藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

「後がない」とは、どのような事なのかを考える

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治療の医学とは確証性が取れない分、幾らRCTやダブルブラインドを用いても、特に外的刺激で結果を求む事が中心となる代替医療に関しては、これ程迄に様々な見解が飛び交うのは致し方ない部分でもあるのだが、薬物治療とてプラセボと比較してのデータを見る限り、
一体この業界は何なのかと悲しくもなり、この程度のVAS値変動で国に承認されるのだとしたら、代替医療のVAS値変動なんて国どころか世界が承認してくれるのではないかと愚痴を言いたいところでもあるのだが、取り敢えずは日本と言う国以外では、この代替医療が積極的に取り込まれている現状を見る限り、日本という狭い視点で見ればガッカリするが、世界という視点で見れば希望があるものだ。
「医療は権威や利権が絡んで白も黒に変えられる世界でホゲ~」と騒いでいる人たちも多いとは思うし、もしかしたらそれも事実なのかもしれないが、それは、そのような視点でスポットを捉えてピックアップした場合、そのような意見が中心となってしまうだけの事であり、
その医療の権威や利権と言うのも全く知らずに、製薬メーカーから教え込まれたベネフィットをそのまま患者に素通しして処方している場合だって当たり前のようにあるだろうし、一生懸命、本気で治そうと薬漬けにしている人もいるだろう。だから、その人達にとっては反対意見を唱えたところで「何を言っているの?」としか思われないのも、極自然な事である。
例えば、そのような事に対して、私が間違えた方向に情熱が向いていると説いたところで、本人は本気なのだから変えようがない。治らないなぁと思いながらも薬を取っ替え引っ替えしている内に多剤に陥り、且つ、患者も「そうなんだ」「そんなもんなんだ」と納得している場合は、他に目を向ける事もなく、薬漬けになっているところだろう。
本人にとってはそういうのがそういう病気であり、そういう治療なのだから、治らないのも、そういう病気なのだ。それは、その2人の世界で納得した上で時間が進んでいるだけに過ぎないのだから、別にそこには治す治らないとか、何だとかと言う世界は既にない。
だから、別にそう言う話は個人的にはもう良いし、薬が危険だの、やってはいけない手術だの、何だのかんだのと言う話は、既に誰かが情報を上げているから適当にピックアップするのが一番早いのかもしれないが、それすらも、結局は上げた人間が誰によるか、そのバックグラウンドが何であるかで、
仮にも反精神医療、反向精神薬だとしても、発信者によって微妙に考え方も異なる。言わされている人間も多くいると言う事だ。と言う事は、結局、患者はその時々の意識下に於いて、良くも悪くも自身に都合の良い情報を呈示している人間のところに靡くだけであり、それも又、全然不思議な事でもない。
故に、別にどうでも良い話でもあるのだが、情報を集めるのは簡単だし、特に何かしかの症状に困っている場合は、様々な情報も輝いて見えるだけのことだし、その情報に沿うか沿わないかも、その時々の自身の過去の経験や勘によって取捨し、選択しているものである。
一般道を200キロ出して運転したら危ないだろう。それは、相応の過去からの教えがあったからであり、既知しているからである。しかし、向精神薬を飲む事は安全なのだろうか、と言う問題である。スピードを200キロ出す事は危険だと「知っている」から出さないのであり、向精神薬は危険だと「知らない」から飲んでいるだけに過ぎない。
結局、その程度のものと言えば、その程度のもので、それ以上でもそれ以下でもなく、難しい話でもない。要は患者自身が知っているか知らないかだけの差なのである。
200キロを出して大怪我したら今後は気をつけるだろう。向精神薬でエラい目に遭ったら今後は気をつけるだろう。勿論、当時の快楽を忘れらない人間は1度や2度では懲りないかもしれないが、そのように、多くの人間は実際に自身の体験が刷り込まれない限り気を付けない生き物でもある事から、事前に有する知識と言うのが大切であり、それが予防とはなるのだが、それすらもやはり、自身が1度は具合が悪くならない限り分からないものである。
と言う訳で、そのような患者しか来ない訳なのだが、そのような後のない患者から回復していくのも事実であり、上記文面の意図が分からないと、いつまで経っても治らないと言う意図も分かるのではないだろうか。

随分と諦めさせ屋は多い。医者が患者を諦めさせ、家族が患者を諦めさせ、自身が自身を諦めさせる。
そのような消極的思考に陥るのも、もしかしたら年齢と言うのもあるのかもしれない。自身の年齢と現在の環境から、別に「治らなくても良いや」となるのは、大体、高齢層なのではないかと思う。
そもそも、自分の身体なんて短期的にも中長期的にも日常生活や仕事に差し障りがない以上、治そうとは思わないものである事から、競技者のように日々背水の陣で結果を出し続けなければ後がないと既知している人間から積極的に治療に対して向き合うのも、また自然な事である。
患者を諦めさせて金の入る職業と言うのは随分と楽な仕事に見えるかもしれないが、そんな生き方をして、そして、患者にもそんな生き方をさせて、さて自身の人生は満足しているのだろうかと言う点からも考えれば、幾らそれが「保険上の問題で~」とか、「1人何分以内で回さなければ~」なんて言葉は全て言い訳にしか聞こえてこない。
痛い患者を諦めさせて薬を出す。薬を出して治らない患者を諦めさせる。それでも痛い痛いと訴えてきたら精神異常者扱いにする。それに対して言及したところで、何の価値も生まれない。それが今の医療の限界でもあるからだ。保険治療は特にそうであり、患者が死ななければそれで良いと言う扱い程度である為、日常生活を端にした諸症状など、
どれだけ痛かろうが苦しかろうがまぁ死ぬことはないのだから、その程度の対応しかしないのが普通だと考えれば、患者とて別な道を探す事になるだろうが、それすらも結局は治らないと諦めさせている人間がいる限り、患者は進みたくても前に進めない場合も多いものである。
治療を行う上での最大の障壁と言うのは、結局のとこ、患者の積極性であり、患者家族がいれば、患者家族の協力に尽きると言える。それが無ければ前に進めない事が多く存在する。

以下の患者達は以前にも書いたコピペ→(参考だが、全て神経根ブロックを受けた後に異なる激烈な症状が生じた事から、薬の注入圧が強すぎたのが原因か、もしくは刺入時の力が強すぎたのか、派手に神経を損傷したと推定される患者達だが、これらの患者は全て針治療で治っている。大凡、どの患者も2ヶ月~2ヶ月半程度有したが、ここまで針治療を頑張れたのは「後がない」と根底に思考が根付いたからである。
何故なら、神経根ブロックで神経損傷を喰らった場合、患者にとっては後は行く所がなくなると言う観念が生まれるからである。勿論、医者は神経根ブロックの後遺障害だとは認めていないし、そもそも患者にとっては、それがブロックによる神経損傷だとも気づかされていないようにムンテラされていたようだが、まぁその認めた認めないは置いておき、強烈な症状が生じない限り、そして後がない限り、人間は必死に治さない生き物である。
これが、未だ僅かにでも手術や薬物治療と言う余地思考がある場合、途中で針治療を脱落するのも、また自然と言えば自然である。悲しいと言うか悔しい話だが、「針治療で治るの?」なんて侮辱めいた言葉は随分と投げかけられるものだが、そもそも下記にも記載されているような薬物治療で「治る」のだろうか。そして、仮にも「治る」と言う表現を仮にも用いたとしたら、「何を治して」いるのだろうか。
やはり、それすらも「治る」と言う意味の根底的思考が術者と患者で異なれば、そのような会話が生まれるのも、また自然である。それでも尚、歩けない程の重症例患者を診れる環境と言うのも、非常に勉強になるには変わりないが、患者は足も付けないほどの症状に苦しんでいる訳だから気の毒でもある。
age 65 sex f
右上肢外側~橈骨茎状突起程度まで広範な牽引痛が起床時から伴い整形を受診。X-rayでC6/7に僅かに狭小化が認められた為に、頚椎症性神経根症と告げられ、透視等々は行わずブラインドでc6神経根近辺にブロック注射を行った。施行直後は症状が無痛となるも、約3時間後より以前よりも強い痛みが上腕外側及び前腕全般に伴う他、痺れが生じる
point 受療前⇒上肢外側から橈骨茎状突起までの牽引痛 受療後⇒上腕外側、前腕全般に疼痛及び痺れ 
age 80 sex f
両大腿外側に歩行も出来ない程の痛みが生じた為、整形を受診。患者本人は受診先の病院で入院を依頼する程の激痛が生じていた中、手術等の対象でも無いと言う事でリリカ、ロキソニンムコスタを処方。他、詳しくは施行した医者しか分からないので患者からの情報を元に推測でしかないが、両下位腰部に注射を刺入し、下肢に電撃痛の走るブロックを外来で処置(恐らくL4かL5)。約4回前後の受診で両大腿外側の疼痛は軽減したが、その2日後に両下腿全般及び足底に渡り強い絞扼感と痺れ、皮膚感覚鈍麻が生じる
point 受療前⇒両大腿外側の激痛 受療後⇒両下腿全般及び足底に渡り強い絞扼感と痺れ、皮膚感覚鈍麻
age 80 sex f
右下腿外側に牽引されるような疼痛を3ヶ月に渡り伴い、整形にて右L5に神経根ブロックを施行後、約3日後に同下腿全般に極めて激しい疼痛と痺れが生じ歩行不能状態に陥る
point 受療前⇒右下腿外側の牽引痛 受療後⇒右下腿全般に激しい疼痛と痺れ
~余談…今件の考察~
神経根ブロックは神経実質に対してアプローチを行う事を前提としている為、基本的に神経損傷は避けられない。鎮痛効果は極めて高いが回数制限等も設けられているリスキーな治療手段ではあるものの、全施行の神経根ブロックが実質そのものに対してアプローチが出来ているかと言えば、幾ら造影剤や透視を用いたとしても、患者が「ビリビリきた」と訴える事を前提として施行する事には変わらないし、
神経根近位へのコンパートメントブロックだとしても、ブラインドで行う以上、神経損傷が伴う事もあれば、伴わない事もある。では、神経実質にアプローチが行われず、コンパートメントブロックだとしても注入圧に伴う神経損傷と言うのも散見され、その多くは注入する時のピストンを押すスピードが速過ぎたり、患者自身が抱える神経そのものの脆弱性もあるかもしれない。
恐らく上記症例から考察するに、注入圧に伴い神経根部に炎症が起こり、容積変化が生じた事によって椎間孔部でのインピンジメントが容易に発生するようになったと推測するのが自然である。インピンジメントに伴う脊椎高位に応じた末梢(四肢遠位)への疼痛他、神経自体の萎縮や癒着等に伴う痺れ等々も併発したものと推測される。
ブロックに伴うの神経損傷の度合いや、炎症から容積変化(浮腫)、患者が保持する脊椎の状態等々によっても左右される為、時間差が生まれると思われる。これらの症状に対しては治療を行っていければ何れ消失するものではあるが、患者にとってはブロック注射からのタイムラグが生じて発生する現象である為、不気味なものである。
しかし、このようなタイムラグで生じる症状は結構少なくない。今件のブロック事例は置いといて、身近な症例で考えれば合点が付くもの。例えば、捻挫したては痛くないけど翌日から痛い。ギックリ腰したては痛くないけど翌日から痛いと言う話はよく聞く話である。受傷初期は患部の炎症も乏しいが経時変化で炎症は増大していく為、強い痛みを自覚するにはタイムラグが生じるのと同じ事である。

以下は実体験(向精神薬服薬~依存~離脱症状に悩む)があってこその心理変化による今が綴られています。で、何を言いたいかと言うと、このように患者さん方が教えてくれている事を、「患者さんが」学ぶ必要性があると思います。僕が書いている事なんて、全部患者さんに教えてもらった事です。
教科書は何も教えてくれません。今にして思えば、国試を通る為に捻じ曲げられた事実を覚え、患者に真実を教えてもらい、日々頭の中で修正を掛けて治療へフィードバックしているようなものです。
患者の痛みは患者自身にしか分かりません。写真を撮って血を取って、病気を探し出したとしても、それは既成に沿った事実であり、真実でない事は患者が教えてくれます。
以下転載
クリニックに行くたびに、医者に最近の症状を報告しますよね。昔は症状をちゃんと伝えたら、それに応えてくれて最適な薬を出してくれるんじゃないかと思って、事細かに説明していたんですが。どうせ医者も試行錯誤でしか処方しないってことがわかってきたし、だいいち根本的な解決にならないから最近はいい加減になってきました。それでも診断書を書いてもらわなきゃならないし、最低限は言わなきゃなって感じで。
「朝起きられる日も増えましたが、天気が崩れそうなときは起きられませんね」
というようなことを言ったら
「それは、まだ鬱が治ってなくて、症状が残っていますね」
って・・・・・・こいつ、まだわかっとらんな・・・
睡眠が不安定といったら、イコール鬱としか診断できんやつ!!症状の一つだけ見て、なんの根拠もなく断じるってどうよ!だいいち、薬は全く飲んでいないのに、症状はどんどん軽くなってんだ。そこんとこ、どう説明すんのよ!!と、ムッとしたんだが、そこんとこはいつものことだからぐっと我慢。でもこういったやり取りが、かえって私のストレスになっています。
で、気を取り直して別の観点から考えてみたんだが?
「あなたはまだ病気が治ってなくて、症状が残っていますね」と医者から言われたら、普通の人はストレスを感じるか?現在のように腹を立ててストレスとは違うが。例えば、「あなたの胃潰瘍、まだ治ってないですね」といわれたら、ストレスというか落ち込まないだろうか?「ああ、まだ治らないのか・・」ってストレスたまりますよね。
ところが、私がまだ精神科医の言いつけを守っており、鬱病を治さなきゃって薬を飲んでいた時。「あなたはまだ鬱が治っていませんね」っていわれた時・・・
ほっとしたんですよ・・・
普通ならストレスを感じるのに、病気が治っていないと言われてほっとする。これだけで、この時の心理状態が正常ではないと思えませんか?精神科医はだいたい、「焦らずにゆっくりと治していきましょう、今は治っていませんがそれでいいんですよ」と甘言を吐きます。この時点で、私はマインドコントロールされているのだと思います。
もちろん、辛い症状があるのに、何か原因があるはずだ。専門家である医者が、「それは病気だ」といってくれたら、きっと治す方法を知っている。だから、辛いうちは「治っていない」と言ってくれた方が安心する。そんなところでしょう。
けれど10年。
精神科医は私の鬱(といわれる正体のわからないもの)を治してはくれませんでした。ここをご覧の、鬱で苦しむ多くの方も似たり寄ったりじゃあないでしょうか?おそらく(たぶんほとんど)、精神科医は鬱を治せません。(あなたの鬱は、治ったんですか?)
現在、向精神薬を服用されている方を否定はしません。それにより、症状が軽くなったり、希死念慮がなくなったり、寝られるようになっている方もいるかもしれませんから、それ自体を否定はしません。でも「医者が全てなんとかしてくれる」・・・これは真っ向から否定します。だから、今の私は「治ってませんねえ」と言われたら、ストレスを感じます。
なんで、同じようなことを何度も言うかって。結局、自分の意識改革が必要だと思うんですよ。私は医者に言われたとおりにベンゾジアゼピンを服用し、依存になり、離脱症状に苦しみました(途中?)が、何度も言うようにあまり医者に対して恨みを持っていないんですよ。何故かっていうと、「自分が悪い」から。
最近になって思い出したことです。私が初めて鬱と診断されたクリニックでのこと。世田谷の個人医で、年寄りの先生でした。患者も多すぎず、薬物療法だけではなく、イメージ療法なども試してくれていました。考えてみれば、私の通院歴の中で、唯一、良心的な精神科医だったのかもしれません。
一度症状が治まり寛解し元気になりました、それからまた体調を崩し、落ち込むようになって不眠になった時に、その先生は私にこう言いました。
「あなたはもう治っています。あなたの症状は薬で治療できないです」
そう言われて・・・私はそれを拒否しました。
「そんなはずはない。これだけ苦しいんだから、もっと薬を出してくれ」
薬が病気を治してくれると信じていました、依存していました。医者の診断が正しいとか正しくないとかの問題ではなく、私は自ら薬を欲していました。考えてみれば、この時から依存になる素養は十分にあったのです。
医者から「治っているよ」と言われてストレスを感じ(そして受け入れられないで)、「治っていません」と言われてほっとする。今考えると、この時の私の状態は、異常だったように思えます。
私が医者や薬に頼り切ってしまったこと・・それが原因なんですが。精神科医が「鬱病は我々が治せます」と吹聴することにより誤解を招いているという側面もあると思います。先に言った世田谷の主治医のように「薬では治せません」とはっきり言ってくれれば違うような気もするんですけれど・・鬱を治すには、医者や薬への完全な依存ではなく、そこから脱する意識改革が必要なのだと思います。
転載終了

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