藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

「治るとは」を今一度 2


引き続きアンケートと協力患者を募っています。宜しくお願いします。
 
前項のコメント欄で興味深い質問がありましたので、本人のご承諾の下、改めて考えていきましょう。
何で治らないのか。何で治るのか。何で改善しないのか。何で改善するのか。
 
針治療を行う前段階の問題として、軽微な症状が軽微で治る理由。
軽微な症状が長期化する理由。軽微な症状が憎悪し、長期化する理由。
憎悪した症状が軽微になる理由。一度、軽微になった症状が再度、憎悪する理由。
様々な理由を経て、症状を自覚した多くの人は時間を過ごされている事と思います。
 
私は常に「治るとは」という意味を考え続けています。
それは、針を打つという起点から鑑みられる症状改善の機序や、
患者の諸症状に対峙するにあたっての身体考察だけの問題ではなく、
針治療を受療するに至った理由の陳旧例患者が、何故、陳旧例に陥ったかを考えています。
 
理由があるから症状は改善し、理由があるから症状は平行線か憎悪を辿ります。
改善理由の取っ掛りと好循環維持の1つに、針治療があるというだけであり、特別な事ではありません。

どんな治療も患者の気持ちが伴っていなければ成立しません

治る理由を再考していきましょう。
針治療院に来る多くの患者、「何処に行っても治らなかった」と言ってくるケースは多いのですが、
「何処に行っても治らなかった」というのは患者の幻想であり、案外そういう訳でもないのです。
 
単に、過去に受療した医療機関が画像所見一辺倒の為に見過ごし続けた神経障害や炎症や低PHであり、
筋組織の炎症や低PHであり、付随する自律神経症状であり、蓋を開けてみたら薬の副作用であり、
離脱症状であり、生活様式であり等等。回復へと運ぶ対処が出来ていない以上、
何をやっても治らないという負の連鎖が招いているだけの状況下であるという現状を考えていきましょう。
写真を撮って異常があれば薬、異常が無くても薬、その薬は以前と比べたら強烈に脳に訴えるものです。
痛みは客観的評価が非常に難しく、患者の訴え方が強ければ強い程、薬も強いものが出されます。
 
ここ最近、改めて患者の投薬内容を検討していたところ、やはり数年前からの処方とは大差はありませんが、
1つだけ抜け落ちている事に気づきました。薬を飲ませる事を推奨している訳ではありませんが、
多くの症状に対しての薬の出し方は、昔の医者のほうが余程的を得ているような気もします。
それも時代の流れなのでしょう。
 
今はどうなっていますでしょうか。
リリカやトラムセットですか?他、消炎作用の乏しいNSAIDsに向精神薬でしょうか。
原因箇所の諸症状と対峙する内容では全くないという事。頭を抑えてしまうだけの薬です。
改めて思いますが、昔の町医者のほうが、患者をよく観察しているという1つの表れかもしれません。
他、針治療と同様の作用を持たせる治療手段は現代医療に存在しないのも1つの理由かもしれません。
 
「治る」と「治らない」に、「重い」とか「軽い」とかは一切関係ありません。
重ければ治療回数や治療期間が延び、軽ければ治療回数や治療期間が短いというだけです。
痛みや痺れる程度であれば、ある程度の重症例でも予測期間は立ちますので初めの段階で告げますが、
気が早い患者ですと、大体その三分の一、五分の一以下の治療回数、期間で止めてしまいます。
 
その1つの理由としても重症度が高い場合、やはり症状も強いものですから焦燥感も募るでしょう。
症状改善迄にも波はあるでしょうから、より一層早期の治療手段が無いかと言う事で、
力価の強い薬を求めたり、無理な運動や体操を取り入れたり、業務内容も制限することなく動き、
強いコルセットなりを巻きながら、痛みに逆らって、結果的に治癒遅延を招く人もいるでしょうし、
 
手術を提案されている状態の場合、手術をすれば良くなるという幻想の下、
早期段階で手術を行い、術後直後は良いけれど、数週間~数ヶ月で同様の症状が再燃したり、
他箇所に広範な痛みを伴ったりと枚挙に暇がありません。
そのような患者は何百何千といる事を、手術が控えている患者は知る事も大切かもしれません。
 
そのような切った張ったを繰り返し、投薬も勘弁してくれという程に苦しい想いをしてきた上で、
「何処に行っても治らなかった」という患者が早期段階で治癒に至るのは、
横槍にも耳を塞ぎ、脇目も振らずに治す事だけに専念した患者努力の結果であり、
賞賛を送るべき対象は術者ではなく、患者自身に向けられて然るべきものです。
 
私は治った患者からも治らなかった患者からも沢山の事を教えて頂いてます。
それが、今後の患者の治癒に繋がる事を願っています。

                 
  
先ずは、病名からの決別かもしれません。一個人が下した病名なんて気にする必要はありません。
本当に手術をしなければならない疾患なんて、整形領域に関して言えばホンの一撮みです。
 
精神科領域に至っては、多数決で決められて創り上げられた病名であるだけで、何の価値もありません。
病名も付いていれば今の日本では社会的保護も受けられる場合もありますが、
保護を受ける事が治癒に繋がる事もありません。現状は薬漬けにされるだけです。
 
そして、病名に寄り掛からない事です。病名が常に頭の片隅にあれば、事ある毎に病名を口にします。
治らないから難病だとも思わない事です。自分で難病を創造しただけなのではないでしょうか。
その難病とやらは、薬で創造されたものではないでしょうか。
 
患者の努力とは何でしょうか。それは、針治療時間外での時間の使い方です。
私は初診~2診目位までは、かなりの時間を割いて、現状の症状の発症理由と、
発症箇所から考えられる原因箇所の部位及び、それに付随する生活様式の変容を患者に求めます。
 
以前は、比較的患者の生活様式にまで口を突っ込む事はありませんでしたが、
初診時から患者が「実践するか」「実践しないか」での治癒過程の差が非常に大きい事が分かり、
初診時より励んでもらうように勤めています。その事で、早期段階で重症度から軽症度へ移行出来れば、
日常生活の動作も楽になるでしょうし、仮に僅かな症状の憎悪が引き起こされた場合でも
少しの休養で回復出来る身体にもなりますし、患者が治療に割く時間やコストが軽減されます。
 
それも反発するのであれば、時間と金を無駄に流し続ける事になり、「治らない」という最悪の状態が訪れます。
そのような事が無い為にも、患者には早期段階で必死になってもらう重要性というのは至極高いものです。
 
針治療は非常にシンプルな作用機序を持つ治療手段です。
過去に治らなかったものが治れば、
針治療に幻想を抱く人もいるのも不思議ではないかもしれませんが、
過去の治療手段が単に間違えていただけの話しなのです。
そして、針治療に奇跡はありません。
只ひたすら患部に血液を流し続け、その患部血流量の維持と確保を求め、
経時変化による組織回復を求むだけの治療手段です。
その為、多くの患者が望んでいる「鎮痛作用」とは原則的に対極する治療手段であり、
鎮痛薬という感覚で針治療を取り入れようとする事も、また違います。
そして、その患部に対して負荷を掛け続ければ治癒遅延が招かれるのも当たり前の事なのです。
 
「手術しなければ治らない」「薬飲まなければ治らない」
そんな話しは多く聞いてきたでしょう。でも、そんな時こそ周りを見渡して下さい。
同様な症状を持った人でも、過去に手術をせずとも、薬を飲まずとも、
症状を出さずに元気に過ごしている人は沢山いるはずです。痛いと周りが見えなくなります。
しかし、多くの領域の患者群の最期は、鎮痛薬と向精神薬に帰結している現状を改めて知ってください。
それが救急救命時やターミナルケアなら別かもしれません。
明日も明後日も一般的な日常を過ごす事になる大半の患者は、
救急救命時やターミナルケアとは境遇が異なる事を認識し、
漫然と長期服用に至っている現状を見直すべき必要はあると思います。
 
「寝てれば治る」という考え方がビジネスとして台頭しない1つの理由はなんでしょうか。
「寝てれば治る」が事実なら、多くのビジネスは成り立ちません。儲かるのは布団屋位でしょうか。
しかし、それも又、事実です。その為に、今は様々な健康器具や運動、体操等等が目に入ってきます。
 
重症度が高ければ高い程、患者はビジネスに取り込まれる可能性があるという事は前も書きました。
凡ゆる健康器具、補助用具、運動手段、体操、全部悪化の要因になります。
取り入れているから「現状維持」という訳でもありません。
取り入れているから「治れない」という事を実感する為には、一度全て取り払う事が必要です。
しかし多くの人は、一度取り入れた事柄に対して、手放す事に不安を覚えます。
 
只しかし、特に神経障害症状を呈する症状を持つ患者の場合、動けば動く程に悪化します。
悪い身体を引きずって悪い身体を動かしたらもっと悪くなるのは当たり前です。
健康な皆と同様の運動や体操を行おうものなら、一発で損傷する位のものです。
 
そして、痛いから歩けないのであり、痛いから姿勢が悪いのであり、痛いから丸くなって横になっているのであり、
痛みが伴った結果が、足底接地時のベクトル変化であり、膝痛であり、股関節痛であり、臀痛であり腰痛です。
 
歩けとか姿勢が悪いとか背筋を伸ばして寝ろと他者が言うのは愚の骨頂です。
患者が言う事を聞く必要はなく、今の痛む身体に反発せず、
身を委ねていたほうが中長期的に見れば、確実に安全に治ります。
治療で症状軽減してきたら、痛みを感じない程度に行動の幅を広げていけば良いのです。
 
先ずは全ての概念を取り払う事が大切です。
今まで良かれと思って行ってきた事柄や、
寄り掛かるものもなくなれば気分を晴らす事も出来ないでしょう。
 
それがどれだけ苦痛な事かは重々承知の上ですが、
重症度の高い患者程、積極的に休養しなければ治りませんし、
それが一番の回復手段であるという事実を知る事が出来るでしょう。
 
年齢関係なく、良くなり始めると、敢えて痛みを取り込み始める人がいます。
「痛みが無くなる事」=「社会的弱者からの脱却」を拒む人がいます。
驚く人もいるかもしれませんが、案外、少なくありません。
病気である事に満足している人は結構います。
 
それも人生に於いての1つの選択なのかな思いますが、
確実に言える事は、ロクな人間じゃないって事ですね。
気持ち改めるなら早いに越した事はないでしょう。
いざ気持ちが切り替わった時、手にしている薬の量が多ければ多いほど、
これから大変な時間を改めて送らなければならないという現実に気づく事になるのです。

2015/6/25(木)午前1:30さん>>
「痛い」は大切な行動抑制を脳が末梢に求めるサインなんです。足腰が痛いなら杖を付き、腕や肩が痛いなら三角巾を巻く。車椅子を使う。自分から寝たきりになる。痛いから逃げるような歩き方になり、途中で休まざるを得なくなる。それも、1つのサインです。一時でもそのような積極的な休養を取らずに現状の身体状態に反発すると、筋肉も神経も血管も関節も損傷が止まらなくなります。その損傷を加速させる1つの要因が薬であり、薬に頼る思考です。頼り続けた人の中長期的に渡った状態が、広範に発症した痛みになり、頼る薬がオピオイドになり向精神薬になり、薬で打ち消し続けた身体は痛みを強大化させながら、高確率で破滅する鎮痛という快楽を探してヤク中の如く彷徨ってしまうのです。気付くなら早いに越した事はありません。多くの患者が最期まで苦労して嫌になるのは、元々の症状ではなく、抜くに抜けない薬で人生が嫌になってしまっているのです。
 
顔を洗う事を、歯を磨く事を、目玉焼きを焼く事を、アイロンを掛ける事を
 
視線を狭めた末の終着駅とは
 
答えは患者が持ってくる

【電話】 0173-74-9045 又は 050-1088-2488
                             (携帯 090-3983-1921 Cメール可)
【診療時間】 7:00~21:00 時間外対応可
【休診日】 なし 土・日・祝祭日も診療しています
【PCメール  
fujiwaranohari@tbz.t-com.ne.jp お返事には数日要する場合も御座います

  ~針治療から病態定義の見直しを~