藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

互いの損失を無くする事は出来るのだろうか


患者の気持ちも分からなくもない事を前置きとして書くが、激烈な疼痛や痺れや脱力や自律神経症状や他の症状も全て引っ括め、数日~数ヶ月~数年と継続する事は患者自身のQOLを著しく低下させ続ける結果となり、患者自身、及び患者周囲を巻き込み疲弊させ続ける事になる。
そして、激烈な症状は、我慢であれ忍耐であれ根気であれ、仮にも経時に伴う自然治癒が約束されているような症状だとしても、既存診断定義に一致し、加療する事で早期回復が約束されるかもしれない症状であれ、ダブルにもトリプルにもクラッシュした症状であれ、同一症状を持つ患者群を幾ら探しても見当たらない謎めいた病態であれ、患者の根気を奪う。中長期的な視野を入れたプランなぞ価値はなくなり、あくまで短期結果を目的とした治療手段を取り入れようと躍起になる。
故に、副作用も厳しい薬物にも手を伸ばし、それを朝から晩まで過量服薬してみたり、詳細に病態を観察すれば矛盾点も多い症状に対してでも手術をしてみる。そもそもだが、患者は診断名から症状を考察する傾向が高いが、症状から診断名を考察するのが当たり前であり、且つ、残念ながら既存の診断定義の大方は、生理解剖的に大いに誤っている事を知らない。
これは以前も書いた事だが、整形領域的に書けば神経圧迫論であれ、血管圧迫論であれ、伸張短縮の不具合に伴う筋痛性症状であれ、交感神経系反射に伴う血管攣縮性の諸症状であれ、見事に間違えている。見事に間違えているままの病態定義のまま、手術や薬物を用いるものだから、回復する確率は低い為、残念ながら改善した患者は予想以上に少ない。
別に、わざわざこのような事を書かなくとも、整形領域に伴う手術や薬物治療の既往者なぞ相当数いる訳だから、情報として仕入れいる事は簡単でもあるのだが、どうしても、今の自分が痛いと、自分なら治ると言う思い込みに発展するケースも多く、取り敢えず手術してみようと言う気持ちに発展する気持ちと言うのも、また、分からないでもない。
そもそもの病態が異なる為、その部位を切った貼ったしても変わる事はないのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、どうしてもビジュアル的にも派手でカッコイイ手段から選択していくのも、また人間なのだ。「残念ながら」と一応書いたのも、患者意志で薬物治療で軽快し、手術で軽快すると思い、治療選択した事に対しては尊重しているからである。
さて、その多くが薬物治療や観血的治療で軽快しない故に、代替医療と言う機関を訪れる事になるのだが、一歩引いて考えてみれば、そもそも、薬物や手術は必要だったのか、必要なのか、と言う観点で物事を見る事は出来なかったのかと言う点でもある。
患者思考の多くは、「手術>薬物治療>薬物治療以外の保存的治療」で優先順位、価値の大きさを決めている。しかし、その多くは手術でもダメ、薬物治療でもダメ、となり、最後は薬物治療以外の保存的治療に治癒に至る迄の事実が大いに隠されている事を知らない。
その「知らない」を「知る」迄は、患者自身が散々経験しなければ、幾ら周囲からの情報があったとしても、優先順位や価値の大きさは変わり難い。故に、手術をしても回復せず、薬を飲んでも回復しない為、後がなく、薬物治療以外の保存的治療を受療する事になる。
事実を話せば、このような後がない患者から早期に治るのも、また事実であるが、当たり前の事を話せば、回り道する事なく、且つ薬物やメスを身体に入れる事なくスタートを切った人間のほうが、回復は早い。切った貼った繰り返している経験を踏み、治らない経験をし、更に薬物治療をしている間、その他に患者は何を失っているだろうか。それは、時間である。発症時期から時間の経過した諸症状ほど治癒までの時間を遅延する。
とは言え、回りくどりかもしれないが、それだったら脇目も振らずに初めから「それら」を選択すれば良いじゃないかと思うのだが、それも人間と言う生き物である以上、仕方ない事なのかもしれない。
「〇〇専門」と書くのは好きではないが、患者の思考内に手術や薬物治療と言う余白が残存している内は、凡ゆる他の保存的治療を受療するにあたっても、気持ちが散漫となりやすい。これが仮にも気持ちが存在しないロボットであれば、展開も随分と変わっているのかもしれない。いっその事、「手術しても薬飲んでも全く良くならなかった患者専門」として看板を掲げたほうが治療する側としては気持ちが楽かもしれないが、
このような看板を掲げていない為、このような患者とも会う事も出来るし、このような患者思考も随分と汲み取る事が出来る。それは私自身にとっても大変良い勉強になる為、掲げる事はないと思うが、そのような書き方をしている院の意図も分からなくもない。何だかんだ言っても、薬物治療や手術と言う選択を余白として残している患者層は多いのかもしれないし、仮にも手術が最後の選択と言う観念論で残している患者も多くいるかもしれないが、それらの多くは間違いである。
お互いが不遇な想いをしたくないのなら、「〇〇専門」と書いてみるのもアリなのではないかと思う。とは言え、術者側の成長性を鑑みるなら、「〇〇専門」は必要ないだろう。もう一度書く。「〇〇専門」を掲げる事はメリットもあるがデメリットも多い。多くの患者は「〇〇専門」と掲げた場合、少々のリスキーな治療も軽微な事故も受け止める。それは、術者側にとってはメリットにならない。あくまで、治療水準は術前患者、薬物投与前患者の軽微な諸症状に焦点を絞ったまま、重篤症例に対して対応出来るような、治療に対してのリスク軽減を目論む必要もあるからだ。
患者を選択しない、選別しないと言う事は、不遇な想いをする局面に立つ事も多い。人間の気持ちなんて常に浮雲である。症状を抱えていれば精神状態も不安定になるのは当たり前だからだ。
しかし、「針治療をしてみる⇒数回受けたが治らない⇒手術なら一回で治ると言われ手術する⇒治らない⇒針治療をする⇒この時に初めて治る」の図式が余りにも多い。両手を挙げて喜べる事じゃない。ここに至るまで、互いに大きな損失が招かれているのは事実だ。

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