藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

向精神薬による筋減少(ALS様症状)(遷延性筋肉量減少)に伴う有害性への気づき


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精神薬は脳へ影響を及ぼす。その為、凡ゆる反応が生じる。薬物にはリスクとベネフィットがある。作用があれば、必ず反作用が生じる。薬物に関しては作用や反作用と言うよりも、作用や副作用と言うよりも、全て引っ括めて反応と言う表現が適切かもしれない。その反応性を掻い摘んでベネフィットであるかリスクであるかは患者自身が判断する事になる。
向精神薬由来の筋減少(ALS様症状)(遷延性筋肉量減少)は、いつの時代に誰が言い始めたかは分からないが、神経原性疾患であるALSに酷似している事から「ALS様症状」とは上手い例えである。今までは向精神薬由来の筋硬直の類は取り上げてきたが、向精神薬は筋肉が軟化し、中長期的に減少していく事態にも苛まれる事もある。改めて考えてみれば、特にベンゾジアゼピンの作用をオサライすれば分かるが、マイスリー等のZ系やデパス等のチエノジアゼピンとて同様である。
多くの患者は離脱症状(常用量離脱含む)に於ける精神機能の変調や非疼痛性疾患(症状)、更に言えば疼痛性疾患(症状)なら、日常生活を営める程度であれば我慢出来るかもしれない。後述するが、これらの症状とて薬剤性由来であると既知していなければ、良くも悪くも鎮痛作用を持つキレのある薬物もある為、ヤジロベー状態かもしれないが、過ごしている人もいる。
それが、見た目に現れる状態に対しては過敏になるものであり、髪質の変化、肌質の変化、脂漏性、発疹等々他、極度の運動機能の低下と筋肉の減少と言う症状である。年代によっては老化でしか見て取れない場合もあるかもしれないし、老化が進んだねとしか見られない場合もある。その為、これらの異常事態に気付けるのは、比較的若年層が多い。
勿論、ALSを患う事も大変気の毒だが、向精神薬由来の「ALS様症状」に関しても、運動神経の伝達異常のみならず、知覚神経や自律神経系等にまで全て異常を来たし、「症状が止まらずに悪化しながら何年も続く」と言う事を想像しただけで、恐ろしい事態である。且つ、それが可逆性なのか不可逆性なのかと言うのもデータを取れない、仮にも諸検査でメジャーである脳萎縮や糖代謝異常等があったとしても、それがシナプス伝達の異常である根拠にもならない。
故に、その恐怖に耐え切れず自死を選択する患者も少なくない。その多くは「精神病」と言う、有るのか無いのか分からないような括りで処理をされているようだが、そもそも考えてみれば、仮にも「精神病」と言うものがあったとしても、精神病は死ぬ病気でもない。何故、死亡確率が上がるか、何故自死を選択したかを振り返れば、その7割は精神科の門を叩き、向精神薬を服薬している結果を軽視しては語れない部分がある。
更に、医原性、薬剤性である事を知ったが故、輪を掛けて腹正しさを患者には募らせ、且つ、医療機関側の理解の無さ、諸検査でも異常無しと、匙を投げられている患者は少なくない。少なくないと言うどころか、殆どが匙を投げられている。考えてみたら単純な事である。自分が出した薬で患者が具合が悪いと訴えた事に対し、わざわざ「命懸けで」サポートしようと思う人間がどれだけいるだろうか。
さて、このような状態に歯止めと言うのは効かせられるのだろうか。それは有害性、危険性の情報発信も然る事ながら、症状に歯止めを効かせなければならない。症状に歯止めが効かなければ、患者は幾ら情報収集したところで虚しさしか残らない。もしも仮にも歯止めが効き、再度回復させる事が可能だとしたら、それは患者にとっては人生どころか命を救われた想いにもなるだろう。救われるのは患者だけではない。患者家族含め、周囲の人間が全て救われる事になるのは、向精神薬由来でなくても同様かもしれないが、凡ゆる機関で匙を投げられる向精神薬由来に関しては「後がない」と言う表現が極めて適切になる。
遷延性を示唆されたかのような状況に追いやられた患者と言うのは、仮にも患者の自己判断による過量服薬や、多剤服薬だけではないし、仮にも患者の自己判断による急激な減薬や断薬、医者の判断による急激な減薬や断薬だけでもない。指示された量を服薬し続けても発症する場合もあるし、ベンゾ1錠を服薬し続けていた患者とて発症しているケースもある。
確率論で述べた場合、高力価、多剤、長期服薬者が一番の可能性を示唆した結果かもしれないが、事実上、結果論にしか見えないケースも多く、且つ、「その病態」が薬剤性であると気づけた割合は、向精神薬服薬者を分母とした場合、一体どれくらいなのかと言う観点で見た場合、「先ずは」薬剤性由来であると知れただけ極めて幸運だったのかもしれない。
「病院では自律神経失調症と言われて」と患者を連れてくる患者家族も少なくないが、素人目で見ても薬剤性による過鎮静に陥っている患者も多い。誰が見ても薬剤性にも関わらず、何故、このようなケースとて服薬からの時系列に沿った症状の変容や悪化、多岐に渡る謎めいた症状に対し、薬物由来であるか否かを疑わず、各種精神病であると告げられた診断名に対して納得し、疑問を呈する事はなかったのだろうか。
仮にも薬剤性の可能性である事を患者に告げたとしても、意味が分かっていないケースなんてザラにある。そもそもの事前知識を患者側が保持していなければ、こちら側の意図が伝わらない事なんて山ほどある。それは別に向精神薬由来に限った話ではなく、整形外科領域でも何でも同じである。
「その【自律神経失調症】の【治療】として薬を飲んでいるんでしょ?」と患者家族に言われたら、こちら側は何も言う事が出来なくなる。言うだけ無駄になる。これが、服薬群と非服薬群の初期段階で生じる違いであり、障壁となり、進むか止まるかが此処で決まる。こちらは言うだけリスクを背負っている事を知る人間は少ないと思うが、自己が「今現在」肯定的に服薬している事に対して否定的意見を呈示した場合、患者の回復は止まるだけでなく、術者の評価も、何もしていないのに落とされると言う事態にも発展する。
根底的な疾患に対しての概念、薬物の概念の理解の差と言うのは、それ程までに苦しめる。患者も重篤化すればするほど、自身の口からも病状も経緯も言えなくなる。だから代わりに家族が教えてくれるのだが、その家族とて、薬と医者と定義の存在しない診断基準に飼い慣らされていると、このような事態が生じる。
そもそも、自律神経失調症と言う、何でもアリの世界を間に受けている時点で、既にかなり回復迄には厳しい思考状態である事も伺い知る事が出来るし、仮にも当該自律神経系に異常を来たしているのだとしても、各々の症状に対して出された薬を飲む事が回復になると信じていても、やはり回復迄には厳しい思考状態でもある。その思考状態から脱却出来る為には、更なる時間経過に伴う症状憎悪があり、且つ自分自身が疑問視し、改めて自己意識下に於いて向精神薬の存在を危険視出来ない限り、何時まで経っても抜けきれないものである事を随分と目の当たりにしてきた。
そのような中、薬物とは何か、向精神薬とは何か、精神病とは何か、精神病の成り立ちとは何だったのか、精神病と言うものは存在するのか迄、向精神薬を服薬しながら具合が悪い状態で考えつくし、その答え迄、患者自身の力で導き出せる努力が出来るか、とまで考えれば、極めてニッチな世界であるのかもしれないが、その極めてニッチな層とて、当初は向精神薬に対してベネフィットを感じていた層であった事を知れば、今現在、ベネフィット「のみ」、ベネフィット「として」感じ、服薬している群とて、服薬し続ける事に対して見直すのは今なのではないかとも思う。

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