藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

「たった1秒の為に」


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9月21日 田沢湖ラソンより

足を引きずってでも歩いてでも、ゴールを目指す姿は様々な想いを抱えた人生の縮図を描いているようで、
1人1人がゴールテープを切る姿は、どんな姿かたちでのゴールであれ観ていて感動するものです。
既にゴールをしたランナーが沿道に立ち、「たった1秒の為に」と声援を送る姿は、
同じ道を走ったランナーにしか、そして、ランナー同士であるが故の共有感から発せられるものかもしれません。
 
走る事。それは季節を感じ、時間を感じ、地面との接触を感じ、
一日一秒たりとも同じ環境下では味わう事の出来ない空気を感じる事の出来る時間かもしれません。
 
まぁ、こんな事を書いておきながら、添付写真は某箇所からの往診帰りで、
田沢湖周辺が交通規制が敷かれていた為に、規制解除までの時間潰しで
会場内部をウロウロして撮った写真なんですけどね。
救護班でも何でもなく、単なる通りすがりの者でやんす(笑)

最近は書きたいという話も特に思い当たらない為に更新も滞っていますが、
別に毎日寝て食ってゴロゴロしている訳ではありません。
 
SGLT2阻害薬の副作用がどうだとか⇒http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=100744
今更感も強いし…うーん。
患者宅で東洋経済9月13日号を見させてもらう。⇒http://store.toyokeizai.net/magazine/toyo/20140908
日本人間ドック学会と日本高血圧学会のせめぎ合いも…何とも微妙なラインで最早どうでもいい(苦笑)
患者の健康を守りたいのか自分等の言い分を守りたいのか何なのか。
 
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余談ながらリリカの副作用で劇症肝炎で死亡だとか、肝機能障害だとか、
別にリリカに限った話ではありません。リリカの肩を持つ訳ではありませんが、
今時期になって、このリリカの話題がメディアに載ったのには別な理由があるのではないかと考えています。
リリカを先導して処方している医師がいます。以前、チラと名前を出しましたが。
例えば線維筋痛症やHPVワクチン被害に関して、ここ数年前から随分見受けられる医師がいますね。
その医師に対しての外部からの間接的な嫌がらせ的なものかもしれません。
何にせよ、百害あって一利なしの薬ですから飲まないに越したことはありませんが。
 
様々な視点から、鍼灸治療と受療患者の基礎身体状態(受療時の身体状態)から
発せられる治療による状態変化の予測の精度を高める為に、
適応・不適応疾患問わず、様々な疾患を齧りながら時間を過ごしています。
基礎疾患や既往等々と鍼治療による治癒過程で生じる諸症状と言いますか。
 
それは、「治るとは」「治すとは」と言う根本的な患者間との相互理解にも通じるものかもしれません。
以前にも書いた内容かもしれませんが、患者自身が思い描く「治癒」という状態と、
私が思い描く「治癒」という状態に差異がある以上、重症度が高くマイナス判定が多いほど、
治療過程で起こる様々な諸症状に関して受容出来ないケースも生じる可能性もあります。
 
「薬物治療」しか経験が無い場合、「薬物で治る」「薬物で治す」という思考が根付いています。
手術や薬物治療を非難する訳ではありませんが、これらが絶対至上主義であるという観点は、
私以上に患者から強く滲み出ており、特に、整形領域の諸症状に関しては「治る」という理屈が
大きくかけ離れている状況でもあるという事を理解してもらわなければ、話が前に進まない場合があります。
 
以前も書きましたが、「痛みが止まる」と「治癒」は絶対にイコールで結ばれる事はなく、
「痛みを止める」という行為が治癒であると根源的に根付いている以上、別に鍼治療でも何でもなく、
極論ですが、誰彼構わず痛い部位を切断するなり、モルヒネでも打っておけば良い訳です。
但し、世の中には切断しようがモルヒネを打とうが全く効かない人間も当たり前のようにいます。
様々な病名が並ぶ昨今、どれだけの数が本来の手術や薬物治療の適応かと考えれば、
もしかしたら極々僅かなものでしょう。
 
根源的要素を鑑みると、「痛み」を「悪」とする思考が理由の1つとして考えられます。
痛むには痛む理由があります。前項のコメント欄でも例を取り上げて僅かに触れましたが、
例えば、自身の筋肥大を目論む為にトレーニングをすれば、微細な筋断裂により筋肉痛というのは生じます。
レーニングをした人自身も、筋肉痛が生じるのは分かっていての事だと思います。
近未来に予測出来る事象、及び、自身の目的達成過程で生じうる痛みというのは、
数多くの方は肯定的に捉え、筋肉痛という症状自体を楽しむ方もいます。
 
この時に、至極当たり前の事として発生する諸症状に関して、
どのような対処方法を取るかが、個々人による根本的思考の差異から生まれるものであると捉えられます。
早期回復及び更なる筋肥大に向けて取り組むか、若しくは筋肉痛が辛いからと湿布を貼って薬を飲むか。
※発生時に摂取する栄養内容や、薬の作用によっては回復過程を大幅に遅延させたり加速させます。
この部分の目的は個々人に委ねられる事になる為に、仮に似たような境遇が自身に降り掛かった際に
私に聞かれた場合、個人的な回答を差し出す事は致しますが、基本的に患者の自由だと思います。
2パターンの処置に対してのメリットとデメリットを事前に知識として取り込んでおく事で、
自身が行っている目的に対しての達成速度は変化してくるものと思われます。
 
>>早期回復及び更なる筋肥大に向けて取り組むか、若しくは筋肉痛が辛いからと湿布を貼って薬を飲むか。

上記の話は、あくまで分かり易く例として挙げた場合なのですが、非意識下で生じる症状というものもあります。
それが労働環境で生じた諸症状や、食生活等々で生じる諸症状かもしれません。
所謂、鍼灸治療の最適応疾患への発展途上となる諸症状であったり、
画像診断を初めとした各種検査をする事で、何かしかの病名が付く状態になるかもしれません。
 
これらの諸症状というのも、意識下に於いて筋線維の損傷から派生した諸症状との
対峙思考と同一のものであると言う事を、多くの方々には理解してもらいたいところなのです。
 
曲解や誤解を受けたくないので例え話は避けたいのですが、
病院に行ったから病名が付いただけであり、筋肉痛のような自爆的行為であっても、
単にそれば周辺患者と比較しても軽いか重いかだけの問題であり、対峙方法としては軽いも重いもなく、
同一方針で私は捉えています。今でこそ言えますが、例えば薬害、例えばワクチン被害、
例えば椎間板ヘルニアと診断されて腰下肢痛に苛まれている患者、
これらの患者への治療内容は実は同じです。
それが、手術や打撲、挫傷等々の外傷を伴う場合があれば例外もありますが、
現行医療は患者の身体観を無駄に枝分かれさせているだけであり、根本的解釈は殆ど同一で済みます。
 
医学は医学で勝手にやってくれと思ってはいますが、
現在のところ、鍼灸治療に来院される多くの患者は、既に医学とやらの治療を踏まえてくる為に
尻拭い的治療の比重も高く、黙ってはいられない状況下でもあります。
 
話を戻しますが、スポーツで生じた「痛み」は「善」であり、労働で生じた「痛み」は「悪」という事はありません。
私にとっては、スポーツであれ労働であれ栄養摂取の偏重により生じる諸症状であれ、
全て「善」であると捉えています。理由があるから、人間は痛みの無い時間を過ごす事ができ、
理由があるから痛みを出し、患者に教えてくれているのです。
 
確かに「痛み」は辛いものです。
生きている時間の圧倒的な比率は「痛み」という重さに悩まされるものかもしれません。
但し、「痛み」があるからこそ、人間は身体動作が通常時より抑制され、
その事により回復へと進みます。そのような折、「痛み止め」とやらの薬を飲んで痛みが止まった場合、
仮に「痛み」を感じなくなった状態を「治った」と擦り込まれてしまった場合、
せっかく自然に抑制されていた身体動作も外れ、通常通りに動いてしまいます。
 
それが、例えば何かしかの試合中だとか、試合前で「どうしても」という時ならイザ知らず、
単なる日常を過ごす為に、歯を磨いて顔を洗うような習慣化した服用が続いた場合はどうなるでしょうか。
そのような日常で、いつ治るタイミングを見つける事が出来るでしょうか。それとも一生飲み続けるのでしょうか。

回復時の阻害因子というのは沢山あります。
恐らく、これは鍼屋問わず様々な機関であれ同じ悩みを抱えている事かもしれませんが、
 
1)薬物による肝機能や腎機能障害により派生する回復時に於ける再合成の阻害及び遅延
2)特定栄養の過剰摂取による回復時に於ける再合成の阻害及び遅延
3)現労働環境による回復時に於ける再合成の阻害及び遅延
4)周辺環境から入る様々な情報により、回復の阻害及び遅延
5)患者自身の思い描いている「治癒」という理屈と、発生している諸症状との整合性が見られない状態
6)諸症状と投薬内容が全くリンクしていない状態、且つ、思い込み(鵜呑みも含む)による状態
 
他にも挙げればキリが無いかもしれませんが、様々な要因が重なり合い治癒までの道程は遅延していきます。
それは、受療した機関の人間が患者に対して思い込ませたものかもしれませんし、
メディアの影響によるものかもしれません。
重症度が高ければ高いほど、様々な情報を仕入れるも誤りも多くなるかもしれません。
例えば、自身が仮に抱えていた病気があるとしたら、ネットで検索でもしてみて下さい。
有り触れた病ほど、山のように何かしかの提案をしていると思います。
 
1つの症状と対峙する理屈に対して、正反対な事を言っている場合も多いでしょう。
どうすれば良いか分からなくなる時もあるでしょう。そんな時、どうすれば良いのでしょう。
「適切な医療を」「適切な治療を」なんて綺麗ごとを言っておきながら、
向精神薬を飲まされても鎮痛薬を飲まされても道は開けない事は過去から散々書いてきました。
 
提唱する人間が「適切な」と言っているだけで、
蓋を開けたら中長期に患者の人生を考えた「適切な医療」とやらは一体どれだけあるのでしょうか。
時代が求めて発展を遂げた医学は、不必要な人間まで大きく巻き込んできた事を忘れてはならないでしょう。

以前も書きましたが、とある医師は現代医学にて必要な医学は以下のものと捉えています。
 
1) 心筋梗塞脳梗塞など梗塞性疾患の急性期
2) くも膜下出血、潰瘍出血、ガンからの出血など、出血の急性
3) 肺炎、胆管炎、髄膜炎などの重症感染症
4) 交通事故、外傷、熱傷、骨折などに伴う救急医学的処置
5) 誤嚥による窒息、溺水、低体温などの救急医学的処置
6) 腸閉塞、無尿など排泄にかかわる生命にかかわるものへの救急医学的処置
7) 胎盤剥離、臍帯捻転、分娩時臍帯巻絡など、産婦人科の救急医学的処置
8) 失明、聴覚喪失などに関する救急的医学的な処置
9) 薬物中毒症や毒性物質の暴露に対する処置
10) 染色体や遺伝などの異常が100%わかっている疾患への対
11) 未熟児の管理
12) サイトカインストームなど免疫の重症な異常状態への処置

これ以外は飯食って寝てたほうが早期回復出来るのかもしれませんね。
 
もう一度書きますが、自身で予備知識のある痛み、
若しくは自身で発生する可能性のある痛みを受容した上で
発生した「痛み」に対しての対峙方法と、労働内容や栄養偏重により発生した
「痛み」は同一であると捉えられます。
 
単に、それは患者自身が予期する事が出来なかったというだけの事であり、
傍から見ていれば至極当たり前の事であり、対峙方法というのも知ってしまえば非常にシンプルなものです。
「車に乗ってれば腰が痛くなってね」。このような声は良く聞こえてきます。
既に自身でも悪化因子を自覚している訳です。
悪化因子を見定めているのなら、悪化因子を可能な限り回避する事で回復へと進みます。
 
そこを仕方ないと捉えるか、工夫するかは本人次第なのではないでしょうか。
そして、工夫する矛先を何処に向けるかが最も大切になるのでしょう。
仕方ないと諦めれば中長期的に悪化する可能性も秘め、
工夫する矛先を症状発症箇所だけに求めても悪化する可能性も秘めています。
 
薬の調整が工夫でも無ければ、増量が工夫でもありませんし、
腰部を揉んだり電気掛けたり注射を打ったりするのも工夫ではないでしょう。
それらは、ただ単に対処療法を探しているだけに過ぎ無い事を早期で自覚する事が肝要なのです。

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