藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

治癒遅延を招く要因と根源的要素改善の重要性


チラと触れたように、原発部位が定まっていれば、鍼という手段を用いる事なく、
治療現場に於いては一時的なりとも症状を消失させる手段はあり、
この手法を元にして、患者間と原発部位の相互理解を深め、そして理解と納得を踏まえた上で、
原発部位に対して鍼という道具を用いてアプローチを掛け続け、症状の改善を行います。

私達は、生活する上で誰しも平等に掛かる力があります。「重力」です。
重力に抗して常に生きている以上、身体内部で異常が生じている場合、
一般的に言う「自覚症状」を感じる事になります。
逆を言えば、無重力状態であれば、筋骨格系の症状を感じる事はないでしょう。
 
同一の労働環境に従事する100人にアンケートを取り、仮に100人が腰痛を抱えていたとしても、
発症箇所及び発痛姿勢を1人1人聞き取った場合、100人100様に枝分かれしていく事になるでしょう。
 
例えば、疼痛箇所が腰椎上部周辺、腰椎下部周辺、上前腸骨棘周辺、上後腸骨棘周辺、
上殿神経ライン周辺、下臀神経ライン周辺、仙骨周辺、坐骨周辺等々と、挙げればキリは無いでしょうし、
 
発痛姿勢も、起き掛けや、椅子からの立ち上がり、歩き始め、半端な中腰姿勢、
座位時、立位時、静的姿勢時、動的姿勢時、反復動作時等々、
こちらも挙げればキリがありませんが、これらの愁訴を伴う所謂「腰痛」というカテゴリーに
当て嵌められるような諸症状の根源的原因は全て同じあると私は捉えています。
 
これを、仮に「筋肉」という視点を以って鍼灸治療でアプローチしようとした場合、どのようになるでしょうか。
各発症箇所の筋肉に対してアプローチを掛ける事になると思うのですが、以前も述べた通り、
症状発症箇所に対しての刺鍼という手段は根源的要因を収束しえないと考える1つです。
何故、そこが痛くなったのかの答えは症状発症箇所には無い為ですね。
 
鎮痛的意味合いも含めた治療となると話は別ですが、
根源的要因となる原因部位に対しても併せて治療を行わない限り、
「治療中だけ」しか楽にならず(実はこれも怪しいもんですが)、
玄関を出る頃には症状も戻っているかもしれません。所謂、対処療法of対処療法的なものです。

根源的原因は同一であるにも関わらず、症状発症箇所に何故個体差が生まれるかという問題なのですが、
この問題を取り上げると更に細分化されてくる為、1つだけ例に挙げますが、1つは筋肉量です。
本来であれば既往の有無や年齢、家庭内での生活環境等々も含めて考察する必要性もあるのですが。
 
筋肉量と発症後の痛みの関連性はありません。筋肉の多少により発症するという事はないでしょう。
但し、筋肉量によって発痛箇所は変動します。(強烈に出っ張った腹も、荷重時のベクトル変異もあるでしょう)
AさんとBさんの原発は同一でも、筋肉量により発症箇所が異なるという状況が生まれます。
補足しておけば、筋肉量の多少と発症の関連性はありませんが、
発症前の筋肉量の多少により、突発的発症の回避(要はギックリ腰みたいなもの)、
及び、他筋群による強い代償作用により重症化を防げる要因にはなるでしょう。
 
但し、ここで誤解してはならない点として、既に何かしかの症状を抱えている人間が、
症状軽減の為にと筋肉量を増やす行為をする事に関しては否定せねばならないでしょう。
 
発症後、原発部位、及び症状発症部位というのは重症化を防ぐ為、
筋肉は敢えて過緊張を起こしてくれており、過剰動作を防いでくれています。
良い意味で過緊張を起こしてくれている筋群に、更に負担の掛かる緊張を強いた場合、
改善に導かれるか否かは素人判断でも答えは出せる事が出来ると思います。
 
痛みが出ている人間は、何とか痛みを回避しようとします。
回避した結果、回避出来た姿勢を会得したとします。

Aの姿勢が立位時の理想ラインとされています。
但し、あくまで骨格や筋肉量の違いで個々人により大きく変動するでしょうから参考程度にまで。
 
問題なのは先天的要素の強い骨格ではなく、何かしらの外傷や日常生活に於ける過負荷にて、
自身の当該筋肉の伸張位及び短縮位が正常域を逸脱し続けた状態に関しては、
謂わば負担の掛かりやすい状況に陥ります。
 
負担が掛かりやすいという事は「疲れ易い」「傷め易い」「痛め易い」という事ですね。
今回の後天的要素の強い反り腰に関して、上記赤字患者は「反り腰だから腰が痛い」
という表現を用いていますが、反り腰でも腰痛は無い患者も多くいますし、
臀下肢痛に苛まれている方も非常に多いように見受けられます。
 
その何故?を考察する必要性があります。

前項でも触れたギックリ腰患者及び、慢性腰痛と世間一般で呼ばれる患者に対して、
大半の方が仰向けになって寝てもらい腰部に手を滑り込ませると
必要以上に腰が反っているように見受けられます。
 
就寝姿勢を伺うも、始めは仰向けでも気付けば横向きだったり、横向きでしか眠れなかったり、
仰向けは厳しくてもうつ伏せなら眠れるという人がいます。
 
布団の硬さにより左右されてくる問題かもしれませんが、
仰向けで眠れない理由は腰が反っており、
仰向けになる事で反り腰となり浮いている腰部が長時間の間、
重力に抗する事が出来ずにストレッチを強要され続ける為に
疲労物質の蓄積にて保持する事が難しいのでしょう。
 
横向きでなければ寝れない方に関しては、仰向けとは異なり、
反り腰及び腰部の疼痛より屈曲に防御反応を示している
腹腰部の筋群に対して重力に抗する必要が無くなるからでしょう。
 
うつ伏せでしか眠れない方に関しては、
反り腰になっている為に重心の中心(体重が重い箇所)となる腹腰部の沈み込みに対して
布団が受け止めて沈んでくれる為に楽に感じるのでしょう。
うつ伏せでしか眠れない患者に対し、畳みや床のような硬い箇所にうつ伏せで寝かせてみると、
布団の時のように長時間同一姿勢を取る事は難しいと思われます。

立位での反り腰は極端な反り腰で無い限り、
背筋がピンと伸びているような綺麗なフォームに見えます。
傍から見てもそうですし、患者自身も綺麗な姿勢である事を自覚されている方も多くいます。
 
本来の立位姿勢は大腿外側、下腿外側、下腿後面の僅か筋緊張で保つ事が出来るものです。
しかし何故腰を反らせて立位姿勢を保持してしまうのか。
 
「楽だから」なんですね。
 
一種の逃避的姿勢とも言うべきか、
疼痛抑制姿勢とも言うべきか、上半身の体重を支持する為に使われる
下半身の筋肉を極力使わずに支持出来る為に、楽に立位姿勢を長時間保持出来るようになるのです。
筋力で体重を保持するのではなく、L5/S近辺の腰椎下部で上半身をロック出来るようになります。

今現在反り腰になってなければ擬似的に反り腰を作って立位を取ってみても良いでしょうし、
そのまま歩いてみるのも良いでしょう。
恐らく、どんどん大腿前面や下腿前面が(若しくは後面)
伸張位を強要される為に引き攣れるような痛みを自覚出来ると思います。
高いヒールのある靴を履いて歩いてみると、より一層自覚し易いのではないでしょうか。
 
過去に何かの拍子で腰を痛めた経験がある方は、
無意識の内に痛みの出ない身体バランスを良くも悪くも会得します。
 
その一つに反り腰があるのでしょうね。
 
そして、大腿前面や下腿前面に過剰な負担が掛かり続けた場合、
疲労の蓄積により短縮傾向を示す事になります。
 
下腿~大腿前面が短縮傾向を示した場合どうなりますでしょうか。
細かい事は省略しますが、拮抗する下腿~大腿後面が伸張位となります。
足の前面の短縮により腹腰部も屈曲傾向を示します。
 
この事により、腰部背面の筋群が常に伸張状態となり、
低酸素代謝に至った腰部背面に疼痛や重ダルさ、
人によっては冷えや表面のジリジリ感等々を自覚し始めます。
 
「あれ、普段現場で話している内容と違うんじゃない?」と気付いた方。
大切な事は申し訳ないですが伏せながら書いています。
あくまで一般的な運動連鎖より推測される状況を書いているだけですので、治療理論とは異なります。

この事で腰部へ各愁訴を感じた場合、通常立位姿勢でいるのが苦しくなります。
その為に、意識的か無意識的かは関係無く、様々な姿勢を模索し始めます。
 
「どんな姿勢が楽なんやろ~」とですね。
 
やや前屈になると、筋緊張を高めなければならず腰がエライ痛い。
でも腰を曲げきってしまうと(この書き方で分かるかしら)楽になる。
でも、腰を曲げきったままでは前が見えない…伸ばすしかない…。
 
伸ばしきったら楽になった。
身体が軽く感じるわ。(筋肉ではなく骨で支持されているだけ)
中腰になる時は辛いけど、立っている分であれば痛みは然程感じないし。
 
と言う訳で、
患者本人にとっては辛くはない状態を会得したように見受けられますが、
痛みの悪循環が完成しているのです。
反り腰の状態は単に荷重のベクトルを逃がしているだけですからね。
 
疲れ易い、足のどっかに痛みが出易い、痺れる、
ムクミ易い、ダルイ、重い、冷える等の環境が成立してしまう事になります。
 
この辺りの理論的解釈はここでは触れませんが、
何故このようになるかは、上記に記載した解釈とは異なる部位で発生する理由があります。
ここに対して加療せねば、患者は長期間に渡り様々な愁訴を抱える結果となるのです。

このような方に対して鎮痛効果を狙うような治療手段を施したとして、
仮に腰の痛みはなくなったとしても、下肢痛へ発展してしまう恐れがあるのはその為です。
 
鎮痛と治癒はイコールでは絶対に結ばれないと思います。
患者ニーズとしては治療直後より全く痛くない症状の鎮痛を求めている方も多いでしょうし、
痛くなくなればそれで良いと思われている方も多いでしょう。
 
しかし、その患者ニーズに対して術者がホイホイと乗っかってしまうと、
中長期的に患者を診た場合、どこかで躓く可能性が出てきます。
一時的な鎮痛作用は中長期的に見た場合、患者に対して悪影響を示す傾向が高いのです。
一つのケースで例えれば、反り腰でない患者を反り腰にさせてしまえば腰痛は比較的軽減されるでしょう。
しかし、原発の処置も併行して行われていない場合、その後は下肢痛に苛まれる可能性もあります。
 
患者が痛いと指で示すポイントに鍼や指圧を施す事で
幾らかの改善は得られます。只、その作用は治癒へ向けての作用でなく
鎮痛目的にしか働かないケースというのは山ほどあるのですね。
こないだ話したエンドルフィンもそうですね。
あくまで一時的な開放感の為に脳内麻薬を噴出させる治療手段は
得てして効果が長続きするものでも無く、治療とは言い難いものです。
 
痛みを起きない身体にする事が最重要課題であり、
痛み止めとしての治療法や治療手段として鍼灸治療を用いるのであれば、
そこらの対処療法と何ら変わらなくなってしまいます。

以前は随分一生懸命書いてましたね(苦笑)
 
と言う訳で、人間は痛みを回避する為の姿勢を見つけたがります。
仰向けが出来ないから横向きになってみたり、
立位による抗重力化に於いて筋群での支持が出来ない場合、骨で身体を支えようとします。
その結果、腰椎下部一点に上半身の体重は乗り、そのまま歩行等々もし続ける為に、
腰椎から伸びている歩行に使用される筋群は用いられず、腰椎下部以下の筋群のみに負担が掛かり続け、
下肢痛へと発展していきます。
 
治療を行い、原発に向かって集束していく治癒過程に於いて、
過去の症状へと逆戻りしていきながら改善へと向かいます。
その際に、下肢痛の改善と共に腰痛を自覚するのも、この結果です。

少し話が反れますが、一般的な症状であればこれだけで話は終わりますが、
症状が中長期に渡り改善されない一つの原因に、外傷性要素の高い既往(進行性)が含まれています。
 
1つは手術です。
メスで筋肉が切り裂かれていた場合、大なり小なり癒着は発生し、
各当該関節間の筋の伸収縮率は変化します。
 
1つは打撲や挫傷等々です。
損傷部位の血腫形成等々により筋肉の柔軟性の欠如から筋群の伸収縮率は変わります。
 
もう1つは、強い圧による指圧やマッサージの類を継続的に受けていた場合も同様です。
私は、強い外圧の発生する刺激というのは、仮にそれが「指圧」「マッサージ」「整体」「カイロ」等々と
看板を掲げて「治療」若しくは「慰安」と題して行っている行為すらも外傷と見なします。
 
別に指圧やマッサージ、整体、カイロ全般に対して云々言いたい訳ではなく、
強圧メインで外圧を掛け続ける行為を外傷と見なしますので、
奥さん、旦那さんの「ちょっと揉んでくれよ」も強圧であれば外傷の部類に含めます。
 
強い刺激は柔軟性を欠如させ、当該各関節間の変異が発生すると同時に、
上記2つの手術や、打撲等々と同様に、筋の伸収縮率も変化します。
 
参考 「外傷性筋損傷から~」⇒http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/8971854.html
左は正常な筋肉です。ついでに右はミオパチーを呈している状態↓
イメージ 2
        
        せっかくなので、ニューロパチーを呈している筋肉はどうなっているでしょう。↓  
イメージ 3
 
では、今回の本題である筋損傷を受けた筋肉はどうなっているでしょう↓
イメージ 4

症状の回復を阻害する原因として、負荷の掛かっている身体に対して更に負担を掛ける行動が伴えば、
回復にはブレーキが掛かり続けます。阻害因子が増えれば増えるほど、悪循環となります。
 
本来、人間は少しくらいの症状であれば鍼なんて受けなくても、寝ていれば治るものです。
何で治れないかというのは、間違えた手段を繰り返し行い続けているからです。
 
世の中には、本当に必要な手術というのも存在します。
打撲や挫傷等々も、不可抗力にて発生する場合もあるでしょう。
このようなケースは仕方ありません。
但し、「ちょっと揉んでくれよ。めいっぱい。」的な、
ちょっとなのか、めいっぱいなのか、よう分からん我侭には応えなくても良いのです。
応えれば応えるだけ治癒遅延を招くリスクは高まり続けます。
 
「気持ち良い」と「治癒」は異なります。でなければ、1ヵ月後、2ヵ月後、3ヵ月後と、
そこらの揉み屋よりも上手くなった頃には、奥さんの指には揉みダコができ、
旦那さんには揉まれダコができ、いよいよ指では太刀打ち出来ずに
すりこ木でグリグリし始めた頃には既に末期(苦笑)
この状況というのは全然治っていないと分かりますでしょうか。
寧ろ悪化しています。その頃には柔軟性を失った筋群が原因となり、別な症状も出ているかもしれません。
 
気持ち良く感じるのは、筋肉が弛緩しているからではなく、脳内から快楽性物質が出ているだけです。
そんな事にならないように、知っておけば避けられます。さする程度で充分です。

さて、いよいよ何を書きたいのか分からなくなってきたので自分の為にもまとめますと、
 
A) 発症時のエピソード如何に問わず、非外傷性による症状群に関しての各種愁訴に関しては、
   筋肉量により症状発症箇所は異なるものの、根源的箇所は同一の部位に絞られてくる。
   治療を行う場合、原発部位に対してアプローチを行う事で、症状は原発部位に集束していく。
   
B) 非外傷性による症状群から、外傷性を伴う行為を継続的に行い続けた場合、
   症状発症箇所の変動、及び、根源的要因の解放と外傷部位の解放も併行して
   行う必要性が出てくる為に治療時間、及び治療期間はA)に比べて長期化する可能性が出てくる。
  
※仮にA)だけの状況であれば、数ヶ月~数年間と症状を抱えていた場合でも
数回の治療で症状の収束は可能となるケースも多く、治療回数の予測も「○回位」と言えます。
 
私が現場に於いて「1~5回前後」程度と告げられた方々は、A)群に当て嵌まります。
大方の諸症状に関しては、好環境下に患者がいる場合、1~5回、
或いは5回前後程度の治療である程度の症状は収束していきます。
但し、治療スパンを守ってくれる事が前提になります。
 
B)も介在していた場合は、「○回」とは言い難く、 「○ヶ月」という予測で治療は進むケースが
多くなってくるでしょう。筋線維の粗雑化による柔軟性の欠如の状態というのは、
治療を行う上でも組織変性の耐性も強いもので、「○回」という予測はし難くなります。とは言っても、
数ヶ月という治療期間はあくまで治療期間であり、治療期間と治療回数が比例するものではありません。
あくまで、治癒までの時期としての目安です。後半は2週に1回、一ヶ月に1回と、幽霊部員と化します。
  
ついでに、
 
C) B)群に至った患者の場合、頸部や腰部への継続的な強圧により
   各種自律神経症状も呈する可能性もあります。
   例えば、不眠、頭痛、吐き気、眩暈、耳鳴り、便秘、下痢、頻尿、うつ症状、生理不順、勃起障害、
   冷えや浮腫み、重だるさ、痺れ、状況が更に悪くなれば皮膚感覚の鈍麻等々も出るでしょう。
 
D) C)群に至った場合、各種症状を抑える為に、市販薬で対処し始める可能性も。
   その間も大体がB)の外傷性要因を現在進行形で継続させるケースも多く見受けられます。
 
E) いよいよ市販薬では効かなくなる、及び、症状が多種多様に出始める。精神科に行き、アウト

結局最後はこのオチかい的な感じですが、このような道筋を辿る人は予想以上に多いと思います。
患者が抱える「今」の状態の初発段階も、もしかしたら相当軽かったのではないでしょうか。
「今」にして考えれば、全然大した事なかったのではないでしょうか。
 
何で、「今」になってコレほど迄に症状は重症化し、
治れない体となったのか今一度考えてみるのも良いかもしれません。
精神科でなくとも整形外科でも内科でも何処でも良いですが、各種検査でも恐らく異常は出ないでしょう。
 
向精神薬の類を出され始めると益々厄介になってきます。
高齢であればあるほど、向精神薬の処方がされる傾向は強いのかもしれません。
 
中には一日100錠弱の向精神薬と鎮痛剤が10錠弱という患者もいます。
「薬で腹一杯ですわ。」なんて冗談を言う間もなく薬で殺されるところですよ。本当に。
これでは、何が何だか既に分からない状態です。

 
気の利いた人間にFMSだのRSDだの言われ、調べたら益々不安になってしまったりと、
最早どーでも良い世界に患者自らが入り込み始める時期にもなります。
 
高齢になればなるほど、医療者側の言い訳は容易くなってきます。
ADLの低下を何でもかんでも「高齢」とする事が出来ます。
厄介な事に、真面目でお利口さんな患者であればあるほど、患者自身も「高齢」である事に納得します。
 
たらふく薬を飲まされて、入院させられて、安静と固定でベッドに縛り付けられておかしくなったとしても、
患者自身が医療に対しての疑念を持たぬ限り、最期の最期まで「手を尽くしてくれて有難う御座います」です。
患者自身が身を守られねば、医療は如何様にも医療者側にとっての「都合の良い患者」をつくります。
 
上記は1つの例ですが、
勿論、栄養偏重により精神状態への異常も来す可能性もあるでしょうし、
その事で、単なる筋肉疲労も回復出来ない状況に陥る可能性だってあるでしょう。
 
休養も取れない労働環境かもしれませんし、
人間関係が上手く取れない職場で、ストレスフルな生活も関与しているかもしれません。
家に帰れば飲んだくれがいるかもしれないし、様々な要因があっての事かもしれませんが、
初発段階を間違わなければ、避けられるものも避けられます。
これは、行動するかしないかではなく、知識があれば避けられる事です。
 
人間はそんなに弱くありません。自分の身体は自分で治せる機構は持っています。
その機構を弱体化させ、免疫力を低下させ、様々な愁訴や世間一般で言う病名がつき、
且つ、回復できなくなったのは、間違えた手段を選択し続けた結果ゆえなのかもしれません。
下記も併せて参考にして頂ければ幸いです。

東京往診雑記2                     http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/10945686.html
痛みのある内に色々と考えてほしい         http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/10894747.html
医学が語れなければ、患者が語るしかない    http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/10876736.html
医学が語れなければ、患者が語るしかない2   http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/10886112.html
診断名はどうでも良い                http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/10872409.html
病態把握の差異によるアプローチ手段の変異  http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/10852788.html
「痛み」は「痛み」であり「痛む病気」ではない   http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/10187849.html
「痛み」は「痛み」であり「痛む病気」ではない2  http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/10196710.html
「痛み」は「痛み」であり「痛む病気」ではない3  http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/10204004.html

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