藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

某恩人が嘆いてますが嘆く必要はないと思うのです


 
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※多剤療法に関しては、今後少しずつ変わるかもしれませんよ
                            ⇒  https://www.e-rapport.jp/news/mms_news/no118/03.html
※何回も何十回も同じ事を書きますが、上のグラフを見て変だとは思わないですか?
仮に精神病というものが存在したとしても、精神病って死ぬ病気ですか?何故死んでいるのでしょうか。
分からない方は徹底的に調べたほうが良いと思います。全ての方が巻き込まれる可能性があるのです。

では本題ですが、ん?でも嘆いているのかな?私が勝手に思っただけです(笑)
 
1つは認知度や理解度の違いもあるでしょう。
タバコやアルコールを摂取し過ぎると「身体に悪い」という認識は世間一般では当たり前かもしれません。
しかし、全てとは言い切れませんが、各種添加物や砂糖、牛乳摂取による害の話しをするとズレが生じます。
整形領域に於ける診断名と諸症状との相関関係の話しをすると更にズレが生じます。
向精神薬や鎮痛薬の中長期に渡る服用による害の話しをしてもズレは生じるでしょう。
「精神科や心療内科で出す薬に気をつけろ」なんて言おうものなら「お前はバカか」とも言われるでしょう。
実情を知っているかどうか、もしくは患者自身が被害に遭ったか否か、
若しくは周辺の人間が被害に遭ったか否かで大きく左右されてくるかもしれません。
 
私自身は各種添加物や砂糖、牛乳の多量摂取、向精神薬や鎮痛薬の際限無き服薬に関しては否定してます。
しかし、皆さんもご存知の通り、中には肯定している人もいます。それは医療者、患者問わず。
 
「国が認めて販売しているのだから安全」とも言うでしょう。
「Caを沢山摂れる」「欝病と言われたから薬を飲むのは当たり前」
「5年10年痛いんだから強い薬が欲しい」「皆飲んでるから」と思っている人もいるのです。
その思考を否定するべきでは私は無いと思います。
それよりも、何故そのような思考になったのかを知るべきであり、
肯定サイドの理由も汲む必要はあるでしょう。
 
そりゃ一撃で終わらせる言葉だってあります。
「たらふく飲んでも良くなってないじゃん」で終わらせられますが、
私等も全部が全部神様のように治せる事も出来ないですし、
患者努力も必要になってくる「治る」という道程を一緒に踏んでいく為には、
一度は肯定サイドの理由も聞きたいところではないでしょうか。
 
その理由が、先ほどの
>>「国が認めて販売しているのだから安全」    >>「Caを沢山摂れる」   >>「皆飲んでるから」
>>「欝病と言われたから薬を飲むのは当たり前」   >>「5年10年痛いんだから強い薬が欲しい」
であれば一撃で終わらせても良いかもしれませんが、現段階では患者の理由を知らなければなりません。
幾らでも反論出来る材料は揃っているのですから、いきなり壁を作らなくても良いのかもしれません。

治療側と患者側では常に大きな隔たりはあるのは当たり前ですし、
患者側とて過去から現在に掛けて踏んだり蹴ったりされてきたものですから、
ここに来ても踏んだり蹴ったりされるのではないかと疑念を抱くのも仕方ありません。
 
これだけ多くの医療機関代替医療機関があり、有免許、無免許問わず、
街を歩けば看板は見かけるし、ネットを開けばHPや広告も星の数ほどあります。
そんな星の数ほどある機関も、ご存知の通り術者の見立てが異なれば、
治療手段や治療内容、治療時間、治療期間も異なり、改善速度も異なるでしょう。
片やアレコレ容認する術者もいれば、その逆の術者もいます。
 
では、治療手段に於ける「正解とは何だ?」と問われれば、今現在、私も分かりません。
このような事を書けば本当は良くない事なのかもしれませんが、
常に私は私自身の治療内容に関しては疑問的であり否定的です。
 
私は鍼治療という手段を「最高だ」とか「絶対だ」とは一度も思った事はなく、
「治る」という道程を歩む中での治療手段として、現段階では鍼治療以上に分のある治療手段がないと
思っているだけであり、治効理論と結果は鍼治療でなくとも成立させる事が出来ると考えています。
 
そのような中、常に再現性と確実性を追い続ける一方で、
残念ながらイレギュラーなケースも一定にて存在します。
それは、私の単なる知識・技術不足だったかもしれませんし、
生活環境の改善の重要性を納得してもらえなかった力不足故の事かもしれません。
前々から述べている「治る」という意味の根源的解釈の相違が生んだものかもしれません。
その為に、とにかく悩み続けているのです。お陰で髪の毛が抜けました(笑)
まぁ冗談はさておき(冗談でもありませんが)、
 
もしも仮に、患者が、年齢も基礎疾患も既往も現労働内容も過去労働内容も、
職場環境も家庭環境も栄養摂取内容も秤に掛けずに治療を行えるロボットのような存在であれば、
折れた骨をくっつければ良いだけですし、切れた腱を繋ぐだけで治療を終えられます。しかし、
それだけでは終われないから、画像上、骨や腱が癒合しただけでは患者の抱えるニーズは満たせないのです。
 
様々な要因が重なって人間というのは物事を考え、捉え、動きます。
個々人によって発せられた言葉の解釈も異なれば、咀嚼後の発信内容も異なります。
「除痛と改善」「鎮痛と治癒」、一般的解釈と術者との解釈も異なります。
時には患者サイドに分かり易く言葉を選択する時もあるかもしれませんが、
奥底で思案している「治癒」という意味は上っ面では済みませんし済ませるつもりもありません。

診断名はともかくとして、足腰や首肩が痛いという患者、
A地域に行けば猫も杓子もリリカを飲んでいた。B地域では皆一様にトラムセットを飲んでいた。
C地域ではデパスを飲んでいた。D地域ではサインバルタを飲んでいた。というケースも多くあります。
術者患者間にても様々な理由があるでしょうから、この点に触れると書き切れなくなる為に省略しますが、
 
どの薬を飲んでも「症状が改善した」と患者は自覚を得る事になるでしょう。
しかし、中には飲んでも効果が無いという患者群も一定層、存在するでしょう。
その一定層群(仮にA地域)は、もしかしたらB地域の病院に行きトラムセットを貰いに行くかもしれません。
C地域やD地域に足を運ぶかもしれません。そのような折、リリカもトラムセットもデパスサインバルタ
一緒に出してくれる病院に足を運ぶかもしれません。もしかしたら患者側がリクエストしたかもしれません。
「ついでにロキソニンムコスタも頂戴、後、痛くて眠れないから睡眠薬もね」なんて言いながら。
 
では、このような行為に関して、私達は否定的かもしれません。
医師とて、リリカ、トラムセット、サインバルタデパスロキソニンムコスタハルシオン的な
組み合わせに対して否定的な視線を送る人もいるでしょう。但し、現実にはこのような患者は溢れています。
医師とて人間です。患者の我侭に応える為には「そんなに薬は要りませんよ」と嗜める時間を設けるよりも、
言われた通りに薬を出したほうが、「その時点では」患者のニーズには対応出来る訳です。
 
※ここで、患者は2群に分かれます。
更に薬を増量していく群と、薬に見限る群です。この話しは今後またしたいと思います。
 
根本的問題の調査は、鍼治療院に来るような段階になっている患者群には
既にどうでも良い問題でもあり、私達が、医者が悪い患者が悪いとツベコベ言う段階でもありません。
先ずは、○○を飲もうが食べようが、○○の名医に手術されようがなんだろうが、
症状が改善されていない現実を抱えて足を運んだ患者の現段階に対しての治療を最優先するべきであり、
アレが悪かった、コレが悪かったという話しは、多分患者も耳が痛いでしょう。
なんで耳に痛いかってのは、患者自身も過去の自身に反省すべき点があるからです。
 
過去の機関に疑問があったから、こちらに来たのです。
私達の前に来られた段階の患者に対して選択する言葉というのは何でしょう。
もしかしたら、私達は改めてそこから考える必要性もあるのかもしれません。

長々書いてしまいましたが、「治る」「治す」という根本的解釈にズレが生じない限り、
且つ、「治る」「治す」という理論理屈が机上の理論上も含め、
結果としても症例を豊富に抱えている以上、後は患者が答えを持ってきてくれるものだと思っています。
 
一般患者には分からない世界かもしれませんが、
私達の業界では「治す」という行為をする事で、エラい都合の悪くなる人達も存在するのです。
1つ簡単な例を挙げれば、
「抗炎症薬では治らない患者を、炎症作用を持つ鍼で治す」
これ1つとってもとんでもない事態だと思う人達も存在します。
 
真逆の作用機序で治る事により、過去から現在に掛けて築きあげてきた理論が全否定されます。
全否定される事で生じるマイナスは多大な影響を及ぼしかねません。
「あ、1人ドタキャンされちゃった(苦笑)」というレベルではありません(笑)
その為に邪魔も入る事だってあるでしょう。でも、最終的には患者が答えを持ってきてくれます。
 
「気付いた」患者からしか引き上げる事は出来ません。
初めは1人2人なんて言う極々小規模かもしれませんが、「治った」という事実を覆す事は出きないのです。
その「治った」という事実すら邪魔に思う存在がいるようであれば、それは事実を隠したい理由があるからです。

そら、本音を言えば整形領域の場合、
ちょいと痛かろうが大層痛かろうが患者の周辺環境さえ整っていた場合、
「何もしなくても」時期が経てば自然治癒の可能性はあります。
加療せぬ場合、いつ治るという予測が出来ぬ条件から外れるという前提もありますが。
勿論、それは器質的異常を踏まえた上での診断名だった場合も含めてです。
 
精神科や心療内科領域の場合はどうでしょう。
自身の性格に病名を付けられる事で一体何が変われるのでしょうか。
病名が付く事で前進出来るのですか?
その病名とやらに見合った薬が出されると言われて皆して安堵出来るのでしょうか。
その病名が、DSM-5やICD10に如何様に記載される経緯を辿ったか知っているでしょうか。
知ってしまえば病名なんてどーでも良くなるのです。
 
数年前、○○という診断名に対して、
必死に「それは絶対に違う」と声を挙げていた時期がありました。残念ながら今も何も変わっていません。
散々冷や飯ばっか食わされた過去だって、その過去があったから今になって活きているのかもしれません。
因みに、何が変わってないかって、それは医療機関による診断名と症状との解釈でもなければ、
術者による解釈でもありません。意外と医療機関の考え方は変わってきているのです。
しかし、患者の思考は数年前も今も全く変わっていません。際限無く増えていく医療費。
それが、一部の医療機関と一部の患者によって創り上げられた医療という社会なのかもしれません。
 
結局のところ、医療とは一体何なのでしょう。医療を変えられるのは患者でしかないのかもしれません。
但し、医療という行為を施される度に苦しむ患者を傍観するという行為だけは絶対に許される事ではありません。


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