果しか訪れません。私は絶対に「心因性」「気のせい」「年のせい」「精神疾患患者」と言われた群から逃げなかったから、今の構築と発展があると言っても過言ではありません。逃げなければ絶対に前進出来ます。針治療の業界は達成出来るはずです。医療はこれらの患者に対して匙を投げているのですから寧ろ都合は良いのです。
 
冒頭でも書いたとおり、死を示唆する疾患以外の多くの諸症状が針治療の適応となります。では、これらの発症要因を探求する必要性があるのですが、以前にも書いたとおり、日常生活を送っていれば必ず人間という生き物は損傷する、損傷し続ける生き物です。疼痛自覚の閾値や個々の回復力は異なりますので、どのタイミングで症状として自覚するかは患者によって異なるかもしれませんが、損傷患部領域に偶然居合わせた血管や神経、及び神経機能等により症状が異なり、種々病名が下されているというのが針治療「しか」行っていなければよく分かります。
 
さて、多くの方も既知されている事と存じますが、医療は不安と依存で形成されています。不安を与えられ、依存を形成されたくないという自己の確立があれば、人は学び、人は知恵を付け、対策を練るものですが、「痛み」に関してはどうしても第三者にコンサルトしてしまう生き物です。医療化の弊害故かもしれませんが、其れ程迄に痛みというのは心身を蝕み続る証拠でもあり、逸早く消してしまいたい忌々しい存在でもあるのです。しかし、「痛み」は可視化も客観的評価も出来ない、患者自身の体内で巻き起こっている事象であり、如何様にも第三者は責任を押し付ける事ができ、如何様にも責任を押し付けられる世界である事を再認識しても損はないでしょう。患者の痛みは誰にも分からないのです。故に、全ては推測であり仮説の世界で治療が施され続けている事を知らなければなりません。
 
痛み治療に関しては多くの理論が存在します。多くの理論が存在するという事は、全てが仮説の域を脱していない証拠であり、私の標榜している理論理屈も既存学問から抽出して構築している以上、仮説の域は脱しておらず(基礎的学問の解剖生理も不変ではありません)、日々手探りで一歩ずつ模索し続けている状態である事には変わりありません。では、全てが仮説に満ちた痛み治療に関しては、限り無く安全性を高め、リスクを軽減しながら高い効果を提示し続ける事が求められます。日常的に幾らでも発症し得る可能性のある症状を消す為に、日夜鎮痛剤を飲んでいては身体が持ちませんし、耐性が付く以上、増量が進み依存も生じます。痛みを抱えた人間の最大欲求は如何なる手段でも痛みを消す事であり、一度でも薬物という手軽な手段で痛みが消えた感覚を覚えてしまうと、それは快楽に繋がり依存へと発展します。その頃には内臓器官に既に痛手を負っている事実を周知する義務のある人間は周知する事もありません。いつまでも薬を飲ませ続けているだけです。これでは痛み治療の発展がないのは当たり前であり、痛みに対して真摯に向き合う事のなかったしっぺ返しが必ず訪れます。そして、治癒のタイミングを逃した多くの患者が、過去の如何なる治療手段に対しても抵抗性を示す難治例に移行してしまったのです。誰かが今を変えなければなりません。それならば私達が変えていくしか手段はありません。
 
誰しもが発症し得る可能性を持つ諸症状が針治療で治るという事は、針治療を通して逆説的な視方をする事で、現行医療の診断定義の矛盾点を拾い集める事が出来ます。針治療というシンプルな治療手段は大きな力を秘めています。既成概念を覆す可能性は幾らでもあり、痛み治療に対して直接的に対峙出来る材料が揃っている針治療は学びが止まない学問でもあり、一生涯掛けてでも取り組むべき課題です。
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  ~針治療から病態定義の見直しを~