藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

再考をする 3 2020/10/14~2020/9/10

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ヒトが傷める要因の大概は、熱感や冷感、外圧や内圧、重力、突き上げ、摩擦、伸長や収縮、伸展や屈曲、回旋、前屈や後屈、側屈、反復動作、同一姿位等のいずれか、またはいずれもが絡んでいる印象があります。これらは世間的に良いと思われている「運動」や「体操」にも含まれていますし、「治療」や「リハビリ」と名の付く手段にも含まれています。例えば足腰が悪いヒトは、状態が悪ければ悪いほど、靴下いちまい取り上げても素材や厚みでパフォーマンスは変化しますし、靴下を覆う靴でも変化します。路面環境でも大きく変化しますし、温度や湿度、風速でも変化する等、どんどんデリケートになっていきます。

 

そうなると、ヒトは生きていくうえで「身体に良いか悪いか」で選別し、何かを取り入れるのはそもそも間違いで、「世の中の大概の行為や動作は身体に悪く、耐えられるか否かでしかない」と捉えることも出来ます。イメージし易いよう表現を変えると、元気だから「出来る」は元気だから「許容できる/耐えられる」であって、元気でなければ「許容できない/耐えられない」になります。

 

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多くは切った張った飲ませたで積み上げられたデータを目にします。先ずはその観点で自己の症状と向き合う可能性が高いと思いますが、例えばクビや背中や胸や腕が痛いなぁ、またはコシやお尻や足が痛いなぁで、写真を撮りに行ってどこかにヘルニアが確認出来たとして、鎮痛剤を飲んで痛みが改善されたとしても、痛みの原因がヘルニアとはならないわけです。

 

もしかしたら、その上や下が原因の可能性もありますし、上もそこも下も原因の可能性もあります。口や肛門、静脈や皮膚から入れた薬剤は全身を回りますから、極端な表現をすれば「どこが悪くても鎮痛作用を得る可能性がある」が正しくなります。その為、術後の不変例も珍しくありませんし、不変例を訴えても「手術は成功しましたよ。写真見て下さい。ヘルニアないですよね?頭の病院行きますか?」とか言われがちになります。そうならない為にも、おかしな3た論法になっていないか等、情報を取捨選択する力は、どうしても問われる場面に出くわします。

 

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>>ベンゾ離脱は統合失調症双極性障害自閉症と俗に言われる症状群と極めて被ります

 

ω1~2のGABAをエンハンスするのはベンゾジアゼピンに限らず、アルコールやバルビツール酸、バクロフェン、プレガバリン等々もありますのでこの限りではありませんが、先日も多少触れた富士市の睡眠キャンペーンが全国展開し始めたのが2010年前後から、そして2015年前後からは睡眠キャンペーンの弊害と思しき「実はうつ病ではなく双極性障害でした」の診断ブーム、2017年以降はPMDAの煽りもあっての減薬ブーム、その間も2011年の東日本大震災以後、グラクソのパロキセチンPTSDに承認(うつは心の風邪キャンペーンと同薬)、2013年には塩野義の「うつの痛みキャンペーン」、

 

2016年には発達障害者支援法改正による青田刈り、時期は同じくエチゾラムが第三種向精神薬に指定される契機や2017年度からのPMDAのベンゾ離脱の発表も控えてか、抗うつ薬が整形領域疾患に適応拡大と規制緩和等々、今思い浮かんだものを幾つか挙げましたが、これらは「キャンペーン」や「ブーム」で作り上げられた渦だと思います。今件に沿わすと、その時その時で新たな病名や障害名が生まれたり、既存の病名や障害名を喧伝したり、新しい薬が出来たり、既存の薬が別病態に承認されたり、薬を飲まされたり飲んでみたり、薬を減らされたり減らしてみたりとなりますが、

 

「キャンペーン」や「ブーム」は常々リスクが軽視/無視されがちな結果となります。そしてこのように、疾患喧伝による神経適応を来す薬物絡みの「キャンペーン」や「ブーム」の弊害にもうひとつ付け加えると、その盛り上がった感情とニーズにそのまま対応するのもまた危ないものです。

 

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~「慣れる前に減らしていく」スタイルのリスク~

 

服薬間も無く惹起する神経障害例、所謂副作用事例もありますが、大概は継続的な服薬後の常用量離脱症状と思しき神経障害例が数としては多くなります。離脱症状の厄介な側面は、その症状が薬物由来ではない事に尽きます。その為、止めて治るものではなく、止めることで(減らすことで)増悪します。その大前提を履き違えてしまうと後々大変になります。離脱症状が全身状態へ反映された症状を惹起する理由に、薬物が神経適応を来すこと、標的部位が中枢神経であること、大概は神経伝達物質の動態変化を目的としている為、物質取り込み後、耐性が獲得された状態では、当該神経伝達物質の自己分泌能の低下(合成能含む)やレセプタ変性、経時のレギュレーション変化、関連して抑制性/興奮性神経伝達物質の自己制御の困難性や、興奮性神経伝達物質による神経傷害等の結果論と推測しています。

 

2017年以降はベンゾジアゼピンの規制強化や診療報酬の改訂により、突然の減薬や断薬例(オレキシン受容体拮抗薬へのスイッチ例含む)、ベンゾの規制強化を見越した上で、時期をクロスするように2016年頃から抗うつ薬の適応拡大と規制緩和が制度上で大きな変化となり、その状況は今も尚、尾を引いています。

 

神経適応を来す薬物は、仮に減らしたいと思っても、都度の神経適応を生じさせる必要が安全上は望ましい印象があります。薬物を頻繁に上下させて過敏反応が惹起された事例は除き、一旦は定量維持で離脱症状も安定した例に関しては、「今現在が幾ら数値上では一般認識で少量でも、その量でその個は神経適応している」も考えられる為、「多いから危ない」「少ないから大丈夫」ではなく、「慣れる前に減らしていく」でもなく、「慣らしながら減らしていく」が安全かもしれません。「慣れる前に減らしていく」では、いつか枯渇感に溢れ躓く確率が高い印象を持ちます。また、離脱症状は広義の神経障害と捉えています。そして神経障害には早発性と遅発性の2つの表情の存在を踏まえた上で、両者の評価タイミングを考える必要があります。

 

例えば数日間に渡る同一量の継続的な服薬で定量維持に達したヒトが、1錠あたり100時間の血中濃度を獲得し、いざ減らそうとした場合、離脱症状の出方の評価はいつかと考えると、100時間÷24時間=4.17日となる、4.17日"まで"ではなく、4.17日"から"で評価する事で、遅発性神経障害の状況にも対応出来ると考えられます。いずれにしても急ぐ必要はなく、急ぐほどリスクも高く日々の安定感を失すれば、ヒトは具合いの悪さを何とかしようと手中の最大リスクの薬物で何とか対応しようと、オーバードーズや一気断薬、異なる性格を持つ薬物に手を出したりと忙しなくなりがちです。減薬や断薬はあくまで離脱症状が安定した上での結果論でしかなく、そのような価値のない形を求めるよりも、今の症状を優先させることでより日々の安定感は得られ易く、もちろんその先の状態も良い方向に向くと思います。

 

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シリコーン塗布の有無で皮膚表在の変化から刺針部位内部の状況を考える~

 

今日では多くの注射針や鍼の表面にはシリコーンが塗布されています。塗布の理由としては、皮膚を貫く際のキレの改善や、目的部位までの滑りの改善、それと関連して治療を由来とする痛みの軽減が目的となっています。その反対となるノンシリコンの針は、キレも滑りも悪く、治療由来の痛みも強い、です。シリコーン自体は無害に等しく、噴霧で肺に吸い込むような行為をしない限りは、飲んでもそのまま出ていきます。薬物の添加剤としても有名ですし、胃腸薬的な主成分として用いられているものもあります。無害に等しく、飲んでもそのまま出ていく。この2つを改めて考えると、要は「代謝されない」からです。この「代謝されない」シリコーンが、注射針や鍼で体内に残留した場合の弊害は以前述べました。https://ameblo.jp/fujiwaranohari/entry-12545212807.html

 

簡単に概要を述べると、「代謝されない故に体内で当該部位に残留し、異物と認識されて線維性に包み込まれ、形成された封入体により継続的な炎症が当該部位で惹起されるリスク」です。状況的には自己免疫疾患様状態になるのかもしれません。そのような懸念もあり、私は普段からノンシリコンの針を使っているのですが、シリコン塗布の有無で治療効果は左右されるのかしらとも考えています。ある程度は塗膜の耐久性もあると仮定した場合、針(ステン)⇔シリコーン⇔生体の間柄になる為、純粋な反応が生まれないのではとの推測です。

 

結論から書くと何らかの症状を抱えている同一患者に対し、よーいどんで塗布の有無にグループ分けして経過を追うことは出来ないので分かりませんが、あくまで今回は皮膚表在の状態の違いで推測します。針治療は刺針部位で誘発/遊走/増強物質の現象を以て、直接的/間接的に現症状の改善を見越す手段だと考えている為、当該部位には一過性ながらも起こさなければならない生理的現象もあり、それがシリコーンは邪魔をしているのではないかと見て取れる結果となりました。

 

ヒトは異物が侵入すると排除しようと反応する為、個体や刺針部位で多少の差はあるものの、このように筋肉が緊張します。しかしシリコーンが塗布された針は、シリコーンによる滑りによるものか、異物としての反応が認められませんでした。これは今後も回数を追って検討していくべき課題ではありますが、ヒトが元々備える生理的な現象を以て、刺し傷で惹起する生理的反応で症状と対峙する治療に、シリコーンは必要ないと考えています。※写真は参考です 刺針部位が隆起するとは、このような状態を指します。また、今回は私自身の大腿部(皮膚~脂肪~大腿直筋~大腿広筋~骨膜まで針尖が接触するまで)に刺した反応で上記感想を述べたものです

 

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神経毒に近しい理由で中枢神経が傷害されたケースでは、四肢対称へ何らかの症状が惹起されると認識されがちですが、実際はそうではなく「なんでもあり」と捉えています。ベンゾであれば標的範囲がGABAのレセプタとなる為、大脳や小脳、脊髄の高密度広範囲となり、そのどこがどのように、どのようなレベルでダメージを帯びるかは個体差がある為と推測しています。現実には上半身のみ、上肢のみ、前腕のみ、下半身のみ、下肢のみ、下腿のみ、右半身のみ、左半身のみ、頭部や顔面部は含まず頸部から足趾など挙げればキリはありませんし、その個単体でも経過次第では、範囲が広範化したり狭小化したりも珍しくありません。

 

これらが錐体交差が絡んでのことか、脳幹の局所的な異常かは画像所見に乏しいこの手の症状群のケースでは治療的診断が用いられ易く、得てしてベンゾで起きた現象も適当に病名や障害名を付けられ、ベンゾ(勿論その他もありますが)でその反応性を以て「そうでしたね」とするのも現状かもしれません。そのように考えると、そもそも邪魔なのが1)「病名や障害名の存在」であることが分かりますし、2)「副作用や離脱症状の存在とその病態、メカニズムを"服薬前"の患者に伝達しない」ことも問題ですし、仮にそのような事態になっても、3)「保身を踏まえて「認める」「認めない」を天秤に掛けてしまう」現況がある以上、この問題は解決しないと思います。

 

そして1)と2)と3)は、ヒトの感情が沸き起こり始まる問題でしかなく、症状云々を考える上で土俵に上げる内容ではないはずですが、何故かいつもこの感情が入り混じります。この3点さえ除外して症状と向き合えば、より純粋に前を向いて発展出来るのにねといつも思います。

 

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~真似する弊害を減断薬事例から考える~

 

以前から感じていたものの、上手く言葉で表現出来なかったのですが、改めて考えていこうと思います。ヒトは様々な要因で個体差は発生するものの、自己修復機能が備わっていることを先ずは前提として、その上でどのような理由や原因を持つ症状にも共通する可能性はありますが、軽症ほど自力回復の確率は高く、重症ほど自力回復の確率は低く、軽症になるに連れて自力回復の確率は高くなり、重症になるに連れて自力回復の確率は低くなると推測されます。ヒトの軽重を第三者的に評価するにあたっては、画像所見等々では何とでも言えるものの、実際に症状は目に見えるものでもなく共有は出来ないものです。

 

発せられる軽重の度合いは言動から感じとることしか出来ない為、誰が軽くて誰が重いというのも、病期や病態その他で比較出来るものでもなく、術者側が普段どのような患者をどのような視点で見ているか等の臨床背景でも異なってくるでしょう。ただ、大概は経過を追う事でファジーな現象も輪郭が見えてきます。そして常にそれに伴う弊害も考える必要があります。上記の条件を満たしているのがヒトと仮定し、「私は離脱症状を激しく出さない為、微量に減薬しながら〇ヶ月で無事に断薬を迎えました」のケースで考えます。例えば〇ヶ月で減薬とステイを繰り返しながら忍容可能レベルで推移してゼロとなった話は、文面から読み解く限り上手く進んだ例でしょう。そしてこちらの文面を知ったヒトは、「一気断薬や2週間でゼロにすることなく、〇ヶ月程度の期間を以てゆっくり行えば上手く進むんだ」の体験事例から生まれる思考は、

 

1)一気断薬や2週間で断薬することはリスク

 

2)ゆっくり減薬をすれば問題ない

 

になり、その事例を見習うことになるでしょう。では、このような情報を知ったヒトの多くが、このようなヒトに対して及ばなかった考えの部分を書きだします。それは、「細目に減薬やステイを繰り返して順調に進んだ事例の情報発信元は、一気断薬や急減薬をしても、そもそも問題のなかったヒトかもしれない」です。一気断薬や急減薬で多大な負担を掛けても、その個の背景が好条件の場合、離脱症状は一切出なかったり、数週間程度で収束する事例は私自身も多く見ていますし、好条件が整っているケースでは、無加療で経過を追っても問題のない例もあります。このように、ヒトはそれぞれ今の状態に陥った背景は絶対的に異なる為、文字情報というどうしても限界のある情報を見習う場合、時に多大なリスクを背負う可能性もあるかもしれません。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/3537134516377789

 

「改善」と「改善自覚」は、言葉は似ているようで大きく意味合いが異なります。治療は罹患細胞の改善が大前提となる為、後者の存在は評価の対象外に置き、また発生させないよう努める事で、より純粋な経過を追う事が可能になります。その意味を考える上では、後者の「改善自覚」の意味と内容を前以て知る必要があります。ヒトは生きていれば、オピオイドやエンドゼピン、カテコラミン等の分泌が上がるタイミングに出会いますし、それを求めて生きているのもまたヒトかもしれません。何らかの身体/精神症状の有る無し問わず、なぜヒトはそれを求め続ける生き物かと考えれば、これらの分泌で得られるベネフィットを知っているからかもしれません。ただ、これら環境依存の高揚感は短期間で耐性が獲得される為、次から次へとより強い高揚感を獲得する為に流動します。

 

視方を変えれば、それくらいヒトは簡単に耐性が獲得される生き物なのかもしれません。かと言って我慢し続けることが人生かと言えばそれもまた異なりますが、常にその求める内容が「改善自覚」である以上、その個とその周辺はいずれ疲弊します。界隈では対処療法と表現されるケースもありますが、その対処療法とは、その個から何らかの形で発生させ、上記のメカニズムを得ることも出来ますし、環境から上記のメカニズムを得ることも出来ます。そこで得られる感覚は、あくまで「改善」ではなく「改善自覚」であることを前以て知ることで、以後の経過の良し悪しに関しても、それは自然な流れだと知ることが出来ます。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/3534250513332856

 

前項の https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/3519236658167575 1枚目の写真に記載されている「2週間」という時間的基準は、Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(DSM)やInternational Statistical Classification of Disease(ICD)になぞったものと思われます。このようにどの症状も何処かで線引きをして 〇 か × かで話を進めていくケースはあるもので、それは1本の神経が傷んだケースでもガイドライン的なものが存在します。何かの制度を使用するにあたっては、既存の枠組みに当て嵌めたり、既存の枠組みに現行の病態が存在しなければ、新設する為に相互が活動を行っている事例もあります。

 

ただ確実に言えることは、たった1本の神経が傷んでも織り成す症状は多種多彩で、その状態を以てガイドラインに当て嵌めても大概はザルから落ちますし、ザルから落ちたものを拾い上げようと新たなにザルを作ってもキリがありません。有名な話としてDSMⅣの編集委員長、アレン・J.フランセス(Allen J. Frances)は、「発達障害」を中心に

 

>>精神障害の「インフレ」――つまり疾患概念が拡大して「正常」とみなすことが可能な人々のことも病気と診断してしまう過剰診断のリスク――を、十分に防ぐことができなかった

 

>>精神疾患の爆発的流行は過去15年間に4度あった。小児の双極性障害躁うつ病)は、信じがたいことに四〇倍に増えた。自閉症はなんと二〇倍に増えた。注意欠陥・多動性障害は三倍になった。成人の双極性障害は倍増した

 

と、2013年頃にDSM5を紐付け警鐘を鳴らしています。先日もチラと触れた反証可能性とはトライアルアンドエラーの意味もあり、特に精神という不明瞭で不確実な存在には高い柔軟性を以て考えていく必要があると思います。そのようななか、前項のキャンペーン等は実行に応じてのリスク(この場合は投薬のリスク)は無視されますし、日本では2016年の発達障害者支援改正以後、制度ビジネスに乗せる為にと関係者が青田刈りしている現実があります(結果的に中枢神経刺激薬等の投薬へ繋がる)。

 

法の存在や、政治色が濃い、宗教色が濃い、ビジネス色が濃いものは、柔軟性が乏しく強引にでもその枠組みに当て嵌めようとする姿勢や態度がどうしても度々見られます。「アレ、これ違うかも」と頭を過っても、修正が効き難い背景にはこれらの存在や濃度に左右されるケースもあるかもしれません。そして、いずれの存在も濃度の濃さも「ヒトの身体/精神症状へは何ら寄与することは出来ないし関係ない」です。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/3519236658167575

 

~富士モデルを振り返り、組織の体質からリスクを回避する~

 

「その先は私の仕事ではない」「あとは専門家(等)に任せる」は、相手方が組織である以上、そしてその組織が大きくなるほど発生する「仕方ない」側面があります。ここで「仕方ない」をネガティブに捉えてノイジーになるのは止め、背景にあるリスクを前向きに学んで予防する大切さを身に付ける事で、事あるごとに疲弊せずリスクを回避出来るかもしれません。「次亜塩素酸水を無料で配るから空き容器を持ってきて」と取り上げられた事を契機とした内容(※1)を先ず例に挙げますが、只でさえ寿命が短く紫外線で瞬く間に効果が乏しくなる次亜塩素酸水に「空き容器」と呼びかけ、その後の取り扱い等の注意まで払っている印象はありませんでした。当時は布マスクを一世帯に2枚配る話題もあり、ただの水と布2枚でどう対峙すれば良いのかと、内容よりも有事の際の体質に不安を感じました。

 

それから月日を経て、最近の自殺報道の多さで思い出したのが、静岡県富士市を皮切りに全国展開した「睡眠キャンペーン」、「富士モデル」です。2006年から富士市で始まりました。改めて報告書から幾つかピックアップします。写真1枚目と2枚目を見ます。どう転んでも心療内科か精神科へ行き、睡眠薬抗うつ薬になります。写真3枚目を見ます。「お酒よりも、お医者さんへ(睡眠薬抗うつ薬)」です。オレキシン受容体拮抗薬は2010年以降となる為、当時の「睡眠薬」の主流はベンゾジアゼピンバルビツール酸になると思いますが、機序は何れもGABAの動態変化を求めて鎮静を期待するものなので、お酒を槍玉にするのは先ず間違いです。正しくはどっちもどっちです。

 

その話はさて置き、この報告書には2006年から2009年まで、心療内科や精神科に繋げた人数は報告されているものの、主目的となる自殺者数の変動が報告書内では触れられていません。写真4枚目(※2)の異なる資料を見ると、富士モデルの開始時期から自殺者数が上昇しています。厳密には心療内科や精神科に繋がれたヒトが自殺したかどうかは不明瞭なものの、自殺者数の大幅な増加を予測して、前以て富士モデルを立ち上げる事は難しいと思いますので、こちらのキャンペーンで自殺者が増加したと考える事も可能です。

 

多少振り返りながらまとめると、時代的にベンゾジアゼピンバルビツール酸、三環系や四環系、SSRI等だと思いますが、そのものが強い自殺念慮や自殺企図を惹起するリスクは考慮されず、また、キャンペーン開催後の自殺者数の増加にも触れず、「〇人を心療内科、精神科に繋ぎました」の報告で、全国展開となりました。地域では対象が「パパ」のみならず「ママ」もあります。また、こちらの「睡眠キャンペーン」は、製薬メーカーによる「うつは心の風邪」「うつの痛み」等のキャンペーンと異なり、チラシ等の掲示場所も幅広く、図書館等にも貼られています(いました)。このような問題は内容を個別に問題視してもキリがないかもしれません。

 

次亜塩素酸水と紫外線の相性問題や、向精神薬の機序や以後のリスクを、導入する側も受ける側も分からない(知らない)ケースもありますし、今後の新型コロナへのワクチン導入の件でも似た印象を持ちます。それよりもその組織の体質の在り方で「回避する/受け止める」を決めたほうが無難かもしれず、それは今件の身体に直接的に関わる事例以外でも様々あると思います。

 

(※1)https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/3111764975581414

(※2)https://onoyumiko.i-ra.jp/e556881.html

(写真1~3枚)https://www.mhlw.go.jp/.../05-Shingikai.../0000032849.pdf

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/3505787419512499

 

取り締まる側も飲んでいるヒトはいるでしょうし、大麻を飲んで捕まったヒトを腐すヒトが向精神薬を飲んでいたり、薬物乱用を注意喚起しているヒトが向精神薬を飲んでいたりもするのでお互い様と思っていますが、どのような理由であれ車の運転で事故を起こすと、ひとりで歩いて転んじゃったとは違い、周りに大きな影響を与えます。猟奇的な事件の大半は向精神薬が絡んでいたり、自殺者の7割が精神科の受診歴があったり(不審死を含めると受診歴の割合は増えると推測されます)、変な交通事故や高齢者の事故、煽り運転のニュースも目にしますが、煽り運転代表の宮崎文夫も例外ではありませんでした。

 

日本はいちおう麻薬や大麻覚醒剤の類はダメ絶対とされているものの、そうでなくとも向精神作用を持つ合法薬物は多く、各々で多少の性格は異なれど(動態変化を求む神経伝達物質アゴニストやアンタゴニスト、力価や半減期等々のこと)、その作用機序は殆どダメ絶対の類と同じ為、どっちもどっちと捉えることも出来ます。単に、日本では非合法か合法かの制度上の問題でしかなく、飲んだ事で起きる体内事情はさほど変わらないと思います。

 

この手の薬は判断能力や認知能力の低下だけではなく、目や耳や腕や足がおかしくなることもありますし、イライラしたり焦ったり、薬が巡っている時だけ眠りこむだけでなく、薬が切れた(定量維持から減ったも含む)時に急激に眠くなるときもあります。そりゃ事故るよね、と思います。ガチで健忘を起こす時もあるので、何かあっても本人にとっては本当に「記憶がない」になる、なかなか厄介な側面があります。また、「薬の影響」とは、薬が効いているときの問題だけではなく、薬が切れたときの状態も含めて問題にしていかなければ、この手の問題はなかなか解決に至らないと考えています。

 

参考1)「薬をやめられない」で契約解除 華原朋美に“薬物乱用”“交通事故頻発”疑惑を直撃

――運転しているときに薬の影響で華原さんが酩酊状態だったという話も。

――事故が短期間に多過ぎる印象がある。薬の影響では?

https://news.yahoo.co.jp/.../6cd421b63d573f79acfcdc523292...

 

参考2)鳥取大学医学部附属病院薬剤部(当院採用薬を中心に作成)2020年7月16日更新 自動車運転に注意が必要な薬剤リスト

http://www2.hosp.med.tottori-u.ac.jp/.../files/34973.pdf

 

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脳腫瘍や脳血管イベント等の局所的占拠性病変と異なり、レセプタが存在する部位すべてで異常が惹起される可能性の病態は、錐体交差等の一般概念はなく、その個に与える症状数も多く、当該神経伝達物質シナプス間隙でエラーが生じれば、他の神経伝達物質の動態や内分泌や外分泌、脈管系の異常へ発展して全身状態へ反映されると推測されます。CKやACTH、コルチゾル等の検査数値で異常が認められるのは急性期程度な印象があります。しかしこれらの数値も結果論です。まして生体のシナプス間隙の状態を見る検査機器は今のところ存在しないと思うので、今後も暫くの間は具合いが悪くても異常なしです。

 

それでも尚、ひとつひとつの症状を惹起させる罹患部位の軽重はあるのか、サーカディアンリズム寛解増悪を呈したり、日差変動が見られるものの、その基礎病態は身体/精神/環境負荷に自己制御が困難な中枢神経異常の為、全般的に症状は波を打ち易いかもしれません。検査上は異常なし(が多い)、罹患部位が広範と推測される症状群、症状固定が見られ難い、これらの要素は自然発症性か薬剤性かに先ずは分類出来ますが、薬剤性は自然発症性と異なり、大脳や小脳、脊髄由来も併発的に目立つのが特徴かもしれません。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/3487694834655091

 

ヒトの発生として筋肉や筋膜は後発の為、当該部位そのものを罹患した理由がない限りは、一見そこの部位が悪いかのように見えて、そこに原因はないと捉えています。このように、発症部位と原因部位は異なるからと一言で終えられる事象は多々あるのですが、多くは発症部位が原因部位だと考えている印象があります。もちろん、発症部位へアプローチしても何らかの変化は生まれます。ただ、当該部位への鎮痛や弛緩、ストレッチ行為で変化が生まれるから(生まれたから)と、その行為を正解とするには短絡的と捉えています。ヒトの細胞はある程度の時間を掛けて変化し、初めて良い悪いが見えてくる為、直後結果は私自身の勉強の為に伺いますが、評価としては対象外としています。大切なのはその後の経過がどのように動いていくかです。

 

シェアの内容と多少沿わせていくと、非日常的なエネルギーが発生する事故等は別として、自然経過で椎間板が水分を失い硬化傾向となったり、摩耗などで体積が減少しても、それだけでは症状自覚はないと思います。椎間板の素材は軟骨で出来ており、その内部には神経の走行が見られません。その為、加齢などで椎間板が摩耗しきっても発症理由にはならず、また、丁寧に使用されて経過した脊椎であれば、前後のブレもなく沈んでいくだけになる為、脊髄なり尾馬なりから目を出し始める椎間孔でのインピンジメントも見られず、結果的に変形はあっても無症候で過ごせます。

 

反面、上記の縦軸での摩耗による沈み込みであれば無症候で経過する事も可能ですが、前後の軸で異常が見られる場合(滑りや分離が代表的でしょうか)、椎間孔による神経根付近への攻撃性も高まる為、経過の悪さも見られたり、動作ひとつで顕著に寛解と増悪を自覚出来るようになります。このように骨という硬い素材と、神経という柔らかい素材が身体のなかに一緒に存在していると、骨が神経をアタックして神経を傷める例は脊椎とその周辺事情に限った話ではなく、様々な部位で惹起されていると思います。それを踏まえての話となるのですが、「弛緩やストレッチはしても良いのか」とする、症状を抱えた方へ対するアプローチ手段の是非を考える必要があります。

 

結論から言えば危ないのですが、幾つか理由があり、先ずは上記で触れた部位はヒトの解剖上、横突起や肋骨突起等で守られており、絶対的に指では到達が不可能な部位で惹起されているエラーです。届かせるなら針や注射針などに限定されるほか、超音波なども0.8MHzや1MHzが市販されているものの、実質的な照射到達度は3~4cm程度の為、私は超音波を使用するにあたっても、浅層の頸部程度にしか用いていないのが実際です。極めてるい痩を呈する個体なら別ですが、一般体型以上の場合、腰部は届かない深度です。

 

この点を踏まえると、指では届かないけど指でなんとかしようとした場合、腰部は浅層から力価は減衰し続けたうえで、広背筋や起立筋程度が限界になる事が分かります。私がヒトの身体を揉んだり伸ばさない理由にもなるのですが、そもそも指で何とかするにもメリットがないことと、届く範囲なら超音波で済ませたほうが確実に効率が良いことが挙げられます。そしてその結果論の部位を弛緩させた場合、仮に当該患者が構造的異常がなければリスクは低いかもしれませんが、構造的異常がある場合、弛緩が理由で椎間孔と神経のインピンジメントを発生させるケースも見られます。この現象は重力に抵抗し易く、且つ荷重の掛かり易い部位で目立ち、主に腰椎、股関節、膝関節、足関節となり、その逆に頸椎や肩関節、肘関節、手関節は目立ちません。

 

そのヒトが症状を出したことで、当該部位を保護しようと周辺の軟部組織が緊張してくれた部位に対し、弛緩行為を求めたことで、関節面同士の接触が過剰となったり、椎間孔狭窄のようなアタックが始まるのかもしれません。ヒトそれぞれ個体差があるとはそのようなことで、「緩めれば良い」は決してなく、「やってもやっても(緩めても緩めても)痛いんですけど」の背景には「やるから(緩めるから)痛くなるんですよ」が実際のところかもしれません。

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f:id:fujiwarakota:20200710112556p:plain イメージ 1 ~針治療から病態定義の見直しを~

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