藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

慰安は秘めた甘えと妥協と依存を抽出する


参考関連

人間は付加価値に意義を求めた時点で弱体化する生き物です。その為、治療と慰安は全く別のカテゴリで動くべきであり、同一時間内に混在させる必要性は皆無且つ、慰安の求めは治療作用を弱める働きを知ります。人は慰安に走りたがるものです。それは何故でしょうか。術者が患者に対して都合の悪い面を隠す事が慰安に繋がるからです。人は事実に目を向けると苦しくなります。事実から目を背けていれば、現実から逃げる事が出来るからです。患者の好き勝手にさせる事も慰安です。慰安とは妥協です。患者の自己正当化を受容してしまう事です。人間は誰しも何処かに依存心を秘めています。そのような潜在的に秘めた甘えや妥協を抽出してしまい、表在化、強大化させてしまいます。それが治療に繋がる事はありません。
 
仮に患者の症状を他者に分散、分配出来るのだとしたら幾らでも妥協でも甘えでも抽出させても問題ありません。皆して責任逃れと痛み分けをしましょう。しかしながら、患者自身から発せられる痛みは誰にも分け与える事は出来ません。そうなると、変わらなければならないのは患者自身であり、患者自身が変わらなければ何も変わらないのです。勿論、私も患者の痛みは分かりません。痛みを分かったフリなんて出来ません。痛みを分かったフリをして患者に接する人間は詐欺師であると捉えています。故に、あくまで患者から貰った種々情報から病態を読み取り、針という形で落とし込んでいるだけに過ぎません。
 
患者が慰安を求め、術者も乗ってしまえば術者も弱くなります。最悪の悪循環です。「患者にとって都合の悪い事は言えないな」「言葉1つで気分を悪くするんじゃないかな」。そんな事を考えている内は患者を治す事は出来ません。術者が弱気になっても仕方ありません。付加価値、それはサービス的要素と言葉を代えても良いかもしれません。治療内容にサービスを落とし込む事で作用が急激に弱くなってしまう事が現実となった場合、患者にとっては不利益となり、術者の成長は止まり、双方にとってのメリットは生まれなくなります。
【勉強会開催から約1ヶ月経ちました。治療内容を文字に起こしたり、同業の方に治療を見てもらう、受けてもらう、聞いてもらうという貴重な機会を得る事ができ、改めて感謝しております。針師1人取り上げても、患者に対しての見立ても違えば針の刺し方も全て違います。色々な見解の上で摺り合わせをしながら、皆して発展出来る事を切に願うと同時に、これからの少子高齢化に伴う高齢疾患患者の増加に対しても、薬物を用いず、強力な作用を持つ針治療の評価は高まり続けると思います。年寄りは既に訳の分からん理由で薬漬け且つ年寄りしかいなくなる時代です。「歳だから」は通用しない時代に入ります。
 
どうも同じような業界に入り浸っていると曖昧になってしまう点があります。それは「治療」と「慰安」が混在しがち、且つ、患者に対して充足感、満足感を針治療で補充してしまう節が出てしまいます。それを今一度引き締めていかなければならない事をヒシヒシと感じます。
 
後述しますが、患者が針師に求めているのは「3分診察」だの「保険治療の問題」の心理面での埋め合わせではありません。何故、そのような愚痴めいた発言が患者から出るかと言えば、効果が伴わないからに過ぎません。効果が出ていれば、そのような発言もないはずです。治療も3分で終われば患者負担は少ないですし、保険治療で済めばそれに越した事はありません。しかし、現実はそうはいかないケースも多くあります。その部分を患者は抽出し、3分だから治らない、保険内だから治らないと誤解釈されている場面も多く、且つ曲解的理解が招く弊害は予想以上に多く、それだったら極端に短い時間で低コストで治す事が、現状のサービス的要素を多く求む患者ニーズに対してのアンチな姿勢を示せると共に、将来的には双方に価値が生まれるものだと思います。治療に満足感や充足感というものは必要ありません。慰安を付加価値として付け加える院も多く存在するかもしれませんが、外的刺激に慰安を介入させてしまう事で、作用が落ちてしまう事を検証し続け幾つか分かってきました。それは術者側から治癒遅延を招きかねない状況も無意識の内に形成してしまい、早期回復を望む患者にとっての不利益に繋がる。それだけは決して行ってはいけない事であると思い、今現在も検証し続けています。
 
再度考えますが、患者視点の「治す」「治る」「治る為の行動」とはどのような意味や理由付けがあって、それらの行為に至るのでしょうか。こればかりは本人でないので分かりませんが、最も多いケースとして「痛み止め飲んで湿布を貼って針も受ければ治るだろう」が挙げられます。急性憎悪期ならまだしも、もしそうだとしたら、完全に間違えています。健康は医療をプラスしても得られません。医療をプラスさせて生じる事態は健康被害のリスク高度化と患者コストの増大です。「薬を飲んでも湿布を貼っても治らないから針に来た」も違います。薬を飲み続け、湿布を貼り続けているから治らないという事を、針治療を受ける前に使用薬物の添付文書を読み、薬理作用を知れば、現症状とマッチングしていない事を患者自身が知る事が出来ますし、症状改善に至らない理由が分かります。医者の言うことよりも(痛いって病院行きゃ湿布と痛み止めなんて発症時期や状況問わず処方されるのが大半なんですから)、自身が薬を飲んで湿布を貼って体感しているのですから、医者に聞くのではなく自分の身体に聞けば良いのです。患者自身が進んで学んだ知識は将来に渡る取捨選択が可能となり、大きな価値が生まれます。そうしたら、今度は針治療の作用を調べれば良いのです。針を体内に刺入すれば、どのような生理学的現象が生じるか。それは、湿布や薬と真逆の作用を示している事に気づく事が出来るはずです。もっと単純な判定の仕方で良ければ、「針で治った」「針で良くなった「針で改善した」。それを逆説的な見方をすれば、自身の過去の経緯に誤りを見つける事も出来るのです。
  
勉強会が終わった後の飲み会でも話題になった内容で、先程の続きになりますが、来院患者は「医者は3分診察だ」とか「整骨院は15分で終わる」だとか云々かんぬんという愚痴めいた話しをするというケースが多いという事に対しての側面には、仮に3分だとしても15分だとしても、結果が付いて来ていれば、そのような愚痴を患者は吐かないのです。そこに患者は何を求めているのか。長時間型の治療スタイルを求めているのか。沢山話しを聞いてくれる事を求めているのか。強い薬を沢山出せば良いのか。患者に言われた通りの薬を出せば良いのか。患者を「患者さま」なんて言えば嬉しいのか。全て違います。長時間型の治療も沢山話しを聞く事も治療ではありません。患者がそこに価値を求めているのであれば、それは治療を求めているのではなく慰安を求めている証拠であり、甘えを抽出された患者は依存する。患者の話しを長時間聞いても患者の症状が消える訳ではありません。「聞いてもらって気持ちが楽になる」のであれば、それは術者でなくても良い訳です。
 
では針灸という業界にスポットを当ててみます。実は、これらの患者の他医療機関に対しての愚痴めいた事に対して穴埋めし、依存を高めている側面がある事を一般患者は知らなければなりません。痛いところを摩ってもらう、揉んでもらう、話しを沢山聞いてもらう、長時間型の治療を設ける。勿論、問診の際には必要最低限な聴取事項はあるかもしれませんが、患者がその術中にハマっているのは残念でならない部分でもあります。治療の価値は結果が付いてくれば時間の長短は関係ないですし、寧ろ短時間で結果が出るのであれば、それに越した事はありません。故に、結果が出ない事を短時間に理由付けされてしまっている現状に関して、医者であれ柔整であれ針灸であれ、結果がすべてであるのです。針治療も5分で終われば患者も楽でしょう。それは「治療」と「リフレッシュ」の違いであり、「治療」と「リフレッシュ」は混在させてはいけません。
 
何故作用が落ちるかと言うのはSteal Syndromeの疾患概念を逆視点から考察する針治療でも僅かに触れてはいますが、処置する事により患者自身の代謝能力の分散化、それは当該患部(本当に栄養を供給したい箇所に対しての供給量減少)及び、処置時に於ける患者疲労が生じ、治療後の倦怠感等々が高リスクで発生する懸念が生まれます。例えば右下肢が痛いとした場合、どっかの治療院は「全身のバランスを取りましょう」と告げ、右下肢に対しての処置のみならず、全身をどうにかしようと試みる。それは私にとって必要のない事です。右下肢の症状に対してさえ処置してしまえば、全身のバランスなんて患者が生活内で自然に取ってくれるようになるものです。しかしながら、何故そのような手段を取る術者もいるのかというのも今後検証していかなければなりません。過去に全身のバランスを取る手段を行った事で改善した患者がいたから他の患者にも落とし込んでいるだけなのか。それとも、時間売の院の為、単下肢のみという症状故、時間が持て余す為に行うのか、それとも、よく分からないからマニュアル通りに全身に手を加えているのか。
 
「手当て」の原点はリフレッシュ作用にあるでしょうから(セルフで出来る範囲に関してはリフレッシュ作用を求む位が限界です。仮に自分で足に針を刺せたところで、下腿に針を刺すのもリフレッシュにしかなりません。その理由は後述)リフレッシュ作用を批判する事はもちろんありませんが、リフレッシュで良ければ患者個々人で幾らでも出来ます。風呂に入るも良し、自分で痛い部位を摩るも良し、自分の力で揉む位であれば極端に強い力は入れられないでしょうから筋損傷の確率も低いでしょう。異論反論は絶対にあると思いますが、それらはセルフで出来る以上、外科的侵襲能力を持つ治療手段以外はリフレッシュ作用しか求められない間接的な手段でしかありません。言い方を変えれば、遠回りな手段です。
 
何処かの外科医が「早い 安い うまい」が良いと言ってたように、針治療も同様です。「治療=結果ありき」であり、「治療=治療時間内の充足感、満足感」ではありません。では、最大限の結果を出しながら針治療での速度向上を求む場合はどうすれば良いのかを考察しなければなりません。それには治療技術の向上が絶対になってきます。今までの治療内容に関しては「1)当該患部の栄養支配領域の確保」「2)症状発症部位の神経支配領域の確保」「3)発症患部に於ける疼痛等より発生したと推測される交感神経系の亢進による血管収縮箇所の開放」「4)kinetic chainを基礎とする維持・確保を望む広域な刺針箇所の選定」の4つを1回毎の治療に落とし込んでいました。この4つの中、半分はリフレッシュ作用を求めているもので、それが「3)と4) 以下B」になります。臨床現場では「1)と2)の為の補助的なもの」という言葉を選んで用いていましたが、敢えてこれを削る事により、「1)と2) 以下A」に対しての作用が高まり、全体としての効果が向上したと共に、治療時間の短縮が実現化しました。この事により術者患者共に治療時の疲労は激減したと思います。A及びBの刺針部位の割合を大凡ですが計算してみたところ、Aが2だとした場合、Bは5~6になりました。その割合の差は非常に大きく、Bに刺針時間が取られていた訳であり、Bの割合が大きいという事は、患者の治療時に於ける疲労や負担、ストレスはBに大きく取られていた事を意味します。それをAのみに絞る事でメリットが生じてくる理屈になります。
 
臨床結果の状況から鑑みても今後はAのみの治療スタンスでいくでしょう。結果が伴い、且つ、Bの要素を落とし込むよりも作用が上がるのであれば否定する理由はありません。Aに関して直接的な処置能力を持つ治療手段というのは針治療位しかなく(指で届くような距離や場所ではない)、針治療だからこそ出来る事になります。その結果、確実性や再現性のある治療も容易となり、良い意味でシステマティックな理論構築が可能となり症例毎に対してのデータを取りやすくなるというメリットも出ます。その事で更に針治療の意義や価値は底上げされる事になるでしょう。但し簡単に言ってしまえば、この観点を用いる場合、患者の既成概念のみならず、術者の過去から構築した概念さえ破壊しなければ成立しないという事にも繋がり、今までの学びが否定、破壊される瞬間というのは自己を全否定される事と同義であり、屈辱的なものでもあるでしょう。しかしながら踏み込んだ一歩を考察すれば、もう一歩先の新たな概念を示す事が出来る治療構築も可能になりそうです。
 
凡ゆる医療機関を巡っても抵抗性を示す難治例症状に対峙するにあたっては急激にハードルは高くなっているものです。何故、肩叩き程度で改善しなくなったのか、何故、薬物を服薬する迄に至ったのか、何故、効かぬと承知の上で服薬し続けるのか、何故、危険性を承知の上で現症状とマッチングしない薬物を飲み続けるのか、何故、要らないと言っても取り入れるのか、不安だからなのか、飲んでいるから今の状態を維持出来ていると考えているからか、誰かに言われたからか、自分で調べたか、自分で考えたか、自分の身体まで世間体に合わせていないか、都合の悪い情報も全て目を背けずに取り入れる事が出来たか。考え尽くせばキリはありませんが、葉っぱばかり切り取るような手段をしていても何れ症状が強大化していくのは全ての疾患で同様な事です。葉っぱばかり切り取る手段を用い続けても耐性が獲得されるだけでメリットはありません。いわゆる、対処療法、姑息的療法と呼称される手段の事です。根っこを切れる思考性と指向性を持てるか。大切な部分です。
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  ~針治療から病態定義の見直しを~