藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

ALSアイスバケツチャレンジ

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治癒する事を約束出来ない病気ほど(治せない事を前提とした治療)精神的に辛いものはありません。
勿論、患者側も許諾しての事でありますし、私自身も依頼が来た際には正直に話しています。「治せない」と。
それでも治療を望まれた場合、私は常に目の前のALS患者が誤診である事を願い、治療を続けます。

ご存知の方も多いと思いますが、少し前に氷水を被るか寄付をするかというキャンペーンが流行りました。
筋萎縮性側索硬化症=ALS」に対してのアイスバケツチャレンジです。
本当は、このキャンペーンが話題になっている最中に書こうと思っていたのですが、
思うところがありあまり書きたくありませんでした。
 
中にはALSは治る病気であると思い込んでいる方々もいますが、残念ながら治りません。
神経細胞が徐々に死滅する病気で、最期には身体が動かせなくなり呼吸も止まります。
放っておけば3~5年以内に死亡します。諸説ある発症起因等々の仮説に関しては、
私が書かずとも適当に検索してくれれば分かると思います。
 
一般的には人工呼吸器で延命は可能で、目を動かす筋肉は最後まで保たれる為に、
文字盤等々での会話は可能です。しかし、数十パーセントのALS患者は、その目を動かす筋肉すらも失われ、
患者は「生きたまま」思考能力も正常のうえで、真っ暗闇の中で身体を動かす事も出来ず、
時間を過ごさなければならなくなります。一般的なALSの概念を超えた最後を迎える人も少なくありません。
 
それが、「トータリィ・ロックトイン・ステイト(Totally Locked-in State=TLS)」です。
「ロックトイン」、「ロックドイン」、「閉じ込め症候群」等々とも呼ばれますでしょうか。
 
真偽は分かりませんが、聞きかじった話では、
ALS患者に対して将来待ち受けるTLSは隠されてきた時代があったようです。
今でもTLSを知らないALS患者も見受けられるのが実情でもありますので、
患者間での認知度は高いという訳ではないのかもしれません。
もしかしたら今でも隠されていたり、患者に秘密にされているのかもしれません。
 
氷水を笑顔で被る動画ばかりが散見されてはおりますが、
全てのALS患者が良い顔をして、この様子を見ていたとは限らないかもしれません。
 
ALSは何もしなければ死ぬ病気ですが、呼吸器を付けて延命出来たとしても、
将来待ち構えているTLSに精神的に耐えられるでしょうか。
目に入る情報が「有る」か「無い」かの差は大きく、
且つ、身体を動かす事も出来ない中での精神的なストレスを
患者はどのように封じ込めなければならないかと考えると胸が苦しくなります。
 
当たり前ですが、その頃には自身の力で呼吸器を外す事も出来なければ、他者が外す事も出来なくなります。
ALSを患ってから数度の究極の選択に迫られながら時間を過ごしていかなければなりません。
当該患者の想いは、患者でしか分からないでしょう。
 
ALS患者からの治療依頼が来る。
ALS患者とは言え、それが症状の進行中とは言え、長時間に渡りベッド上で過ごす事にもなれば、
肩が痛いとか腰が痛い等の純粋な筋骨格系症状も出るでしょうし、そこから派生する諸症状も出るでしょう。
 
それらに関しての処置は簡単です。言い方は悪いですが、動けない分、治りは圧倒的に早い。
手足の動きも良くなり、力も入れやすくなるでしょう。
呼吸も深く出来るようになるでしょう。嚥下も楽になるでしょう。
 
しかし、それらは純粋な筋骨格系症状から派生した諸症状の上澄みが取れただけであり、
根源的要素の治療では全くありません。一時的に楽になっただけで、少しの放置で直ぐに悪化していきます。
言葉の表現が難しいですが、「そもそもの病態は悪化している中での上澄みの改善」と書けば分かるでしょうか。
 
中には、針治療で進行が遅くなっていると喜んで頂く方々もいます。
中には、本当に進行が止まったのではないかと思う時もあります。
但し、それは針治療が奏功したのではなく、
たまたま、そのALS患者の進行度合いの速度が変化しただけなのかもしれません。
その為に私自身は諸手で一緒に喜ぶ事は出来ません。ALSの本態と対峙している訳ではないからです。
過去の症例と照らし合わせたとしても、結果的に悪い方向に進行した患者しか私は知りません。
但し患者は望んでいます。ALSは治らないものかと。ALSは誤診ではないかと託します。
勿論、私とてALSと診断された事を誤診であると信じて治療は行い続けます。
 
しかしながら、この日本では早期段階でALSと確定診断を下す事は少なく、
相当な経過観察後、類似疾患を除外しきってからALSと診断と告げる為、誤診である事は先ずありません。
私も、ALSと診断された方々とお会いした時は、全員がALSで間違いありませんでした。
 
ALS患者に限らずですが、難治性の諸疾患に関しては、
患者は藁にも縋る想いで何かしかの治療手段はないかと探します。
但し、私自身が見てきた限り、嘘っぱちなビジネスしか転がっておらず、
その嘘っぱちなビジネスに引っかかり全財産を叩いた患者も山のように見てきました。
 
残念ながらALSは現時点では治りません。何をしても治らない病気です。
但し、生きている限り、ALS等々含め、難治性の疾患すらも容易く治せる時代がくるかもしれません。
それまでの間、ALS患者等含め、絶対に諦めてはならないと思うのです。
それがTLSになろうと、生きていれば、いつかは治せる人が現れるかもしれません。
 
今までお会いした患者の中で「動かない重い足を切り落として欲しい」と言われた方がいました。
足を切り落としたところで何が変わるでしょうか。何も変わらないのは患者が一番知っているはずです。
しかし、それが現実であり今を生きる患者の本音でしょう。今治りたい、今楽になりたいから言うのでしょう。
現時点では死ぬ事を約束された患者を目の前に、どんな言葉を投げ掛けたとしても軽過ぎて、
非情に捉えられても仕方ありません。目の前に立っている針屋なぞカスみたいな存在でしょう。
「治せない」、「治らない」、現実とは言え、この一言を告げる時がどれだけ悔しい事か。
 
それでも、1つだけ言える事は、仮にそれが現時点では死ぬ病気だとて、
「現時点では」という段階である事を忘れてはならないと思うのです。
それが奇跡でも夢でも何でも構いませんが、治る日がくるのを信じるか諦めるかは患者次第なのです。
 
「医学」が患者を救い、「医学」が患者を諦めさせました。
しかし、患者の治りたいという気持ちは腐った「医学」を簡単に超える事が出来るのかもしれません。

                      

私とて受話器の先から聞こえる数々の重篤な病名は全て誤診であったと願いたい。
死が目前に迫る病名が誤診であれば一気に症状は改善されていくからだ。
しかし、残念ながら全てが誤診である訳もない。
医療の発達は希望を見出すと同時に、無慈悲な現実を患者に突きつける事もある。
 
先に書いておくが、整形外科領域の大半は誤診ではなく誤認である。
精神科領域に関しては誤診や誤認という言葉自体も存在しない。
その意味を知りたければ過去の内容に目を通して貰えば分かる事。
今回はそのような領域の話ではない。
 
数々の医療機関を渡り歩く度に病名が変わる。
容赦なく流れる時間は容態を悪化させていく。
時間が止まればどれだけ良いかと思った事もあるだろう。
患者の時間が止まる時はあれど、時間は容赦なく流れ続ける。
我々は生きている。
 
生きているから時間の流れを感じ、痛みを感じている。それだけは忘れてはいけないと思う。
事実を捻じ曲げる事は出来ない。世の中には事実から目を背けた順番から死んでいく病が存在する。
 
医学では語れない?
科学では語れない?
事実では語れない?
根拠では語れない?
 
だったら何で語れば良いのか。
 
思うように語れば良い。受け売り話を聞きたいとは思っていないし、言い訳を聞く為にいる訳でもない。
我々は思い続ける話を聞きたいのであり、治りたいかどうかを問うているのだ。
 
諦めるには早過ぎるのではないだろうか。
治りたいと強く願い続ける患者に対して、我々が妥協する事はない。
 
診断を下したのは一個人の人間なのだ。
一個人の発言に踊らされる程、人間は弱くてはいけないと思う。
一個人の発言で人生に幕を下ろすような弱さを持ってはいけない。


ある年のクリスマスに、綾子さん(仮名)のお子さんが、サンタに手紙を書きました。
綾子さんは、子供が寝ついた後に、プレゼントを選ぶために、
子供の書いたそのサンタへのお願いの手紙をゆっくりと広げて読んでみます。
すると、そこには、たどたどしい字で次のようにあります。
 
「おかあさんのびょうきをなおしてください。おかあさんのびょうきがなおるくすりをください。」
 
そして、先に書いてあった欲しくて欲しくてたまらなかったDSのソフトのところは斜線で消してあり、
「これはいりませんお願いします」と書いてあったそうです。
綾子さんはいわゆる難病で根治治療法のない病気を抱えていた為、
子供にはいろいろと不自由な思いをさせていたようですが、その年の初詣では、子供が、
 
「神様、どうかおかあさんをながいきさせてください。おねがいします。」

と言っていたのを後で知ったそうです。
 
綾子さんは、この病気の為に落ち込んでしまう事もよくあったようですが、
このお子さんの思いを知って、子供の為にも元気でいなくちゃいけないと思い直したそうです。
 
人は落ち込んだ時、周りの人から励ましの言葉を受ける事で、希望を見出します。
たった一つの何気ない言葉であったとしても言葉にはその人の心を180度変える力があります。 
何故なら、言葉は言霊と言われるように人の魂が宿るからです。
 
従って、いくら素晴らしく、感動を与える言葉であったとしても、
そこに魂がこもっていなかったら人の心を動かす事はできません。
一方で、たとえたどたどしく、洗練されていない言葉であったとしても、純真で本当に心から
その人を思い、発した言葉であったなら、人の魂を揺さぶります。
 
綾子さんのお子さんは、本当に綾子さんの事が大好きで、何よりも大切な存在であり、
心の底から綾子さんの病気がなおって欲しいと思っていたのだと思います。
たとえ、小さな子供の一言であったとしても、100人の励ましの言葉よりも、大きな力を持ちえるのです。
 
大人になってからも、実は人を感動させるのは、子供のような純真な言葉であり、
決して洗練された、スマートな言葉ではないのです。
まっすぐな気持ちを、ありのままに伝える事が大切なのです。
 
年を重ねても、人生を歩む過程で、逆に子供の純真な心に戻る事は可能です。
みなさまが、澄み渡る冬の青空のような純真な心を取り戻し、幸せな気持ちで満たされますように・・。

日本警察の「死体検索」システムの土台は、
いまだに体表観察の「検視」だ。最先端の医療機器で高度な診断を行う時代に、
「死体検索」は昭和24年に死体解剖保存法が制定されて以来、全く進歩せずに今日に至っている。
体表観察で犯罪関連死体かどうか判断する、それが科学警察を標榜する現代の警察の初動捜査なのだ。
 
検視と画像診断の併用事例を比較すると、検視のみによる死亡時診断と、
その後に行われた画像診断による確定診断では、20人中4人に診断の食い違いがあった、
という報告もある。 検視単独では、誤診率は実に20%。
この比率を年間100万人の死者に当てはめれば、
死亡時に誤診される人数は年間実に20万人にものぼる。
 
既存のシステムの擁護者は「体表から調べて怪しければ、解剖するから間違いない」と言う。
しかし解剖実施率は2%台で、年間3万体前後。 2005年度の死者101万人のうち変死者数は
約15万体(交通事故関係を除く)。 司法解剖行政解剖という変死者用の解剖で対応できたのは
1万3570体。 解剖が必須の死体に対してすら解剖率9%である。
 
解剖症例2787例について解析しているが、そこには衝撃的な数字が記載されている。
 
「臨床診断」と解剖施行後の「病理診断」の一致率は88.3%だ、というのだ。
この場合「臨床診断」とは、検案のみで行う診断で、主病名ならびに直接死因である。
その症例に解剖施行した場合、12%の症例で診断が変わった、というのである。
 
つまり解剖を行わなければ、死亡時臨床診断は一割以上は誤診しているのである。
注目点は、この「臨床診断」は、病院で緻密に経過観察をしていた症例が大半だ、という点だ。
高度な医療情報を有する症例さえ、解剖なしでは12%の誤診率を含むのだ。
解剖なしの臨床診断の誤診率は12%。 この数字を記憶にとどめておいてほしい。
 
ちなみに欧米の論文にはもっと衝撃的なデータがあり、
解剖を行うと生前診断には30%以上のエラーがある、という論文も発表されている。 
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イメージ 1  ~針治療から病態定義の見直しを~