藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

向精神薬由来症例の周辺事情と熱産生の重要性


急性憎悪期とは、世間で言う14日以内が急性期、14日以降が慢性期等とする安易な区分けが出来るものではなく、常に進行を伴う憎悪期と称するのが適切に感じる。後述するが、向精神薬由来症例には慢性期は存在せず、常に進行性を孕む急性憎悪期が、理由の有る限り継続すると思われる。


又、向精神薬由来症状問わず、発症自覚の段階で、どのような状態に迄至るか等は,自覚有無問わず既にプログラムされている印象も持つ。症状の完成は即時的に成立せず、時間を掛けて成立するのも凡ゆる症状に対して言える事だが、向精神薬由来症例の場合、リスク因子の取り込みが継続し続ける為、気が付く迄に時間が掛かる事も相成り、由来を把握するには様々な事情にて相応の年月が掛かる場合もある。

これら憎悪期に治療を介入させる事で制動出来るのか、逆らう事が出来るのかは分からない。同一人物は存在せず、片や放置と言う手段を取る事が出来ないからだ。更に言えば、その患者が何故治療を受けようかと言う思考に至ったかも考えれば、放置しても良くならず悪化しているからであり、そもそもの受療タイミングが急性憎悪期となる。中枢神経系由来は幾多もの症状が織り交ざる為、抱える症状の数は10や20は珍しくないが、そのような中でも早期回復と回復遅延は存在するケースも多い。治療行為自体は脳全般にしか栄養を送れない側面がある為、その治療反応性と経過を追い、現在の症状の動態を観察していくしかない。

異なるケースでも類似例は多く存在し、純粋な整形領域疾患でも同様である。腰頸部問わず頸神経叢や腰神経叢群の疾患でも、受傷エネルギーや受傷後の生活態度の初発問題、行動内容、受傷タイミング時の基礎的な脊椎の構造的安定度により大きく左右されるかもしれないが、多くは痛みから、痛み及び痺れに発展し、脱力や皮膚知覚鈍麻、筋萎縮へ発展するのが一般的な進行である。何故進行していくかも併せて書けば、負担を掛けて発症した部位に更なる負担を掛けるからであり、特段難しい話ではない。

そして、これすらも単独クラッシュの根拠は存在しない。前胸部や肘部、手根部、臀部、膝部、足根部での併発例及び混合での増強例は珍しくなく、相応に時期を経過した症状群は神経学的所見も乏しい事から、多くは治療反応性を以て判断して行かざるを得ない。

疼痛及び当該神経支配領域の牽引的疼痛であればDRGの微細損傷で説明も治療も片付く場合は多く、結果は著しい早期良好性を示すが、疼痛以上の諸症状の場合は神経細胞そのものの萎縮に於ける諸症状である事から、治療を介入させ、栄養を送り込む事で、神経細胞が賦活化された結果、症状変容が生じる例は多い。

しかし、これすらも絶対的な話でもなく、個々の耐痛閾値や事前伝達の有無、理解度の異なりで色濃く患者表現と反応は異なる。不適切な表現だが、症状を消したいなら細胞が死ねば麻痺となり痛くも痒くもなくなる。局所的な細胞死で満足を得られないなら全身の細胞死を求めるしかない。それはつまり死の選択肢となる。

純粋な整形領域疾患に於いても、発症から相応の時期が経過し、神経萎縮と思しき諸症状が生じている状態の場合、回復過程に関しても少々の理解が求められるものだが、何故か治療を受ける側の思考に回復過程の症状変容の理解がない事に私自身は当初から極めて違和感を感じ続けていたが、その理由は簡単に分かった。

症状はカジュアルであればあるほど、炎症を止める事、鎮痛させる事等の即時的な対処に目を向ける心理が存在し、傷んだ細胞に直接的にも間接的にも栄養を送る治療手段の概念が元々存在しなかったからなのではないかと思う。端的に書けば、火事が起きたら消す事だけを考え続けた結果、残った灰の処理を患者任せにしたツケが回っている。

これらの概念は向精神薬由来症例に当て嵌めても同様、知覚・運動等の体性神経由来と異なる点は、自己回避がし難い自律神経系症状が色濃い面と、中枢そのものが損傷を受ける状態を来す為、患者そのものが自己の状態を違和感と感じない場合も生じる点、そして医療行為の看板が大前提に置かれている点、そして最大の問題は、現症が向精神薬由来であると認めない例が大半である事だ。

勿論、認めなたくない感情も分かる。認めたら極めて面倒臭くなる事は分かっている為、薬剤性症状は幾らでも既存病名に鞍替えさせられていく。しかし、この感情が患者の将来を潰す事に直結する事は誰が考えても容易い。

純粋な整形領域疾患にも症状変容には理由がある。では、中枢神経系症状のような経時経年で症状変容を来す例は如何なるものかを考える必要がある。向精神薬由来症例が他の中枢神経系由来症例と異なる特殊性の1つに、今現在も多くは中枢神経系症状を発症リスク因子を取り込み続けている事が挙げられる。

脳血管イベントや脳外傷、ワクチンによる中枢神経系症状の発症由来はワンショットであるが、向精神薬は日々ダウナーやアッパーを得る為、日々犠牲が孕む。それが自己分泌能異常や受容体損傷に行き着く事になり、その損傷部位に於いて多種多彩な身体症状や精神症状を呈する。

回復を求む場合も、日々損傷要因を取り込み続けるジレンマがある。しかし、その要因を即時的に取り払おうものなら更なる危険信号を発する可能性もあり、極めて悪質な性格を持つ。

大脳や大脳基底核、海馬、小脳に反応を及ぼすものの、そのループは視床視床下部を経由、脳幹を経由、又は投射しながら多種多彩に、そしてユニークに症状を惹起する。口から入れたものが局所的にしか反応を及ぼさないものであれば症状の内容も極めてシンプルかもしれないが、脳全般に渡り反応を及ぼす結果、星の数程の症状を出すのは不思議ではない。

脳幹から分枝する脳神経系の数々は内外の刺激により色濃く変動し、直接的な反応部位は内外の刺激によっても変動が乏しい。この2大カテゴリが混合する事から、片や日内日差と強い変動を持つ症状があり、片や固定しているかの如くの症状がある為、多くの混乱が起きていると思われる。
継続的に強い身体及び精神ストレスの暴露が脳萎縮を生じるのは既知の事実だが、先行的に希望を述べれば、このような器質的異常が、現状の運動や知覚、精神に異常を来す根拠は萎縮発症が確実な理由にはならず、予想以上に人間は適応出来ているケースも見受けられる。また、脳萎縮はストレスや向精神薬だけが原因でもなく、生きている限り凡ゆるリスク因子を浴びる為、全ての責任を押し付ける事は難しい。

解剖的な破壊行為による症状変容のデータを追跡する限り、関係性は否定出来るものでもない事から無視出来るものではないが、適応出来る迄に至る時間も相応の年月を必要とする可能性も考えれば、元々から回避手段を講じた生き方をする事が先決とも言える。

スペクトでの結果やグルコース代謝異常も、脳萎縮同様、その結果が今の症状となる根拠も明確ではなく、議論の多くは対極している。しかし、局所的に分布が著しい場合も、その関係性を否定出来るものではなく、意図的に作り上げた異常によって検証されたデータも、やはり無視出来ない側面もある。ここ最近は視床由来と推測される諸症状に興味が有り、こちらも血流量の増減による症状変容の検証は取られているが、確定的な根拠が存在する議論はない。

脳全般に言える事かもしれないが、そもそも手を突っ込んではいけない領域が薬物によってダメージを受けており、更にそのダメージを認めない精神医療の今日を考えれば、頼る先は現行医療には既に存在しないと初めから覚悟する必要もある。

向精神薬由来症例は、医療を頼っても相手にされない理由と事情に溢れている事は今迄沢山書いてきたつもりだが、幾ら声を挙げても変わらない分からない気付けない人間も沢山いる事が、ここ数年で私自身も体感してきた以上、変わらない分からない気付けない人間はデータ取りの対称であると割り切る位が適切なのかもしれないし、望まない人間に対して治療行為を強制するのは、医療選択の自由を奪う行為でもあろう。

そもそも論とし、人間の細胞は何者により栄養されているかを考えれば、それは血液であり安定的な血流による細胞保持及び新生かもしれないが、安定的に血流が流れている、又は仮に治療により当該罹患部位に非日常的な血流量を送り込む事が出来たとしても、それが直結して機能回復に至る事はない。

中枢神経由来症状も末梢神経由来症状も、血液が流れ、細胞が栄養され、その細胞が回復し、細胞が機能し、隣近所と円滑にフィードバックし合う事ができ、初めて症状の改善自覚が得られるもので、何れにせよ即時的な回復が得られるケースは極めて少なく、寧ろ即時的に回復したかのような印象を持つ治療手段の背景は単なる抗炎症作用であり鎮痛作用である事も分かると思う。

抗炎症も鎮痛も病態やタイミングによっては無価値ではないかもしれないが、日常生活を営む人間の易発症性の諸症状にはオーバートリートメントであり、その弊害は小さくないものと思うが、それが残念ながらスタンダードに至った理由も、各々の広報的な結果かもしれないが、逆の見方をすれば、抗炎症や鎮痛とは真逆の作用を持つ手段でもあり、既存器官に炎症と言う生理的反応を意図的に発生させて回復を求む手段は、今のスタンダードな手段を取り込んでいる方々にとっては、単に怪我をさせている行為にしか見えないと思う。

只、交感神経節をメインとした処置を行い、その回復が見込まれている臨床例を鑑みる限り、当該罹患部位の血流分布が多いから当該症状が発症される、との図式は個人的には誤っている印象を受ける。その結び方は少し短絡的であり、個人的には当該罹患部位の血流量の増加は、そもそも、その罹患部位の血流量が低下している為、症状が惹起されているタイミングでは危険である事を察した生理的反応により、血流量が増加しているとの見方が正しいのではないかと考えている。

異常が見込まれた症例に対し、ECTの実施前後で血流量を計測し、実施後、血流量の増進から症状軽減に至ったデータも幾つか存在するが、これらも見方を変えれば、何かの理由で血流量が持続的に低下しているタイミングで電気を流した結果、そのショックで(恐らく電気ショックを加えれば、一時的に脳内血流は低下し、その後血管拡張が生じるescape現象によるものと思われる)血流増進→症状緩和の段階を踏んだ事になるのだろう。

ベンゾ系離脱の場合、自然発症型とは比較し難い程の身体及び精神ストレスに暴露され続ける事になる為、先述の通り脳萎縮も問題視されているのも既知の事実である。一部ではベンゾ系そのものが直接的に脳萎縮を招く要因にはならない旨を述べているものも存在するが、自然発症型でも脳萎縮が生じるのであれば、仮に直接的要因でなく間接的要因であっても萎縮が生じるのは、患者状態を現場でヒアリングし続ける限りイメージも容易い。

HPA系仮説により萎縮因子を論ずる事は可能であるが、器質的異常のみならず、異常事態であると判断した身体は火消しの為、凡ゆる器官が非日常的な活動をし始める弊害は数多くある。それが脳萎縮と言う状況だけでなく、ホルモン分泌異常、全身の糖代謝異常、異常な体内栄養素消費、自己分泌能異常、受容体損傷及び変性異常、脳幹から分枝している脳神経系機能異常etc…、上記理由を元にした身体症状や精神症状惹起は日常生活を破壊し続ける事になると同時に、先述した通り、向精神薬由来症例が極めて特殊な部類に入る理由に、その損傷理由を取り込み続けなければならなく、更に、その損傷理由は即時的に手放す事が出来ないジレンマが厳しく患者に襲い掛かり続ける。

向精神薬由来症例の特殊性の高さの理由の1つに、医療行為により生じている側面がある。医療行為で生じた症状は、先述した通り多くの人間が認める事はなく、医療関係者よりも非医療関係者に認めない、認めたがらない割合が多く目立つ印象を受ける。それは純粋に「知らない」「知らなかった」とする感情ではない事例も残念ながら多いのだが、「知らない」「知らなかった」と言い切る理由も分からなくもない。医療従事者であれ非医療従事者であれ、その逃げ方以外に道はない。

向精神薬の継続服薬に伴い、大きな違和感や疑問を身体及び精神症状の自覚があったとしても、医療行為が大上段にある以上、幾ら患者家族及び周囲の人間に訴えても認めてくれず、また、ファーストで受診した医科が心療内科や精神科である場合、強く訴えれば訴える程、空回りし、精神病者扱いの懸念が生じる。このようなケースは相当数あり、この段階で結果的に篩に掛けられ、患者の人生の中でも1つのターニングポイントになる。

また、患者家族や周囲の人間が認めたとしても、当該機関が薬剤性だと認めないケースも大半であり、認めたとしても治療手段も存在せず、結局は若干異なる性格の薬物が投与され続ける不幸な道程を辿り、回復への道は遠くなる。

多くの事情が絡む特殊症例が大半を占める事になる為、その背景も様々かもしれないが、如何なる事情や理由があったとしても、そして如何なる診断が下されていても、それは私にとって凡ゆる中枢神経系症状の枠内の1つでしかなく、病名がこうだから、このような治療になる、と言う事もない。

罹患部位により身体症状や精神症状は色濃く異なるかもしれないが、解剖上、中枢神経の機能回復を見越す手段に選択的罹患部位への栄養を求む事が出来ないのは度々書いている事で、極論ではあるが、そのような検証も患者にとってはどうでも良い話で、患者は治るか治らないかの人生を掛けた二択に生き続ける。それ程迄に、向精神薬由来の中枢神経系症状は日常を急激に変える。その強大な力は飲む拘束衣とも称され、時と場合によっては高い機能性を誇る側面もあるが、家事に仕事に移動をする為に拘束衣を着る必要はない。
罹患期も中長期に及んだ場合、現症に抵抗する為と、初期的にはベンゾ系のみだった場合も、経時経年により抗うつ薬抗精神病薬、抗パ薬、中枢神経刺激薬等々のカクテルへ発展するケースも多く、結末は医療的解釈ではなく感情論が濃厚となったエピソードに展開する。

先述した通り、薬剤の性格を顕に表現する事でのアドヒアランス低下の懸念も付き纏う事、薬剤性由来の症状を認めると追々面倒臭くなる事、経時経年に伴い凡ゆる症状が惹起されてくる状態に対し、本気で「既存疾患の悪化」「新疾患(精神病名が入る)の併発」と捉えている点等、その真理は知る由もないが、多くは反医療者が唱える「患者を薬で繋ぎ、依存させている」ではなく、善意の心理で多剤に至る。但し、善意故にタチが悪い。

人間とは理屈よりも感情で動き、具合が悪い事態は患者にとっては予期せぬトラブルであり、事前に向精神薬の知識を備えた上で服薬する人間は殆どおらず、服薬初期は極めて高い効果を実感出来るケースも多い事から、いつの間にか依存し、薬無しでは生きる事の出来ない脳になる。例外も多くあるかもしれないが、多層はこのような段階を踏む印象を受ける。

元々が医療行為を皮切りとする為、「医療行為である」を大上段に構え、反発する患者も少なくない事から、常に推進派と反対派が対立している。医療は患者のお陰で変革してきた歴史もあるかもしれないが、向精神薬の特殊な側面は、昼夜問わず合法的にラリっていられる気持ち良さもあるからだろう。

向精神薬により蟻地獄に嵌った状況から脱却する為には、患者自身が状況を理解する事が先ずは大前提となるのだが、この大前提を自己でクリアした方々しか私は対応しない事は書いた。事情を知らない人間に対し治療を行っても、互いが不幸になる事は散々経験してきたからだ。

元々このような症例の多くは、様々な事情と理由が絡み、世間的には認知されていない、否、認知されては都合の悪い症例群となる。しかし、向精神薬由来症例も、凡ゆる中枢神経系症状の枠内の1つではあるのだが、自然発症由来、ワクチン由来、脳外傷由来、脳血管イベント由来等とは異なる特殊性を持つ。

その特殊性の1つに、発症リスクを日々取り入れながら回復を目指す行為が挙げられ、そのデリケートに変動する症状群に対し、容易に回復を求められるようになれば、他の由来を持つ症例なぞ極めてシンプルに見えてくるだろう。個人的には向精神薬由来症例が最も困難な症例になる。発症エピソードがこれほど明確にも関わらず、何故此処まで一筋縄ではいかない事情が絡むのか。それが医療と言う極めて大きな存在が障壁となるのだろう。

全ての症例に対して同様な事が言えるが、回復に於ける大原則は「如何に当該罹患部位に対し強い栄養を持続的に供給出来るか」に委ねられる。作用が弱ければ効かない。作用時間が短くても効かない。アプローチする部位が異なっても効かない。それは勿論の事だが、これらを踏まえ、治療上は構築しているつもりだが、それを如何に効果的に持続させるかを患者に委ねてみる事で、また新しい展開が見られるのではないかと、個人的には期待している側面もある。

どのような性格を持つ向精神薬も、その反応部位は中枢神経系である以上、その弊害として暴露した部位は中枢神経系になるとは思う。そして中枢神経系に栄養を送る為には解剖的にも限られてくると思われる為、どのような性格を持つ薬物でも構わないのだが、多剤投与の場合、イメージも付き難くなる為、今回はべンゾ系を中心とし、且つ服薬の種類が少ない方をピックアップし、改めて状態を振り返る。


緊張性頭痛、片頭痛、耳の下の凝り、耳鳴り、思考停止(頭が働かなくてフリーズする感じ)、後頭部から背中にかけての異常な凝り、指のしびれ、脳がむき出しになったような痛み、胸に刺すような痛み、原因が何もないのに鬱気分、イライラ、耳の下から首にかけての凝り、頭が働かない、呼吸が浅い、白髪が部分的に50本ほど生えてきた。うつ。


気分の落ち込み、過去の嫌な記憶を度々思い出す、目の霞み、首肩の痛み、動悸、対人恐怖、呼吸抑制、知覚過敏(音声)、(デゾラム減薬時)霞目、複視、倦怠感(特に休日)、首肩の痛み、中性脂肪値上昇、胃腸不調(胃の不快感、便意増加)、陰部感染症(いんきん)、(デゾラム→ジアゼパム切替後の現在)


動悸、めまい、パニック障害、目がチカチカ、ビジョンが鮮明、視力低下、全身のしびれ,吐き気、食欲不振、頭痛、睡眠障害、パーキンソン症状、手足の働きが服薬前より鈍い、倦怠感、アカシジアのような症状


頭鳴り(シャンビリ) 頭の痺れ 頭の締め付け 筋肉硬直、疲労 膨張 つっぱり 激しい頭痛嘔吐 体重減少、増加 (満腹 空腹という感覚がない) ドライアイ 眼圧上昇 視覚過敏 聴覚過敏 耳閉塞感 耳鳴り めまい ふらつき 頻尿 ドライマウス 口の中の違和感 歯の食い縛り 味覚異常 鼻づまり 顔、身体の浮腫 吹き出物 顔面麻痺の感覚 息苦しい 喉の違和感 不眠 記憶力低下 思考力低下 認知力低下 どもり 言葉が出ない 会話が続かない 対人恐怖 鬱 自己否定孤独感 希死念慮 

case5) デパス

頭痛(頭にビリビリ電気が走るような痛さ、後頭部がぐわんぐわんする)、頭重、ひどい肩こり、眩暈、ふらつき(突然地面が陥没したかのようにガクンとしたり、後ろにバーんと転倒するかのような症状)音に敏感、眠りが浅い、みぞおちから喉にかけてのつかえ感(ヒステリー球)、幻聴、気力が出ない、ボーとする、手の震え、吐き気、食欲不振、下痢、激やせ(6㌔減)、光が眩しい、だるい、焦燥感、呼吸が浅い、筋肉の硬直・顔面硬直(起床時口が開かない、手足が動かない等) 症状が悪くなると動悸、焦燥感から過呼吸へ、目の乾燥


減薬開始の2年前から、左半身の筋肉の硬直、それに伴う激しい痛み。筋肉硬直は、マッサージを毎日しても、マッサージが終わるとすぐに、もとの硬直状態に戻ってしまいました。首の筋肉の硬直に伴う頭痛など。筋肉のシビレ、痙攣、数カ月つづく、こむら返り。これらすべての筋肉の症状いよる極度の疲労。耳鳴り、鉄の味覚、しびれにより左手の爪がはえなくなった

このような中枢神経系症状群に対して機能回復を求め、継続的に治療を行い続ける事になるのだが、そのような患者も時間進行と共に、時に怪我をしたり、風邪を引いたり、ヤケクソになったり、針治療を由来とした強いリバウンドで起きる場合もある症状の1つに発熱があり、その事で副産物的要素を齎す側面もあるケースも少なくない。

視点を変えれば、持続的な発熱は全身に渡る血管拡張を伴い、罹患部位の栄養に至る可能性も十分に秘めている。ギャンブル性の高い行いでもある為に推奨しているものでもなく、発熱という事態は自ら惹起する事も難しいとは思うが、1つの参考迄に2例挙げる。

10代半ば 男性

10歳時、多動を理由に発達障害と診断後、中枢神経刺激薬及びベンゾ系を数種処方される。服薬直後、全く効果が見られない事を訴えたところ異なる向精神薬を処方された当日に悪性症候群様症状が惹起された事を契機に断薬。その後も多種多彩な中枢神経系症状が継続した為、医療機関に出向き検査等を行うも異常なし。向精神薬は継続的に処方されるも、向精神薬問わず薬剤等の化学物質全般に過敏反応を示すようになるも、症状が継続している事には変わらず4~5年経過後、当院受診。初回治療後の翌日、38度台の発熱が3日経過した後、凡ゆる症状の改善自覚を得る(発熱による症状改善自覚は一過性の為、現在も経過観察中)。

30代前半 女性

10代後半より理由は不明だがベンゾ系や抗うつ薬等々を断続的に服薬し続けた結果、経年を経て調子が悪くなり続け、一切の薬物を受け付けない状態となるも具合が上向かない事を契機に来院。初回治療後の翌日より38度台の発熱が3日経過、及び不安症状が極めて強くなり号泣し続けた結果、3日後以降より凡ゆる症状の改善自覚を得る(発熱による症状改善自覚は一過性の為、現在も経過観察中)。

上記2例は治療を契機にリバウンドで生じたと推測される発熱によって症状の改善自覚を得られたものの為、純粋な治療由来の作用が及んでの結果も含まれているかもしれないが、この他にも風邪を引き数日に渡り発熱後に症状の改善自覚を得る、極めて強い運動をし続けた事による疲労を契機に発熱後に症状の改善自覚を得る等、他にも数例ある。

向精神薬やアルコール、又は非合法薬物等の所謂アディクション患者が薬抜きをする為、運動や風呂、サウナ等を用いるのは古くから知られており、それは言うなれば体内の細胞に貯留、残存している薬物を抜く為、非日常的な代謝量を上げて改善を目的としている側面があるのかもしれないが、個人的にはこれらの行為で改善自覚が得られるのは中枢神経系機能の血流量増進により機能回復している側面もあるのではないかと推測している。

画像所見上描写されないのは当たり前で、自己分泌能異常や受容体の状態は検査機器の限界を超えており、常に推測の域は脱する事の出来ない議論が繰り返されているが、経時経年とダメージを与え続けた中枢神経系症状は、体内に残留している薬物が抜けきったからと、症状改善に直結はし難い印象も受ける。画像描写不能な器質的異常と示唆される諸症状の治癒が運動や風呂、サウナ等で成し遂げられるのであれば誰も困る事はない。

恐らく、そのような中でも数十時間に渡り熱を帯びる事で、上記行為よりも更なる持続的血管拡張に伴い、副産物的に損傷部位に栄養が運ばれ回復自覚を得られるのであれば、それは誰しも数日に渡る発熱を即時的に得られるものではないが、向精神薬由来症例、そして他の中枢神経系症状、及び末梢神経系症状にも1つの希望になるのではないかと思われるし、改めて述べれば、このような持続的な血管拡張を示唆する身体状態を意図的に作り上げる事で症状改善へ運ぶ事が出来るのならば、現行のCOXを阻害するような行為が如何に回復遅延を招いているかも見えてくる。

人間は理由があって何かしかのタイミングで熱を帯び、放熱する為に血管拡張を引き起こし、副産物的なれど罹患部位に対して栄養を送るのであれば、無作為に熱を下げるのも時として良くない事なのかもしれない。

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