藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

世界一の外科医に会う


某日 都内 焼肉屋にて
 
「藤原くん、若いんだからカルビ食べて」
 
「ありがとう御座います…先生、これ(とある疾患の治効理論を纏めた文書)読んでくれませんか?」
 
 
 
 
「これって(結局のとこ)○○理論じゃね?」
 
「がびーん!!!(○○理論の限界を2~3枚破ったと思った考察だったのに)」
 
理念、知識、技術、姿勢、情熱、実績、世界一の外科医に瞬殺され、その時に幾つかの課題を命じられました。
さてさてどうなるか、道は果てしない。決意表明と自身の成長の為にも、恥はブログに残しておきます。

 

何かしかの症状が生じた場合、症状の内容や状態よりも発症原因の探求が一般的であると思う。突然、上肢や下肢に激痛が生じたら、身体内部の異常を探求したいという欲は、願望を満たす1つの行為でもあり、原因さえ分かれば、その原因に対して処置を施す事で何とかなるだろうと思案するのも、また一般的な思考であると思う。それを咎める理由や権利は誰にもないし、且つ、事前検査が済んでいれば患者から得られる情報の価値は高くなる為、「~だろう」的な不安感も術者側には生じにくい。しかしながら、それで全ての不安が拭えたとは言い切れないのが人間の難しいところでもある。もしかしたら私達は一般の人に比べれば、各種疾患に対してのデータや症例を多く保有しているかもしれない。それは、現代医療が施す治療内容や治療成績、中長期に渡る症状の経過、再発率、そして調べようと思えば、これらのデータの嘘まで追う事は出来る。しかし私達は、そのデータがあるからと患者が直接的に納得する材料には結びつかないという事も認識しなければならず、仮に針治療なり何なりで効果が生じたとしても、不安の払拭に繋がるかと言えば、全てがそうでもないかもしれない。簡単な例を挙げると、針治療で中長期的に腰下肢痛が皆無になったからと言って、椎間板ヘルニアという器質的異常の事実を抱えている以上、常に私達の言葉を信じていない場合もあるという事である。
 
それはもしかしたら、他の保存的治療で改善した患者群であったとしても、同様な不安を抱えているかもしれない。器質的異常を抱えている以上、またいつか爆発するかもしれないという恐怖に怯えているかもしれない。強烈な痛みはトラウマとなる。不安は不安を助長し、周囲を巻き込んでいるかもしれない。乳がんを発症する前に乳房を切り落とす女性のように、無症候にも関わらず、脊椎変性疾患に対して、患者意志で手術をするかもしれない。多くの疾患に関しては、「良くなればそれでOK」という思考ではない人も沢山いるのではないかと言うのを感じる。考え過ぎと言われればそれまでかもしれないが、針治療というのは仮に症状が消滅したとしても疑心暗鬼に思われる世界がある事を知った。では、何故症状が消滅したとしても不安に思い続ける患者が存在するのかを考え、これらの思考を持つ患者に対しての対策を練らなければならない。ここを突破しなければ、治したという実績は積み上げても信頼は積み上がらないと思う。
 
1)疾病利得やそれに類似する背景を抱えている患者、2)治る症状にも関わらず患者意志(もしくは身近な人間の伝達により)で治る事を諦めている患者と諦めさせている患者家族、3)治るという意味を履き違えている患者の3群は、そもそも針治療をチョイスする確率は低いと思われるが、知っていても損はない事がある。何故ならば、受療確率は低くとも仮に受療した場合、積極的治療が施される事で場を乱される可能性があるからだ。場を乱されるというよりも、自ら治そうという気持ちが伴わなければ治らないのが現代医学が真の力を発揮する領域外の疾患であり、且つ領域外疾患は多方の患者に発生する事象であり、事前に既知してもらう事で治癒速度に直結する事を知ってもらわなければならない。その為の予防線を【針治療を受けられる方々へ】 【適応症・諸注意】で張っている。
 
似た話しを某人としていたら同じだと笑っていたが、現実は何処もそんなものであり、積極的治療を施す側は常に真実と深みを追いかけ続ける為、患者が保持する治癒意識や疾患概念との温度差が掛け離れてくる。仮に症状の消滅が生じたとしても患者は逆に不思議がり不安がる。こちら側にとっては当たり前の治効理論も、人は未知の時間が生じた場合、不安になる。それが既成概念を打ち破り続ける積極的治療の功罪である。そして脊椎外科医は、脊椎変性疾患という所見が保存的治療で症状が消滅すると立場的にマズイようだ。一体何の話しかと言えば、患者依存の医療以前に、名誉欲や権威欲が渦巻き、患者の治癒を邪魔しているのである。私はどんな診断名が付いていたとしても、どんな薬を飲んでいたとしても、その事自体を問題とは思っていない。診断名が付くのは、何かしかの症状を抱えて病院にでも行けば得るものであるし、処方される。問題なのは、事実から生じる事実は幾ら目を背けても事実として生じる事実がある事を知ってもらわなければステップが踏めないのも又事実なのである。これらの事情を患者が既知しての事なら話しは早い。
 
では、既知していない場合はどうするか。ここが問題なのだが、各種領域によっては同一疾患に対しても、病態の概念が全く異なるのが障壁となる。只、恐らく病態の概念は統一される事はないと思うし、ここまで医療が発達したのは統一されなかった(できなかった)からこそなのかもしれない。そのように考えると、患者が仮に何かしかの症状を呈した場合、患者自身の疾患に対しての分析や認識と、術者(もしくは教科書)が提示している分析や認識がリンクして、症状が改善するか否かは別として、初めて治療というステージに上がる。
 
さて、前置きが長くなったが、現代医学は救急救命感染症と産科で力を発揮する分野であり、異論はないと思う。ではそれ以外の分野は如何だろうか。元も子もない話しをすれば、全ては患者依存で生じる疾患になる。患者依存で生じる疾患という事は予防が可能である。予防が可能であるという事は自己の生活態度で如何様にも制御出来る事を意味し、自己の生活態度で如何様にも悪くする事も出来れば良くする事も出来る。
 
では、その諸症状の発生源となる根が何かを知れば良いだけの話しであり、一生治らないような悍ましい病名が付いていたとしても、発症時期や発症状況、発症患部、発症部位に偶然居合わせた神経や血管走行によって各々異なる症状を呈しているだけなのではないかと言うのを、針治療という手段「しか」していなければよく分かる(勿論、壊滅的に不可逆化変性した細胞等は難しいが)。ここを一歩一歩各論的に論じていけば、今後の積極的保存治療にカテゴリを置く針治療の価値や意義は一気に伸びていくはずである。そこでブチ当たったのが向精神薬の反応により(敢えて作用や副作用とは書かない)中枢神経系の諸症状を呈し続ける患者群との対峙であり、様々な既成概念により招かれる治癒遅延の問題なのではないかと言うのがデータを取り続けていれば見えてくる。前も書いたかもしれないが、針治療で早期回復、早期社会復帰が得られる患者群というのは、切った張ったを繰り返され、後が無い患者である。少しでも手術や薬で何とかなるという余地思考が在る場合、自助努力が伴わない。医療という壁が余りにも巨大で美しく寄り掛かりたくなる存在に見えるのかもしれない。どうしたもんだか、医療というのは改めて恐ろしい世界である。
 
そう言えば日本は大きく揺れているようで、同じ道を歩まない事を切に願うばかりである。

医学はさまざまな学問の中、もっとも保守的な学問の一つ。それは人の体を扱う上で、間違った知識がはびこると人の命に悪影響を及ぼしてしまう。そういった責任があるがゆえに検証につぐ検証を行ってからでないと新しい知見が認められないからだ。だから学問自体が既成事実を重要視する→過去の学説にとらわれて学問が大胆に発展していかないとなる。だから医療の進歩は工学や機械学などに比べると非常に遅い。また、医療の進歩が遅い理由は保険制度にある。保険制度が認めている治療以外の治療は「保険外扱い」となり、高い実費がかかる。また、保険外の治療で患者に悪いことが起きれば、その責任は治療を行った者がとらなければならない。
 
新しい治療には常にリスクが伴うが、そのリスクまで背負わされてしまうため医師は新しい治療をしたくてもできないというジレンマに追い込まれる。さらに保険外の新しい治療を行うことで医師会や学会で異端児扱いされてしまうこともある。よって新治療を行う医師は四面楚歌となり孤立してしまいやすい。ただし、四面楚歌にならずに済む方法が一つだけある。それは教授という地位に就き、権力を身につけること。そうすれば新しい治療を誰にも責められない。だが、このような状況では、新治療は教授しか開発できないということになり、一般の医師がそこに加わることができないだけに医学はなかなか進歩しない。教授の数は医師の数の百分の1くらいしかいないのだから。
 
教授でもない一般の医師が新治療を患者に試したいのなら命をかけなければならない。わが身を崖っぷちに立たせ、患者に何かが起これば全て責任をとる、つまり医師生命をかけて治療にあたる必要がある。そんな極まった精神で医療に従事している一般医師は、もちろんほとんどいない。よって医学は保守的にならざるを得ない。
 
だが、少し考えればわかるが、斬新な治療、大胆な新手術などは必ず誰かが発明する。発明した医師は保険外のことを行い、責任をとり、崖っぷちに身を立たせている。もちろん失敗もあるが、そうやって医学を前に進めている。必ず誰かがやっている。その誰かにあなた自身がなってほしい。世界中の医師一人一人が少しでも前に進めた医療を自分の手で推し進めてくれればどれほど素晴らしい世界となるか。そうでなければ医療は本当に進まない。
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  ~針治療から病態定義の見直しを~