藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

「可能性を探る」「考え方を変える」


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「可能性を探る」、言葉を変えれば「考え方を変える」と捉えても良いと思います。
書いている内に、過去記事の焼き増し的な内容ともなるでしょうけど、
大切な内容ですから、改めて私達は考える必要性は高いと思います。
 
身近なものを例に挙げますと、極々一般的な腰痛や肩こりで湿布を貼っている人。
「サッパリするから」「痛みが和らぐから」「気休め」「貼っている事で気分が落ち着くから」等の
意見が聞こえてきます。湿布の2大作用は「抗炎症作用」「鎮痛作用」です。
 
超甘めに見た場合、所謂「痛み」を抱えている方々は、体動の際に健常な状態の人間よりも負担が強い為に、
微細な筋断裂を局所的に生じうる可能性もある為に、表層に炎症が発生する事もあるでしょう。
その状況に際して湿布を貼る事で、昨日今日生じた微細な炎症に対して湿布薬は対峙する事が
出来るでしょうから、上記のコメントは総じて間違いではなくなります。
 
且つ、血管の収縮作用により、痛みを感じにくい状態ともなりますので、鎮痛作用も相成ります。
湿布薬の深達度はたかがしれておりますが、表層にアプローチされている薬効は、
上記の症状に善くも悪くも「有効である」と患者は評価する事になるでしょう。
しかしながら、漠然と血管収縮作用を患部に施し続ければどうなるでしょうか。
血流の持続的な低下は何に繋がりますでしょうか。
 
「有効である」「痛くなくなった」という事と「治った」という意味は異なってきます。
「鎮痛=治癒」の図式は、現代医学的考察に擦り込まれた、若しくは誘導されてしまっている解釈であり、
腰痛や肩こり問わず、何やら難しい病気もひっくるめて、
現代医学に於いては対処療法の枠内でしかない事を改めて再認識しなければならないと思うのです。
 
鍼治療に来られる方々は症状が多岐に渡るので
全員にはお伝えしている内容ではないかもしれませんが、湿布の作用と鍼灸の作用は対極しています。
 
鍼治療というものは、患者の体内にステンレスの針を刺し込んで「炎症」を強制的に引き起こしています。
細かい話は置いといて、炎症を強制的に引き起こす事で、患者を治癒まで引き上げていきます。
「湿布薬」、いわゆる消炎鎮痛剤と言われる類で治癒までの期間を先延ばしにしているだけの方、
その一方では炎症を起こして治癒まで引き上げている治療法を知るべきだと思います。
 
そして一番大切な事、その「腰痛」とやらは炎症で痛みを起こしているのでしょうか。
炎症であれば炎症の症状を呈するでしょう。
私は炎症で引き起こされている「腰痛」は1割も見た事もありません。
そのような腰に湿布を貼って、消炎作用を求めたとしても、治る訳がありません。
猫も杓子も湿布ばかり貼っていては、治癒遅延を自ら招きかねませんし、
処方している医療機関側の経営上の問題として湿布を出しているとしか思えません。
 
※因みに、とある地域ではロキソニンテープやモーラステープ
患者負担ゼロで配布して、患者を集めているとこが幾つかありまっせ。何処とは書きませんが。

極論として鎮痛を求めるのであれば、
足が痛ければ足を切り落とせば良いし、腰が痛ければ腰を切り落とせば良い。
腕が痛ければ腕を切り落とせば良いし、頭が痛ければ頭を切り落とすしかありません。
「痛くなくなればそれで良いじゃん」と考えている方に関しては、私からは何も言う事はありません。
医療や医療行為を行う人間の思考を選択するのは患者の自由ですから。
 
ロキソニンが効かなければリリカにしてみれば良いし、リリカとトラムセットを飲んでも良いし、
リリカとトラムセットとデパスリボトリールを飲んでも良いしって話で終始している患者群と私は
確実に対極しますから、「鎮痛」を求めるのであればとことん「鎮痛」を追求してみても良いかもしれません。
但し、その先に待っている恐怖は、鍼灸治療を選択するのとは比にならない位の地獄です。
薬漬けの先に疼痛緩和を見出したとしても、あくまで治癒でなく、調節されているだけであり、
とんでもなくバランスの悪いヤジロベエ状態になっているだけです。
 
上記の様な事を患者がどの段階で気付くかで、
「調節」から「治癒」へと思考を転換し、治癒までの道程が変わってくるのです。

少し話しは反れますが、ニューロンの難病に遭われた患者、
大変気の毒ではありますが、日を追う毎に下肢が動かなくなり、上肢が動かなくなり、
肺機能が低下し、顔面筋が動かなくなり…、私に出来る事は、ベッド上で仰臥しか出来ない状態で
発生した各種筋骨格系の症状の改善しか助けてあげられない状態において、
患者から発せられた言葉は「足を切り落としてほしい」でした。
動かせない足が無くなれば動きやすくもなるでしょう。
但し、実際にはそんな事、出来る訳がありません。切断するのも1つの考え方でしょう。
現状を受容し切れない気持ちも大変分かります。患者にとっては毎日が恐怖との闘いです。
 
個々人が抱えている怪我、病気というのは相対的なものではありません。
私は治療側である以上、他者患者と症状の度合いや発症時期を比較して軽重を見定めて
今後の治療プランを立てていく必要性はありますが、小指に擦り傷を作っても人生が終わったかのように
悲壮感を漂わせる人もいれば、交通事故で脊髄を損傷したからと言っても、
明るく生活を送っている方もいます。もしかしたら、明るく生きられるまでは、様々な葛藤や障壁があり、
それらを乗り越えた上での今なのかもしれませんが、自身を受け入れられる覚悟、
言わば受容出来ぬ限り、自身の状態とは本当に向き合えないのかもしれません。
 
治る見込みがあるから、人間はもがき苦しむのかもしれませんし、
治る見込みがないとなると、諦めるのかもしれません。
但し、治る見込みが無いと諦めさせたのも、医学なのかもしれません。

私達も常にもがいているかもしれません。
特に中枢機能の損傷の類に関しては、抹消と異なり、治癒の見込みが現代では相当薄いと言われています。
中枢機能の破損の起因は何でしたでしょうか。
外傷性を伴うものであれば、先日出席させて頂いたMTBIの定義から拝借すると、
  1. 交通事故での追突が多く、その他でも発生します
  2. ゆさぶりっ子症候群でも発生します
  3. ホットショット(ラグビー競技等での強い衝撃でも発生します)
  4. 小学生など、顔面などにボールがあたる衝撃でも発生します
  5. 階段の転落事故でも発生します
  6. 自宅での転倒でも発生します
を起因とします。
 
後は何でしょう。薬やワクチンです。
 
様々な病名が世の中にはあり、様々な病気は「治療法が確立していない」と表記されています。
治療法が明記されている場合も、それらは対処療法の枠内での話です。
患者当事者は自身の怪我や病気に対してのみ調べ上げる傾向から見落とすかもしれませんが、
実際のところ、どのような怪我や病気に対しても、症状が長期に渡った場合、
医療機関の施す術は精神科的な治療手段、薬物に帰結している状況である事は以前にも書きました。
 
結果が出なければ頭で抑えるしかない。
頭で抑えても結果が出なければ、もっと頭を抑えるしかない。
それは、治癒を目指しているのではなく、第三者(医者)から見て患者が
大人しくなっているか否かで判定している事を示唆しているのではないでしょうか。
大人の都合でしか、症状の善悪を判定していない状況です。
 
寛解」とは使い勝手の良い言葉です。
薬を飲ませ続けて症状が大人しくなった事に対して、
寛解」を「治癒」であると患者に擦り込ませる事が出来れば、ある意味、名医であり、
一生薬と縁の切れない身体となった患者は、一生医療機関にお金を落とす事になるでしょう。
 
経済的負担はどうにかなるかもしれません。
但し、薬物治療を継続的に続ける事で生じうる健康被害は後戻り出来なくなる可能性もあります。
幾らお金を積んでも無理なものは無理となった身体に対して、幾ら裁判で勝ったとしても、
幾ら賠償金を貰ったとしても、失った健康は元に戻りません。

患者に「治癒」の意味を履き違えさせる事なく「治癒」に導かせられるように、私達は常に模索しています。
理論、技術、治癒までの速度云々は有しているに越した事はありません。
これらは術者側の責任であり、常に修練を積まねばならぬのは当たり前の事です。
 
しかしながら、それ以前の問題があり、薬を飲む意義、手術を行う意義が私には分かりません。
勿論、多くの例外もありますが、大半は、必要なき投薬と手術が横行しているのではないでしょうか。
高血圧と言われたから薬を飲む。高脂血症と言われたから薬を飲む。
何で、血圧やコレステロールが上がったかを考えましょう。
その数値は必要だから上がったと考えてみるのも良いでしょう。
何故、根本的問題は医学の範疇で起きていない問題に対して、医学に答えを求めるのでしょうか。
その医学で標榜されている健康だと言われている数値は、多額の寄付金で創り上げられた数値だと
したらどうでしょうか。そもそも、創り上げられた数値の範囲外だとしても、アナタは今不健康ですか?
 
脳梗塞心筋梗塞の予防にと言われたところで、周りの人間は予防出来ていますか?
寧ろ、これらの薬を飲んでいた人間から認知症になったり脳出血で倒れたり、ガンになったりしていませんか?
薬というのは作用がある以上、命を脅かす副作用もあり、作用を考えれば当たり前の事です。
他、リウマチ、甲状腺機能障害、喘息、多発性硬化症などの自己免疫疾患が
発症してもおかしくありません。身体はどんどん弱くなっていきます。
 
極々少数の重篤患者がリスクとベネフィットを吟味し、考察し、薬物投与されれば良いものです。
それ以外の投与群は、リスクばかりではないでしょうか。
「治癒」までの道程がドンドン拗れていかぬよう、色々と考えていきたいものです。
 
「新しい良い薬があるよ」って騙されんといて下さい。
医者は試したくて仕方ないだけなのです。
製薬会社にアンケを送ればお金が貰えるだけなんです。
新薬は薬価が高いから…etc。
このように考えたら、ガラクタの浄水器をボッタクリ価格で売りつける営業マンとやっている事は同じなのでは。
寧ろ、健康被害は浄水されない浄水器よりもタチは悪いかもしれないですけどね。
 
幸か不幸か医学の根本は何十年も変わっていません。
医学が変わらない以上、私達が変わるしかないのです。
患者が変わるしかないのです。
 
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    こんな厳重な環境下で取り扱われている薬が体内に入れられているって恐ろしいですね

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