藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

PMDAによるベンゾ常用量依存の周知/昨今の動きと所感


当ブログは文字制限の関係より、治療反応性から推測される臨床論を含めた内容は右記URLに記載しています⇒https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/1505395926218335

「副作用はないですよ」「依存性はないですよ」「皆飲んでますよ」「5~10年飲み続けても平気ですよ」「死ぬまで飲んでますよ」「離脱症状はないですよ」「禁断症状はないですよ」「ネットや本に書かれている事は嘘ですよ」「フラつく?筋肉が弱ったからですよ」「頭痛い?鎮痛剤出しときます」「今の症状は疾患が悪化したからですよ」「新たな疾患が併発したのかもしれないですね」「薬止めたら具合悪くなった?そりゃ未だ病気が治っていない証拠です」etc…
あれこれの言葉でけむに巻き続けた処方も流石に馬鹿にするなと言う話も募りに募り、2017/3、 医薬品医療機器総合機構PMDA)がベンゾの常用量依存(常用量離脱)の通達を出しました。これで少しは向精神薬被害に遭った、又は不遇な対応をされた患者の気持ちも救われるのではと思います。度々書いている事ですが、他国の多くは2~4週間迄と処方期限が定められているものの、日本では処方期限が存在しない為に10年20年の服薬期も珍しくなく、且つ多剤大量処方も散見される事からガラパゴス的問題も多く、
常用量離脱症状(副作用ではなく、中長期的服薬によって薬剤耐性が付く事から、今の量では足りないよーと脳内が騒ぎ出し、凡ゆる中枢神経系症状を出すこと。禁断症状や退薬症状と表現する場合もある。アル中が手の震えを止める為にアルコールを飲まなければならない、又はアルコールの量を増やさなければ落ち着かないのと同様、これらの薬剤耐性で生じた症状を抑える為には薬を増やしていくしか道がなくなる。勿論PMDAの通達にも書かれている通り、その薬物を減らす際にも離脱症状が出る懸念があり、その減~断薬方法に関しても極めてデリケートに行わなければ大変な事態になる)の懸念は古くから言われていましたが、
多くの現場ベースでは存在無きものと扱われ、これらで生じる諸症状の存在の有無が臨床現場では常に混乱の的となっていた事から、このように公的機関が認めた事で認識の相違の溝も埋まり始める、埋まり易いのではないかと思いますが、どちらに転がっても大なり小なり混乱は生じるものである事は過去事例からも見て取れる事から、以下には公に認めた事での今後の懸念も踏まえて書きました。
今件のPMDAはベンゾジアゼピンのみが対象ですが、他の向精神薬抗うつ薬 抗精神病薬 中枢神経刺激など)やリリカやトラムセット、ノルスパンテープ等の中枢神経系に反応を及ぼす鎮痛薬も依存形成の懸念と離脱症状に関しては、以前から添付文書(一般的には患者は添付文書を隅々迄見る事はないかもしれませんし、追々での副作用追加の更新等、発売されてから時期の浅い薬物ほど未知なるネガティブなデータは少ないもの)を通して記載があり、ベンゾも含め患者に渡す書面にも書かれている場合もありますが、その一般認識としては薄い、又は認識を与える事で混乱が起きる事から敢えて伝えていない等の事情もあるのかもしれません。

医薬品医療機器総合機構 PMDA からの医薬品適正使用のお願い
ベンゾジアゼピン受容体作動薬の依存性について
ベンゾジアゼピン受容体作動薬には、承認用量の範囲内でも長期間服用するうちに身体依存が形成されることで、減量や中止時に様々な離脱症状があらわれる特徴があります。
〈主な離脱症状〉 不眠、不安、焦燥感、頭痛、嘔気・嘔吐、せん妄、振戦、痙攣発作 等
ベンゾジアゼピン受容体作動薬を催眠鎮静薬及び抗不安薬として使用する場合は、以下の点にご注意ください
【患者の皆様へ】
この資材に掲載されている注意喚起は医療従事者向けの情報です。服薬中の患者さんは医師又は薬剤師にご相談ください。自己判断で服薬を中止したり、用量を減らしたりされないようお願いいたします。
◎漫然とした継続投与による長期使用を避けてください
・承認用量の範囲内でも長期間服用するうちに依存が形成されることがあります
・投与を継続する場合には、治療上の必要性を検討してください
◎用量を遵守し、類似薬の重複処方がないことを確認してください
・長期投与、高用量投与、多剤併用により依存形成のリスクが高まります
・他の医療機関から類似薬が処方されていないか確認してください
◎投与中止時は、漸減、隔日投与等にて慎重に減薬・中止を行ってください
・急に中止すると原疾患の悪化に加え、重篤離脱症状があらわれます
・患者さんに、自己判断で中止しないよう指導してください

今件のPMDAの1件含め、昨年から今年に掛けて精神医療や向精神薬関連では公民問わず幾つも動きが有りました。これらの状況をポジティブと捉えるかネガティブと捉えるかは各々の立場によって異なるものと思われます。
全体を通して見た印象ではベンゾジアゼピン系の危険性が表在した事、その反面で抗うつ薬の適応症状の拡大や規制緩和が行われている事、若年層への中枢神経刺激薬の処方が一時的に懸念された事を契機に成人層の掘り起こし(大人の発達障害と言われて疾患喧伝されているもの)の中、昨年改正された発達障害者支援法により、再度若年層の発達障害へ向けての疾患喧伝が強まった事、法改正に乗じた制度ビジネスを求めた関係者が更に熱を帯び、患者獲得に躍起になっている印象を受けます。
制度ビジネスに乗せる為には、先ずそのように診断された患者を集めなければなりませんが、そのレールに乗せられる事が最も不幸な道程を辿り始める事を渦中の方々は知りません。これは整形領域症状や自律神経症状領域症状など、症状全般を有した場合も同様な事が言えるかもしれませんが、自身の症状に異変を感じた際の精神状態は通常ではなくなります。これは誰しも経験している事だと思います。自身の症状だけの問題でもなくなります。自身が傷めた事で、仕事や家族の動きが止まるかもしれない、迷惑を掛けるかもしれないと不安や焦燥を覚え、早期解決の道を先ずは模索し始めるのは自然な事だと思います。
自然な事かと思いますが、自己から発せられる症状はあくまで予期せぬアクシデントであり、通常は予防し得ぬ状況である事から、過去に自己が暴露した症状と類似性が高い場合であれば自己で対処出来たとしても、数日経ても変わらない、又は憎悪傾向を示した場合、その多くは第三者にコンサルトする事になるでしょう。そしてその多くは類似症例を扱う事を標榜している窓口へ一度は門を叩く事になるのかもしれませんが、この段階で大きな過ちがある事を案外知らない人も多くいます。
この時点で既に自身の症状は「コレである」との自己診断の元、このような診断を得るべきだと言うエゴが生じている事に気が付く必要もあります。自身の症状に当て嵌る病名は探せば山ほど出てくるかもしれませんし、その病名と治療がリンクする現実は相当低い事は少なくありません。このように、診断イコール治療へと直結する可能性は低いものの、自己の信じる診断を他者にされるまでショッピングする傾向、又は自己の症状が手術適応であると信じて止まない場合、手術をしてくれる人間を探し回る、手術に賛同してくれる人間と術後のポジティブな情報を探し回る行為に走る傾向は今も昔も変わらないでしょう。しかし、全てが自己の思う通り解決に至る事はありません。その不幸な結果をこちらは扱い常々発信しているのですから、現行の凡ゆる病態に対しての治療の困難さと脆弱性も見えてきます。
簡単に得られる情報は成功症例のみが流れているものですから、その裏に100人や200人の失敗症例が隠れていたとしても分かりません。これらは後に述べる毎月1800人前後が死んでいく精神病棟内でも同様かもしれません。もしかしたら、今の患者自身が置かれた立場と社会的認識に大きな差異が生まれた溝が埋まらないのも理由の1つかもしれませんし、病態に対しての解釈の溝が生んだ例も数多くあると考えられますし、相互のエゴのぶつかり合いが生んだ悲劇なのかもしれませんが、様々な事情が考えられるのは、様々な事情を抱えた患者から伺い知れるものです。
先日、参考まで自律神経症状とは何か、又は成長期や思春期、更年期、気のせい、精神異常者と称されてしまう1つの理由も述べましたが、基本的にこれらの事情が生じる理由の1つに現段階の検査機器能力では異常が見つけられないがイコールとして結ばれます。異常が無ければ医療は感情論、精神論、根性論に近くなり、それも又不幸を引き起こす一因となるのかもしれませんし、これらの論議は治療上全く必要もなく、寧ろ邪魔な論議です。治療はどのような患者であったとしても再現性や確実性を求め高めていくのが誠実な行為であり、感情論、精神論、根性論を治療に持ち込むのは不誠実であり発展性が見込めません。
骨折等とは異なる可視化不能な精神症状に関しては、その時の当事者の置かれている環境ストレスや栄養、周囲の人間で幾らでも変動するものだと思います。その事で不安や焦燥、不得手が生まれるタイミングは自然な事かと思います。一時的な健忘が起きたり、上手く対応が出来なかったり、その事でストレスが自己に生じ続ければ交感神経系も持続的に亢進し、上記の非疼痛性症状や疼痛性症状への発展、他、コルチゾールの分泌亢進が持続的に続き、更なる症状発展へと繋がるかもしれません。
コルチゾールの分泌亢進は糖質の持続的過剰摂取による低血糖が原因かもしれませんし、過剰糖質摂取の体内代謝時に生じるビタミン群の減少が現状の不具合を発生させている原因かもしれませんし、鉄欠乏が原因かもしれませんし、年代や労働姿勢によっては持続的な脊髄の下方牽引に伴う脳幹や間脳部の血流障害で起きていた事も治療反応上から伺い知れるものです。これらの自然現象で起きた精神症状を第三者が不自然と捉え、精神疾患=精神病者であると診断し、向精神薬処方に繋げる事で2次的3次的被害へ発展していくのが1番の問題であり不幸であると思います。
精神=脳の問題である、と言う解釈は私自身も上述の説明の通り、栄養や環境ストレス、年代や労働姿勢に伴う脳幹や間脳の血流障害であると推測している事から間違いではないと思っていますが、上述したように診断ありきで熱を帯びた状態では、(制度)ビジネスに乗せる為、先ずは診断、その診断に承認を受けている向精神薬処方のルートが形成され、症状発症の起因の考察が蔑ろにされている現状があり、いざ減~断薬となった際に、今まで向精神薬により中枢神経系にフィルターを掛けられ過ごしていた霧が取れ、現実と向き合う事になった時、離脱症状だけではなく、多大なストレスと向き合う事になる現状も少なくありません。
病気である事に価値を見出す患者、病気であった事に安堵する患者周囲の人間など、社会的な理由により病気でいたい、病気であってほしいと願う利得が少なからず存在する世界でもあり、これらの感情から派生する問題は、回復を願う患者の障壁ともなる向精神薬問題より大きいかもしれません。これらの段階を回避する為にも、その個が現状を打破するには個で意識を固め、回復への道筋を立てなければ難しいものなのかもしれません。
......................................................
では本題に入りますが、10年振りに改正された発達障害者支援法による関係者及び制度ビジネスを利用した躍起な患者獲得の動きに伴い、発達障害診断者の増大とそれに伴う服薬者の増加、飲む拘束衣と言われたベゲタミンの販売中止、ヘザー・アシュトン教授の誕生日に合わせて開催されたウェイン・ダグラス氏による世界ベンゾ注意喚起の日の開催、
精神保健指定医免許の不正取得に伴う100人弱の大量処分、エチゾラムやゾクロピン等の向精神薬指定化、抗うつ薬の適応症状の拡大化と、それに伴う自動車等の運転禁止から運転注意への規制緩和、そして先日のベンゾジアゼピンの常用量依存の認識をPMDAから各学会への通達等が私個人としては目立った動きに見えました。
無診察処方や個人間での違法譲渡や違法売買、患者家族が医師と連携して執り行われた不遇な強制入院の問題、向精神薬や違法ドラッグが関与した猟奇的事件や事故は以前からの問題でもありますし、精神病棟内では毎月1800人前後の死亡退院者は変わらず、拘束患者の増大は最近始まったものでもありません。
幾度となく書く事になるかもしれませんが、仮に精神病と言われるものが存在したとしても、精神病は死ぬ病気ではありません。死ぬ病気では無いにも関わらず、良くも悪くも監視が行き届き、自死さえ不可能に近い環境で何故毎月1800人も死んでなければならないのでしょう。
先日の石郷岡病院事件での裁判内容の通り、精神科に関与しただけで精神病患者とレッテルを貼られ、患者の尊厳や地位は全くの無でもあるかの如くな対応をされる事になります。病室内でスタッフに首を蹴られて死んだとしても、無罪と暴行罪程度でしか処罰されないのが現状です。
今件の裁判に関して言えば、否、今件の裁判に関しても、原告側は決して良き結果ではなかったかもしれませんが、1800人の内の1人の患者家族が声を挙げたからこそ、多くの方がメディアを通じて精神医療の闇の部分を知る事が出来たのではないかと思います。
......................................................
向精神薬長期服薬による薬剤性ALS様症状」
の末尾でも患者の声を抜粋した通り 
>>きっかけは些細なことでした。性格的なものもあったのでしょう。もう13年も前に心療内科を受診し、デパスという薬を処方されて、「栄養剤」のごとく飲んでいました。カウンセリングも安心するものがあったので、2ヶ月に1度行っては、お話しをして薬ももらってくるという具合でした。このことは、全く迂闊で愚かでした。10年以上飲んで、症状が出て気付くまで。ベンゾジアゼピン系の精神安定剤は決して1ヶ月以上も服用してはなりません。これは私からの大げさでなく命を賭したメッセージです。
明らかにリスクの高い薬物である事を身を以て呈し、発した彼は既にこの世に存在しないようです。遷延的に中枢神経系の運動神経が機能損失したかの印象を受けるALS様症状が止まらぬ状況に悲観し、自ら命を絶ったものと、彼を知る方と直接お会いし教えてもらいました。その方もベンゾを起因としたALS様症状を呈しており、仕事と家族を失い自殺未遂をしました。其の後は残念ながら知りません。
このように中長期的な服薬でリスクが高まり続けるベンゾジアゼピン系薬物に関しては、日本は世界一の処方量です。精神病棟のベッド数も世界一です。薬物全般で見ても日本は世界の40%分を消費している事から、薬好きと薬漬けは少なくない事が知れるものです。それが医療先進国故の理由ではない事は確かで、ワクチンを始めとした在庫処分地として日本が先陣を切っているのは有名な話です。
薬全般を決してイケナイものであると断言する事は出来ないもので、非常に有能な薬も沢山存在するのも事実です。しかし、用いられ方、用いられる対象や症状、用いる人間、そして向精神薬に関しては快楽目的で使用する人間も少なくない事から、様々な事情や角度からの見方もされ、偏見されても仕方ない部分かもしれません。
......................................................
上記URLの方も、当初期は栄養剤の如く服薬していたとし、自身の用い方に問題があった事も述べていますし、現に厳しい離脱症状を呈されている方の大半も急激に減~断薬をされた方が大半で、緩徐に凌いだ場合は情報として上がってこないだけかもしれません。それが自己判断によるものか他者指導によるものかにより責任の所在は異なるのかもしれませんが、どちらにせよ具合が悪い事には変わらないものですし、処方時にも説明なく安易に出し続けた事も理由の1つかもしれません。
処方した側も常用量離脱や離脱症状の概念が希薄であった場合も多数あります。その為の今回のPMDAによる医療従事者向けの喚起であるのかもしれませんが、この喚起が何処まで患者にとって寄与出来るかは現段階では未知数です。他国ではこれらの依存性を早期から問題視し、多くは2~4週間迄と定めているものの、日本では処方期限が存在せず10年20年の服薬は当たり前で、これらの長期服薬患者が仮に減~断薬を希望した場合のコントロールは極めて難しいものと思います。
患者たっての減~断薬だとしても、離脱症状で日常生活を奪われた場合、また要らぬ訴えを起こすのではないかと臆病になってしまい、そのままステイとするか他医に回してしまうかもしれませんし、離脱症状を元々軽視している場合は結果的に急激な減~断薬を執り行い、生活を奪う事にもなりかねません。向精神薬は増やすのは楽だが減らすのは出来ないと言われる所以は患者だけの問題ではないかもしれません。その為、減~断薬を標榜する院でも、ゼロ迄抜ききる事が出来ず、低用量でダラダラと飲ませ続ける結果になるケースも散見されますし、後述しますが減~断薬の行為を軽視した脱依存ビジネスが安易に介入し、生活を奪う例も散見されます。
危ないからと察知し、止めようとしても止められるものでもないのが悪質な性格を持つ向精神薬です。マニュアルが存在するものではなく患者個々でのコントロールとなる為、業務の煩雑性が高まり、且つ経営的に全くメリットもない事、患者及び患者家族に理解が無い場合は治療以前の諸問題が生じ悪評が立ち易い等のリスクばかり背負う事、薬害症例を扱うと全く関係の無い薬好きの第三者からの反発にも遭う事等から、患者と共に術者も首を締める行為に近くなる為、一般的には行えるものではありません。
しかし、多くの被害患者が声を上げ続けた事で向精神薬被害の実情が表在し、常用量依存の存在が公に認められ、各学会へ注意喚起を出す所まで漕ぎ着けた事は本当に大きな1歩でもあり、地道な活動が実を結んだ証拠かもしれません。この事で僅かでも服薬者の減少へ繋がり、現状服薬している方に関してもベンゾ系への理解が広まる事と思っています。
先述の通り、これらに乗じて脱依存ビジネスは今後も増えてくると思います。現在も向精神薬に限らずギャンブルやパチンコ、アルコール等からの脱依存ビジネスも多く、余計高額なサプリや食品を買わせたりする所もあります。向精神薬依存からの脱却過程に於いては、別件で何かを買う、何かを食べる、何かを飲む等の患者出費は殆ど必要ない印象を受けます。
それよりも大切な事は向精神薬との向き合い方であり、向き合い方1つで成功率は大きく変動します。答えは「飲まなきゃ良い」だけの話なのですが、その「飲まなきゃ良い」を継続的に出来る人は相当少ないもので、その過程に於ける減薬時の飲みたくないのに飲まなければならない葛藤や、精神依存、身体依存、理解なき周囲の反発とどのように向き合うかが最大の障壁となるもので、その価値と意識は決してお金で買えるものではありません。
......................................................
これらの問題が引き起こされる要因を考えてみたいと思うのですが、その1つに服薬に伴い「具合が悪くなったから」が挙げられます。当たり前かもしれませんが具合が悪くならなければ問題にはなりません。軽微な症状から死に至る状態までと異なるかもしれませんが、GABA濃度の増加を求む作用の箍が外れた場合の大カテゴリとしての症状で分類すると、その1つに交感神経系の過剰亢進状態が挙げられます。その辺りを先日まとめましたので見てみます。
本来であれば自己分泌能の低下や長期連用による受容体の変性や減少に伴う運動・知覚神経系異常、内分泌や外分泌異常の話をするのが本筋かもしれませんし、付随する脳幹や間脳、大脳皮質や大脳辺縁、大脳基底核、小脳等に於ける損傷起因の説明をするのが良いのかもしれませんが、何故、今の状態が起きているかをシンプルに知る1つに自律神経系異常が生じた結果とイメージするのが早いのかもしれません。
例えば、私たちは腰と言われる部分を痛くしても、その多くは姿勢を変える事で取り敢えずの痛みは回避出来ます。抹消の知覚神経に影響を与えない姿勢に持ち込んでしまえば何とかなるでしょう。しかし、自律神経系の厄介な問題は、目で入る情報、外部からの刺激、内部からの刺激全てを変換し、姿勢や行動の有無問わず症状を出し続ける場合が圧倒的に多いと言う事かもしれません。
その部分が凡ゆる現行の検査機器能力では原因不明となり、各種レッテルが貼られ始める事も問題かもしれず、かと言って数年前に一時的に話題に上がった光トポの臨床結果も散々であった事例、まして脳内に反応を起こす薬物での精神症状のコントロールの難しさと弊害、フラットに見れば中々前に進まぬ自律神経症状治療に対してのジレンマは双方に抱えているものと思われますが、
臨床にも耐えられる検査機器の誕生を待っていてもラチが明かず、仮にラチが明いたところで治療に繋がるかも別な話でもあり、その先々の未来を待っても希望は薄い可能性もある事、まして日々の具合の悪さは早期解決を望まなければ末梢神経系症状、中枢神経系症状共に臨床結果も厳しくなり始める事、そして制度ビジネスに乗せようと躍起になっている方々にとっては、治ってしまえば不都合である事など、面倒臭さばかり増していく関係を早期に断ち切るには元気でなければなりません。
しかし又、その過程で当初のループにハマる可能性も高いジレンマも備える事から、情報の取捨選択能力と病態把握、治癒に向けての自発的意識の保持など幾つもの予防策と回避策を得ていなければならず、既に具合の悪い場合は慎重な心境でもない為に難しいのかもしれませんが、どの症状にどのような治療が施されるか、そしてそのリスクと予後は幸いにも一般患者のルートから数限りなく挙げられています。勿論操作された情報も多く含まれているかもしれませんが、幾つも見ていれば操作された情報には違和感を覚える事になるものですし、違和感を覚える事が出来るようになる為の物事の見方も予防策の1つかもしれません。

参考関連 (クリックでリンク先にジャンプします)


参考関連2 (クリックでリンク先にジャンプします)