藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

再考をする 8 2021/5/28~2021/7/10

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4215432208548013

 

アメブロでは2年位前から「いいね」を出来ないようにしていますが、フェイスブックでも同じ機能が備わるのであれば助かります。私の普段の投稿内容はそんなに楽しいものではないですし、こちらを見ているとしたら、今現在、どこか具合いが悪いヒトも見ている可能性も高いと思います。では、フェイスブックで「いいね」の機能が付いていることで起きた弊害の一例を挙げると、

 

→ 私の投稿にAさんが「いいね」する

 

→ その「いいね」を見たBさんがAさんにメッセンジャーなりで連絡する(AさんもBさんも具合いが悪い)

 

→ Bさんは執拗にAさんに連絡をし続ける(状態を知りたい)

 

→ Aさんが私に「Bさんって誰ですか?」と聞いてくる(私も知らない場合が多い)

 

→ BさんはAさんが嫌がっても、Aさんへ何らかの形で連絡をし続ける

 

→ Aさんがそのことで疲れる(嫌がっているのに連絡をする為、どんどん塩対応となるも、そのことに勝手に憤慨している)

 

→ Bさんから私に「Aさんの態度って酷くない?」と連絡がくる(私はAさんとBさんのやり取りを詳しく知らないうえに、そもそもBさん誰?)

 

まとめると、Aさんは疲れ、Bさんは怒り、私はなぜかBさんに怒られ、Aさんからは愚痴を聞かされる、望んでもいない状態に陥ります。身体のどこかに問題を抱えると、ヒトはそれだけでストレスフルな精神状態に陥り、類似した状態のヒトを探し、見つければ連絡を取ろうと試みる傾向があります。ただ凄く大切なことに、具合いの悪いヒト同士が繋がれば、その多くは上記の流れでいずれ共倒れになります。

 

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賛成があれば反対もあるのは健全な証拠ですが、反対の内容が正しいという根拠もありません。賛成派により具合いが悪くなれば、反対派に転じる場合が大半と思いますが、その意見で一直線で突き進むことがかえって危険な場合もあります。ましてヒトの身体の場合、賛成とか反対、正しいとか間違いで線引きすること自体が難しく、また、何らかのカウンターをあてる際には、その副作用も併せて見る必要があります。

 

例えば、向精神薬や向精神作用を持つ鎮痛剤等の神経適応を来す物質の賛成にカウンターをあてる場合、言葉や文字だけであれば無害なものの、ヒトが実質的に絡むと大惨事になる場合もある為、そうならないよう常に考える必要があります。

 

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「春になると変な人が増える」とはよく言いますが、こちら側にも相当な責任はあると考えています。私たちのような行為を行うにあたっても免許は必要なので、それに応じた勉強等々はして、テストに合格して、の段階を踏んでいる訳です。「厚労省が~」と言う割に、私も厚労省に登録されている人間です。では冒頭の通り、何故こちら側にも大きな責任があるかと言えば、免許は年度末に取得することになるので、晴れて現場に出るのは年度始めとなる春です。

 

丸々詰め込んで勉強をしてきた覚えたてホヤホヤの人間は、とにかく覚えたことを使いたがるものです。「あのヒト、〇〇障害っぽくない?」「〇〇障害ですね」等です。言われた側はそのなりで(学校や会社等を通じても)向精神薬を出してくれそうな機関に足を運ぶ(又は運ぶように促され)ことになるのですが、それがキッカケで「春になると変な人が増える」も十分あるでしょう。

 

春になると免許を取ったイキった診断厨が多く排泄されることになりますから、このような事態にもなると思います。少なからず誰かを障害扱いするのは、自分の器が狭い証拠、自分の物差しが短い証拠です。しばらくの間、毎日のように相手に責任を押し付けず、自分が悪いと挫折を繰り返せば、きっと器も深くなるし、物差しも長くなるかもしれません。

 

今まで頑張って覚えてきたことが、決してそのヒトの為になるとは限りませんし、勉強は大切かもしれませんが、勉強とは現場で全く通用しないことに気が付く為、勉強してきたんだなと実感しなければ、何年経ってもイキった診断厨のままで、相手は不幸にも、先ず社会的に殺されることになりますし、本当に命を落とすことになります。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4239551489469418

 

>>「自主的な研究の成果の発表だと思うので、そういう形で受け止めさせていただく」

 

良質な意見も全て駆逐していく感覚を覚える、今も昔も変わらない姿勢や体質が滲みでた発言ですが、実際のところそのようなものです。結論が既に存在し、その結論に力づくで持っていこうとするのが、感情を持つヒトの欠点と捉えています。それは向精神薬の推奨派が持つ思考や行為も、反対派が持つ思考や行為も然りですし、あらゆる物事もそうかもしれません。

 

ここまでは悪い意味で日本の伝統文化なので今更感はありますが、その上でどちらの方向に向かうとしても、ゼロか100へは過程も踏まずにワープは出来ないので、その過程で伴う様々な痛みは最小限で済ませたいところです。

 

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断食や糖質制限は、疑似的に飢餓状態を形成する手段となり、糖新生と呼ばれるヒトが持つ生理的な機構で脂肪や筋肉を分解し、中枢神経に栄養として送り続けて生命を維持する栄養回路を作る為、視覚的にも早期的な痩せを招きます。糖質制限派のウリがここに関連し、「脳は糖だけでなくケトンも栄養にするんだよ。だから糖を外から摂る必要はない」が左記を理由とします。

 

ただ、この懸念は将来的な耐糖能異常の惹起です(飢餓由来で肝数値も悪くなりがちですが、知った上でのことであれば問題はないかも)。〇〇kgまで痩せたい等の期間限定の行為であれば問題はない印象を持ちますが、何らかの契機で期間を限定させずに取り組む傾向下にある病状では、耐糖能の異常性は高度となり、僅かな糖質摂取で血糖値が跳ね上がるようになる等、予後を不安定としがちです。

 

冒頭の通り糖質を摂らない身体状態は、生命維持の為に脂肪や筋肉を分解し、中枢神経に栄養として送ると書きましたが、見方を変えれば、糖質を摂取したとしても急速に消費され易い身体状態も含まれます。この場合、無期限で無意識下の経時的な進行が示唆される為、表面上は原因不明のまま、各々の筋細胞のエネルギー消費量に比例した部位の痩せが認められ易くなります。参考として先天的な遺伝子変異性疾患となるGLUT-1欠損症※1)の症状群を羅列します(成人で同様な状況になれば、より多彩な表現がされると思います)。

 

>>眼球の異常な動き、けいれん発作で発症し、経過とともに発達の遅れ、ふにゃふにゃ・だらりとした体(筋緊張低下)、歩行時の足のつっぱり(痙性麻痺)、ふらつき・ことばのもつれ・不器用(運動失調)、運動時に勝手に体に力が入ってしまう様子(ジストニア

 

>>空腹(特に早朝)、運動、体温上昇、疲労時に悪化し、食事、睡眠、安静によって改善する神経症状をもつ

 

筋群の痩せに関しては、抗重力筋の痩せが共通点に挙げられ、追随して生活環境による使用頻度の高い筋細胞からの痩せが目立ちます。手をよく使うのであれば手の痩せが目立ち、足をよく使うのであれば足の痩せが目立ちます。その他、毛髪や体毛、皮膚、爪等々の異常や、傷が治りにくい等の代謝異常他、免疫能が低下する為、感染症に罹った場合は重篤化し易い等も併行すると思います。

 

傾向としては「理由も分からず痩せ続ける」→「検査するも関連する異常はなし」→「運動不足と言われた(年齢によってはサルコペニア的な?とか)」→「(運動不足と誰かに言われなくても)痩せたり力も入り難いから筋トレ等の運動(自動他動含む)しよう」としたり、検査で異常がないからと、デトックスを謳う断食や糖質制限を行う方々も多く散見しますが、この状況下では病状の増悪に拍車を掛けます。

 

※1)https://www.nanbyou.or.jp/entry/4453

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4259437957480771

 

脊椎分枝の体性神経は、知覚神経が背側の為、ヒトの日常生活動作では前屈姿位が頻回する以上、知覚神経側のトラクションが高く、椎間孔との硬度差によるコンタクト等で、神経根や後根神経節由来の症状が惹起される確率が高い印象を持つ反面、腹側の運動神経は比較的保たれます。またこれらは、上記理由の他、体幹ほど神経1本取り上げても、その内部走行は知覚神経>運動神経の比率が高い神経網を成している為、知覚神経の受傷確率が高度になる一因と推測します。

 

時に椎体や椎間板の圧壊や摩耗、突出や骨棘等の異形成、分離や滑り、関連した椎間孔の狭窄等で、神経とのコンタクトやインピンジメントが目立つケースでは、運動神経由来や自律神経由来も時に併発しますが、大概は知覚神経由来に偏ります。これらは運動(運動とは自動他動問わずあらゆる動きを含む)による負荷や同一姿位が根本となる整形領域的な発症群ですが、それらを契機としない精神ストレスでも、体性神経がダメージを受ける例も散見します。ただその場合、下記の通り

 

>>age 35 sex m

 

日常的に精神ストレスが数か月に渡り持続した事で発症。各種検査も異常なし。以後、3週間程度で寛解を示す。

 

幻聴

うつ症状

色覚異常(両眼性)

両耳鳴

両耳痛

口喝

両肩頸部痛

冷感

両手関節、両足関節から遠位の振戦

右下肢全般のファシクレーション

腓骨神経麻痺(右)

 

と、整形領域疾患とは多少色合いの異なる症状群も並びます。但しそれを以て、やれ整形だ精神科だ、〇〇病だ、〇〇障害だ、〇〇症候群だと考える事は、それ自体が先々の方向を誤る第一歩となりがちです。その個が内外問わず曝露した身体/精神/環境ストレッサーの内容や曝露時間、曝露度合いで症状は異なれど、どのような由来のストレッサーでもヒトは身体の何処かを傷め、何らかの症状を自覚する可能性のある生き物だと知ることが先ず大切と思います。

 

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先ずはどの病態の問題も、「なぜ進行し続けるのか」に限ると思っているのですが、発症はspinal onsetによる左右非対称性且つ、より当該初期は添付写真のように、左腕神経付近が由来と思しき筋群の萎縮(左ローテータカフ及び周囲筋群を参照)と当該部位を理由のrange of motionの異常と筋力低下が発現します。

 

このように発症初期は左右や上肢下肢問わず、片側の何らかの組織細胞内の異常の結果論で生じた、日常生活動作のfunctionalな小さな不具合から違和感を自覚すると思います。シェア内には記載してませんが、こちらの方は2型糖尿病も抱えており、腱反射異常(亢進を指す)が認められない(糖尿病では腱反射は減弱や消失する為)のも、過程で迷いを生んだ要因だったと推測します。

 

それはそうと、冒頭の通り多少の亜型はあれど大概は左右非対称性の spinal onset で進む病態ではありますが、男女比4:1で両上肢且つ近位筋優位で比較的左右対称性に病状の進行を認めるケースも存在し(見方を変えればそのタイミングでは下肢は良好な状態を示している)、ヴュルピアン型(flail arm syndrome)と呼ばれ、私個人は1例だけ知っています。

 

筋原性ではなく神経変性で近位筋優位に病状が存在し、且つ上肢両側性を発端とする進行病変となると、知識と思い込みが今度は邪魔になる例かと思います。また、どのような状態であれ、ヒトがヒトに名付けた病名に踊らされるほど不幸なことはありませんので、病態は何であれ可能性を挫く結果に繋げぬよう留意し続ける必要があります。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4287955387962361

 

ヒトも機械も建物も、出入り口が塞がれたり傷がつくと、それがストレスとなって機能は著しく低下しますし、それを誘因としてダメージは広範化/重篤化すると思います。ヒトに関しては体内に於いても、血管や神経、筋肉などの出入り口となる孔(穴)は幾つも存在しますし、外気と触れる部位でも、クチや肛門、毛穴など様々あります。それが塞がれたり傷がつこうものなら、具合いの1つも悪くなると思います。

 

私は幸いにも元気なほうですし、裸族なので服を着ること自体も年中我慢している手前、マスクが1枚増えた程度でギャーギャー騒ぎませんが、どこか具合いが悪いヒトにとってクチを塞がれるのはあまりにも酷な環境と思います。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4291766727581227

 

>>交感神経が持続的に亢進する事で起きる基礎的な体内環境としては、血糖値上昇、免疫力低下、筋力減少、骨形成低下、外傷などによる治癒遅延等の他、海馬を有名とする脳細胞の萎縮、ニューロンの生成阻害

 

コルチゾルの継続的な過剰分泌や、当該内分泌のネガティブフィードバック後の状態も含むケースでは、より多様な諸症状が羅列されると思いますが、時に陳旧例ではACTHが低値を示す例もあり、じゃあとステロイド薬を処方するケース、>>筋力減少 という痩せ状態を理由にメジャー系を処方するケース、ベンゾ等のGABAをエンハンスする薬を追加するケース等、各々の見方(見立て)や臨床背景で枝分かれしている印象を持ちますが、ベンゾ離脱等の病態が成している全身状態であることを前提とすれば、GABAの自己分泌能異常の改善や、ダウン/アップレギュレーション問わず、変性したレセプタの改善が必要となり、それらを以て初めて諸々の土台が築き上げられると推測され、少なくともそれは薬物を追って成せる技ではないと思います。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4295131967244703

 

ある程度の呼吸器飛沫や手指接触による不潔が避けられない道具を清潔に保ち続ける衛生操作の手間と労力を考えたら、寧ろ要らないよと思う側ですが、置き方や置き場所、その環境によっては空気の流れも留めてしまい、余計にその周辺の空気を不潔にするので、この手の道具は使い手や環境を相当選ぶと思います。

 

https://medical.jiji.com/news/43779

 

>>アクリル板やビニールシートによる空間の遮蔽が空気を滞留させ、換気状態が悪化、結果としてマイクロ飛沫感染のリスクを高める可能性

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4296980820393151

 

>>不妊になる可能性

 

真偽を調べるほど興味はありませんが、三角筋中部に放つワクチンは、私自身がリアルタイムで経験して(している)抱えている症例はHPVVがあり、当該部位に打ったつもりが肩峰下の滑液包に留まって炎症を起こし、腱板断裂(炎症が起きた部位の組織は如何なる細胞も脆弱になる)で患側上肢の挙上が不能になるとか、その手の事故は除外した上で、接種回数を重ねる過程で(今は知りませんが、過去は3回打たなきゃ的なワクチンで、2回3回と重ねる度に副反応が重篤化する。当時は新型のアジュバンドが原因かとか言われてましたが…)惹起された中枢神経障害から改善された事例でも、無事に出産している例もありますし、少なくとも妊娠は女性だけの問題ではない可能性もありますし、その因果を結ぶのは難しいと思うところです。

 

どうでも良い話ですが、私は不妊治療とはよく分からないので「よく分からないですが…」を前提で何かしていますが、経過を追うなかで今まで妊娠したのではないかと思う、経過とはそぐわない症状が突然惹起される時は妙に勘が働きます。今まで3人だけですが、本人が知る前に、経過中に妊娠をあてた時があります。

 

いずれも「なんか浮腫む…」「経験のない部位に頭痛が…」「変な吐き気が…」的な単純なものですが、そうではないどこか全体の変化が、妊娠すると女性から表現されます。空気感が変わるという抽象的な表現になりますが、経過を追えば掴み取れるようになるのかなと思うところです。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4299558096802090

 

伏臥位であれば下位に従い腸骨稜が邪魔な為、横臥位を主としていますが、当該部位にアプローチするにあたり、横突起(肋骨突起)に針尖で接触を確認した場合、僅かに引いて転向し、刺針し直すのがセオリー化している側面はあります。ただ、よくよく考えれば高いトラクションで下垂切痕とコンタクトして及んだ傷害であれば、罹患神経も頭側側が受傷部位であり、尾側側ではない為、上段の行為で横突起(肋骨突起)を抜けたから良い、椎間孔に針尖が接触したからそれで良い、ではないことを意味します。刺針転向ではどうしても角度が尾側側につき、受傷部位とは離れてしまう為、正解は面倒臭がらず別な針で刺し直しと捉えています。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4302010066556893

 

朝5時、昼12時、夜5時のチャイムが観光名所レベルになりそうな音量なので、スマホのアプリで計測したところ(室内、窓開け、カーテン閉じ)65~70db前後でした。知っていれば身構えられますが、知らなければ身体がビクッとすると思います。更には裏の山で反響するからか、スピーカーは一か所ですが、四方から鳴っているように聞こえます。朝の時間帯は20db前後で普段は推移しています。昼夜はある程度の生活騒音が存在する為、ギャップの少なさでまだ耐えられますが、朝の時間帯は45~50db前後のギャップがある為、体感的に余計大きく聞こえます。

 

http://www.toho-seiki.com/info04_e.htm で照らし合わせたところ、「70db 自室内の聞き騒音→非常にうるさい」だそうです。ちなみにアイフォンのアラームは概ね75~80db(耳と置き場所の距離で聞こえ方は違いますが)らしいので、それよりは静かですが近いといえば近い。起きる必要のない時間に、毎日目覚まし時計を鳴らされていると言えば鳴らされている状況。ここ最近スピーカーが変わってからピコピコ音に変化したと共に音量が大きくなったのですが、それ以前に「このチャイムはなに?」と思い、「午前5時 チャイム」で検索を掛けたところ、静岡県富士市が午前7時のチャイムを廃止したニュースがありました。

 

https://www.at-s.com/.../politics/shizuoka/843700.html

>>子育て中の世帯から乳幼児が起きて迷惑との意見や、3交代勤務の従事者から睡眠の妨害になるなど、朝の時報が苦痛とする問い合わせが年間20件ほどあり、「苦痛を感じる人がいることを看過できない」と廃止を決めた。

 

富士市といえば「おとうさん、眠れてる?」「お酒よりも睡眠薬」で有名な睡眠キャンペーンの発祥の地で、開始後は精神科に繋いだ人数と比例して自殺者を増やした事例にも関わらず、厚労省はそこに触れず全国展開した(※1のですが、チャイムが無くなれば、無理矢理起こされて睡眠不足で一日を過ごすこともなく、体調が良ければ生産性も上がり、失敗も減り、人との付き合いも衝突したりせず、どうでも良いことでいちいちイライラせずに過ごすことが出来ると思います。

 

(※1 https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/3519236658167575

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4304720366285863

 

先日「〇〇(店名がはいる)でゴルフボール買ってきて」とお使いを頼まれたのですが、「(恐らく)ネットで買えば安いよ」と調べたところ、同一の中古ボールが5分の1程度の価格で売っていたので、「これにする?」と聞いたら「新品が良い」とのこと。どうやら中古ボールは、池に入って水分を含んでいたり、えぐれた傷が付いていたり、マーカー(?)されている可能性が高いらしく、そのせいで空気抵抗が変わり、弾道に意図せぬ変化が生まれるのだそう。私はゴルフをやらないので「そんなのどうでもよくね?」ですが。

 

それよりもなんでいつもポケットに色々入れてもっこりさせて長距離を歩いたり球を打ったりしてられるのか、お尻の筋肉たちをまだら状に左右非対称に圧迫させ、邪魔ではないのかしら、適当なバッグに入れて持ち歩けば良いのにと、ポケットには何も入れない派の私は思ってしまうのですが、その話は置いといて、

 

この本質は「興味の差」なのでしょう。ヒトは興味があれば追い詰め続けられるのですが、興味がなければ適当になってしまう、適当な対応になってしまうのは、恐らくどの分野でも変わらないのだと思います。もちろん、経験値で世界の見え方は違ってくると思うので、AさんもBさんもどちらとも興味があったとしても、その表現方法には違いがあると思いますが、興味があると失敗に気が付ける、上手くいかないことに気が付ける、失敗や上手くいかないことに気が付けると、失敗しないようにとか、上手くいくように工夫する、のかと思います。

 

その逆に興味がなければ、そもそもそれを失敗とは気が付けない、上手くいっていないと気が付けない、上手くいっていないと気が付けないと、次もまた同じことを繰り返すことになるも、それも失敗とも気が付けないし、上手くいってないとも気が付けず、「そんなのどうでもよくね?」になります。

 

ただ、この「興味」とは努力で得られるものではないと思います。興味とはどちらかといえば、「好き」か「嫌い」かの感情的な支配によるもので、努力とは対極した位置に構えている感情だと考えています。努力とは苦痛な時間の繰り返しと、覚えたことも30秒で忘れる程度のもの。時間の流れが苦痛に感じたら、それは努力だと捉えています。その為、努力の賜物と呼ばれる繰り返しで出来上がった人間が、適当になりやすいのでしょう。

 

 

血を流して考察してはならない学問に血を流す弊害の存在を踏まえたうえで、如何にその弊害を回避しながら改善を求められるかは、生涯の課題と捉えています。基礎と臨床の対比は、理想と現実に近い表現で推移する生き物です。俗にいう「科学的な~」は、現実的に問題が発生した後に発せられる後者に向けた感情的な表現が多いものの、実際は前者である温かい血を流して病態を考えて発信してはならない学問へ向ける必要があります。臨床や現実は様々な事情が絡む為、それで積み重ねて出来上がった姿勢では、そのニーズに対応し難いものです。

 

ヒトは機械と異なり感情の存在がデメリットになる側面もあり、病状の増悪と比例して視野狭窄が起きがちな、ヒトの感情動態と道程、それに基づく行為を理解する必要があります。フト思いついた行為は、見方を変えればそれほどまでに知識として、社会として浸透している事も意味しますが、それが必ずしも解決には結ばれない事例、2度や3度は余裕で失敗を繰り返す事例、余計に悪くなった事例は、分野は違えど誰しも経験があるのではないでしょうか。それは対ヒトの分野でも同じです。

 

血の流れていない学問に血を流すことは様々な弊害がある為、実に難しいことだと思います。それでも尚、カジュアルなケースから変化が出来れば、何れ様々なケースにも応用が出来ると考えています。​単純例で挙げれば、安静姿位が疼痛退避になりがちな臥床位の画像所見で得られる情報は、荷重時や前後屈や側屈、回旋時等のファンクショナルな増悪タイミングと異なり、それで告げられた診断名がイコールとして改善を約束するものでなく、中長期的に及べば、傷病名は何であれ終末的に類似した薬物が選択される経過は近年も同様です。

 

ある程度は自力の体動で疼痛回避が可能な末梢神経障害の事例が、中枢神経レベルで疼痛回避を促した将来像は、構造上の経時的な破壊と脈管系の動態不順となる経過が無意識下で進行することです。この問題は、薬物が罹患細胞の回復に寄与しているかの前提から考察する必要がありますが、如何なる角度から見ても結び付かない他、それに沿った飲食関係の調整や、副作用や離脱症状などの中枢神経障害リスクの面倒事が何れ増えてきます。

 

そしてそれは罹患細胞レベルでの回復も期待出来ない事を改めれば、視点を変えると経時的な構造破壊と比例する可能性が高い脈管組織の負担防止には、疼痛レベルに応じた動作を工夫し続けるのが将来性は良いことを窺い知れるケースが多く存在します。その為には、一旦は罹患細胞レベルで惹起される病態を診断名に流されない思考で理解する必要があるのですが、告げられた診断名が思考を邪魔したり、そもそも痛い状態での考察では、慣れてなければそれどころではない心情を汲むと仕方のないタイミングも多く存在します。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4318497581574808

 

離脱症状は薬剤が契機となるも、概ね各種神経伝達物質の動態変化を外因物質で求めた結果で訪れた、自己分泌能異常やレセプタ変性が示唆された、中枢神経障害が全身状態に反映されていると推測される為、そのハシゴとなる薬剤を外せば、離脱症状の惹起及び増悪進行のリスクが高まるのが副作用と異なる点です。薬剤の性格で標的レセプタも異なる為、多少特徴に差異はあれど、副作用も離脱症状も症状群の類似性は高い為、症状で読み解くのではなく、時系列で読み解くのが適切な印象を持ちます。

 

そのようななか、類似した境遇で具合いが悪くなったヒトを見つけた場合、それぞれの発信内容から何かを読み解こうとする傾向にありますが、上記の通り副作用も離脱症状も症状自体は似ている為、症状で共通性を見つけようとした場合、副作用と離脱症状を誤認するリスクが高く、後の大事故に繋がる恐れがあります。実際のところ、離脱症状の惹起確率や重症度の軽重は、服薬の仕方次第やその他嗜好品の摂り込み具合で決まる印象が高く、それは発信内容からでは読み解けない側面も多いものです。

 

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添付写真は、大腿直筋の筋腹直上の皮膚層を破った付近で針尖を止め、竜頭を捻転して持ち上げたものです。このように針はネジ部がなくても、皮膚や膠原繊維、筋肉問わず、刺針後に捻じり上げると、当該部位の細胞が絡み、摘まみ上げることが出来ます。もう1枚は、隆起の差を見る為に捻転を戻した状態の写真です。見方を変えると、切皮から当該部位まで針を進める過程で捻転を加えてしまうと、極端であればそもそも刺さらない、または刺し難い状態が術者側には生まれ、患者側には不必要な痛みを伝えてしまう可能性があります。

 

また、今回使った針はシリコーンが塗布された一般流通している既製品の針の為、普段使いのノンシリコン針だから滑りが悪いという理由でもなく、誰でも手に入る針でも起きうる事象です。結構気を付けても0.5mmから1mm程度は左右問わず捻転が生まれるものですが、治療由来の疼痛を少しでも抑えながら針を進める為には、切皮から目的部位に到達するまで、捻転の確認を逐一するのも良いかもしれません。

 

例えば針尖の目的部位を下椎切痕近傍(又は針尖接触)とした場合、皮膚や膠原繊維、脂肪、幾枚もの筋膜と筋肉を通過する必要があり、各々の組織を通る時は手応えが変化するのですが、それとは別に「プチ」「プチプチ」と線維が切れる手応えを感じたら、それはどこかで捻転が加わり組織が絡んだまま刺し進めた為、その伸張に耐えきれずに切れてしまい、それが手に伝わっているものかもしれません。真っ直ぐ刺して真っ直ぐ抜くとは、竜頭の捻転具合いを見ていると案外出来ていないことに気が付きます。

 

   

 

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個人的には機能性/器質性という区分けは存在せず、純粋に現代の検査機器の描写能力が耐えられないからと考えている為、何らかの症状が惹起された際には、何処かに必ず器質的問題が生じていると捉えています。構造上に問題を抱えたケースでの短期再発の頻回は、治療抵抗性も比例して反応性が乏しく病状が長期化し易い傾向にある為、可能であれば罹患細胞が限りなく安定するまで抑え込み続けることで、以後の再発確率の低下と日々のQOLの向上が迎えられることは、経過をヒアリングする限りあります。

 

それと、現症と社会は全くの別物で、社会的認知度が低い/社会的関心が薄い/社会に知らせる(知られる)と剥離が生まれる可能性が高い病状後の対社会との立ち振る舞いと一般社会が向ける視線と評価は違うということです。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4336647059759860

 

「規模の大小で思考が変化する悪いクセを治す」

 

10円が20円になれば上昇率は200%の為、急に「高い」と感じますが、10,000円が10,010円になるのであれば上昇率は100.1%の為、「それくらいなら良いか」となります。この思考は分母が大規模であるほど、分子の数値は同じでも勝手に思考に変化が生まれる自分自身を先ず心配します。

 

書き方を変えます。500人が何かを飲んだり打ったりして500人が亡くなったとします。死亡率100%です。この場合「大変な何かが起きている」と考えますが、10000000人が何かを飲んだり打ったりして500人が亡くなった場合、死亡率は0.005%で「まぁ死んじゃうヒトもなかにはいるよね」と考えてしまうことはないでしょうか。

 

もしそのような思考となったなら、いつまでも差別や暴力は無くならないと捉えます。

 

いま私たちは何を見てこのような思考に陥ったでしょうか。前者も後者も500人のヒトが亡くなったことには変わりありません。そして、500人の中のひとりひとりのことは更に軽視/無視していなかったでしょうか。それとも、そこまで考えなかったでしょうか。規模の大きいものを扱うヒトほど、ヒトの命を軽視/無視しがちになるのは、規模が大きい=分母が大きい 為、少ない分子のイレギュラーは何とも思わなくなるのかもしれません。

 

ヒトは規模の大きなものを扱うほど、または扱うようになるほど、そこで起きた(それで起きた)イレギュラーには耳を傾けなくなるどころか、その存在が邪魔に感じるようになるのかもしれません。ただ、私も冒頭の通り例外ではありません。早いところ本能の如く瞬時に変化するこの思考は治したいのですが、治したいと思っているうちは治っていないのだなと頭を過るのも正直なところです。

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f:id:fujiwarakota:20200710112556p:plain イメージ 1 ~針治療から病態定義の見直しを~

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