藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

別に針を刺されたいと思っている人間はいない(笑) 5

 

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世界的に有名な「ツル多はげます会」の参加資格を調べに来たのですがスッカリ忘れ、
鶴の舞橋の写真を撮り、鶴太郎と鶴香との共演を非公認で済ませ、サッパリして帰ってきました。
どうやら鶴の舞橋は3月一杯は改修工事の為、渡れないそうです。そんな事言われると渡りたくなります。
 
18) 病気ってなんでしょうか
 
立ち止まってしまった人間にも、進み過ぎてしまった人間にも、「病気」というレッテルを貼るのが医療です。
針治療で治る症状群は、無加療でも自然治癒出来る症状群です。
「病気」と言われる単語をどのように捉えているかに左右される事象ですが、
鍼で良くなる諸症状は「病気」とは一切捉えておりませんし、
加療の有無問わず、自然治癒が生じる諸症状に関しても「病気」と捉えていません。
本当の病気というのは何をしても治る事なく死に向かうものです。
この辺りも、じゃあ「アレは?」「コレは?」みたいな話しも出るでしょうけど。
 
自然治癒に至るまでの道程が誤っていれば治癒遅延は招かれますし、
治癒の可能性も薄れていくという事は以前より書いてきたつもりです。
好きなもん食って好きなもん飲んで治らねーじゃねーかってのは当たり前の事ですし、
治らぬ理由を自己正当化して治らねーじゃねーかってのも当たり前の事ですので、
あくまで自身を見直し、自己努力ができ、事前知識を備えている
患者群にしか自然治癒は訪れないのかもしれません。
 
全ては手軽さを求めた人間が提示したニーズが現状の薬物問題を惹起してしまったと思います。
「この痛みさえなくなれば」「とにかく楽になりたい」「今の数値が下がれば(上がれば)」
「とにかく眠りたい」「とにかく社会と溶け込みたい」「この子を何とかしたい、先生助けて」
このような即時的に上っ面だけでも何とかしたいという、所謂対処を求め医療へ助けの手を伸ばした結果、
助かる人間も助からなくなり、治癒とは遠い位置に誘導されてしまっているのです。
 
各論的意味合いを含めるとキリが無い為に触れないでおきますが、
内臓疾患等の因果関係が除外出来た上での
各種精神疾患患者と診断されるまで、どのような道程を歩んできたのでしょうか。
昨日今日の各種問題が孕んで突如発生するという事は極僅かかとも思われます。
 
社会的、経済的、各種基礎疾患、薬剤性等々の誘引を考えればキリが無い程挙げられると思いますし、
個々人の力では誘引的要素を払拭できない環境下に身を置いている人もいるでしょう。
 
個々人が抱えている心身的な症状は別として、人はそれぞれ不満や不安を抱えて時間を過ごしています。
その誘引的要素が極まった結果、残念な事に自死を選択する人もいれば、そこまでいかなくても
目が冴えてしまい、眠れない人だっているでしょう。ご飯が喉を通らなくなる人もいるでしょう。
対人関係が上手く築けなくなる人もいるでしょうから、
その結果、勤め先とも折り合いが付かなくなる場合もあるでしょう。
人によっては、そのストレスをギャンブルで発散してみたり、引き籠もりになったりするでしょう。
今出ている症状を寝ずにPCに向かって調べ続けている人もいるかもしれませんし、
薬の情報を調べた結果、医療に対しての不信感をフツフツと抱き、情報発信をしているかもしれません。
 
DSM-5やICD-10を見れば、
全てこれらの症状は「病気」とされます。
しかし、これらは病気でしょうか。
各個々人の背景から現れた症状、状態、性格、感情の変化「だけ」の問題であり、
医療が介入する必要性がある問題だとは到底考えられません。
 
これが他害危害に発展する可能性を示唆する言動を繰り返していたり、
実際に他害危害に発展した場合は、
やはりその人間は一度社会から引き離す必要はあり、
初めてそこに隔離的意義は生じてくるものかと思います。
 
但し、隔離的環境下に敷かれた際に於いても、治療手段に薬物治療やECTは不要であり、
それは医療機関側の「親」として都合の良い「子」にさせる為だけの制圧的手段だけで、
患者にとっては一利も無い物である事も知っておくべきでしょう。
 
実際のところ、今、外来の門を叩いている患者群に、
そのような危険性を示唆される方々は何れ位いるのでしょうか。
 
精神科バブルの到来と言われたSSRIの登場により、精神疾患を抱えた患者は急激に増えてきました。
病名を増やせば患者は増えます。病気を喧伝すれば患者は増えます。
何で病名を増やさなければならないのでしょうか。病名を増やす本質は何でしょうか。
「僕も○○病かも…」「私も○○病かも…」、そのような思考に陥ったのは何故でしょうか。
誰が○○病と陥れたのでしょうか。それは、誰にとって都合の良い状態になるのでしょうか。

19) 患者が知識を付けるべき
 
とは言っても、実はこれが一番難しいのかもしれません。
一体、どの情報を拾い、どの情報を捨てるべきか。
 
本屋に行けば様々な情報を仕入れる事は出来ますし、
このブログを読んでいる人であれば、インターネットで情報を仕入れる事も可能です。
 
例えば、長年運動器の何処かに痛みをこさえていたり、
反復動作を繰り返す仕事をしていれば
写真を撮る事で異常の1つや2つ見つかってもおかしくありませんし、
歳もとれば、変形の1つや2つもあるし、内蔵機能も低下するでしょうし、
年齢に見合った数値というのがあるのです。
甘い物ばかり食べてれば100も200も負の症状は発現してもおかしくありません。
 
その事で何かしかの診断はつくかもしれません。その診断は診断で正しいかもしれません。
しかし、その診断名に付随してくる各種説明と、各種治療手段の内容と、
訴えている症状がリンクしているかと言えば、リンクしていないケースは圧倒的に多いものです。
 
患者は本やネットや病院から知識を仕入れる時はリスクが生じる事を知っておいても損はないと思います。
その情報は誰が作っているか。その情報提示に至ったスポンサーはどこか等など。
 
一番良いのは、患者は他の患者から情報を仕入れるべきであり、
手術や薬物治療をせずとも、症状改善している患者群も沢山いる事を知るべきであり、
手術や薬を飲む事で生じた中長期的な予後がどうなっているかを知るべきであると思います。
この部分にも嘘や誤った解釈が相当紛れ込んでいるので取捨選択は難しいかもしれませんが。
 
早い話しがアレコレ聞かされても
「で?」という反論的内容を含む知識と心構えを患者が備えていればそれで良いのです。
 
各種諸症状が出れば不安になるのは仕方ありませんが、
事前知識が備わっていれば、不安視する必要性はなくなります。
それらの状態を無加療で放って様子を見るか、加療して治癒までの速度を早めるかは患者次第です。
患者を不安に追い詰めるのは医療機関や心無い周囲の人間であり、
患者自身が同調してしまうのは宜しくない事だと思います。
 
医者に嫌われる患者を目指すって大切な事です。
あんな病名、こんな病名、星の数程あると思いますが、
単なる心因性に帰結した治療手段は「治療」ではないのです。
 
こんな事を書くと随分と短絡的な書き方に見えるかもしれませんが、人は時として心身を痛めます。
寧ろ、痛くない、痛めない心身のほうが不自然です。
でも、大方の人は症状も広範に渡る事もなく、日増しに収束し、日々の生活に戻れます。
何故、収束しえない身体に陥ってしまったのでしょうか。考えてみれば極々単純なものなのです。

参考
 
【転載記事】その陽はまだ沈まない~精神医療の犯罪 1
 
【転載記事】その陽はまだ沈まない~精神医療の犯罪 2
 
【閲覧注意】精神科病院 看護師による暴行(医療法人○○病院)【動画】
 
【転載】まったくもってこの10年は悪夢の連続です 1  
 
【転載】まったくもってこの10年は悪夢の連続です 2
 
「心と体の両方からアプローチ」された水面下で巻き起こっている事 1
 
「心と体の両方からアプローチ」された水面下で巻き起こっている事 2
 
あめさんが精神医療と関わったのは16歳の時だった。
中学2年生の頃から不登校だった。
父親の仕事の都合で小学生の頃から転校をくり返し、
その時も転校先の学校になじめず、嫌がらせなども受け、
そのため学校に行けなくなってしまった、それがきっかけである。
ちょうど不登校が始まった中学2年生の頃から生理が止まり、
そのこともあって親に婦人科に連れて行かれた。
また心療内科へも「無理やり」といった感じで連れて行かれた。
どちらの医師からもリーゼを処方されていたが、あめさんは服薬を拒否していた。
ところが、である。
あめさんがちょっとしたことで感情的になってしまったときのことだ。
母親は鬼のような形相で、リーゼと水の入ったコップを持ってきて、
壁にあめさんを押し付けると、無理やり口にリーゼを流し込んだ。
 
あまりのショックで、あとのことはよく覚えていないが、
その後、リーゼをはじめとする薬を毎日飲むようになっていた。
あめさんはメールにこう書いている。
「医者や親の影響もあったかと思いますが「自分は病気だから薬を飲まなければならない」と考えるようになっていました。漫画を描いたり、釣りに出掛けたりといった楽しみを持つこともできなくなり、「親の望むような良い子」でいなければならない強迫観念に日々襲われ、楽しみと夢で溢れていた毎日から強迫観念に従って恐る恐る生活する毎日に変わりました。薬が私の人格を変えてしまったかのようです」
その後、父親の仕事の都合でまたしても引っ越した。
その先の病院の医師によって薬は増えることになった。
おくすり手帳等、記録が残っていないので、はっきりわからないが、
当時は、ソラナックス3錠/日 ハルシオン1錠/日 胃薬などを飲んでいた。
その他、トレドミンデプロメールなど抗うつ薬も処方された記憶がある。
ともかく病院に行くたびに、薬局で大きな袋いっぱいの薬を受け取っていた。
しかし、薬を飲んでも体調が改善されるわけでもなく、
かえって恐怖感が出てきたりして、外出もままならず、
通信制高校のスクリーニングにも行けなくなった。言動もおかしくなってきた。
あめさんにはこの頃の記憶があまりないのだが、幼児返りしたように、
小さい子どものような行動ばかりとっていたような気がするという。

 
脳下垂体腫瘍の手術。一気断薬となるが……
2001年の夏、あめさん18歳のときのことだ。
乳汁分泌もあるということで、以前とは別の婦人科を受診し、
そこの血液検査で脳内に腫瘍がある疑いを指摘され、
続いて受けた脳神経外科の検査によって、脳下垂体に良性腫瘍が見つかったのだ。
つまり、いままでの心身の不調は精神的なものだけではなかったというわけだ。
数日後、総合病院に入院し、あめさんは脳下垂体腫瘍の手術を受け、
その時は、それまで飲んでいた向精神薬のすべてを一気に断薬することになった。
しかし、特に不調を感じることもなく、無事退院。
その後2、3ヶ月は、向精神薬のない生活を送った。
しかし、またしても精神科を受診することになってしまったのだ。
あめさんのメールから。
「ある日のこと、再び母親が私を精神科病院へ連れて行きました。
私は手術後なのでゆっくり休みたいので、行きたくないとバッグに付けたキーホルダーが
壊れるほどの抵抗をしましたが、抵抗も虚しく訳もわからぬまま車に乗せられ、
着いた先は脳外科手術前に一度だけ連れていかれたことのある精神科病院でした」
最近になってあめさんは母親に、なぜこの時精神科に連れて行ったのか尋ねたという。
母親曰く「不安だの、めまいだのを訴えたから」。
あめさんとしてみれば、脳の手術後にめまいが出るのは当然だし、
手術後不安感を訴えた覚えもなく、精神科に行きたいと言った記憶もない。
にもかかわらず、母親は再びあめさんを精神医療につないでしまった……。
 
前の医師からも病名は告げられていなかったが、
今度の医師も病名をつけないまま、
「夢の薬」と当時は考えられていた
SSRIのパキシル(10㎎1錠/日)を処方した。
服用した感じは特に覚えていないほどだった。
ただ「すごい薬」なんだろうなくらいの認識だったが、
夜中に叫びたい気持ちになることが時々あった。
今から思えば副作用なのだろうが、
その頃あめさんは
「自分は薬を飲まなければいけない病気なんだ」という考えにすっかり染まっていた。
その後、何度かこの病院に通院し、その後、医師の勧めで、
同病院系列のデイケア施設のあるクリニックに転院となった。
主治医は変わらないまま、
結局、この主治医とはその後断薬まで10年以上の腐れ縁となった。
 
 
母親による支配とパキシルの減・断薬
あめさんとすれば、精神科デイケアにも通いたくはなかった。
同世代の人がいないこともあったし、
外へ出るよりも家で漫画を描いている方がよかったのだが、
母親が許してくれなかった。
「今思えば、母親は私の通院やデイケア通いについて勝手にスケジュールを
作っていた感じがあります。私の意思はあって無いようなものでした」
それでも1年も通ううちに友だちもでき、
2年経つ頃には、クリニックの喫茶室の仕事を紹介されてやるようになった。

あめさんの夢は漫画家になることだった。その頃は昼はデイケア施設で過ごし、
帰宅後は家で漫画を描く生活だった。描いたものを賞に応募したこともあったが、
入賞には至らなかった。「親により自由な意思を奪われていた私の描く物語では、
誰かの心に響く事などなかったのであろうと思っています」とあめさんは書いている。
あめさんが23歳くらいのときのことだ。
更年期障害で体調を崩した母親は、内科から向精神薬を処方された。
しかし、母親は、2~3回飲んだだけで、すぐに服薬をやめた。
娘には服薬を強要したにもかかわらず、
自分では飲まない……あめさんの中に釈然としない気持ちが残ったという。
ちょうどその頃のこと。パキシルの副作用で眠気が出て、漫画が描けないので、
主治医に相談し、減薬(10㎎から5㎎)をすることにした。
直後はめまいや動悸が出たが、日常生活に支障をきたすほどではなかった。
翌年には休学していた通信制高校にも復学することができ、
病院内で出会った友だちとも時々遊びに出かけるようになった。
反面、両親との関係は徐々に悪化していった。
 
「父親は些細な事で私に怒鳴ったり、母親は私がバイトに採用されたと知ると、
家庭の事情を理由に勝手に採用の取り消しを図ったり……。
当時私はブログを書いていたのですが、
親への文句と自身の絶望感で記事のほとんどが占められていたほど
親への不満が大きかったです。親は私のことを都合良く動く「人形」としか
思っていないのではないかとも思い、私という人格を全否定されたと感じた私は、
底の無いような絶望感を抱きながら過ごしていました。
私の心はきっとこの両親に殺されたんだとさえも思いました」
「この家を出て自立したい気持ちや年頃なので結婚願望もあり、
出口の無いようなこの現実を変えたい気持ちでいっぱいでした。
そこで私はさらに、パキシルの残り5mg の断薬を決意します。
パキシル服薬7年目、25歳になった秋のことでした」
 
離脱症状がある中で、あめさんと両親との確執は深まっていった。
めまいに襲われながら、両親と学校生活や進路について口論をしたこともある。
そういう中で母親が「なんで言うことをきいてくれないの!」と
わざとらしく泣いたことがあり、それがあめさんのなかで、
印象深く残っているという。
家の中がこのような状況だったため
(ちなみに弟がいるが、弟は早々に家を出て行った)、
断薬後の精神状態はひどく不安定だった。
気が狂ってしまいそうな感じ、激しい焦燥感……
学校や喫茶室の仕事には何とか通っていたが、漫画は描けなくなっていた。
家にいるときは離脱症状と両親のストレスを紛らわすため、
常に何かしていないと落ち着かないといった状態で、
一日中、布を片手にひたすら刺繍をしていた。
そうしていないと頭がおかしくなりそうだったからだ。
そして、周囲に相談できる人も一人もいなかった。
この時、あめさんは「完全に孤独だった」。
 
パニックの出現、再服薬
精神的に追い詰められたような気持ちで臨んだ学校での試験。
その時、あめさんはパニックを起こしてしまい、
何とかその時は試験を終えることができたものの、
その後、喫茶室の仕事中にも発作を起こし、さらには犬の散歩中、
お風呂に入っている時など、頻繁にパニックを起こすようになってしまった。
何もできないままベッドに寝ているだけの生活。
いま思えば、パキシル断薬による離脱症状だったと思う。
しかし、当時はネットにもまだ離脱症状について、
シャンビリ」くらいの記述しかなく、
あめさんは自分は本当にパニック障害になったのだと思い込んだ。
そのような状態だったため、通信制高校の卒業式にも出席できず、
毎日毎日将来への不安や症状への不安で、押し潰されそうだった。
そして当初計画していた両親から自立する目的も果たす事すら叶わなかった悔しさ……。
理解してくれる人は周りにおらず、そんな感情と孤独感でごちゃごちゃになった頭で、
私はふいに余っていたパキシルmg に手を付けてしまいました。
薬を止めたせいで体調を崩してしまった。
だから私は一生薬を飲み続けなければならないんだ。
この洗脳のような誤った思考はつい最近まで、
断薬後かこさんのブログに出会うまでずっと続くこととなります」とあめさんは書いている。
 
しかし、パキシル5㎎を再服薬したものの、
不安になってあめさんは母親にこう尋ねた。
「私、薬を飲んだほうがいいのかな? 病院、通ったほうがいいのかな?」
「そう思うのだったら、病院に行こう」
と母親は言い、以前の主治医の診察日にあめさんを病院に連れて行った。
そこでせっかく断薬したパキシル10㎎が、再び処方されたのである。
このときも病名は告げられなかった。
(ちなみにその後、自立支援の申請をする際の診断書には「気分障害」とだけ書かれていて、
それはその後も変わらなかった)。
パキシルはその後、医師の「薬が足りないみたいだから」という判断で、
15㎎まで増え、それは結局、4年後に再び減薬を始めるまで続くことになる。
 
その後、パニック発作はほぼ治まったが(離脱症状ゆえ、パキシル再服薬で治まったものと思われる)、あめさんとすると、前回の断薬失敗がトラウマとなり、薬をやめるという発想もないまま、
自分は一生薬と共に生きていくんだとの思いがあった。
この頃は、20代前半なのに、生きるということを半ばあきらめていたという。
不安感も強く、外出したいという意欲もなく、
仕事をしたいと思っても求人広告を見ただけでダメだと思ってしまう。
何をする気力もなく1日中寝ているだけ。楽しみらしい楽しみもなく、
通っていたデイケアも若い男性患者からセクハラ・ストーカーまがいの行為を受けて、
通所をやめてしまっていた。
 
自宅で両親と喧嘩してはしょっちゅうヒステリーを起こし、
怒りのあまり部屋の壁や家具を傷だらけにし、
その罪悪感から泣きながら自分の首を思い切り両手で締め付けることが
月に必ず数回はありました。
飲酒も毎日のようにしましたし、
自殺関連のサイトばかりを閲覧していた時期もあります。
もういつ死んでしまっても構わないと自暴自棄になっていた4年間。
不謹慎な話ですが、いっそのこと世界が爆発して終わってしまえばいいのにと
常に思うようになり、ありとあらゆるものに憎しみの感情を抱いてもいました。
夜眠るときは二度と目覚めないことを願って眠り、
朝起きてまだ生きていることに絶望する……そんな毎日。
いま思えばパキシルの副作用のアクチベーション・シンドロームもあったと思います。
よく警察沙汰にならなかったと思います」
主治医の診察は3分診療で、ただ薬を処方するのみ。
そして、あめさんの体調は好転するどころか、
凶暴性、暴力性がエスカレートしていった。
常に頭の中がゴチャゴチャしていて、気が狂いそうな感覚があった。
 
医師によって減・断薬はしたものの……
断薬のきっかけは2013年春先のことである。
いつものように主治医の3分診療のとき、あめさんがふと、
「憎しみが強くて……。人が憎くて憎くて仕方がない」と漏らすと、
医師が「それは、つまり不特定多数の人を傷つけたいという事かい?」と訊いてきた。
あめさんが「はい」と答えると、主治医はパキシルの減・断薬を提案してきたという。
 
あめさんとしてみれば、一生薬を飲む覚悟もあり、かつ断薬失敗のトラウマもあったので、
最初はこの医師の言葉に耳を疑ったが、何とか減薬を始めることにした。
軽い腹痛やめまいがあったものの、減薬はスムーズで、
軽いパニック発作は出たものの、2013年9月に断薬となった。
しかし、その時主治医はなぜかパキシルの代替薬として
同じSSRIのジェイゾロフト(1日1錠)を提案してきたのである。
離脱症状緩和のつもりなのか。しかし、せっかくやめたSSRIの代替薬が
同じSSRIというのは、どういうことだろう。
ジェイゾロフトにはアクチベーションシンドロームの副作用がないと考えてのことだったのだろうか? 
この医師がどういうつもりでジェイゾロフトを処方したのかよくわからない。
 
ともかく、あめさんは処方されたジェイゾロフトを一度は飲んだ。
しかし、激しいめまいに襲われて起き上がれなくなったので即服用をやめた。
再服薬そのものにかなりの抵抗もあったのだ。
その後、離脱症状は続き、体調不良に悩まされる中で、
あめさんはフラワーエッセンスに出会い、
それで暴力的な感情は完全に消すことができた。
しかし、パニック症状は残ったままで、状態は悪くなる一方。
主治医に相談をすると、次のような回答である。
パキシル断薬から2ヶ月も経過しているので、薬のせいとは考えられない」
離脱症状は2ヶ月も続かない――じつによくある回答だが、
医師はまたしても代替薬を提案してきた。
今度は三環系抗うつ薬アモキサン(10mg1カプセル13)である。
 
あめさんは、この頃から医師に不信感を抱きはじめるようになった。
アモキサンを1ヶ月程度飲んでみたものの、1日1カプセル以上は怖くて
口にできなかった。この量でも動悸や立ち上がりにくくなるといった副作用が現れ、
かつパキシル離脱症状も相まってほとんど食事が摂れない状態となった。
 
このことを医師に告げると、次はセディール(非ベンゾの抗不安薬)という薬を
出された。(1錠×2/日)。しかしこの薬も副作用への不安から
1錠を半分に砕いたものを1日1回、それも1ヶ月程で止めた。
あめさんはこの頃から薬への不信感も大きくなり、毎日ネットで薬について
情報を集めるようになったという。その中でこのブログにも行き当たった。
 
しかし、パニック発作はひどくなっていった。
ほんの近所の自動販売機まで行くだけで激しい発作に襲われた。
そのことを医師に告げると、今度はレクサプロ(1日半錠)が処方された。
飲んでみたが、たくさんの副作用が出て、服用中止。
これを医師に言うと、今度はパキシルCR(徐放剤)を勧められた。
いい加減薬に嫌気がさしていたあめさんは、それは受け取らずに帰宅した。
「2001年から10年以上の長期にわたる付き合いだった
この主治医を見限った瞬間でした(2014年1月の事です)」と
あめさんは書いている。
 
それにしても、パキシルの減・断薬を言いだしたまではよかったが、
2ヶ月以上続く症状は離脱症状ではないとして(つまり病気として)医師は
次々薬を処方し続けるが、医師の考えがぶれているのは一目瞭然である。
処方は揺れ続け、ついには、やめたはずのパキシルに行きついてしまった。
これでは元も子もないが、離脱症状を正しく認識していないと、
結局はこういう成り行きにならざるを得ないのだろう。

 
親も精神科も、私に薬と絶望を与えただけ
あめさんは今年の1月以来、精神医療(薬)とは縁が切れた状態だが、
現在も不快な症状(パニック――一時は改善したものの最近になって悪化)があり、
外出もできない日々を送っているという。
精神医療により奪われた時間の重さと離脱症状を背負って生きて
いかなければならない現実を思い、絶望のあまり命を絶とうと何度も考えました。
そして私を精神医療につなげた張本人でもある親。
精神医療の危険性を話し、病院に行かないことについては説得できました。
正直、私は親を憎んでいます。この人さえ余計な事をしなければ、
私はきっと精神科に自ら行こうなんて思わなかっただろうし、
不登校経験を持ちながらも楽しく生活できたのではと思います。
いつか離脱症状が消えても親との関係は続きますし、
社会経験の全く無い私は、この先いったいどのように生きてゆけばよいのかわかりません。
親も精神科も結局のところ、私に薬と絶望を与え、生きるための力を与えてはくれませんでした
 
あめさんの最後のこの言葉は重すぎる。
向精神薬との闘いは、最終的には、失われた時間とどう向き合うかの
闘いにもなっていく。身体への侵襲もさることながら、
その意味で、薬の安易な服用は、人生そのものに大きな影響を与えてしまうのだ。
親の思うような振る舞いをしないわが子、薬を飲ませようと考えるのは、
服薬によって、もしかしたら「自分の思うように振る舞う」人間になると
信じているからか。不登校になった理由、子どもの声を聞く前に、
薬によって「コントロール」しようとすることが、
どれほど子どもにとって理不尽なことか……。
しかし、あめさんはまだ31歳である。今は辛い離脱症状が残っているが、
いつかそれを乗り越えて、その先、きっと自立した人生を手に入れることができる、
そう願っている。メールの文章はとてもしっかりしていた。
大丈夫。少しずつ取り戻していけばいい。

【電話】 0173-74-9045 又は 050-1088-2488
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  ~針治療から病態定義の見直しを~