藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

累積治療に伴う治療由来疼痛の変動理由と表現の見直し/カジュアル性の高い症状が軽視される理由


参考関連⇒治療反応上から推測される若年性線維筋痛症の病態 
       『「線維筋痛症」「慢性疲労症候群」他、似たような傷病名ともども」

表現としては不適切かもしれませんが、内的刺激(自己の抱える症状)による閾値、外的刺激による閾値と言うのは個々に異なり、個人的には非常に興味のある分野です。これは針治療と言う治療由来疼痛に限った話ではなく、注射針を刺した時、外気温や内気温、蛇口からの水、お風呂の温度、風が吹いた時の身体への刺激を感じる度合い等など、凡ゆる事象にも繋がる事であり、
この分野の話は相当昔から検証している方もいるかもしれません。一般的には痛覚閾値、耐痛閾値と呼称され、閾値が低ければ「痛がり(易い)」で、閾値が高ければ「痛がらない(痛がりにくい)」と言う事です。これは針治療と言う極めて狭い視点で見た場合であっても、針を刺す刺激が加わる以上、どうしても避けては通れず、考えなければならない分野かもしれません。
しかしながら、最初に結論と言うか言い訳をしておきますと、「よく分からない」と言うのが現段階での本音です。「決め付ける事は出来ない」と言っても良いかもしれません。患者個々の閾値は複合的要素が絡まります。単独で閾値が高い低いと言う話は出来ず、あくまで傾向としての話でしか進める事は出来ません。それでも尚、傾向だけでも知っておけば、事前伝達にも活かせるのではないかと思います。

以前、薬剤性由来症状の簡単な見分け方として下記URL内でこのように記述しました。
外的刺激に対しての疼痛閾値
A)ベンゾ系メイン⇒外的刺激に対して疼痛閾値が極めて低い
B)抗うつ薬系メイン⇒外的刺激に対して疼痛閾値が極めて高い

このように、向精神薬を服薬している患者、と言うスポット的な見方をした場合、この傾向は高いものです。ベンゾ系の場合、短期服薬であれば交感神経系の抑制も行われている時期(患者がベネフィットとして薬物反応を自覚している時期)かもしれない為、外的刺激に対しての閾値は高い傾向もあります。
その反面、これらのベンゾ系も中長期的な服薬(1~3ヶ月以上)に至った場合、今度は薬剤耐性(薬物依存)の時期に入ってきますので、ベンゾ系の作用である抗不安作用等の逆転現象が起きているケースも見受けられます。「何故か理由のない不安感と焦りがあり、眠れません」と言う状態です。このような方々は閾値は極めて低くなっている傾向も高く見受けられます。
復習がてら改めて書きますと、これは針治療と言う刺激「だけ」に過敏になっている訳ではなく、凡ゆる全ての刺激に対して過敏になっている状態になります。
抗うつ薬であれば、その逆です。主にセロトニンノルアドレナリン等の脳内濃度が高まるアッパー系の薬の為、簡単に書けば血中に薬が残存している間の脳内は興奮している訳です。例えばスポーツ等を興奮して行っている時と言うのは、少し位のコンタクトや転倒、挫傷等があっても痛みとして感じないですよね。それと同じような状態を薬によって作り出し続ける事が可能となるのです。その為、SSRISNRI等が「痛み止め」として出される場合も少なくないのです。脳内を興奮させ、痛みを感じる閾値を上げている事になります。
その為、以前も紹介しましたが、これらの薬を飲んでいる方々は、誤ってカッターやナイフで指を切っても痛くないと感じるヒトもいますし、骨を折った事すら気がつかない人もいます。骨折すら気付かないと言う事は、髪の毛位の針なんて刺されたところで全く痛くないと考えてもらえればイメージは付き易いのかもしれません。抗うつ薬系の副作用の多くに筋硬直や筋緊張を生じ、全脊椎高位の神経系に異常を来たし、2次的に上肢や下肢に痺れを生じさせている患者群と言うのも散見されるものです。
と言う訳で、今更ながら重要な事に気付いた為、改めてこのような事を考えた理由の1つに、同一患者に対して針治療を重ねていけば、症状軽減と共に針治療の由来による疼痛が変動してくる意味は何なのかと考え直さなければならないと思うようになったからです。全ての症状は自律神経も関与する為、向精神薬の服薬有無及び向精神薬由来症状問わずの話ですが、その多くは「重症度が高い程、針治療の痛みにも鈍感で、軽症度に移行する程、敏感になります」。この部分を改めて考える必要があります。
勿論、この話はあくまで傾向であり推測論を脱出出来る話ではありません。年代別による痛覚受容器の数や、「治療を受ける」と言う行為そのものの緊張(交感神経亢進)もあるでしょうし、患部の硬度によっては全ての患者に同一の太さの針を使える場合もありませんし、腰部と頚部でも針の太さも違えば侵襲度も異なる為に、一概には言えない部分もありますが、
今回、何を言いたかったかと言うと、私達の業界では古くから『コリが強いと当該患部の神経圧迫(絞扼)が強い為に痛み(外的刺激)には鈍感で、症状が軽症度に移行するに従い当該患部の弛緩に伴い神経の疎通も良くなる事から痛み(外的刺激)に敏感になる』
と前々から言われてきたのです。何処の誰が言い始めた事か分かりませんが、よくよく考えると間違いである事に気付きます。「コリが強いと言う事」を「重症度が高い」と置き換えた場合、コリが強く、且つ、そのコリと言うものが存在し、神経を圧迫(絞扼)した場合、電気信号が送られず、当該患部のみならず、当該部位から遠位が麻痺する事になります。となると、コリ以前の問題とし、麻痺した身体環境(当該部位、当該部位から遠位に掛けての神経走行部位及び神経支配領域)では、コリそのものが発生しない事になります。所謂、橈骨(正中)(尺骨)神経麻痺や、運動神経の引き抜き損傷、運動神経系の変性疾患(ALSの進行後・末期)、完全断裂の脊損をイメージすれば分かり易いのではないかと思います。
では、100歩譲ってコリと言われるものが身体に存在し、当該患部の筋細胞の持続的収縮環境(持続的緊張環境)により、筋細胞内部を走行している血管が収縮及び絞扼傾向であるとした場合、針治療のような刺傷が生じてもPGやBGの疼痛物質が生じにくい⇒即時的な疼痛自覚が乏しい、と言う図式も考えられます。これも見方によっては疼痛閾値が高い、と言う考え方も出来なくもありません。
その為、リバウンドの病態生理の推測でも以前挙げましたが、中長期的に筋骨格系由来の諸症状を抱えている方々が、針治療後の翌日~翌々日に掛けて筋痛様症状が一時的ながらも生じるのは、時間を於いて当該刺針部位のPGやBG等の分泌による血管拡張が伴い、当該細胞の弛緩による容積変化に伴う疼痛自覚にタイムラグが生まれているという事も推測としてですが考えられます。
私は元々筋細胞を弛緩させる事を目的に筋細胞に処置している訳ではありませので、筋骨格系疾患だからと筋細胞をメインで処置する事もありませんので詳しくは言えない部分もありますが、確実に言える事は、筋肉は筋肉に栄養は送ってはいませんし、筋肉が筋肉を動かしている訳でもありませんし、筋肉が筋肉の痛みを自覚している訳でもない事は確かな事なので、当該部位の低酸素代謝⇒交感神経反射⇒血管収縮⇒筋収縮(筋細胞の柔軟性欠如)と言う基礎的な概念は一旦置いときまして、
この基礎的な概念で当該部位に処置しても、症状改善の伸びが悪いと言う臨床的観点も踏まえて考察すれば、やはり外的刺激に伴う疼痛自覚の変動と言うのは、中枢部である視床下部とのネットワークに伴う交感神経系の変動によるものと推測されます。これは脳血管障害後患者や脊損患者が、その理由を顕著に教えてくれるかもしれません。これらの状況を統合して考察すると、冒頭で述べた
『コリが強いと当該患部の神経圧迫(絞扼)が強い為に痛み(外的刺激)には鈍感で、症状が軽症度に移行するに従い当該患部の弛緩に伴い神経の疎通も良くなる事から痛み(外的刺激)に敏感になる』
と言う、「神経圧迫(絞扼)が伴う為に痛みに鈍い」は恐らく異なり、
『重症度が高い程、交感神経系の持続的過剰亢進も伴う為、針治療の刺激に対しても鈍感で、軽症度に移行するに従い、交感神経系の過剰亢進も落ち着く事から針治療の刺激に対して敏感になる』
と言うのが可能性として高い落しどころかと思います。と、このような患者にとっては別にどうでも良いと言えばどうでも良い話ですが、治療する側にとっては重要な部分かもしれません。

肩こりや腰痛と言うカジュアル性の高い症状は、日常生活を送るに於いて不可避な諸症状であるかと思います。生きている限り、一度や二度は誰しも経験するものかもしれませんが、大切な事は「仮に肩こり腰痛になっても、僅かな休憩で即時的に回復出来る身体」で常々いる事かと思います。それでも尚、多くの人は避けられない負担の掛かる動作や姿勢を強いて仕事をし、家事をし、育児をしているものであり、それを職業病と称したり治らないと諦めたりしているヒトも多いかもしれない程、有病者としては極めて高い症状かもしれません。
とは言え、感覚的な印象論かもしれませんが、このようなカジュアル性の高い諸症状だからと軽視し続ける為に、その後に上肢や下肢への神経症状や、凡ゆる自律神経系の諸症状に発展し続けるのは、経時経年に負荷を掛け続けた場合、どのような経緯を示すかと言うのも、凡ゆる年代別の患者群と対峙してくると掴めるものです。
極めて有病率が高い疾患且つ、別に放っておいても死なない疾患に関しては、患者のみならず医療機関でも軽視されがちであり、然程情熱を上げているような節もないようなので、その多くは内服薬や外用薬が処方され、リハ室で電療を受け、場合によっては疼痛部位にトリガーブロックをされている位が一般的かもしれませんが、さて、「これでは症状の改善に至らずに生活に支障がある」、と言う事で代替医療が隙間を埋めるかのように乱立している訳です。
しかしながら、この代替医療側の見立てや治療手段もどうか、と考えなければなりませんし、代替医療だから良いのか、と言うのも考えなければなりません。術者によっては見立てから治療手段まで全く異なるのが代替医療のメリットでありデメリットでもあり、保険医療機関のような全国一律な治療でもない為、その多くは「行ってみなければ分からない」と言うのが患者の本音かもしれません。
では、これらの多くは肩こりや腰痛と呼ばれる筋骨格系疾患と推測される症状に対して、どのような見立てで行っているかと言う事です。さて、その多くは筋肉や筋膜を標榜して治療を行っているように見受けられますが、実際のとこ、効果の高さは如何なものかも併せて考えなければならない部分もあります。
先の通り、筋肉は筋肉に栄養を送っておらず、筋肉が筋肉を動かす事はなく、筋肉が筋肉の痛みを自覚している訳でもありません。しかしながら、その多くの医療・代替医療機関は「レントゲンじゃ骨しか見えねーよ」をウリ文句に筋細胞を標榜とした治療を行っていますが、これが正しいのかと言うのも改めて考えなければならないと考えています。
恐らくなのですが、肩こりとか腰痛と言うカジュアルな症状だから故に、逆に盲目的、盲信的な事態に苛まれているのと同時に、「どうせ再燃率が高いものだ」と言うお互い甘い認識もある為に、肩が痛ければ肩を揉み、腰が痛ければ腰を揉む、と言う現象を生んでいるのかもしれません。
例えば、http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_supremacy/13864855.htmlこれは疼痛部位から推測するに三叉神経の第1枝になり、仮に疼痛発症部位を押圧しても痛みは増強されますが、別にこのような事態と言うのは薬剤性云々関係なく、自然発症性の頭痛でも生じる事だと思います。
押圧有無問わず痛く、押圧すると更に痛い、と言う状況下と言うのは特段珍しいものでもなく、多くの諸症状はコレに該当する訳です。これを神経過敏や神経鋭敏と表現しても良いかもしれませんし、ヒトによってはアロディニアと言う人もいるでしょう。それが自動他動問わず疼痛を自覚し、運動自動他動で増強された場合、当該患部の損傷だと誰が見ても間違いやすいかもしれませんが、
これらは冒頭でも書いたとおり、肩こりとか腰痛とか膝痛と言うカジュアルな症状故に、そのような盲目的な支配に苛まれるだけであり、それが顔面部や頭部の痛みだとした場合、どのように考えるか、と言う点です。三叉神経の中枢部は何処であり、枝葉は何処でしょうか。その中枢部は勿論眉間でもありませんし、顎関節付近でもありません。三叉神経の中枢部は脳内に存在する為、脳内血流量を上げて三叉神経の機能異常の回復を求めなければ臨床結果は付いてこない印象を受けるものです。
疼痛部位に対して幾ら揉んでも針を刺しても爪楊枝を刺しても、極短期な鎮痛作用が得られる程度である事は患者が1番知っている事であり、治療回数を重ねて症状の段階的収束を望む場合、疼痛部位に対しての処置では治らない可能性が高いものです。個人的な答えは、このように肩こりも腰痛も三叉神経痛も同じ見方でしかなく、寧ろ自動他動で増強するカジュアルな頚部から下の筋骨格系疾患の症状の見方を変えなければ、頚部から上の諸症状にも手出し出来ない状態に陥るのではないかと考えています。
改めて書きますが、これは先程挙げたベンゾ由来云々関係なく、それがヘルペスウイルス由来でも何でも構いませんが、顔面部や頭部に疼痛や麻痺を自覚を生じた患者に対して、疼痛部位に対して処置したところで対して症状は変わらないものです。精々一時的な鎮痛作用が生じる程度であり、それは回復とは異なり、患者にとっては有益な治療ではありません。
見方を変えれば、僧帽筋上層部近辺が痛いからと、僧帽筋上層部に針を刺しても変わらないと言う事と同義でもあり、無駄治療であると言う事です。仮にもそれに対して協調拮抗云々の理論を交えても臨床結果は付いて来ないと言う事ですし、枝葉的治療は無益な結果しか出ないと言う事です。このように筋骨格系疾患のようなカジュアル性の高い諸症状ほど「受傷起因と持続的疼痛原因部位と発痛部位」が軽視されがちになり、その多くの患者は何時まで経っても治らない、そればかりか、
その多くの代替機関は発痛部位に対して強い刺激(強揉み等)を繰り返す事で、当該部位の筋細胞の微細断裂⇒血腫形成⇒柔軟性欠如の悪循環を生み、患者側もNSAIDs等をドラッグストアで買い求め、症状と薬効のマッチングを無視した中長期的な服薬から全身性の血管収縮等を生み、結果的には当該患部諸々の柔軟性を失っていくと言う段階を踏み、元症状の難治化、強大化を生んでしまっています。
勿論、人間は生きていれば日常的に損傷を繰り返す生き物です。しかし、幸いにも回復も繰り返してくれる生き物でもあります。それでも尚、回復以上の損傷を繰り返していれば回復も遅延する事でしょうし、日常生活の損傷具合を軽減させれば回復度合いも早まります。しかしながら良かれと思って先に書いたような逆行手段を取り続ければ、やはり回復も遅れます。
この部分は、本人が良かれと思っている、と言う流れも組んでいる事から、本人が気付かなければズルズルと長期化してしまう一因にもなるでしょう。特に肩頸部に関しての強揉みは神経根部や交感神経節も極めて浅層を走行している事から、力を誤れば簡単に「頭痛」や「めまい」、「ふらつき」、「吐き気」等の自律神経的症状や上肢への神経症状やや当該頚椎高位の神経支配領域への痛み(例:肩甲間部等)へ発展するものです。このような合併症もあるよ、と言うのは取り敢えず扠措き、
仮にも、このような良かれと思っての結果的な逆行作用を取り込まなくても、その多くは半強制的な安静状態を作っても、残念ながら動き出したら同様な症状で悩まされるようになるものです。仮にも、それが3ヶ月安静にしてようが6ヶ月安静にしてようが、です。もしかしたら以前よりじゃ若干良いかもしれないと言う自覚も初期的には得られるかもしれませんが、結果的に休んだところで以前と同様の症状度合いや質に戻っていると言うケースは少なくありません。
と言う事は、腰痛や肩こりと言うカジュアル性の高い諸症状とて、筋細胞の安静により、仮にも休息が得られ、その時は柔軟性も得られたような感覚になったとしても、再運動した時には痛くないかと言えば全くそんな事はない状況に陥ります。
これらはスポーツ障害系を抱えた患者はよく知っているかもしれません。「暫く動かすな」「休め」と言われ半年休養したものの、「休養したからと言って回復してなかったよ」なんて事例は腐る程あるわけです。と言う事は、このような状況下と言うのは、筋細胞と言う問題でなく、仮にも関節の摩耗や圧壊及び、それらに付随した炎症等の問題でも時期的には既にない訳です。
となると、その中長期的な休養期間が如何なものだったかと言えば、恐らく、日常時の活動量よりは抑えている事になっていただろうし、その分、当該患部の腰部や肩部の筋細胞も一見回復しているだろう、と言う推測も付いても自然な事ですが、再活動再運動した時には、即座に全く変わらない以前と同様な症状を発症する事になる。そのように考えると、筋細胞の休養がセルフで見込める最もメジャーな手段は安静であるのかもしれませんが、もしかしたら安静と言う手段も然程価値のないモノであるのが見えてきます。
かと言って、痛くても運動する、と言う方法も積極的に取り入れる事もあまり推奨出来るものでもありません。痛いまま動くと痛いだけ⇒当該損傷箇所の広範化⇒治癒遅延と言う図式も簡単に成立し、その多くの患者は残念ながらキレのある鎮痛剤を服薬させられながらウォーキングに励まされ、脊椎や膝関節の圧壊を招いていると言う状況も散見されます。
勿論、だからと言って、痛みは脳が原因と言う訳でもありません。確かに、痛みは脳が自覚するものですが、「脳が悪いから腰が痛い」と言う理屈は余りにも短絡的過ぎるかもしれません。この理屈でいけば、半年休んでも再活動時には痛かったと言う肩や肘や膝も「脳が悪いから」にしなければならず、説明が付かなくなります。と言う訳で、まとめていきますと、
1)即時的な結果を患者に自覚させる(短期効果)、若しくは鎮痛作用(極短期効果)を求めるのであれば、当該疼痛部位に対しての処置と言うのも患者サービスとしては有用な場合がある。場合によっては患者がそれを治療と考えているケースも多く、相互理解の溝の多くはここでも生まれる。(治療はサービスではないですよね)
2)中長期の安静後も再活動時に即時的に再燃するのであれば、由来は当該部位の筋細胞に原因はない(筋細胞由来症状であれば、安静にするだけで経時的に低酸素部位への筋細胞内の酸素分圧を求める為に血管拡張が生じ、酸素供給が行われ、柔軟性を取り戻します。しかしながら再活動時に結局痛い、と言う状況は筋細胞由来ではない事を意味し、何故、その当該部位が症状を発し続ける事になるかを考察しなければ段階的収束は無い)
3)セルフケア(風呂、揉む、疼痛部位に電気かける)は当該部位の運動や温熱効果も高まり、血流量増加も期待でき、一時的には弛緩から派生した疼痛閾値の高まりから症状軽減自覚を得られるかもしれないが、その多くは一時的である事(これは患者が1番よく分かっているんでは)
4)勿論、3)にも絡む話だが「針だから良い」と言う訳でもなく、仮に針や注射針だとしても1)~3)の概念で身体を見ている限り、回復する可能性は限り無く低速であり効果が低く短期効果である。作用が低く短期効果、且つ疼痛自覚部位に対しての処置の場合、症状の質や度合いによっては症状を動かす(回復へ向かわせる)事すら出来ない
の理屈が生じます。と言う事は、筋肉や筋膜を標榜する治療の意義は無いと言う事です。勿論、セルフケアで行える限界は筋肉や筋膜操作でしかありませんので、患者自身が行う分には肯定も否定もしませんが、患者が操作出来る事を術者が操作しても時間の無駄と言う考え方も出来ます。
これも別な例えで書くと分かり易いものです。先程、肩こり腰痛と言うカジュアルな症状ほどに「術者側が」盲目的に陥ると書きましたが、これが例えば錐体外路症状を抱える患者だったとしたらどうでしょう。パーキンソニズム、ジスキネジア、ジストニアアカシジア等の不随意運動の事ですね。このような症状に対して、口周りや指先、四肢に対して処置をする事はないと思います。
何故、処置する事がないかと言えば、「口周りや指先、四肢に対して処置をしても効かないと分かっているから」です。大脳皮質や間脳、脳幹、小脳等の問題であると分かっているなら、疼痛発症部位に対して処置はせず、ひたすら脳内血流量の増量と確保を求め、損傷部位の回復を求めていくはずです。
肩こりや腰痛も、そのような考え方だと思うのです。「受傷起因と持続的疼痛原因部位と発痛部位」がカジュアル性の高い症状ほど軽視され、蔑ろになりがちなのも又、傾向として高いものかもしれませんが、軽視され、蔑ろにされても不利益を被るのは患者です。そのような事がないよう、常に柔軟性を持ってコレらの事象に対しても考えなければならないものです。

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