藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

向精神薬による常用量離脱症状/減薬期及び断薬後の離脱症状への患者の心構え


【広島往診】は定期的に行っています。単独往診とは異なり、広域に渡り治療場所を点在しながら移動する費用分散型往診になる為、ご希望通りの日時に行えない場合もありますが、ご連絡頂ければ大まかなスケジュールはお伝え出来ると思います。ご治療希望の方はfujiwaranohari@tbz.t-com.ne.jp迄お願い致します。 

向精神薬は各々が性格に異なりがある為、一概には説明しきれない部分もありますが、主にベンゾ服薬者及び抗うつ薬の服薬者層が厚い事と、凡ゆる離脱症状期に於いても発症内容は脳幹を基礎とした脳神経系由来症状関与の自律神経症状で説明が付く印象を受ける治療反応性と治療経過が大半を占め、且つ、患者自身が最も変動を自覚し易い諸症状である交感神経症状群が日常生活上を脅かす対象ともなるでしょう。

向精神薬自体は大脳や小脳へも反応性を来すケースも多い為、副作用及び離脱問わず、認知機能や随意運動の障害、運動機能の障害など幾多にも渡りますが、これらの諸症状は治療を介入させる事で1度でも安定感を得た場合、その安定度は交感神経症状の類よりも極めて高く推移する事は先日も書きました。
 
向精神薬由来の離脱に伴い、極めて鋭敏で感度の高い自律神経症状を呈している場合は、日常生活の疲労やストレスも大きく誇張及び修飾され、大きな危険信号として患者に自覚させる事になりますが、異なる視点で見た場合、日常生活の疲労やストレス因子を探し出し、極力排除する事で離脱症状の自覚度合いも必要以上に大きくさせずに過ごす事が出来る印象も多くの患者から情報を得ています。

後述する事にもなりますが、1度でも向精神薬の弊害が生じた場合、患者は怒りや恨み等のネガティブな感情を持ち、遣り場もなく誰も認めてくれない状況に、更に輪を掛けて症状憎悪となっているケースも事実として散見されます。

現在治療している向精神薬由来症状を抱える患者群は、既に患者自身が向精神薬の弊害を既知し、治療及び日々の生活に励んでおられる方が大半です。向精神薬由来症例は、治療者及び患者の相互が弊害を既知した上で治療を行わないと、仮に特異的なリバウンドが発症した際には高確率で対人間のトラブルが発生するなど、相互が不幸へ繋がる事態へ簡単に発展します。

勿論、これらのリバウンド現象は向精神薬由来症例問わず、どのような症例にでも含まれてくるかもしれませんが、機能回復期に於ける症状憎悪感や症状変容感、症状発症部位の変動感、神経機能の賦活化期、減衰期、安定期等、治療に於ける作用を既知としておかなければ要らぬトラブルに巻き込まれ、こればかりは実際に現場に立っている人間でしか分からない部分もあるでしょうし、真摯にヒアリングし続けなければ分からないものでもあります。

勿論、このようなトラブルは私自身も幾度と無く経験してきました。あくまで相互が理解していなければならず、片方のみが理解していても治療は簡単に頓挫してしまうものです。
 
今現在、ブログの大半は向精神薬が関与した内容ばかりですが、何故、このように向精神薬関連が濃厚な内容になっているかと言えば、答えは簡単で私自身も回復過程に於ける様々な事情に困惑しているのも1つの理由として挙げられます。流石に症状は見慣れた節はありますし、原因部位は中枢神経系であり、まして向精神薬由来症例ほど、エピソードが明確な症例はありませんし、薬物反応の詳細な情報であれば幾らでも手に入ります。

しかし、大きな障壁は向精神薬由来である事を何故か患者自身及び患者周囲の人間及び、処方した人間が薬物由来である事を頑固に認めず、病名と薬ばかり増えていく事に納得していく層があまりにも多く存在している事に由来しているかもしれません。

それでも尚、向精神薬による弊害は数十年前から叫ばれ続けており、H29/3にはPMDAがベンゾ危険性の周知を出すに迄至ったのは記憶に新しいものです。勿論、それを両手を挙げて喜べる事態かと言えばそうでもありませんが、薬物に対しての危険性に対して積極性が見えてきた事に関しては本当に嬉しく思います。

私自身は、この数年前から向精神薬由来症状の単独症例なり、整形外科的疾患や内科的疾患と向精神薬由来症状の併発症例なりを取り組んでいるのは、あくまで成り行き上であった、と言う表現が適当かもしれません。針を刺す、と言う行為しかしていなければ、時に類似性の高い症状だとしても違和感を感じる時と言うのはどうしてもあります。その代表格が中枢神経系に至る向精神薬を服薬している群であり、症状の由来が向精神薬であるならば、その原因を排除しなければ回復には至らない、と考えるのは至極自然な事でもあります。

また、どの症状も罹患期が中長期化した場合、多くの患者は向精神薬の処方対象ともなり、病名問わず、中枢神経に至る薬物を中長期的に服薬し、薬剤耐性を獲得した場合、特異的な中枢神経症状を併発し、且つ治療反応性や治療経過に対しても、服薬群と未服薬群に於いては異なり、服薬群に関しては先述の通り、特異的なリバウンドを呈する場合もありと、疑問を持ち続けているのも1つの理由です。
 
改めて書きますが、患者自身の最大の幸福は、病名や障害名を払拭される事だけでなく、症状からの脱却だと思います。その因子が向精神薬である場合、その向精神薬由来症状とも対峙するのが自然かと思います。その個がどんな性格や特性を持っているか等は問わず、そしてどんな年齢であっても性別であっても、病名云々ではなく、勿論その人間云々ではなく、向精神薬の服薬が大きな変調を来していると言う事も治療反応性として分かります。

多くの治療者は「○○病を治す ○○障害を治す」と標榜している反面、私は「○○病を治す ○○障害を治す」と言う書き方をしていないのは、上述の通り、病名問わず、対峙するのは現症状の原因排除及び回復のみを考えているからであり、症状群が病名や障害名に発展した看板名に然程価値は求めていません。特に、他覚的所見の乏しい精神病名や障害名に於いては幾らでも見た人間によって変動します。それに何の価値もありません。

しかし、多くの人間は病名ありきで動く為、現在抱えている症状群が世間一般の○○病や○○障害の情報に相当囚われてしまっている側面もあり、本当にその個が抱える症状が隠れてしまっているようなケースも散見されます。
 
症状とは、その個が生きていく上で不都合であると捉えた時に症状となるのであり、その個が生きていく上で不都合ではないと捉えている場合は症状にはならないと考えているのですが、時として他者がその個を不都合だと感じ、病名や障害名と言うレッテルを貼り、その個の都合ではなく、他者の都合の良いように導いてしまうケースも多く見受けられます。

それが優生学、支配医学と言われる精神医療の考え方でもあるのですが、医学とか医療等と言う仰々しい名称が付いておらずとも、そして診断権の有無関わらず、私達が生活を送る上で、このような考え方で他者へ眼差しを送った事はないでしょうか。「あの人変だね」「あの人勉強ばかりしてるね」「あの人遊んでばかりいるね」「あの人~だねetc…」。
 
このような些細にも見えるかもしれない感情が、優生学であり支配医学の根底ではないかと思います。人間がもしも世の中で1人しかいなければ病気にならない事も、2人になれば病気にされるかもしれません。これらは医学でも医療でもなく、単なる他人の目から見た、又はその人の物差しから見た感情、その人の物差しでは計り知れない言動で生じた感情でしかない事も分かります。その感情やプライドや劣等感その他のネガティブが、医療や医学と言う冠が付くまで発展してしまったものと思います。

精神医療は関係なく、向精神薬のみにスポットを充てがった場合、時として有効に使われる場合もあるでしょう。しかし、裾野を拡げ過ぎた何もかもカジュアルに用いられている現状を見る限り、明らかにリスクが上回っています。カジュアルな処方によりリスクが上回った状況が継続すれば何が起きるかと言うと日常生活の破綻です。そして、そのリスクは服薬している個人のみならず、周囲も巻き込むでしょう。
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前置きが長くなりましたが、このように様々な歴史や事情、考え方に誘導されてしまったのか、又は自発的に服薬したかは扠措き、いざ向精神薬由来の症状が引き起こされた場合、そして自身が向精神薬の弊害を既知した場合、多くは医学や医療に対しての恨みや怒りに繋がるでしょう。多くは認めてくれないものですし、知らぬ存ぜぬで交わされ、既存の病の憎悪や新しい疾患の併発とされ、濁されているのも現状です。その現状を覆す努力は具合の悪い人間にとっては疲弊を来すだけでもある事を見ています。
 
その人間の診断や見解を覆したところで自分の身体が良くなる訳でもないのですから、先ずは誰にも頼れないと言う現実を1度は踏まえなければならないタイミングも訪れるかもしれません。そして、既知された場合は淡々と事実を受け止め、自己の回復に全力を注ぐ事が、最も良い将来を生む近道である事も見ています。誰かを恨んだり怒ったりするのは元気になってからで良いと思います。具合が悪い時に恨んでも怒っても、症状の憎悪への反動を喰らい続ける悪循環に繋りかねないからです。

このように、冒頭でも書いた通り向精神薬由来症状は、疲労やストレスで大きく症状変動を来す交感神経症状/自律神経症状がメインになり苦しめます。その為、如何に今を楽な気持ちで過ごせるかが最も肝要になり、考え方次第で自己の症状をコントロール出来る場合もあるでしょう。
 
勿論、厳しい急性症状を呈していたり、症状が重過ぎて固定しているような段階では、セルフコントロールなんて出来るものではありませんが、幸いにも日内日差に変動が生じるレベルになってきた場合、交感神経症状/自律神経症状であればコントロールも可能になってくるタイミングも生まれてきます。そこに至る迄の考え方の1つに、「向精神科薬を飲んでいる事を忘れる」が、最適な考え方である事を幾人かからの状況を見てきても思います。

飲みたくなくても飲まなければならない現状も重々承知しています。しかし、何故飲みたくないと思ったのでしょうか。それは向精神薬のリスクが上回っている、又は現症状が向精神薬由来によるものだと既知されたからだと思います。

ただ、飲みたくないと思う迄はベネフィットが上回っていたと自覚し飲み続けてきた訳なのですから、その感情面は扠措き、身体反応は飲んでいる事にも変わりません。そして、その時までは飲みたくないとは思わなかったと思います。勿論、漠然と飲み続けている人も多くいるとは思いますが、そのような群は元々どの薬物にも疑問を持つ事はないでしょうから、疑問を持たない群は、そもそもが治療対象ともならないでしょう。

疑問や弊害を抱えた場合、疑問や弊害を抱える迄は疑問も弊害も抱えずに飲んできた訳であり、いきなり疑問や弊害を抱えたからと、向精神薬は急速に止められるものではない事も知識として既にある訳ですから、そのジレンマも大きなものでしょう。しかし、1つの捉え方とし、今日明日ゼロに出来るものでも無ければ、今日明日症状が収束するものでもありませんので、不本意かもしれませんが「向精神薬関連の事は一切忘れる」「減薬している事は忘れる」と言う考え方も場合によっては有効なのかもしれません。

私自身のブログにも様々な弊害は載せていますし、その他のネットでも多くの弊害関連の記事は載っています。具合が悪ければ悪いほど、どうしても自身と類似性の高い症状を抱える方々を探したくもなり、そこに安堵を求める方も少なくありません。気持ちは分からなくもありませんが、それが全てに於いて良い状況に繋がると言えばそうでもない事も私自身見てきました。

そのような中、向精神薬由来症状や寛解憎悪の理由を既知とされ、他者の誘導にも負けずに皆が協力体制を取れている患者と言うのは極めて強い印象を受けます。その1例を以下に掲載します。

症状を抱えているのは患者である以上、症状を抱えている患者の発言が私にとっては1番の教科書になります。向精神薬の弊害及び離脱症状寛解憎悪の理由等々まで既知された場合、どのように患者の心境が変化していくかと言うのを、頂いたメールから抜粋させて頂きたいと思います。勿論、皆が皆、このような状態にまで達観する事は難しいとは思いますが、考え方の参考として挙げさせて頂きます(掲載許可は頂いています)。
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「pomとベンゾジアゼピン離脱症状」 https://ameblo.jp/mochi170123/ の方から頂いたメールを一部抜粋します。

>>今日は久しぶりに体が重いです。コレが離脱症状???これくらいだったら( ´Д`)y━・~~って感じです。

>>さてさてさてさて減薬4日目突入で、睡眠不足解消。頭鳴コントロール機完成。食欲奪取奪還。体重増量成功完了。です!離脱症状はこれから出てくるのかもしれませんが、めっちゃ凄い事にならなければ、このくらいならばバカは気付かない様子ありまくりです。このままバカはバカのままで行けると良いなと思って忍々。

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元々は寝たきりから始まった症例でもあり、累積治療に伴い症状改善が得られたからと言う側面もあり、症状変動の波も落ち着いてきた為、現状では客観視出来るのかもしれませんが、此処に至る迄も、多くの寛解憎悪のタイミングを自覚しながら、何故寛解憎悪するかを患者自身で検証し続け、その理由を既知されたからこそ、このような表現が出来るようになったのかもしれません。

上記URLの初期の記事、私が携わる前の投稿内容を拝見すると、発症当時の状況を文字で起こすにはあまりにも残酷で深刻な状況だった模様ですが、治療を開始し約3ヶ月と10日程度が経過している状態がどのような状況であるかは、文章や文体にも反映されている印象を受けます。
 
何れ詳細な症例として発表出来る日も来るとは思いますが、先ずは多くの向精神薬由来症例で悩み苦しむ方々に参考にして頂きたい事は、このように離脱症状に対しての事前知識が得られているのであれば、簡単に成功症例へと繋げられるのではないかと思います。

確かに幾多もの中枢神経系症状が押し寄せてくる向精神薬由来症状は恐怖でしかありませんが、僅かばかりでも状況を知る事が出来れば、こちらの方も、症状としては未だまだ十分な状態ではないかもしれませんが、此処まで気持ちも変化を遂げられると言う事も分かりますし、この気持ちが良循環を生む事にもなるでしょう。

このような話も、その治療反応性と治療経過を知っている治療者であり、薬物のリスクを既知し、実害に遭われた人間及び周囲の者でしか共有出来ないのかもしれませんが、向精神薬由来の離脱症状は日本のみならず世界が困惑している事情です。

皆が理解し皆が認識する事で、どれだけの人間が救われる事になるかと思いますし、1人1人が知るだけでも、患者は孤独に追いやられる事もないでしょう。疼痛性・非疼痛性の身体及び精神症状は第三者には見えないからこそ理解は示されないのは向精神薬由来問わず散見されますが、医療行為であり治療と標榜されている薬物リスクを抱えた場合、益々理解も認識も遠のく事は私も重々知っています。

しかし、実際に多くの方々が既に抱えており、数十年前から危険性が訴え続けられている実情と理解を示すだけでも患者の回復は早まるのではないかと思います。

参考関連1(クリックでリンク先にジャンプします) 
 

参考関連2(クリックでリンク先にジャンプします)
 
向精神薬症例の治療反応性と不幸

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