藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

【拮抗学】横柄で横暴なプライド高きオッサン学


世の中には様々な学問があります。「生理学」「解剖学」「心理学」「統計学」「物理学」…挙げればキリがありません。そのような数ある学問の中、今日は「横柄で横暴なプライド高きオッサン学」を考えます。

既存の病態定義の矛盾を考察する事により新たな発見や発展、それに随伴する諸症状の発症機序、及び連関性等により、受傷機序と言うものはあくまで日常に転がっている自然発症が大半である事、それは外的内的要素から惹起される為に、発症のメカニズムは個々により異なれど、それらをカジュアルに包括出来る治療、及び安全性の高い状態を維持し、中長期的将来に渡って負担の少ない治療手段を模索すればするほど、薬物治療という手段は遠のいていってしまうのは極めて自然な事であると思います。定義が曖昧な病気というのは数限りなくあります。国によって異なる。年々定義が変化する。年々随伴的な病名が増える(症状でなく)。 真摯に考察すれば、医療は医療を先行した医療にはなっていません。後述しますが、患者の症状は単一的なものではなく、複合的にクラッシュしている様態を呈している場合、短絡的な誘発テストも意味をなさず、教科書に載っていない病態にはお手上げ状態になっている今日、積極的に薬物治療が施された場合、キリがない。それは多剤処方に陥るのは仕方ない。かと言って、そのような状態は看過出来る訳もなく、という状態が年々続いています。 それらに気付いた方々が針治療で積極的な症状対峙をする人へ向けて評価がされる時代、得てして私は先に行く事はせず、土台を固めるべく、常に内向きに考察を続けます。
 
人間は生活を営む上で、日々損傷を続ける生き物です。症状として自覚するのは、これらの損傷の度合いが突発的、及び累積的に高度に至り、閾値を超えた結果でしかなく、その症状をネガティブに捉えるかポジティブに捉えるかで今後の人生に於いての取捨選択も容易になるものですが、大体の方はポジティブに捉えられる精神状態にはなりません。痛みからは何としてでも即座に逃げたいものです。その為、凡ゆる手段を使って痛みから回避する策を練ります。しかしながら、前述した通り、症状というのは「閾値を超えた結果、自覚する」というだけの話であり、その「閾値を超えた生活動作を鑑みる事で回復に至る」というシンプルな考察をすれば、その後の再燃防止にもなるものでしょう。では、いざ症状を抱えた場合、どうすれば良いかと言うのが問題ですが、幸い、人間は損傷を繰り返す生き物であるものの、回復も繰り返す生き物です。
 
このような、損傷と回復のバランスが維持されている為、少し肩が痛かろうが腰が痛かろうが、休憩すれば和らいだり、寝れば和らいだりしています。それらが休憩しても寝ても和らがない状態に陥った時が、損傷と回復のバランスが崩れ始めている時です。この状態に陥ると、従来の休憩中の姿勢も、就寝中の姿勢も損傷理由、損傷対象に加わり続けます。損傷と回復のバランスが維持されている状態でしたら耐えられる姿勢も、バランスが崩れている時は耐えられない姿勢になります。それでも尚、人間は感情を持つ生き物です。プライドが高い人間ほど、伸びない腰を伸ばそうとし、垂れた首を起こそうとします。自身の痛みに反発し続けるという感情が、更なる損傷と回復のバランスを崩し続け、最後は歩けなくなるのです。これらの損傷バランスが高度になっている状態の身体に対し、回復の速度を引き上げていく(強制的な血管拡張を求め、当該罹患部に対して安定的な栄養供給を求む手段、維持、確保)事が必要であり、身近なものであれば、血管収縮を生じる湿布や解熱鎮痛剤の類である鎮痛作用とは正反対の作用を持つのが針治療です。しかし、多くの人は即時的な鎮痛を望むものです。そのような理解の食い違いが時として誤解を生む時もあるのですが、「鎮痛」と「治癒」は常に異なるベクトルを向いている事は変えられない事実です。その為、そのような誤解が生じないよう、前項のコメント欄でも書いた内容ですが、
 
「尚、針治療問わず全ての外的刺激を経て望む治療手段に対しても同様な事が申し上げられますが、治療直後に症状が一時的に無痛となる鎮痛作用に関しては、当治療院は症状改善の評価の対象としておりません。あくまで純粋な針治療の作用時間を経てからの症状変化の推移を評価対象としています。」
 
【針治療を受けられる方々へ】にも書いていますし、口頭でも伝え、更に書面でも渡しています。治療直後から即時的且つ長期的な効果が引き起こされる症状というものは、頸腰部問わず神経根(及び周囲)症状を筆頭とした、症状発症部位は広範に激烈な痛みが惹起されているものの、原因部位は極めて局部的な症状であったり、頸神経系由来の自律神経系症状位かなと思います。早い話が、痛みの範囲や強さはどうであれ、原因部位が局部的、且つ早期段階で受療出来たケースかもしれません。針治療には大体「もうダメ」ってなってから来る重症例のケースが多いものなので、効果の自覚も大体タイムラグが生まれます。針治療という作用及び細胞変性から鑑みる事で派生する筋骨格系由来症状メイン、抹消神経由来症状メイン、自律神経由来症状メイン、中枢神経由来症状メイン、その他としてオーバーラップ型(中長期的に症状を出している方はオーバーラップ型が殆ど)は各々回復迄のタイムラグも異なります。
 
そんな中、薬物を用いないで鎮痛作用を求める方法もありますし、よく聞かれるものですし、患者側から求められる場合もあります。漫画のような神の手の如くの症例集めにはもってこいの手段もあるのですが、身体に悪いので秘密。要はニクソン大統領も真っ青な針麻酔なのですが、そんな手段を施しても数十分しか持たないものです。限定使用するとなると、身体をぶっ壊してでも勝利を掴む覚悟のあるスポーツ選手の競技直前か、末期のがん性疼痛に苦しむ患者位ではないでしょうか。ドーピング検査にも引っ掛からない為に、患者了解さえあれば患者的にはメリットのある手段かもしれません。治療中もヨダレを流す位に気持ち良く(慣れればですが…)、治療後も数十分は無痛状態になる。でも身体には良くない。こんな手段は広めるべきではないですし公表すべきではないでしょう。普通の人には。
 
このように、自然回復を早期に求む手段を考察し続けると、なるだけ消去法で考察を続ける事、相反する作用を取り込まないように注視する事が早期回復に寄与出来るという事に行き当ります。しかしながら整合性なき理論を振り翳すのは治療業界とてあり反省すべきところ。針を打った後に湿布を貼るとか、揉んだ後に湿布を貼る、ブロックを打った後に湿布を貼る等、術者側が進んで血流を増進させて血流を止めるような、何をしてんねん的などっちつかずのマッチポンプ行為、相反行為を行うのは、仮に患者希望があったとしても術者主導で行うべきでなく、経営面で見た場合、それは術者利益に繋がりますが、患者にとっては経済面でも治癒速度の面に於いても不利益な行為です。患者が知らずに行っているようであれば教えてあげれば良いだけの事であり、言うのが恐いとか、オッサンの顔が恐いとか、それで溝が出来たらどうしようだとか何だろうが、早期治癒を求める事が患者にとっての最大限の利益に繋がるのです。まして、相手はぶっ壊れても交換できる機械ではありません。ここは真摯に取り組むべきです。
 
もっと身近な例を挙げます。スポーツ後にマッサージをする。肉体労働後にマッサージをする。これは正解でしょうか。患者の感情という視点で見た場合、プラスの結果は得られます。しかし、患者の細胞を考慮した場合、治癒遅延を招くマイナスの結果になります。感情のリフレッシュにはなるが、細胞のリフレッシュには至らない。そのような観点を持つ事が消去法的視点であり、感情をプラスにする満足度を上げる手段ではなく、細胞をプラスにする幸福度を上げる手段が治療です。緊張して萎縮した細胞に指でも棒でも突っ込めばストレッチ作用も生じるでしょうから、疼痛閾値を超えない程度の伸張性疼痛は脳の報酬系に訴えかけ、「気持ち良い」という自覚は得られるかもしれません。只それだけの事で、それ以上でもそれ以下でもありません。血流動態の変化はあるかもしれませんが、特に腰下肢部に関しては血流量を司る部位は指では絶対に届かない所に位置する為、何をやっても上っ面の無駄な作業で終わる。そして、患者の時間的背景を考慮すれば細胞の状態やバランスも見えてきます。緊張して萎縮した細胞はどのような事態に陥っているかを考察する事で、今、この患者に対しての取捨選択も可能となり、場合によっては「何もしない」という選択も生まれます。
 
手を伸ばせば簡単に届くような距離にある薬物は、どのような時に恩恵を受けられ、どのような作用を持っているでしょうか。急性期に限っての使用で恩恵が得られるものが大半であるものの、一般的な使用例は如何なものかと見渡せば、使用事項を踏まえず、凡ゆる病勢でも急性期と同様の使用法で日常を過ごしている方が大半です。「炎症期でない時に、抗炎症作用の薬物を用いる」。文字に起こせば誤った使用法である事に即座に気づけるものかもしれませんが。これが効く効かないという論議でも済まない問題でもあり、使用した場合、効果の自覚の有無関わらず、経皮でも経口でも使用した事実がある以上、反応は生まれています。先ほども書いた通り、湿布や解熱鎮痛剤の類は血管収縮が付き纏います。受傷初期、極めて激しい炎症を生じているであろう時期であれば、これらのバランスを保つ為に使用する場合であれば恩恵も受けられる場合もありますが、日常的に発生する諸症状に関しての急性期は5年も10年も継続し続けるものでしょうか。
 
一般的な筋骨格系疾患で書けば分かり易いと思いますが、所謂、慢性的な状態に陥っている筋細胞を考えれば分かり易いと思います。疲労により持続的な緊張下に置かれた細胞は収縮傾向であり柔軟性が失われています。内部走行の血管も併行して収縮状態に陥っています。痛みがあれば血管平滑筋に纏わる交感神経機能も働いているでしょう。では、そのような既に収縮傾向に陥っていると示唆される状態に対し、血管収縮に至る行為を行えば、更なる収縮が起こるだけであり、筋細胞への栄養供給は一層不安定になり、治癒遅延が招かれます。神経由来症状を抱えている人も同様、神経系への栄養供給が不安定になれば神経症状の回復も遅れ、疼痛閾値も低下し続け、僅かな負荷や刺激でも発症要因になる。痛みのあまりに鎮痛という手段に猛進、盲信する限り、人間の如何なる細胞も血液で栄養されている事を忘れてしまうのかもしれません。有名どころの話であれば、妊婦さんが服薬した場合、血管収縮に伴う栄養供給の不安定から引き起こされる胎児へのリスクや、高齢層であれば血管収縮(厳密には細胞の水分貯留による圧迫、絞扼という表現が適切か)により血圧が急激に上がってぶっ倒れるというケースが多いものですが、オッサンも同じ。

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                     参考)おクスリ.JPより ※クリックで拡大します
 
※血管拡張作用を持つ痛み成分のプロスタグランジンの生成に至るシクロオキシゲナーゼの阻害(COX阻害剤)により、動脈管の収縮が招かれる事で胎児に様々なリスクが生じるという事であり、それは肩こり腰痛のオッサンも同じリスクを背負う。余談ですが、妊婦さんが針を受け続けると、極めて元気な可愛い赤ちゃんを安産出産出来るのは、常に安定的な栄養供給が針治療で確保されるからなのかもしれません。たまにこのようなほっこり症例もあるからオッサンとの治療も乗り越えられるのです。栄養摂取内容、禁忌薬物の知識、嗜好品の選択etc…。お腹にもう1つの命。オッサンも妊婦さんを見習ってもらいたいものです
目の前に「痛み止め」的なモノがあれば手を伸ばす気持ちも分からなくもないのですが、効かないから効くまで飲み続けるとか、効かないから効くまで増量するとか、効かないからと酒と飲んだところで、現症状と作用が異なれば何をしようが効かないのですから、これらの教育は幼少期から叩き込んでおかなければならない事でもあり、特に高齢者に関しては薬を有難がる傾向でもあるので一層難しいかもしれませんが、代謝等々の問題から鑑みれば、注視しなければならないのは高齢者の側です。
 
患者個々の社会的背景迄は詳しく知る由もありませんが、効かぬ病態、病勢期に無効及び遅延、長期乱用で憎悪を示す可能性のある薬物が簡単に用いられる為、有効性を自覚出来ない患者群(そもそもマッチングしないのだから鎮痛は得られても回復はない。故に悪循環に陥る。)は更なる薬物を求める傾向にも陥ります。最近は10代半ばのスポーツ障害的な症状にもオピオイド系の鎮痛剤が積極的に処方された事で、薬物依存に陥る方々が話題になっています。患者欲求が鎮痛であれば、鎮痛作用を得られる事は欲求を満たす材料には十二分である為、尽く依存していく傾向になります。他、発達障害等々のPRの拡大等により、覚せい剤紛いの薬物も同様に浸透している状況です。この流れは、昨今の向精神薬の危険性が表面化した事で(巨大企業でさえ、向精神薬の開発を止めるほど)矛先が変化しつつある事に端を発しているものですが、以前も書いた通り、中高年に対しての向精神薬処方の衰退と共に、今後は若年層へ向けての疾患喧伝や、依存性治療(タバコ・アルコール・ギャンブル等)に対して数年前からシフトしつつあります。但し、これらの薬物も中枢神経系へ作用を齎す以上、副反応の被害も甚大である事には変わりません。それが服薬者の身だけに降り掛かる問題でもないという事が、中枢神経系へ反応を及ぼす、精神異常を来す薬物によるものです。以下、一部例。

<暴力を誘発する薬剤リスト、指数2.0以上> 
 
Chantix (Varenicline)(チャンピックス) 18.0         
Prozac (fluoxetine) (プロザック)10.9             
Paxil (paroxetine)(パキシル) 10.3                 
Amphetamines(アンフェタミン)9.6                 
Strattera (atomoxetine)(ストラテラ) 9.0 
Halcion (triazolam)(ハルシオン) 8.7 
Luvox (fluvoxamine)(ルボックスデプロメール) 8.4 
Effexor (venlafaxine)(エフェフサー) 8.3 
Pristiq (desvenlafaxine) (プリスティーク)7.9 
Zoloft (sertraline)(ジェイゾロフト) 6.7 
Ambien (zolpidem)(マイスリー) 6.7 
Lexapro (escitalopram)(レクサプロ) 5.0 
Celexa (citalopam)(セレクサ) 4.3 
Abilify (aripiprazole)(エビリファイ) 4.2 
Amitriptirine(トリプタノール) 4.2
OxyContin (oxycodone)(オキシコンチン) 4.1 
Wellbutrin/Zyban (bupropion)(ブプロピオン) 3.9 
Geodon (ziprasidone)(ジオドン) 3.8 
Ritalin/Concerta (methylphenidate)(リタリンコンサータ) 3.6 
Trazodone(トラゾドン) 3.5
Remeron (mirtazapine) (リフレックス、レメロン)3.4 
Neurontin (gabapentin)(ガバペン) 3.3 
Keppra (levetiracetam)(イーケプラ) 3.3 
Valium (diazepam)(セルシンホリゾンジアゼパム)3.1 
Xanaz (alprazolam) (ソラナックス、コンスタン)3.0 
Cymbalta (duloxetine)(サインバルタ) 2.8 
Klonopin (clonazepam)(リボトリールランドセン) 2.8 
Risperdal (risperidone)(リスパダール、リスペリドン) 2.2 
Seroquel (quetiapine)(セロクエル) 2.0
Lamotorigine(ラミクタール) 0.8
Valproic acid(デパケンバレリン) 0.8
Phenytoin(アレビアチン) 0.4
Carbamazepine(テグレトールテレスミン) 0.3
Paliperidone(インヴェガ) 0.7
Clozapine(クロザリル) 0.6
Lorazepam(ワイパックスロラゼパム) 0.3
 
覚せい剤アンフェタミン)よりも、禁煙補助薬や抗うつ薬のほうが暴力的衝動が高く誘発される
※pradoxical reactionやactivation syndromeの状態に陥った凶暴性を持つ患者と対峙していれば術者精神も強くなる。だから術者は積極的に向き合うべき。そして危害を加えられそうになっても実害に遭っても警察沙汰にせず協力者(医師でも家族でも患者の友人とでも)と共に面倒を見なければならない。「警察→精神科病棟→自分の名前すら言えなくなる程の薬漬け」という最悪な事態になり、社会復帰が益々困難になる。これは違法薬物で逮捕され、幸いにも向精神薬に置換される事なく更生し、社会復帰を果たす事よりも困難な状況に陥る。

医療は進歩しているように見えて、全然進歩していないように見えるのは私だけでしょうか。確かに、日々新たな情報は入り、大きく躍進しているかの如く見える医療は、高頻度で自然発症する日常的な症状に対しての現代医療的治療手段である薬物治療に関しては、より中枢神経系へ強くキレのある薬物へと変貌を遂げています。その為、副反応も極めて強く、仮に鎮痛作用が得られた場合だとしても、高齢層のように骨格自体が脆くなっている状態であれば、当該関節の摩滅や圧壊の速度も著しくなり、余計に後々の尻拭い的治療は面倒になります。更に、薬を止める際も減~断薬というプロセスを経なければ厳しい心身の離脱症状を経験する事にもなり、実際問題として、そこまでフォローしている機関が何れ程まで存在しているのかという問題も浮き彫りになります。過去から書いている向精神薬の問題。特に整形領域に於いては、器質的異常の有無関わらず、心因性を起因に処方されているという事を再理解する必要性も高いものです。「向精神薬の処方=医学の敗北」 なのです。医学は患者に負けています。その先に得られる患者メリットはなく、最近はこのように極端な話は少なくなりましたが、「器質的異常がない=治療対象がない=心因性由来の疼痛」という図式は未だ健在です。そもそも心因性とは何なのでしょうか。何でもアリの世界に巻き込まれ始めている事は、患者側が危機感を覚えなければなりません。
 
では、なぜ上記のような当たり前の事を書いたかと言えば、なぜ当たり前の事が当たり前でなくなっている状況に陥っているのかを考察する必要があります。それは過去に何某かの経緯や経過を持って刷り込まれた既成概念によるものかもしれませんし、過去に恩恵を受けた記憶によるものかもしれません。若しくは新たに、若しくは衝動的に、若しくは親に、教師に、上司に、先輩に、教科書に、ネットに、本にと、様々な要因が絡んでの事かもしれませんが、「思い込み」で形成された事には変わりありません。骨が折れている「から」痛い。腱や靭帯が切れている「から」痛い。肩が外れている「から」痛い。軟骨がすり減っている「から」痛い。腰にヘルニアがある「から」痛い。…疼痛発症の典型メカニズムを知っている人であれば、これらの事象が間違いでいるという理解は早いかもしれませんが、これらは直接的な疼痛発症理由にはなっていません。「テストの点が悪い「から」頭が悪い」と言う無理難題な図式を押し付けられている事と同じである意味に気づかなければなりません。しかしながら、知らない人であれば「骨が折れている」と「痛い」が直接的にイコールで結ばれます。痛みという因果関係が骨折という事象に直接的に結び付けられている為、骨折を治す事が痛みの消失に繋がるという図式形成に陥りがちですが、実際にこれらの事象に巻き込まれた方はそうでしょうか。癒合、再建、除圧、除去、固定等々されても痛い人は痛く、根本的な病態定義を疑わなければ回復も得られないものです。

では、上記の内容も含めて何が見えてくるかと言えば、治らない人の典型例が見えてきます。そろそろ4月。志高き針灸師が臨床に望む時期が近づいてきました。そんな方々の為にも書いておきます。臨床で1番困る患者像とはどのような人でしょうか。それは「横柄で横暴なプライド高きオッサン」です。横柄で横暴故に自律神経系異常を抱え、常に身体は悲鳴を上げています。疼痛閾値も極端に低下している為、針治療という外的刺激に対しても過敏な反応を示します。しかしながら、このようなオッサンはプライドが随分と高い為、他者が介入する治療を極めて嫌い、サウナついでに強烈な外的刺激を求める傾向にもあり、軟部組織の柔軟性も更に硬度化を示し、一層の自律神経系異常や身体の機能異常が生じます。血圧もコレステロールも高いでしょう。他者が介入する治療を嫌うという事は、常に薬物が手放せません。オッサンも人間、具合が悪い時は何かする。でも、人に指示されるのも嫌なので、耳にしても実践しません。手術で治ると聞けば真っ先に手術します。チマチマ針なんぞ受けているよりも、手術一発完治的な手段を選びます。そして治りません。その治らない理由を指摘するも聞く耳はなく、手術という一大イベントを征した事で、今の状態がどうだろうが正当化する傾向にもあり、武勇伝を聞かせられます。パッとドラッグストアで薬を買って、酒と一緒にパッと飲む。さて、このようなオッサンに治る日が訪れる事はあるでしょうか。しかしながら、気持ちを汲み取り理解する事も大切です。鼻をへし折る事なぞ容易いものの、それでは治療になりません。麻酔で眠らせて針を打つ訳にもいきません。さて、どうするオッサンです。
 
実は簡単な事で、「好きになればいい」のです。好きになられたオッサンもいい気持ちではないかもしれませんが、嫌な事からは離れるよりも突っ込んでいったほうが良く。理解してあげる事が大切。オッサンにはオッサンの気持ちもあるでしょうから、きっと。それを実現させる為には、術者側がマイナス要素たっぷりで臨床に励む事で実現するのです。強い精神力が必要だと思う人もいるかもしれませんが、精神力なんて必要ないのです。オッサンの腰痛も、非オッサンの腰痛も同じです。カボチャに針を刺す気持ちでいりゃ何てことはありません。では、このような患者群の陥りがちな例が、非オピオイドオピオイド系の鎮痛剤でも抵抗を示す為、向精神薬の服薬率も極めて高い傾向にあります。且つ、最近の健康志向からか、禁煙薬、禁酒薬も飲んでいるかもしれません。頻尿、高血圧、高脂血症痛風、ED、まさに完成形です。既に悪循環の典型で悪いトコ自慢のオッサンに変貌を遂げます。放置して暴れさせておけば血管イベントでぶっ倒れるのが関の山です。
 
このように、臨床を続けていれば、どんな病態と対峙するよりも、こんなオッサンをどうするかという、エライ根本的な問題にぶつかります。自身の弱さを隠す為に横柄になり横暴になり虚像を作る。そんな精神維持に向精神薬覚せい剤は使い勝手の良いアイテム。特に向精神薬に関しては合法ゆえにタチが悪い。違法薬物や危険ドラッグの取締りが強化する一方、類似性作用を持つ向精神薬はジャンキーにとっては非常に都合の良い存在であり、既にマーケットも構築されて久しいもの。仮に違法薬物で捕まる事が出来たとしても、その後の更生に使用されるのは向精神薬という悪循環。最早どうしようもありません。さて、そんなオッサンの未来は如何に。

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疼痛自体の定義が曖昧である為、針治療という臨床から得た結果から推察するに辺り、既存病名を用いて表現すれば、病態的にはCRPS type1、交感神経依存性疼痛、血清反応陰性関節炎等に極めて類似性を持つ病態であると推察出来るが、上記とて明確な定義がない以上、現在の医学の範疇を超えているのは確実である。そして、薬物が絡んだ患者と長きに渡り付き合いがあると、医学というものは、患者に対してのタブーも存在する事をヒシヒシと痛感する。それは、「取り敢えずは生きていける状態である場合、医原病の存在を表在化してはいけない」という答えに辿り着く。しかしながら、医原病の存在を表在化しないが故に「向精神薬の投薬は続く」という経時経年による心身の脆弱性は進行性を伴うという、極めて危険且つジレンマが生じ続ける事実もある。故に服薬し続ける限り終わらないし、病態が悪化していく可能性も伴う。薬という存在で患者としか対峙しない立場にいる場合、その憎悪因子に対して更なる憎悪因子を重ねていく為、益々拗れていく事は誰の目に見ても明らかである。
 
患者の抱える精神症状に対して病名を付けるのは、目の前の診断権を持つ人間の主観である。しかも、チェックシートは巧く作成されている。うつ病適応障害発達障害も全て主観である。その主観的要素から告げられた病名に価値はないのだが、凡ゆる事に利得を得る事を基礎的思考として持つ患者の場合、告げられた病名に対しても利得を求める傾向が高い。自身が病気である事に得を得たい人間は少なくない。それが疾病利得である。薬物依存に陥る以前に、元々依存性傾向の強い患者の場合、常に切り替わり続ける薬に対して危険性を感じる事も少ない。薬が切り替われば、以前服薬していた薬の離脱は出る可能性とてある。薬が切り替わる度に具合の悪くなる患者を多く見掛けるが、それは元々の疾患の悪化でもなく、新しく投薬された薬の副作用でもなく、以前服薬していた薬物が急激に断薬された事による離脱症状の場合が多い。それを証拠に、過去の薬物を再服薬する事で一気に症状が落ち着くケースは非常に多い。しかしながら、再服薬して症状を落ち着かせたところで、それはそもそも治療でもないし、回復に至る理由にもならない。抜いた薬を飲み直しただけであり、医原病から抜けられる理由にもならない。
 
故に、この手の症状を回復させる為には、患者自身の知識や理解力、減~断薬という人生を引っくり返す位の努力が無ければ絶対に成功出来ないという事であり、私達はその間、どれだけ日常的なQOLを向上させるかが肝になってくる。治療を行う側にも患者にも根気がいる。根気がいる故に成功率も著しく悪い。それは患者が危険性を知ったところで成功率が上がる訳でもない。日常的なQOLの維持向上が針治療で上がり続けていたとしても成功率には寄与しない。それは患者自身が減~断薬過程で生じる薬物に対しての精神依存が邪魔をする。100人いたら6~7割は再服薬により挫折、脱落する。この6~7割という数字は違法薬物の再服薬による再犯率とほぼ一致するという事である。其れ程に、向精神薬の依存性は強い。ハマったら最後。だから安易な気持ちで向精神薬は服薬するべきではない。地獄を見た患者は山程いるのだから。

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  ~針治療から病態定義の見直しを~