藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

藤原航太鍼灸院研究所 4


藤原航太鍼灸院研究所1 ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/11729911.html

旭町のダ・ヴィンチと名を馳せた私ではありますが、発明(品)に関しての探究心は今も忘れる事なく、コッソリと続けています。人間はネガティブから便利は生まれます。腰が痛い人に第三者から「ポジティブに」と助言されたところで、「私の痛みがアナタに分かるか」というのがオチなのです。さて、それでも痛みは患者の全てを急降下させます。生活もままならず、仕事なんて出来る訳がない。別にどうだって良い事まで腹を立て、生きる希望は失われ、時計の針に目を向けては、早く今日という日が終わらないかと考えている人も沢山いるでしょう。
 
しかし、誰が言ったか分かりませんが、「あなたが虚しく過ごした今日という日は、昨日死んでいったものが、あれほど生きたいと願った明日」なのです。残酷ながら、人は痛みだけでは死ぬ事が出来ません。中途半端なネガティブを抱えている位なのなら、一度とことんネガティブに物事を考えてみるのも大切なのかもしれません。半端なネガティブは半端なポジティブしか生まれません。どん底のネガティブなら爆発的なポジティブが生まれるはずです。そこに新たな発見があるはずです。

         
 
「腰痛患者は減らないと考える」
 
腰痛患者は減らないと考える。私が言うのも自虐的ではありますが、誰もこんな事を言わないから敢えて言い、考えてみようと思います。そこから物事を捉えてみるのも一つの方法かもしれません。どうしても私達の業界というのは患者に希望を持たせます。「何処に行っても治らないアナタ」「手術しても治らないアナタへ朗報」「手術は要らない!脊柱管狭窄症は○○体操で治る!」「ヘルニアが痛みの原因なんて嘘!?新たな知見、○○論」とは、業界外の方にとっては正に希望の光。ただ、今まで同じ事を何十年やってきたでしょうか。そして、私はそんな明るい事は今まで一回も言った事はありません。たった1人でも腰痛患者がいる限り、100人いたら100人治るかのような誇大PRは出来ません。故に、日毎夜毎トライアル&エラーを繰り返し、破壊と構築を繰り返し、グワングワンしているのです。仮に教科書に正解が書かれているのであれば、困る事だってありませんが、全てはイレギュラーが当たり前の生体と対峙している以上、血反吐が出るまで考え尽くし続けても足りないのです。
 
例えば、100人が同一手段を実践し、90人が良くなったとします。それは有効率9割という、世間一般では非常に高い有効な手段と捉えられますが、残りの1割の方々は置いてけぼりになっている事も忘れてはいけません。その1割に対して無効手段になった以上、私は、その手段そのものが無効手段であると捉える人間です。
 
よく聞く話で「合う」「合わない」という言葉がありますが、「合う」「合わない」が存在する以上、私は「全て合わない」と捉えます。例えば、ラーメン屋に行った時、「私の口に合うor合わない」という話なら分かります。但し、この業界に関しては「合うor合わない」という中には健康被害を生じる可能性も存分に絡んでいる事象も存在する為に(ラーメン屋で健康被害が無いかと言えば、それも違うかもしれませんが…)、一人でも「合わない」というマイノリティが存在する以上、とことん手段の内容に関しては検討を続けなければならないのです。例えば、腰痛に対しての見解及び手段は随分と古い時代から考察され続けました。しかし、実際に世の中の腰痛患者がゼロ人になったかと問われれば、そんな事はありません。地球上という、抗重力下で生きている限り、腰痛は付いて回るものです。
 
1)抗重力下で生きている以上、椎体は砕け、腰は曲がり、膝は曲がる生き物である
2)器質的異常が直接的な痛みに関与する事はないにせよ、異常発生時及び、異常に伴う当該各関節を走行する伸・短縮率の変動は避けられず、異常が無い人間と比べたら、早期に痛みとして症状を自覚し易い
3)腰痛を避けたければ、赤ちゃんの頃から生活指導が必要となるが、時既に遅し
4)抗重力下に於いての最大の回避方法は、自重分散である(要は寝てろって事)
5)しかし、人間は寝てばかりいる訳にもいかないって事
6)故に、常に腰椎には負担の掛かり続ける生き物であり、不可避な事象である
7)全ての人間が、腰椎に負担の少ない生活を送れる事はない
8)仮に他者介入(治療等)で腰痛が改善されたとしても1)~7)を繰り返せば、再度痛める確率は上がり続ける
9)生きている限り、痛みからは逃げられないということ
10)故に、人類全ての腰痛は治らないと考える
 
という図式が生じても不思議ではありませんし、大変自然であり、何をしても「痛みが起きない身体」は不自然なのです。身体能力の差異や若年時からの様々な負担による脆弱性の累積等々も絡んでくる問題ですが、どんな痛みでも、誰にでも起こりうる可能性はあり、外的内的問わず、一度でも発症要因を抱え込んだ場合の再受傷率というのは、全く症状を抱えた事のない人に比べたら高いかもしれません。自身の適応範囲を越えた動作を繰り返し続けても「痛みが起きない身体」のほうが不自然且つ危険なのですが、意外と後者を求める人もいます。「針を受けて良くなっても再発するんですよね?」という質問もたまに聞きますが、再度受傷すれば再度発症します。毎治療時にこのような質問をしてくる患者は大概にして治らず、自制を効かせられない為に、このような状況に陥っている事を省みられないという基礎的な部分で既にずっこけている状態であり、仮に一時的に針治療で無症候まで持ち上がったとしても、人一倍再受傷率は高いものです。そして、個々が本気になって腰部痛を治すという意識があれば、容易く治る理由も見えてくるのではないでしょうか。
 
勿論、加療により好循環維持出来る身体にまで持ち上がれば、少しの負荷、もしくは過去と同一量の負荷、もしくは過去と同一量以上の負荷を掛け続けた場合でも簡単に回復出来ますが、回復と損傷のバランスが釣り合わず、損傷が上回り続ける生活を過去と同様に送り続けたら、再発症の可能性は幾らでもあり、治療期間中なんて最もたるものです。二日酔いになる度に「もう酒は飲まね~」と言いながら、また二日酔いになるのと同じですね。しかし、二日酔いは少し時間が経過すれば改善するのは誰しも分かっているものの、痛みは執拗に患者に襲いかかり、無慈悲で逃避不能な正論を突き付けます。その為、痛みに立ち向かうには強い精神力も必要でしょう。

ユダヤの格言】
人は転ぶと、まず石のせいにする。
石が無ければ坂のせいにする。
そして坂が無ければ履いている靴のせいにする。
人はなかなか自分のせいにはしない。

と言う訳で、生活でも仕事でも様々な欲求を満たす行為でも、人間は何かをし続けなければならない生き物であり、自身を満たす為に(それはスポーツでも酒でも何でも)身体を破壊しながら時間を過ごす生き物なのです。そこを納得出来ないのであれば、どんな治療であっても回復する事は出来ないでしょう。痛みに対しての治療というのは厄介な部分があります。http://www.chiryouka-shigoto.com/report/?p=3248でも触れた通り、痛み治療から業界は逃げたがり、「美容」や「スポーツ」、「自律神経系」とカテゴリ分けし、患者を選定し始めます。
 
「美容」や「スポーツ」、「自律神経系」は言い訳し易く、言い訳が通じ易い世界なのです。逃げ口上なんて幾らでも羅列出来ます。逆に痛み全般に関しては、問答無用の実力勝負の世界になり、患者の行動制限にも症状改善の速度が依存され、治療時間外での患者制御が孕む、患者制御が出来なければ治癒速度が上がらず評価の対象にならないという厳しい世界になります。更に、痛みに対して対峙する医者やコメ、他、多くの医療・代替医療者は裏側で戦争のような議論の潰し合いが日々当たり前のように続き、業界外で評価を受ける前に、業界内で術者に潰される術者も多数います。故、業界の看板は増えたとしても、痛みを抱える患者の受け皿は減少し続け、受け皿から零れ落ちる患者が後を絶たなくなるのです。
 
この場で書く内容ではありませんが、行動制限の指示をするのには理由があり、一般的な整形領域に於ける受傷理由の多くは、患者自身が適応身体能力を越えた(持続的)伸張、短縮、不要な力価を加え続ける、それはアイソトニックやアイソメトリック的要素も全て含み、同一姿勢、反復動作、一点部位の持続的圧迫による、当該栄養支配下の低酸素⇔炎症惹起、他、様々な要素が日常的に過負荷である故に、突発的に症状を引き起こしたり、ダラダラと症状を抱え続けているのです。しかしながら幸い人間には自然治癒の機構が備わっており、加療せずとも寝ていれば治る症状というのも山程あります。薬に批判的であるものの、急性憎悪期に、バファリンであれ、ロキソニンであれ、ボルタレンであれ、デカドロンであれ、しっかり飲んでしっかり休めば多くの症状は比較的単純に消失していくものですが、痛みが一時的に柔らいだ事を良い事に、過去と同様、適応範囲を越えた過負荷を続ければ、いつまで経っても改善はしませんし、症状が長期化した場合、上述した薬の作用とは異なる理由で痛みを呈し続ける事になります。
 
故に、薬が効かない(薬が弱いのでは?)という誤認も含め、増量しても効かない身体状態(身体時期)に入るため、幾ら飲んでも効果は自覚出来なくなります。飲み続ければいつかは治るという根底的思考を抱え続けた患者が陥る落とし穴が、先ずここにあります。発症している症状の内容と、薬の作用が異なれば、いつまで飲んでも効きませんし、幾ら増量しても効きません。具合が悪くなるだけです。症状も初期症状であると捉えて構わない筋骨格系症状も、場合によっては痺れや脱力、感覚鈍麻へ発展していくのは当たり前であり、残念ながら筋骨格系から派生した神経由来、血流由来等の痺れに対しての薬というのは効果が乏しくなり、まして、脱力や感覚鈍麻に至った場合、薬自体が存在しなくなります。

 
                  解熱鎮痛剤の類が効かない事を、このグラフは証明した
 
陳旧期(慢性期)の諸症状の本態は炎症で無いという事は、抗炎症作用が著効しない事を意味する。抗炎症作用を持つ薬物が著効しないという事は、現行医療に於ける薬物の多くは著効を示さない事を意味する。故に、中枢神経系に働かせる薬物が蔓延し始めた。但し、諸症状の本態は低酸素状態という単純明快な所見であり、現行医療に於いて、針治療のように低酸素状態を急激に解除する手段が無かっただけの話なのである。後は、如何に患部に栄養を安定的に供給させ、且つ、維持及び確保出来るかに努め、早期回復を求めるかである。その為、筋骨格系疾患に至っては、初動さえ間違えなければ比較的簡単に収束する。オピオイド系、まして向精神薬を処方するのは症状の本態が見えなかった証拠でもあり、解熱鎮痛剤の長期服薬は症状の上っ面しか改善しない。患者の症状の惹起状態を観察し、神経由来(馬尾や椎間孔、神経根、DRG等々)か筋由来かを見極め、治療及び治療後の経過(発症時期(炎症がメインか低酸素(部位によっては鬱血という表現が的確な場合もある)がメインか)及び、神経由来がメインか筋由来がメインかで治療後の経過は異なる)に対しての行動制限を提示すれば良いだけの事。注)過去から「低酸素」や「鬱血」という表現が出ますが、局所的及び広範化した「低酸素」や「鬱血」によって当該部位に発生する諸症状を示しているものになる為、「低酸素」や「鬱血」そのものが「直接的」に関与して諸症状を惹起しているという意味ではありません。本来は、もう一段踏み込んだ記述が正確になるのですが、ややこしくなるのでこの辺りで止めています。

赤字のように物々しく書かなくても、エビデンスなんて隣近所にゴロゴロいますから別に良いのですが、薬自体が存在しないという事は、ある意味、薬物投与依存の医療機関では打つ手が無くなる事を意味し、場合によっては向精神薬への処方へと発展します。今は、初診から向精神薬を処方するケースも多く見受けられるので上記の通りではありませんが、自身の領域を越えた症状を患者が呈した場合(呈し続けた場合)、やはり向精神薬が出ます。画像所見と身体症状が一致しない場合、術後も症状を呈し続けた場合、患者が自ら望んだ場合(眠れないとか)、患者が医師に対して感情的に詰め寄った場合、患者が医師を前に非常に落ち込んでいた場合等などキリはありませんが、ありとあらゆるケースで向精神薬は処方される可能性があります。各種検査で異常が見つからなければ「歳のせい」「気のせい」「心因性」「精神疾患患者」というレッテルが貼られるだけで、不遇な待遇が待ち受けているのは今も昔も変わりません。
 
とは言っても振り返ってみると、自身の受傷理由や初期症状を鑑みれば、症状を長期化~増大化~難治化させた理由は、そんなに複雑でもなく、初期症状も複雑怪奇ではなかったはずです。アレコレ突っ込んでいくから結果的に謎めいた病態になるだけであり、救急救命医も真っ青の超細かく調整した服薬を自身でし始めなければ、日々症状が安定しない状態に陥るのです。私が行動制限を提示するのは、今は腰神経叢由来の下肢神経症状を呈している患者群程度で、他の諸症状に関しては特に提示していません。本来であれば全患者、全症状は行動制限をしたほうが回復が早いのですが、患者は行動制限を一番嫌う生き物だというのを知っています。その為、患者が日常的に損傷する以上に、針治療の作用を上げ、回復力を上げ続けているだけなのです。しかし、腰神経叢由来の下肢神経症状に関しては、常に負担の掛かる部位、且つ、早期脱出しなければ、症状を自覚している間はADLの急降下は目に見えている為、提示しているに過ぎないのです。勿論、言う事を聞くか聞かないかは患者に委ねてはいますが、初期治療時から行動制限を強いたほうが圧倒的に回復速度が早いというのは当たり前であるものの、患者努力が絡む痛み治療は厄介事が多くなるのです。
 
参考
 
腰椎変性疾患(器質的異常の有無問わぬ腰神経叢由来下肢症状含む)患者との対峙
 
 

                     
 
そう。向精神薬を飲ませる医者は「正しい」と思っているでしょう。しかし、私は「正しくない」と思っています。だから、いつまでも戦争は続くというだけの話です。どちらを正解と取るかは患者に委ねるしかありません。

では、これらの破壊行為をしながらでも、破壊度合いを軽減させて時間を送るようにすれば、症状自覚も軽度で済むかもしれません。症状が軽度であれば、1日寝ていれば治るかもしれません。その為には、日常的に補助具を使用し続ける事で、累積していく損傷も軽度で済むでしょう。日々の損傷が軽度で済むという事は、中長期的に渡る椎体への負担が軽いという事。圧迫骨折等の器質的異常が回避出来るかもしれず、下肢症状への発展も防げるかもしれないという事です。という訳で、幾つかのアイテムが浮かびますので簡単に書きます。
 
1)コルセットや杖⇒コルセットは重力を回避出来ませんし、杖を持ちながらでは片手が利かない、仕事し辛い
2)赤ちゃん用の歩行器を大人が使用する⇒臀部圧迫は腰部に良くない、膝関節等の屈曲が不能、仕事し辛い
3)高齢者用の歩行器やシルバーカー、スーパーのカートのようなもの⇒両手が利かない、仕事し辛い
4)半身麻痺患者等のリハビリで使用される、吊り下げ型の免荷装置⇒その場でしか有効でなく、行動範囲が限定される
5)天井にレールを敷いて、フックで引っ掛けて吊り下げ型の免荷装置⇒レール以上の行動範囲が取れない
 
他にも色々あるとは思いますが、どうしても補助具は一長一短です。何かを回避する為に、何かが犠牲になります。原理原則と言えばそれまでですが、限りなく短所を削る事は必要です。限りなく重力を回避し続けながら、何処でも比較的簡単に移動ができ、両手を今までどおり活用でき、腰部の屈曲や伸展他、他の関節も容易に可動出来る事が必須事項となります。重力を回避しながら自由度が高くなければなりません。そして、一つの原案が思い浮かびました。車中用も思い浮かんだので二つなのですが。腰が悪い人は車にも椅子にも電車にも座っていられません。そこも何とかしたいのです。移動が出来なければ治療院までも来れません。まぁ私が行ってますが。と言う訳で、アイテムのキーワードは【重力の回避】【実用性】【痛みの回避には自尊心を捨てろ】です。勿体ぶっている訳ではありませんが、カミングスーンってやつですね。

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  ~針治療から病態定義の見直しを~