藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

【拮抗学】横柄で横暴なプライド高きオッサン学 2


以前は太平洋沿岸側地域や関東方面に行く度にブログにアップしていましたが、回数も増せば普通な感覚になるものです。どこ行ったって針を打つ事には変わらないですし。しかし、毎度通過する度にどうしても気になる建物があり、遂に昨日写真を撮る事が出来たのでアップします。某県某市の国道沿い、一般的なお店が並ぶ一般的な建物を横目に走らせていると、毎回ヌッと現れます。
 
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    写真ではヌッと現れる様子は分からないと思いますが、車で移動していればヌッの意味も分かります 

最早タイトルと内容は然程関係ありませんが。疼痛性疾患、非疼痛性疾患問わず、昨今は痛みを代表とする症状、現象を測定、可視化、擬似的体験が可能な機器もあります。しかし、あくまで擬似的である以上、仮に術者が計測機器から痛みの強さを把握する事が出来たとしても、想像の域を脱する事は不可能であり、痛みを抱えた人間は痛みを抱えた本人にしか分からない世界観が個々に形成されるものです。痛みは自身にしか分からない、そして知る由がない事を前提として治療を行わなければならない非常にジレンマを感じるものですが、患者に代われる患者は存在しません。そして他者に理解してもらえない痛みは想像以上に患者家族や術者を脅かすもの。それは術者が痛みを分かち合えない故に発せられる言葉である以上、その事実はこちら側でも汲み上げなければなりません。とは言っても、患者の痛みは分かりません。
 
以前、治療は常にブラインドだと書きました。痛みは見えない以上、あくまで想像の中で原因部位を推定して治療を行わなければならず(勿論、症状に対しての治効理屈は事前提示しますが)、仮に教科書というものが目の前に存在したとしても、教科書を作った人間は、針治療のような内科的治療を否定する外科医が多いものですから、手術を前提、肯定した内容であるが故、目の前にいる手術を行っても良くなっていない患者群に対しては梨の礫です。術前術後、そんな事は関係なく、そのような状態に患者が陥っていると、術式云々の問題や薬物治療を代表とする保存的治療の有効率の問題や、その後のリハの内容等々よりも、病態定義自体に脆弱性がある事に気付くようになります。
 
スタートとなる病態定義が異なれば、そこに尾ひれはひれ付いて回る治療手段によるゴールという治癒率は極めて低くなります。誤診という言い方よりも、誤判断と言うべきでしょうか。言葉の定義はさて置き、新しい理屈を提唱しても、患者利益無視の古い理屈によってかき消される現状に対し、気付くべき人間は最早個々の患者でなければならない状況に追い込まれています。
 
針治療で奏功すると比較的認知度が高い症例がどうしても占めてくるものですが(この場合、術者としての認識ではなく、患者視点としての認識上)、椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症、分離・すべり症、他、整形領域的な脊椎変性疾患の患者群も多くなるかもしれません。取り敢えずはスタートが異なるのですから、短期的に良好な手術という手段も、中長期的にはリスクを抱えるのは仕方ありません。何故リスクを抱え込む事になるかは過去にも散々提示してきましたし、他の方々も数十年前から発信している事です。そのようなリスクを術前に患者に提示してあげているのでしょうか。「手術しても5年後には手術していない群と…」なんて話を聞いたら手術を受ける患者も激減するから伝えていないかもしれません。
 
このように、効果の高い内科的治療は各地域でスポット的に存在している事は私も把握しています。しかしながら、仮に幾らそれで実績を上げ、臨床上という観点で見た場合に極めて高いエビデンスを誇る治療手段も、それは患者間で口伝でしか拡散しないという、限り無く低い拡散性しか持てないのも又事実です。何故なら、これらの手段は国家試験を突破する為の教科書には載っておらず、各地域の術者が臨床現場に立ち続け、脈々と学術分解をし続けて成し遂げた栄光であり、且つ「教科書無視=現代医学の愚弄」である事には変わらないからです。そんな反社会性とも言える治療手段に、真実が多く隠されている事も知る必要性があるのかもしれません。安価で優良、且つ安全性の高い治療手段は拡散性が低いのです。
 
都心や地方を往来していれば実感出来るのですが、疾患概念(治療手段を選択する選択的知識含む)は大きな隔たりがある事を痛感します。勿論、個々の患者によって異なるのは当たり前かもしれませんし、患者個々が捉えている自己診断的な要素は常に尊重していますが、私が普段多めにいる県と、近県では全く異なるという事もあるでしょう。要は、治療に対しての積極性の問題ではなく、治療選択の観念が異なるという事です。患者層の地元地域をピックアップすると興味深い事実も存在します。あまり具体的に書くとマズイ話になるので書きませんが、地域差は必ず存在します。
 
治すと何故か怒る人(私が怒られる(笑))等、呼んどいて治して怒られるという不可解な事象もあるのが、人間関係(この場合、患者と患者家族の関係)の難しさなのかもしれません。元気になれば困る家族、元気になれば介護の手間も増えるかも…、それなら寝たきりのままが…、という患者家族の思惑は私には関係ない訳で。この手の話は数限りなくありますが、往診の場合、多くは家族に見守れられる中で治療を行うケースが多く、時に理解なき家族から不愉快、不可解な発言も浴びせられるもの。それでもいつかは伝えた意味も理解してくれるとは思います。せめて安静時の痛みや夜間就寝時の痛みのみでも除去出来れば、患者のQOLは飛躍的に上がり、日中に顔を合わせる事になる家族とのコミュニケーションも平穏に行われるようになる事を何故分かってくれないのでしょうか。治療は受ける事が目標なのではなく、治療を受ける事によって症状が改善する事で社会復帰、若しくは患者家族の輪に戻る事が目標なのです。治療なんて人生の通過点にしか過ぎません。
 
高齢層特有の各種疼痛に関しては(危ないので書きませんが)薬物治療で凌ぐ事が出来るケースもあるのですが、これらの痛みを薬物で鎮めるとなると、相当な量が必要となり、先に身体が壊れる場合も多いのです。それを知ってかバラツキはあるものの、医者側でも極めて激しい疼痛を呈する患者に対してもNSAIDsの静注程度で消極的に済ませている場合も多いですし、麻酔薬系はショックを起こす危険性から使用頻度が高くないのです。それでも尚と、患者が自ら高用量の服薬をした場合、若年層とは異なり薬物代謝は遅延気味な上に極めて多い鎮痛剤を投与していく為、副作用でやられてしまうケースが後を絶ちません。高齢層になるにつれ薬物治療はリスキーになる為、どうしても疼痛除去という面から見ても高齢層は不利になってしまいます。そのような事情もあり、且つ他者に理解されぬ苦痛から、患者は目の前にあるありとあらゆる手段を使います。それが、患者家族とて患者の痛みを知りえない確固たる証拠です。
 
たまにニュースでも話題になりますが、医者様を追い出す地域もあれば、医者様を呼び止める地域も存在します。この差は何なのか。1つだけ言える事は、北海道夕張市のような実例がある以上、過剰診療、過剰投薬は健康寿命を短くさせるのは事実です。そのように、私は各地域を移動する度に、治療の有無関わらず、地域住民に対しても聞き取り調査をしています。

最近は成長痛まで「心の病」と提唱する人もいます。交感神経反射もあれば閾値も低下するでしょうし、痛みを伴う精神的ストレスも生じる為に相互的な作用も生まれるでしょうから全否定出来るものではありませんが。血管収縮に伴う栄養供給の不安定化は温度や湿度、骨格の脆弱性、筋量、基礎疾患、奇形や変形の有無、労働内容、労働量、体重、栄養摂取状態、趣味の内容で全て異なってくるかもしれません。しかし、術者の適応範囲を超えた患者群を全て「精神疾患」呼ばわりするのはどうしたもんだかと思います。そのような、「その個人では治せないから心の病にしている」という裏側の実情も患者側は汲み取る必要があります。とは言え、成長痛まで心の病にされる時代が来るとは驚愕しきりです。
 
これに限らず、器質的異常が手術により解決(除圧・除去・固定等々)出来たが患者は痛い、治療対象が既になくなっても痛い、画像所見等々の各種検査でも異常がなくても痛いと訴えるのは精神異常者であるという図式も未だに多く存在し、ガイドライン上、保険上での鎮痛剤に於ける薬物治療は、リスクの面からも限界が見え、多くの整形領域患者がオピオイド系や向精神薬が処方されている状況に於いては、手術に至った要因よりも、エンドポイントが存在し難い薬物投与が更なる心身の悪化を招く危険性もあります。腰下肢痛や肩頸~上肢痛の症状で悩むよりも、今後は薬剤由来の疾患(副作用・常用量依存・離脱症状)で悩む群が増えてくる事は間違いなく、これに代わる治療手段に対し更なる薬物治療が行われても回復には至らない事も知らなければなりません。
 
至極当たり前の事ですが、薬物が原因で日常生活に支障を来たしているのなら薬物を抜くしかありません。しかし、薬物を抜くには人生をひっくり返す位の大仕事になる。薬剤由来の場合、「針治療を受けていれば何とかなるさ」という甘い理屈は一切通らず、患者にとっては強い精神力も必要になります。薬剤性の場合、薬物が抜け、更に離脱症状が終わるまでのQOL向上に寄与できる程度であり、患者との相互理解が無い限り、患者は常に不利益を被り続ける自体に陥るというのも現実です。
患者が抱える個々の背景は全て異なる為、例えば明日は大切な用事があるとした場合、今の痛みが誇張される場合もあるかもしれませんし、丁度明日から長期休暇であれば楽観視出来るかもしれません。健常か病的か、健康か症状か、日常生活に支障があるかないか、幾つもの状況を考慮し、天秤に掛けています。
 
ふと考えてみた事があります。どのような治療手段であれ、介入性を要する層というのは労働者ではないかと思います。労働者が動けなければ多くの物事が回らない事象が引き起こされます。しかしながら現実問題として、労働をしている故に、時間もなく保険は3割負担というジレンマが生じ続け、言葉通り「身を粉にして」いる状況である事には変わりありません。身体を壊してでも働き続けなければなりません。それが如何に悪循環を招く結果に陥るか、個々で見た場合の影響力は小さくも、全体として見た場合、労働力の疲弊、衰退は確実にマイナスな結果を生み出し続ける要因にもなります。激烈な痛みを伴う事態に陥る患者層は少ないかもしれませんから例に挙げませんが、誰しも、肩凝り腰痛、頭痛、発熱等の自然治癒が見込まれる患者自身が既知とした症状とて、現に発症した場合、身体機能や精神機能が廃退していく感覚に陥った事は1度や2度ではないと思います。
 
某箇所でも書きましたが、私は某先生から「5年間休みなし」を命じられ、その5年が経過しました。私にとって休む事のほうが苦痛である為に今後も休むという事はないでしょうし、見ず知らずの人間も含め、何処かで誰かが症状を抱えて苦しんでいる以上、休むという行為自体が考えられません。では、そのような年がら年中分析しながら分かった事もあります。幸いにも私の周りには日本のみならず世界レベルのブレーンを持つ先生方が当初からいてくれた事、及び情報提供をしてくれる患者方のお陰で、私自身の治療スタイルも大きく舵を切り始め、多くの学びと気づきを現場を通し変革し始めています。
 
どのような症状であれど、発症に至る根源性要因、種々症状に対しての適切な治療スパンの構築による双方の負担軽減、発症時期による治癒期間及び治療回数の平均値算出、回復と拮抗する手段を取り込む患者群と取り込まない患者群の治癒速度。より、臨床に近いところであれば、単刺と置針の作用差(※1)、使用する針の太さによる作用差(※2)、私の我が儘を聞いてくれ、特注針を作ってくれる針業者さん(※3)等々。これらは基礎医学者では分かりえない、算出出来ない事例を幾つも知る事ができ、これらを混じえながら発展していけるものと実感しています。

(※1) 精査の結果、単刺と置針での作用差はなし
(※2) 安全な刺針操作を保てる太さで十分
(※3) 針先や素材に拘り、金型から製造してくれます 
(次点) 罹患時期、罹患部位、罹患範囲、発症内容による患者不利益にならぬ適正受療間隔の確立
 
という訳で、目的部位に安全に到達する事が出来ればOKである事が分かりました。置針も太さも然程関係ありません。置針時間が長いから「効く」、痛いから「効く」という神話は払拭する事ができ、これらを求めている患者もいるかもしれませんが、そうでない事が分かった以上、治療時の患者ストレスは極力軽減させていきたいのが本音。勿論、中には痛みに過敏な人もいるので、刺しても刺さなくても刺すフリをするだけでも極端に痛がる人もゼロではありませんが。それ程、針というイメージは恐ろしいようです。個人的には他の治療手段と比較しても相当リスクが少ない治療手段だと思っているのですが、如何なものでしょう。(次点)に関しては患者が来るか来ないか来れないかは別として、針治療の作用時間と発症内容を鑑み、コストを軽減しつつ早期回復スパンの抽出が可能になりました。これが1番大切な事かもしれませんね。
では、ここで以下の議題をポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかは別として、臨床というものに目を向けてみましょう。基礎医学者と臨床医学者では大きな隔たりがあり、お互い常に水と油、犬猿の仲ですが、真摯に謙虚に考察すれば、臨床というものは「全て」エビデンスレベルが低いという事を再認識する必要があります。医学は戦争がある度に発展する事を多くの方々は既知されていると思います。捕虜は常に医学の実験台となり、どこの神経を切断すれば(損傷させれば)どこが痛み、障害が発生するか。それは人を壊す事で得られる医学であり、治療という観点からは大きく外れているものの、そのような破壊的な医学があるからこそ、臨床を通してでも学術分解し、発達しているのも事実かもしれません。治療に興味のない破壊的な基礎医学を、治療に興味のある臨床医学が汲み上げてる事に対し、どのような問題があるのかも併せて考察する必要もあるかもしれません。
 
破壊の概念による脆弱性を幾つかピックアップします。1つは時間の概念が存在しない事。破壊をすれば痛むのは分かりますし、それは否定出来ません。しかし、その破壊に応じた疼痛が事実であるかと言う疑問も拭いきれないのです。そこには発症(破壊)からの時間経過という概念が存在しないからです。例えば、捻挫をしたばかりは然程痛みがなくても、時間経過によって痛みが増してくるという現象は多くの方々も経験された事があると思います。これが、破壊と時間の概念のシフトが食い違う事による弱点です。更に、ある程度の深達性を求める破壊医学は、必ず浅達時にも随伴的合併症も生じ、且つ破壊部位の痛みを患者自覚させるのは、破壊部位ではなく脊髄~脳を経由しているという概念がない。もしかしたら発症起因が神経根、DRG、脊髄動脈性、脊髄静脈性、脊髄性、視床下部、大脳皮質、等々の多岐に渡る状況の中で、「コレ」と言う確実な部位を特定する事は誰にも出来ない事ですし、あくまで想像の枠内でしか話を推し進められないのも事実です。
 
定義が曖昧かもしれない土台に、定義が曖昧な臨床が乗る訳ですから、臨床は常にエビデンスレベルが低値である事は受け止めなければなりませんが、様々な治療手段がある中でも、安全性や確実性、再現性、長期効果に伴う自然治癒率の速度を考察していかなければなりませんし、日常的に易損傷性の高い諸症状であればあるほど、早期段階で治しきらない限り、常に症状に暴露され続け、症状の増大化と共に患者が抱える社会的背景にまで悪影響を及ぼすという時間概念を取り入れる必要性は、治療を行うにあたって高いものと思われます。

分かり難くなってきた為に1つ例を挙げます。「長年膝が痛い」という患者がいたとします。この膝が痛い患者に行われる治療手段を思い浮かべてみます。グルコサミンやコンドロイチン等の健康食品(医薬品)、運動療法、湿布、解熱鎮痛剤、各種電療、ヒアルロン酸ステロイドの膝関節内注射が一般的です。次点として膝を揉む。膝に針治療をする。では、この中でエビデンスレベルが高い治療手段はどれか分かるでしょうか。実は、これらを掲げる治療手段はあくまで臨床医学である以上、全ての治療手段に於いて、エビデンスレベルが恰も高いように提示されているのが現状で、患者の痛みに対しての不安という感情を掴むように構築されています。それでも尚、更に追求する事で各種治療手段の真実に近い臨床効果を知る事が出来るのですが、恐らく患者は調べる事はないと思います。
 
これらの治療手段に於いても、商品や術者によって効果のバラツキがある事も知らなければなりませんし、更に基礎疾患や基礎代謝的な患者依存の問題による効果のバラツキも挙げられます。勿論、針治療1つ取り上げても同様で、術者によって見立てが異なる以上、針治療という同一カテゴリ内でもバラツキが生じます。これらの他カテゴリ枠、そして、同一カテゴリ枠内に於ける治療効果、及びVAS値低減が長期に見込まれる治療手段を模索、考察する事で、同じ針治療とて術者が異なれば全く異なる作用感を患者は自覚する事になります。
 
では、少し振り返ります。基礎医学は治す事に興味がない為、金儲けに興味がありません。真実に近い情報を挙げます。真実に近いからこそ、数年~数十年と基礎医学は変わりませんし、基礎医学の変革、発見はノーベル賞級の賛辞が毎度行われます。しかし、臨床医学の場合は莫大な利益に繋がる為、幾らでも情報の捏造や操作が生じ(たまにニュースでも話題になるくらい、やらかしている所もあるでしょ)、数ヶ月~数年単位で切り替わるケースが多いという問題があります。且つ、全ての治療手段も、全く効果がないという訳でもありません。その効果が幾ら位のVAS値軽減が得られたとしても、それが1の軽減であれ100の軽減であれ、長期有効性が乏しくも、厳しい副作用があるとしても、薬効時間のみの有効性だとしても、臨床的には有効と見られます。
 
余談ですが、「医学的根拠」や「エビデンス」という単語は、「健康食品>運動療法>湿布>解熱鎮痛剤>各種電療>ヒアルロン酸ステロイドの膝関節内注射」の順で目の当たりにする機会が多いのではないでしょうか。何故、このような単語を連発している商品があったり、連呼している人がいるかの事情を知る事も大切です。
 
では、以下のようなグラフを見てください。
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プラセボ群と比較して有効性を示しているように見えます。大切な事は、このグラフを医者的視点で患者が読むのではなく、患者的視点で患者が読み砕く事が重要です。リスクを除外したベネフィットという視点のみで見る事と、リスクを考慮したトータル的な短期及び中長期的な将来、安全性を視野に入れた場合、明らかにリスクが上回る結果に陥いる事も知らなければなりません。理由は添付文書でも読めば分かる事ですが、このリスクを鑑みずに処方されているのが現状であり、先ほども記した通り、エンドポイントが存在し難い投与、要は「死ぬまで飲み続ける」と言われている患者が山のようにいます。上記グラフの通り、長期服薬はプラセボ群と殆ど有効性の差が示されておらず、疼痛治療や抗うつ治療としての患者利益は反転していく事も意味します。

多くの情報を多角的に見ながら安全且つ有効性の高い治療を考察していく場合、先ほどの膝痛患者に於ける健康食品、運動療法、湿布、解熱鎮痛剤、各種電療、ヒアルロン酸ステロイドの膝関節内注射は極めて臨床効果としての価値は低いものである事が分かります。勿論、発症部位である膝を揉むという行為や、膝に針治療をする行為も臨床効果として極めて低いものです。このように、皮肉にも効果を呈するものの、終焉が不明瞭且つ作用が薄いという治療手段は星の数ほどあります。これらは保険請求上、ガイドライン上の問題も絡んでくる為に、仮に積極的治療を施そうとしても出来ないジレンマもあるでしょう。1週間に1回しか保険では認められていない注射も、1週間に2回にすれば効果が上がるかもしれない。しかし、1週間に2回の注射であれば請求が却下される為に、1週間に1回で我慢してもらうか、2回目は保険外請求するかという状態に立たされます。勿論、保険外請求の場合、保険治療とは異なり高額になる為、勧め難いし受け難い。このようなジレンマがある為、多くの患者が治るかもしれないのに治れないという事態に陥っています。
 
更に、このような臨床的意義が低い治療手段が一般化している為、その後のリハに於ける患者負担も増大している事にも気づかなければなりません。代表的な例が「痛くても歩け」なのですが、患者は「痛いから歩けない」「痛いから歩きたくない」という事を誘導者は考えなければなりません。痛みを我慢し歩いて治るのなら、そのような患者は元々痛みで苦しんでいないという考え方をする必要性もあるでしょう。故に、年々開発されるキレのある鎮痛剤で痛みを取り去った(誤魔化された)患者が運動をするものですから、特に高齢層に関しては当該関節の摩耗や圧壊の速度が増す事でOAも進行し、その後の尻拭い的治療も時間が掛かります。痛みがあれば治療をしなければなりませんが、患者の将来性を考慮して執り行うのであれば、トータル的な安全性を考慮した上で治療手段と治療手段に応じた中長期的な復帰への選択をしなければならないと考えるのが極々自然です。
 
運動療法は健康な人間が行うからメリットが得られるのであり、症状を抱えている不健康な人間が行うにはデメリットが大きいように見受けられます。特に団体行動。団体での運動等、平均値に線引きされた運動療法は、症状憎悪を抱える危険性を持つの層の存在も認識しなければなりません。動けば治ると思い込んだ患者は頑張って動くという感情が働くものですから、幾ら痛みが出ようが憎悪しようが動き続けます。しかし、痛みに逆らってはいけなかったという事実を認識する時は寝たきりになってからというのも皮肉なものです。症状に悩まされれば「何をするか」という心情になるものですが、「何をしないか」という思考性のほうが重要です。でなければ、どうしても獰猛になりがちな臨床医学に患者が思考を持っていかれる可能性もあるからです。
 
さて、そのような状況下が業界側で起きている以上、治療手段の選択には安全、作用が高い、早期回復が可能な治療内容を構築しなければなりません。勿論、全ての症状に対して十把一絡げに言えるものではありませんが、作用時間のみで終わる治療は治療ではありません。薬効時間のみ有効である治療、それも疾患内容によっては仕方ないケースもありますが、日常的に易損傷性の諸症状であれば、治療回数を重ねる度に段階的収束が如何に重要かとなってきます。健康食品関係は分かりませんが、前項でも記した通り、多くの医療と言われるカテゴリ内での治療手段は鎮痛作用を求めているものが大半です。

「鎮痛作用=薬効時間のみの作用」の場合、そもそもが「鎮痛≠回復」ではない事、更に長期鎮痛作用の取り込みが身体機能のキャパ低下による症状自覚期の加速(いわゆる、ずっと痛い状態に陥る)、再燃率の高度化、耐性獲得云々等々のネガティブ面はさて置き、いずれ身体機能、精神機能は破綻する事が一番のネックになります。最大欲求が鎮痛である事に対しての依存は、予想以上に大きな弊害を後々齎してしまう結果になります。
 
どのような治療手段であれ、絶対論というのものは存在せず確率論。針治療に関しては原因部位及び近傍部位へのクリティカルな処置と、治療回数を重ねる事が治癒率の向上に繋がるのは当たり前の事ですが、如何に早期に予測通りに治癒に至らせるか、確率を高めていくかが重要。そこには前項でも示した通り、針治療の作用と手を伸ばせば届く解熱鎮痛剤の作用は拮抗し、血管拡張作用による罹患部への栄養が望まれる針治療での回復支援が相殺されていく(服薬群と非服薬群による針治療を用いた場合による治癒速度、VAS値低減速度もデータで算出済み)。そんな様々なジレンマも全て含めて如何に早期に治していくかが最重要事項かもしれません。(この辺りはサーモグラフィーやドプラ、NSAIDsの静脈注射で容易に示唆~判別が可能)
 
患者は痛いものですから歯切れの良いフレーズに心を持って行かれそうになりますが、そもそも、そんなフレーズに乗っかる人間の大半は何故かオッサンだという事実もあり。そして詳細なリスク提示する術者も嫌われる傾向にありますが、大切な事はリスクも知る事です。作用があれば反作用もあります。皆さんも冷静に周りを見渡してみましょう。そして、これらの患者群のエンドポイント、治療の終焉が死ぬまで投薬なのか、それとも投薬なしで生涯を元気に過ごす事が出来る手段なのか。それは周りにいる方々が良くも悪くも身を以て経験し、周囲に振りまいている事を見聞きしていると思います。答えは患者が持っています。私なんて患者から教えてもらった事ばかりです。針治療はアチコチ回り尽くした患者群が訪れる場所である事は残念ながら今も昔も変わりません。本当は早いに越した事はないのですが、「何で痛いのに痛いような事をしなきゃならんのだ」という心情も分からなくありませんが、そんな重症化した患者は沢山の情報を持っています。これらも踏まえ、今一度考察してみるのも面白いのかもしれません。

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