藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

一人一人の想い 2


引き続きアンケートと協力患者を募っています。宜しくお願いします。

        
             


精神科は鬱の人を食い物にしている。
自分は一等地に住んで、そのために鬱の人をどんどん鬱にしてずっと依存させる。
そしてやがて死ぬ。私も行ったが薬飲んでから普通じゃない脳の状態になった。
精神科は死への登竜門だと思った方がいい。治った人だって聞いたことない。

二分割思考と呼びますが、0か100かで物事を判断するのはなんにつけても
健康を害する考え方ですそもそも「お医者さんが言ったから正しい」と考えるのも極端です
お医者さんだって人間です 会社でも業務以外に勉強をする人もいれば飲みに行く人もいますですが、
このような現状があるのは事実です 日本の精神医療は大変遅れています
しかし少ないですが全体の在り方をなんとかするために努力している人もいますので 
どうか結果についても極端に考えぬよう 本当に健康な心理状態の大人は
人にいちいち腹を立てたりなにか言われて傷付きません
 
病院に通う人だけが差別されるべきではないのです
うつ病になると本人に問題は発生しますが、原点はそこではないので なによりも、
皆さんご自分の感情を大事にしてください自分の意思はなによりも大切です
困難に出会った時、他者を責めることで乗り越えようとする お医者さんが言っても、
テレビでそういっていても、雑誌に書いてあっても、みんながそうであっても、一般的にそうであっても
 
最後に行動する決断は全ての人が己自身でしている それが自己責任において生きる大人です
何かのせいにした瞬間、人間は自分の成長を犠牲にします
人の期待より自分の期待に応えるため自分の感情や意志を大切に生きましょう
周囲の期待に応えようと大変我慢されてきたことと思います
人の世に、絶対などというものを求めぬことです

大多数の医者なんてものは免許さえ取ってしまえばあとは、
適当なもので眠れないと言えば睡眠薬をだすし、不安といえば抗不安薬
気分がふさぐと言えば抗鬱薬、おかしくなったといえば向精神薬といった具合に流れ作業的に
処方をする方が多いです。症状に応じて薬を出すのはいいですが、患者本来の苦しみは理解できません。
なぜなら自分で体験したわけではないから。机上の勉強で、そんな感じなのかなと憶測で診ているだけです。
自殺企図など思ったこともないはずです。
大学病院などの研究に熱心で少しでも患者の痛みを理解しようとする医者もいますが、
そういった方にめぐり合う確率は相当低いでしょう
医者が信じられなくなったら代えることやセカンドオピニオンも考えなければいけないでしょうね。
医者を丸っきり信用することなく、疑ってみることも必要です。
医者だって人間なのですから楽なほう、楽な方へと進みます。

処方されても飲まなければいい話で医者だって商売で薬で完治するなら苦労しないと思ってる

精神障害者の母を持つ者です。父も最近精神病院に入院しました。
薬は本当に怖い物です。両親2人を見ているのでわかります。
精神医療の薬は100害あって1利くらいのものです。できれば薬にはたよらないでほしい。
覚せい剤となんら変わりないです。本当に怖いものですよ。これは薬を飲んだ人にしかわからない・・・

精神科の元々の起源というのは政治犯や国家反逆者を薬物等を用いて廃人にする為の医学だった、、
という話を聞いた事がありますが恐ろしいものですね。
向精神薬が人間の思考をロックさせるというのは充分あり得る話だと思いました。

精神科はもともと授業中いきなり叫んだりそう言う人が行くところ
健康な人が行くところではない現代の精神科の勧めは間違ってると思う。
精神科は相談室ではないし、薬しか出せないのは当たり前。

精神治療薬は対症療法で、根本原因を直すものではない。
さらに無理やり気持ちをコントロールするため副作用がある。このあたりを医者はきちんと説明すべきだろう。
症状に対しすぐに薬に頼る患者側に問題がないとは言えないが、
説明責任を果たさない医者側にも問題はあると感じる。

30歳代に不眠症で悩んだ末に脳神経科医師に掛かりその医師が紹介状を書いてくれて
精神内科医の問診を受けて向精神薬を複数、処方された。数週間、食後と寝る前に飲んで・・・
そのうちに心身の違和感に気がついて、飲むのを絶った。その医師に掛かることも止めた。
残った薬は、誰のなんの役にもたちそうにないので捨ててしまったと記憶している。飲み続けないで良かった。と、今では当時の判断が間違いではなかったと確信している。20年以上前の昔話。

調剤が院外で行われるようになって以来、投薬量が爆発的に増えていますね。
特に、薬剤治療が主流の精神内科だと、、友人の精神科の医師が普段持ち歩く薬剤を
見せてもらいましたがアタッシュケース一杯になる種類がありました。これは異常だと思います。
過去には、試供品という名目で薬剤が病院に渡されるケースもあり、
試供品(無料)を保険適応で処方すれば丸儲けという裏事情もあるかと思います。

精神安定剤は、依存力のある薬です。一度に決められた量を超えると簡単に依存してしまいます。
現に俺がそうでした。精神安定剤を服用していた時期にはほんとにどうしようもなくて仕方なかった。
学校も行けなかったし、外にすら出られなかった。
本当に必要なのは、精神安定剤などの薬ではなく自分を支えてくれる人だと(^-^)

飲まなきゃ良い話じゃね?飲む薬が多いとはいえ、飲まなきゃいけないし、
そもそも40,50そこらで人は死ねないし。なんでそう、自分のしたことを顧みないのかな。そして人のせいにする。

薬が危険なのではなく、飲みすぎが危険ということ。
金儲けでやってる医者もいればそうじゃない医者もいる。
一番大事なのは、薬だけに頼るのではなく、人間の心と心を使った治療が大事ということ。
精神科の全てが悪であると思われるのは寂しいです。

精神薬は実態はシャブと同じです何も治しません。
シャブ中の方に見られる症状が当然の様に起こります。
たとえタイトルに権利書と書いてあってもその中身が権利を保証する物で無ければそれは紙です、
薬も同じで抗〜剤、〜治療薬等書いてあったとしても中身が毒ならそれは毒なのに......
「効かずとは思えども、人に与えし薬 我も飲む」

私は以前精神科で介護をしていました。それまでは、医療業界を全面的に信頼していました。
内部でやっていることは、医療行為という名前に守られた、殺人行為、廃人育成行為です。
薬をのむことによって失禁する30代女性など、明らかに働き盛りの年代の人たちが、
老人のようにもうろうと入院生活を送っていました。ナースも医師も、介護スタッフも、
自分たちは良いことをしているのだと思っているようですが・・。
 
何も知らずに働いている人も確かにいました。
しかし、明らかに気付いていて見て見ぬふりをしている人もいました。
そして私は人間という生き物の愚かさを知りました。お金のため、生活のために、廃人をつくる精神科。
そしてそれを支援する国。まったく奇妙なことに、薬物依存者を増やす行為が医療として
まかり通っているのです。要するに、薬は金になるのです。多くの人が真実に気づきますように。

薬剤師です。数十年前大学出たてで、こういう処方箋とにらめっこしていました。
いつもそんなもんだと慣れてしまうから怖かったですね。
余談ですが、薬剤師自身に間違いも増えるんです。
それで間違うと、人間のくず扱いの罵倒が飛びます。落ち込んでも落ち込んでも、
一番弱いのを1錠くすねて、それで済んだからラッキーでした。
ただ、手も顔もぼろぼろに荒れました。コンタクトレンズが使用できなくなりました。
それでも、しっかりして認められるように頑張るんだ、と、
『石の上にも三年』という言葉通り、3年間勤めました。
今考えると、そういう患者さんの消化器さえもぼろぼろにするものを、
3年間も作り続けていたということです。どちらの意味でも、とても苦しい思い出です。

「自分なんて死んでしまえばいい」と思っている人がいるのって悲しいよね。
死んでしまえばいい=自殺、または自殺未遂って。
僕は中学3年生でまだまだ若いからそういうことはわからないかもしれないけど、
自らの命を絶つことより悲しいことってないよね。
自分が今通ってる学校で20年ぐらい前に自殺した子がいるって話を聞いたけど、
その子はうつとは違うけど、酷いいじめで自らの命を絶ったのではないか。
いじめに屈しない心を持てなかったのか。僕はそう思っている。
死んでしまっては意味がないとも思う。せっかく親が産んでくれて、
育ててくれた自分の命を自らたってしまうのは必死に育ててくれた親への一番の裏切りである。
自分の命は大切にしなければいけないと思う。

自殺を考えている人たちに言いたいことがあります。
死んでから後の、両親の悲しみを考えたことがあるのですか?
あなたが生まれた時、どれほど祝福され、喜ばれたことでしょう?
友達がいないとか、虐められてるとか、女の子に振られたとか、理由はいくつもあるでしょうけど、
克服すれば良い思い出に変わります。見ることができ、聞くことができ、話すことができ、手も足もあるのなら、
そのことに感謝できたなら、いくらでも人生は再建できます。
できないと思ってるのは、弱い自分を愛しているからだと思います。
死のう、なんて考えるより、生きたくても生きられない人のことを考えて、
どれ程自分が恵まれているのかということを、思い返して下さい。
どんな些細なことでも、少しでも世の中に貢献しようと考えて下さい。
死んで後、魂があると気づいて後悔したって、遅いのですよ。

 
家族の大切さ

あなたにもきっと家族がいるだろう。
今一緒に住んでいる家族がいるだろう。
子どもが生まれてから私たちはいつも家族だった。
家族ではケンカはつきものである。
しかしそんなやり取りが家族のふれあいでもあるのだ。

家族が病気になる人がいる。
私は心配して家族に声をかけるが家族はだいたい大丈夫だという。...

でも実際は大丈夫じゃなく病院に行くことになる。
病院ではよくなる気配がなくていろいろ点滴される。
副作用が辛そうだ。
でもそれでもよくなるならと思って応援するがそれは正しかったか

今の人たちは常に病気というモノと闘っている気がする。
でも昔はそんなに病気ばっかりだっただろうかとふと思い出す。
家族は病気になって闘っているが一向に良くなる気配がない。
そのうち医者たちはもう治らないということを告げてくる。
さすがにおかしいと調べてみると医療のおかしさにぶつかっていく

見舞いは行くがそもそもこんなところにいていいのだろうかと思う
入院する前の方が元気だったと思うのだがそれは素人判断なのか。
家族は何となく自分の死期を悟っているようにも見える。
でもまだ死にたくないなといっているようにも見える。
それをみて絶対よくなるよなんて言葉をかけることはできなかった

帰る途中になんとなく涙が出た。
自分たちは何か間違ったことをしているんじゃないかと思った。
でもすぐに打ち消してしまった。
その時の思いを大事にしていればこんなことにはならなかったのに
自分は何も知らなかったし考えなかったのだと痛切に突きつけられた。

病院に行く前の方が元気だったと思う。
人が死ぬということはわかるし否定はしない。
あれは本当に治療だったのだろうか。
それが違うものだということをあとになって知ってしまった。
家族にはありがとうとごめんなさいといいたい。
 
でも私はその罪の重さを背負って生きていかないといけないのだ。

   
 
      
      
     
 

【電話】 0173-74-9045 又は 050-1088-2488
                             (携帯 090-3983-1921 Cメール可)
【診療時間】 7:00~21:00 時間外対応可
【休診日】 なし 土・日・祝祭日も診療しています
【PCメール  
fujiwaranohari@tbz.t-com.ne.jp お返事には数日要する場合も御座います

  ~針治療から病態定義の見直しを~