藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

【転載】ベンゾジアゼピン眼症?


ヨミドクターに連載された「ベンゾジアゼピン眼症」に対しての「田中 涼」さまの意見内容の転載です。
今件のヨミドクターに掲載されている内容を鵜呑みにした場合、ベンゾジアゼピン系を服薬する事で発生する有害事象の1つである眼瞼痙攣は「副作用である、副作用のみ」と読み取れてしまう内容ですが、この眼瞼痙攣は「副作用」のみならず、耐性獲得に伴う「常用量離脱症状」や、減~断薬時に発症する可能性のある「離脱症状」の時期でも起きうる可能性が十分にあると言う事を田中さまは述べられています。
眼瞼痙攣へと至ると推測される耐性獲得による常用量離脱、又は減~断薬時に伴う離脱症状期に於いては、ベンゾジアゼピン系の主作用の1つである「筋弛緩」の反跳作用として「筋硬直」「筋痙攣」「筋緊張」等が生じる事は比較的知られている事かもしれません。その経緯も踏まえての眼瞼痙攣に対しての内容であると個人的に理解しております。
臨床現場に於いても羞明含め眼瞼痙攣を抱える患者群と言うのは、眼の問題だけではなく、体幹硬直に伴う四肢末梢部の諸症状も抱えている方々が大半(100%と言っても過言ではない)の為、眼瞼部の痙攣と言うのも、1つの「筋硬直」「筋痙攣」「筋緊張」等の反跳作用であると捉える事のほうが自然かもしれません。
デパス含む)ベンゾ系のみならず、向精神薬の中長期的服薬に伴う常用量離脱、減~断薬に於ける離脱症状期に於いて、眼瞼痙攣(眩しい・痛い)等の一見ドライアイ様症状を呈する方も極めて多く、場合によってはドライアイとしての治療を行っても無効だったと言う過去を抱えている方も少なくありませんが、羞明や眼瞼痙攣、若しくは複合的要素の絡んだ諸症状と言うのは、
あくまで中枢神経系を由来とする諸症状である為、仮にも現在羞明や眼瞼痙攣を抱えており、向精神薬を服薬していたからとしても、必ず向精神薬であるとイコールで結ばれると言う根拠もあるものではありません。向精神薬以外の薬物、ワクチン、自然発症性でも年代関係なく発症する可能性があり、向精神薬由来は1つの要因だと言う柔軟性を持った捉え方で読み進めて頂く事も大切な事と思います。

以下転載
常用量依存問題とは疾病喧伝とは逆の現象なのです。臨床用量内での依存もDSM的に「薬物依存症」と容易に確定診断出来るようになると、医師や製薬業界は批判にさらされます。治療と称して「薬物依存患者」を作り出している証拠が診断名として公的に残りますから。
そうなったら困るから、医師や製薬会社が可能な限り責任を取らないで済むように、医療界は臨床用量での依存を薬物依存と認めにくくなるような複雑な診断基準を作り出しました。
したがって、臨床用量内での依存は確定診断を下すことが難しくなり、あくまで疑い病名に留まるケースが殆どです(全例においてとは限らないとは思う)。DSMには常用量依存というカテゴリーはないのですから。その結果、ベンゾジアゼピンは臨床用量でも依存は生じることは事実ではあるものの、
個々の症例においては、本当に依存になっていたかどうかは定かではないという見解が可能となり、公的証拠として残らないのです。アメリカ精神医学会がそういう診断システムを周到に作り上げ、その診断システムを残念ながら日本の良識派精神科医たちも支持しきっているという構図を私は繰り返し指摘しています。 H28.7.22 田中さま著

まず、私はこの眼科医グループが広めようとしている「ベンゾジアゼピン眼症」なるものは薬剤誘発性の主に眼瞼痙攣という局所性ジストニアを中心とした疾病概念だと理解しています。
この眼瞼痙攣とは、目が疲れた時に瞼がピクつくといった程度の症状ではなく、もっと強い筋硬直が生じる厄介な症状です。眼の周囲の筋肉の硬直の為、眼が痛んで開けていられないという状態になる人も珍しくありません。そしてこの眼瞼痙攣は光の眩しさ(羞明感)を伴うケースがあることもよく知られています(羞明の機序は不明)。
この眼科医グループが指摘するようにベンゾジアゼピン系薬剤(デパスも含む)が眼瞼痙攣と呼ばれる局所性ジストニアを引き起こすことに間違いはありません。そして、ベンゾジアゼピンがしばしば目に引き起こす有害事象を医療界、一般社会に注意喚起することには賛成です。
またベンゾジアゼピンは長期服用しても安全だと言い続けてきた不勉強な医師(主に精神科医)たちが、これまでおそらく原病あるいは心因性と見做してきたであろう眼の症状が実は薬剤性であると示したことには大きな意義があります。
しかし、もしこの眼科医グループがこの「ベンゾジアゼピン眼症」なるものを、ベンゾジアゼピン系薬剤が引き起こす単なる副作用と解釈するのなら私はその説には全く同意できません。私の解釈は、この眼科医グループが注意喚起する「ベンゾジアゼピン眼症」なるものは「薬物依存形成に起因する離脱症状」だということです。
少なくとも、このヨミドクターのコラムを読む限り、ベンゾジアゼピン眼症、つまり薬剤性眼瞼痙攣を「離脱症状」と解釈しているようには読み取れません。もし「ベンゾジアゼピン眼症」が「薬物依存形成に起因する離脱症状」とは無関係という解釈が医学の定説と見做されるなら、そこからいくつかの問題が生じることを私は懸念します。
この眼科医グループはベンゾジアゼピンの減断薬時、つまり明らかな離脱中に生じる羞明感(光の眩しさ)や眼痛について、薬剤性と認めてはいるものの離脱症状とは見做していないと聞いています。離脱時によく生じることで知られている羞明感や眼の痛みが眼瞼痙攣という筋肉の異常から来ているという眼科医の解釈はおそらく正しいし、そう見抜いた慧眼は称賛に値します。
しかし、それを「ベンゾジアゼピン眼症」と呼び、離脱症状とは別物と解釈することに私は強く異を唱えます。この眼科医グループによると、たとえ明らかな減断薬時に生じた羞明感や眼痛であっても、それは離脱症状ではないということなのです。この見解には僕は全く反対です。たとえば、離脱について調査した次の文献からも、離脱症状として羞明感や眼痛が出現することは明らかなのです。
(この眼科医グループの見解に対する私の理解が間違っているなら訂正します。)

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#1Lader M, Petursson H. Long-term effects of benzodiazepines. Neuropharmacology. 1983 Apr;22(4):527-33.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6134250
この論文ではベンゾジアゼピン減薬治療を行った22名のうち13名に羞明感あるいは眼痛が出現したことが報告されている。
#2Tyrer P, Murphy S, Riley P. The Benzodiazepine Withdrawal Symptom Questionnaire. J Affect Disord. 1990 May;19(1):53-61.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1971833
この調査では、ベンゾジアゼピン減薬中の68名のうち31名に羞明感、27名に眼痛が離脱中に出現したことが報告されている。
#3Busto UE, Sykora K, Sellers EM. A clinical scale to assess benzodiazepine withdrawal. J Clin Psychopharmacol. 1989 Dec;9(6):412-6.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2574193
ベンゾジアゼピン離脱症状(離脱症候群)の評価表(チェックリスト)の作成を試みた論文。その評価表の作成にあたって、合計63名の離脱者からデータを収集し、離脱前の症状と離脱中あるいは離脱後に新たに生じた症状を調査し、離脱症状として新たに出現する傾向が強く、離脱症状と鑑別しやすい症状を22項目抽出。その症状の中に羞明感が挙げられている。つまり、羞明感は典型的な離脱症状であることが確認されたということ。
#4Ninan PT. Pharmacokinetically induced benzodiazepine withdrawal. Psychopharmacol Bull. 2001 Autumn;35(4):94-100.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12397859
アルプラゾラム抗うつ薬ネファゾドン(日本未承認)を併用中の患者において、抗うつ薬ネファゾドンの中断時に光の眩しさをはじめ多彩な症状が出現し、アルプラゾラムを増量することでその羞明感も含む不快な症状群が消失した症例報告。ネファゾドンがアルプラゾラム代謝酵素のCYP3A4の阻害薬であることから、ネファゾドンを中断することで阻害されていた代謝酵素CYP3A4の働きが回復した為にアルプラゾラム代謝が一気に促進されたことで離脱症状として羞明感が出現したと解釈されている。
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他にも、羞明感や眼痛がベンゾジアゼピン離脱症状の典型症状であることを示す文献や資料は多くあります。これらの事実から、ベンゾジアゼピン離脱中に生じる羞明感や眼痛は、単なる副作用ではなく、依存形成から生じる離脱症状と解釈することが妥当です。それが常識的な見方ではないでしょうか?
しかし、ややこしいのは、この羞明感や眼の痛みは必ずしも明らかな減断薬時にのみ生じるわけではないということです。この傾向がこの有害事象の正体を解りにくくしています。その為、この眼科医グループのように離脱症状とは別物だとする考えが出てきて混乱を招いているようです。
何故、羞明感や眼痛といった眼瞼痙攣に伴う症状は、その発症タイミングに関して、明らかな減断薬時と、特に減薬した訳でもない連用中に生じる2つのパターンがあるのか?そして、何故、私はこの両方とも薬物依存形成に起因する離脱症状と解釈するのか?について考えを述べてみます。
まずは、明らかな減断薬時に羞明感あるいは眼痛が生じるケースですが、もし思い込みや詐病ではなく実際にそれらの症状が出現しているのなら、前回の投稿で文献を引きながら示したように、それらが離脱症状であることに議論の余地はない筈です。
次に発症機序について解説してみます。ご存知の通り、ベンゾジアゼピンには筋弛緩作用があります。しかし、連用によりこの筋弛緩作用に対して耐性が形成され筋弛緩作用は減弱あるいは消失していくケースがあります。そして、減断薬時にその獲得された耐性がむき出しとなり、多彩な筋肉症状が出現し得ます。たとえば、筋肉痛、筋硬直、有痛性痙攣(こむら返り)、筋肉のピクツキ、チック等で、これらがまさに離脱症状です。
そして、眼球周辺(あるいは眼球内も?)には極めて繊細な筋肉が集中しているために、眼は耐性形成の結果生じる筋硬直症状、痙攣症状が最も現れやすい部位なのでしょう。だから離脱時に、眼瞼痙攣の症状をはじめ眼の違和感を訴える患者が多いと考えられます。眼瞼痙攣発症について他にも考えられる機序はあるかもしれませんが、この筋弛緩作用に対する耐性形成に起因するという説が現時点では最も妥当な解釈でしょう。
次に特にはっきりとした減断薬をしていない連用中に生じる眼瞼痙攣の機序について考えてみます。これは眼瞼痙攣発症に関わる筋弛緩作用に対する耐性が“完全に”(あるいはほぼ完全に)形成されてしまったケースと考えるとうまく説明できます。明らかな減断薬時に生じるケースは耐性形成が部分的なケースと考えられます。眼瞼痙攣発症に関わる耐性形成が部分的故に、顕著な減薬がなされたタイミングで発症します。
そして、多くの場合、再服薬することでそれらの症状は消失あるいは軽減を示します(私の場合もそう)。したがって、もし、特に減量をしていない連用中に眼瞼痙攣症状が生じる症例においても、常用量の2倍あるいは3倍程度の用量のベンゾジアゼピンを投与することにより、症状の消失あるいは軽減がみられるなら、それは離脱症状である証で、
私の説が正しいことになります。一方、もし増量再投与により眼瞼痙攣症状が悪化するなら、この眼科医グループが主張するように、離脱症状とは別の単なる副作用となりますから、それを「ベンゾジアゼピン眼症」と呼ぶことに私は同意します。
ちなみに、この眼科医グループの「ベンゾジアゼピン眼症」患者の中には、離脱を試みても断薬できずに再服薬している人たちがいると聞いています。もしそれが事実なら、その人たちは既に薬物依存状態にあり、離脱症状に耐え切れずに再服薬している可能性があり、「ベンゾジアゼピン眼症」もその離脱の一部であると見做す方が自然に思います。
また、単なる副作用としてその「ベンゾジアゼピン眼症」が出現しているのなら、徐々に減薬するのではなく、むしろ比較的に急な断薬が推奨されるとも思うのですが、実際はゆっくりと減断薬させているようです。それは「ベンゾジアゼピン眼症」の患者が薬物依存形成されているからなのではないでしょうか?
ベンゾジアゼピンが誘発する眼瞼痙攣は連用中にも出現するんだから、それを離脱症状と呼ぶのはおかしいと医師たちは反論するかもしれません。これについて私の考えを述べてみます。
ベンゾジアゼピン誘発性の眼瞼痙攣のように減断薬時に頻発するものの、特に明らかに減薬をしていないタイミングでも発症する有害事象は他の精神科処方薬においても認められます。たとえばその典型が抗精神病薬の連用により生じることのある遅発性ジスキネジアや過感受性精神病です。
これらの現象は抗精神病薬の連続投与でドーパミン系の受容体を遮断し続けることで代償的にドーパミン受容体の感度が増していく(あるいは受容体密度が増大する)ことにより出現すると考えられています。
http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn790.html
このリンクにある解説では過感受性精神病についてのみ書かれていますが、本を読むと、遅発性ジスキネジアも同じ理屈で発症するであろうことが示されています。このリンクの冒頭には抗精神病薬の連続投与により、受容体に神経適応変化が生じ“耐性が形成され”、僅かな減量でも過感受性精神病が出現すると書かれています。このように、これらの有害事象の原因は耐性形成(受容体の神経適応変化と同義)なのです。
私はこの中枢神経に生じる耐性形成こそが薬物依存形成であり、この神経適応変化を基盤として離脱症状が出現すると考えています。つまり耐性形成と薬物依存形成は同義で、耐性形成と離脱症状出現は表裏一体の関係ということです。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=488332224707567&id=100005923810759
(ここでの耐性とはアルコールでよくいう「飲み続けることで酒に強くなる」という意味での耐性ではありません。この場合の生理学的意味はアルコールを分解する酵素が頻繁な飲酒により増えて酒に強くなることです。一方、向精神薬の耐性とは、連用によりその薬剤が結合する受容体に生じる神経適応変化(代償的変化)です。ついでに言うと、アルコールにおいても、肝臓に存在する分解酵素の増加という意味での耐性形成だけではなく、向精神薬のように慢性摂取により、中枢神経に生じる耐性形成もある筈です。)
残念ながらどういう訳か、抗精神病薬は精神医学的には依存性薬物と認められていませんから、連用中あるいは減断薬時に生じるジスキネジアや過感受性精神病は教科書的には離脱症状と呼ばれません。しかし上記リンクの本でも解説されるように、それらが慢性摂取による耐性形成(神経適応)の結果であると認めるならば、生理学的な意味合いにおいては本来それらは薬物依存形成に起因する離脱症状と見做されるべきなのです。この見方は1987年まで採用されていたDSM3の薬物依存診断基準からも肯定できます。
※参考動画
抗精神病薬中断により少女に生じたジスキネジア(中断により生じたのですから、常識的に考えると離脱症状と見做すべき)
https://youtu.be/WlVxv5ag0pQ

更に別の視点から考察してみます。受容体に作用しないリーマスなどの気分安定薬には、基本的に耐性形成が生じる可能性は低いとされ、また同時に、これといった明確な身体的離脱症状も認められていません。この事実からも中枢神経に生じる耐性形成と離脱症状が表裏一体の関係にあるという私の主張が裏付けられています。
http://mentalsupli.com/…/mood-stabiliz…/lithium/li-withdraw/
ベンゾジアゼピンではない抗てんかん薬にも耐性形成が認められるという臨床医の話もあるようですが、それは中枢神経に生じる耐性でしょうか?それとも肝臓の代謝機能の活性化という意味での耐性でしょうか?この点については不勉強です。)
次に、この眼科医グループが2014年に海外の学術誌Neuroscience誌に発表し、マスコミにも取り上げられた下記の研究論文から、この「ベンゾジアゼピン眼症」なるものの生理学的意味について考えてみます。
Suzuki Y, Kiyosawa M, Wakakura M, Mochizuki M, Ishiwata K, Oda K, Ishii K. Glucose hypermetabolism in the thalamus of patients with drug-induced blepharospasm. Neuroscience. 2014 Mar 28;263:240-9. 
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24462606
同じ研究グループの眼科医のブログでこの研究報告について紹介されています。
この論文の結論部分では、ベンゾジアゼピン誘発性眼瞼痙攣、つまりこの眼科医グループが「ベンゾジアゼピン眼症」と呼ぶ症状の考えられる発症原因として、中枢神経において人体の抑制性(鎮静系)機能を司るGABA作動系に生じる変化が挙げられています。
そして、他の箇所を読めば、そのGABA作動系の変化とは、具体的にはGABA/ベンゾジアゼピン受容体に生じるダウンレギュレーション(機能低下)であることが示唆されていることが解ります。この受容体に生じるダウンレギュレーションはベンゾジアゼピン連用による耐性形成(薬物依存形成)のメカニズムとして現時点では最も有力な学説とされています。
更にこの論文では、断薬後にみられる眼瞼痙攣の回復は、この連用により機能が低下したGABA/ベンゾジアゼピン受容体が機能亢進(アップレギュレーション)することにより起きる可能性が示唆されています。これはまさにベンゾジアゼピン離脱状態からの回復時に起きると考えられている生理学的プロセスなのです。
つまり、この眼科医グループはマスコミ記事や個人的なやり取りの中では「ベンゾジアゼピン眼症」を離脱症状とは別物と見做しながらも、論文の中では、離脱症状の場合と同じ機序を示すという、私からしたらおかしな論理を展開しているのです。私の誤解や誤読であったら素直に訂正しますが、論文を読む限り、離脱症状の発症機序、それから離脱状態からの回復機序と同じ論理が示されています。
耐性形成の生理学的意味がGABA/ベンゾジアゼピン受容体の機能低下(ダウンレギュレーション)であり、それがベンゾジアゼピン眼症の発症機序である可能性を認めるならば、そのベンゾジアゼピン眼症がたとえ顕著な減薬の無い連用中に起きた場合であっても、それを離脱症状と見做すことに特に問題は無い筈です。この眼科医グループが執筆した論文を読む限りそう思えるのです。
先述の抗精神病薬連用中、あるいは減断薬時に生じるジスキネジアや過感受性精神病を生理学的な意味において離脱症状と見做すことが妥当と認めていただけるなら、このベンゾジアゼピン眼症も離脱症状と解釈することに矛盾は生じないように思えるのですが、皆さんはどう考えますか?

先ずはこれまで述べてきた、このベンゾジアゼピン誘発性の眼瞼痙攣を主とする「ベンゾジアゼピン眼症(羞明感や眼痛)」なるものが単なる薬物の直接的な毒性からくる副作用ではなく、離脱症状だと私が考える根拠について補足も加えながら整理してみます。
1)薬物依存からくる離脱症状とはその依存性物質の直接作用が裏返しとなって現れる。ベンゾジアゼピンには筋弛緩作用があるのだから、離脱症状として筋硬直、筋痙攣症状が出現することは当たり前で、とりわけ繊細な筋肉が集中する眼に離脱症状として眼瞼痙攣が頻出してもおかしくはない。
2)離脱症状について調査した数多くの文献で、羞明感あるいは眼痛が典型的なベンゾジアゼピン離脱症状として挙げられている。また離脱症状を評価するチェックリストは複数あるものの、羞明感あるいは眼痛が評価項目に含まれていないものは、私の知る限り存在しない。
3)この眼科医グループ自身が文献の中で、このベンゾジアゼピン眼症の発症原因がGABA/ベンゾジアゼピン受容体のダウンレギュレーション(機能低下)である可能性を示唆しており、それは現時点で医学的な通説となっているベンゾジアゼピン依存形成(耐性形成)の機序そのものであり、それを神経生理学的な基盤として離脱症状が出現すると考えられている。この理屈でいくと眼科医グループがいうベンゾジアゼピン眼症は離脱症状と見做すことが妥当。
4)ベンゾジアゼピン眼症のように減断薬時に頻発するものの特に明らかな減薬をしていないタイミングでも発症する有害事象は抗精神病薬にもみられ、それは遅発性ジスキネジアや過感受性精神病(精神興奮症状)である。これらは薬剤が結合する受容体に生じる耐性形成(神経適応)の結果出現すると考えられている。耐性形成の結果生じる耐え難い症状は、たとえ明らかな減量をしていない連用中に出現するケースであっても、生理学的な意味においては本来、離脱症状そのものである。離脱症状とは必ずしも明らかな減断薬時にのみ生じる訳ではないことは、この抗精神病薬のケースからも肯定できる。
5)私自身の離脱体験からくる確信。何故なら、私の眼の症状は減薬の終盤あるいは断薬直後に、筋肉のピクツキ、入眠時ミオクローヌス痙攣、筋肉痛、睡眠中の歯の食いしばりと歯ぎしり、しびれ等、その他ベンゾジアゼピン離脱に典型的な症状とほとんど同時期に出現し、再服薬により、眼の症状の明らかな軽減を経験したから。単なる薬剤の直接的な毒性による副作用ならば再服薬で悪化するはずである。
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以上を踏まえて、この「ベンゾジアゼピン眼症」なるものが離脱症状と認められず単なる副作用と見做されたまま、この呼称が広まり医学の定説となることでどういう問題が出てくる可能性があるのかについて述べてみます。
A) 医師の責任が問われにくくなる。
B) 離脱症状は長期化、後遺症化し得るという証拠を見逃す。
C) 離脱症状とは明らかな減断薬時にのみ生じるものではないという証拠を見逃す。
D) 脱抑制や奇異反応に関するおかしな通説を否定する機会を逃す。
以下で、それぞれについて解説します。
<A. 医師の責任>
医師が強引な減断薬をした場合、あるいは、②の投稿で紹介した#4の文献の症例のように不勉強な医師が併用薬との相互作用を無視して併用薬に何らかの変更を加えた場合に、羞明感や眼痛が出現することは有り得ます。こういうケースで患者に何らかの実害が生じた場合、これらの眼症状が単なる副作用と解釈されてしまったら、医師は責任を問われにくくなります。
何故なら、「予見可能性の無かった不運な副作用」と見做されるからです。医療事故で医師の法的責任を問おうとする場合、その事故を予見できたかどうかが争点となりますが、臨床用量内で起きた添付文書にも書かれていない単なる副作用の場合にはそれは難しい。
ベンゾジアゼピン連用により出現する羞明感や眼痛を主とした眼瞼痙攣が全例において単なる副作用と見做すことが医学の定説となれば、保身を優先させる医師はむしろ喜ぶでしょう。「予見可能性の無かった副作用です」と言えますし、仮に今後、このベンゾジアゼピン眼症なるものがが添付文書に記載されることになったとしても、「全ての副作用を患者に伝えることなど不可能です」と言えば済むんですから。
一方、離脱症状と見做された場合には、過去に急なベンゾジアゼピン断薬により離脱を生じさせた医師の過失が認められた判例(賠償金は少額)がひとつあるため、医師の落ち度が深刻なケースでは裁判で手も足も出ないという訳ではないと思います。もちろん簡単ではないですけどね。
<B. 離脱の長期化、後遺症化>
添付の新聞記事をご覧いただきたいのですが、最後の方に、このベンゾジアゼピン眼症患者のうち、断薬により回復はしたものの完治には至らなかった症例があったことが報告されています。私は断薬7年が過ぎていますが、眼の症状や他の筋肉症状、耳鳴り、痺れやすさなど、
複数の症状がしぶとく残存しており、完全回復しないであろう状態が起きていることを体感しています。多くの医師が、ベンゾジアゼピン離脱は短期間、せいぜい数週間程度で完全消失すると考えますが、臨床用量であっても実際に私のような現象が起こり得るのです。
ベンゾジアゼピン眼症」が単なる副作用と見做されてしまったら、医師のこの間違った思い込みを正す医学的証拠を手放すことになってしまいます。
私は詭弁を用いて医師の思い込みを正そうとしているのではなく、薬剤性眼瞼痙攣について、文献的証拠や妥当と考えられる説を提示し、論理的にこの有害事象を通して医師の皆さんに離脱の長期化や後遺症化を知って頂きたいのです。残念ながら、「離脱症状なんて短期間で完全消失するんだから、別に依存になっても構わんやん」と考える医師は多い。
しかし、このベンゾジアゼピン誘発性の眼瞼痙攣の病態を調べるだけでもそれが間違いであることが判るのです。それが単なる副作用と解釈されてしまったら、その機会も失われてしまいます。
<C. 離脱症状は連用中にも生じる>
ある有名な精神科医は、常用量依存について注意は喚起しながらも次のように述べて、仕方のない依存、悪くない依存もあるとも読み取れる発言をしています。「…中断しようとしなければ離脱症状を見ることもなく、ただ単に普通の用量を内服し続けているということにすぎない。」 
ベンゾジアゼピン誘発性の眼瞼痙攣が耐性形成に起因する離脱症状であると正当に評価されたなら、この医師が公的に述べる言説が誤りであることが証明され、漫然投与に一層の歯止めがかけられるし、仮に連続処方をありとしても、医師は減断薬時だけではなく連用中にも注意深いモニタリングが求められることになります。
更に言うと、常識的にみたら、連用中に生じる離脱症状が眼だけに限定して現れるとは考えられず、離脱として精神興奮症状も連用中に出現しているとみる方が自然です。そしてその興奮症状の中には、自死関連行動など取り返しのつかない重篤なものもあることが予想されます。ベンゾジアゼピン誘発性眼瞼痙攣の実態を探れば、上記の医師のような言説が如何に短絡的で危うい考えかがお解りになるかと思います。
(ちなみにこの精神科医ベンゾジアゼピン連用で依存が生じる事実は認めながらも殆どのケースでは耐性は形成されないとも述べています。耐性形成なしにどうやって依存形成されるのでしょうか?この医師はその機序を説明する必要があります。)
<D. 脱抑制、奇異反応の通説>
ここでの話はCの内容とも重なります。ベンゾジアゼピンには教科書的には脱抑制や奇異反応と呼ばれる有害事象があります。前置きが長くなりますがw、これについて解説します。脱抑制や奇異反応とは、本来抑制系物質であるはずのベンゾジアゼピン服用により出現する精神興奮症状のことで、攻撃性、易怒性、破壊的行動、自死関連行動などがあります。
脱抑制と奇異反応について、両者の教科書的定義に違いがあるのか定かではありませんが、同義と考えて良いでしょう。この現象の原因は主にベンゾジアゼピンが持つ酩酊作用にあるとされています。同じ抑制系物質のアルコールの場合と同じように、ベンゾジアゼピンを服用することで理性のたがが外れ、暴力的になったり自暴自棄になったりすることで起きる現象です。自死関連行動の場合には、その酩酊作用のために「死の恐怖が薄れる」ことで起きると教科書的には見られています。
そして、理解に苦しむのは、この脱抑制現象(奇異反応)の発症率は1%未満というのが精神医学の教科書的定説になっているということです。1%未満??驚きます。しかし、論文や教科書ではその数字が自分の頭で考えない権威的医師によって使いまわされていますから、医師の指示通りに服薬していた患者に激しい精神の興奮が生じて、何か反社会的行動を起こしたり、
その興奮が自分に向いて自己破壊的行動を起こし、最悪死に至ったとしても、処方医の責任を問うことは困難を極めます。何故なら、その出現率は1%未満とされていますから、仮に薬物起因と認められたとしても、ここでも「予見可能性はなかった」で済まされることが予想されるのです。
減断薬時には離脱として精神の興奮が生じることはまともな医師なら理解できますから、そのステージで出現した精神興奮症状や反社会的行動、自己破壊的行動はAで示した判例からも、処方医に抵抗するための資料を揃えることは可能です。また薬物離脱による興奮の影響が明らかな刑事事件の場合には、もしかしたら情状酌量されるかもしれません。しかし残念ながら、連用中に起きた場合には味方となる資料や証拠はないのです。

前置きが長くなりましたが、ここで、ベンゾジアゼピン眼症なるものの病態に目を向けると、連用中にも離脱が起きている可能性に気付き、Cで書いたように、それが眼だけに止まっていると考える方が不自然ですから、心身の興奮が耐性形成に起因する離脱症状として連用中にも起きていることが想像できます。そうなれば、連用中に生じる激しい興奮症状は脱抑制や奇異反応と解釈されるものだけではないと理解できます。
現代医学は臓器別にしか見ませんから、眼科医はどうしても眼の問題しか頭に思い浮かびません。それはある意味仕方ない。しかし、本来全身を俯瞰して診る能力を備えている筈の精神科医こそに、このベンゾジアゼピン眼症なるものを通して、激越などと呼ばれる連用中の激しい精神興奮症状が、実は教科書的にいう脱抑制や奇異反応ではなく、中枢神経に生じた耐性形成に起因した離脱症状である可能性に気付いていただきたいのです。
そして、下記リンクの恋人をおそらく薬害による自死で亡くして裁判をやった方が嘆くように、奇異反応の出現率が1%未満という馬鹿げた学説を否定して欲しいのです。程度の軽重はあるものの、依存に陥った人の奇異反応の出現率は100%と見て患者に対応しなければならないのです。最悪の場合、連用中に生じる耐性形成をきっかけに人は死にます。
http://www.truthaboutpsychiatry.net/kensho6.html
日本の有名どころの精神科医たちは自分の頭で考えずに、欧米の権威の学説を使い回すか後追いばかりしています。
話が逸れた感じはありますが、この眼科医グループが広めようとしている「ベンゾジアゼピン眼症」を離脱症状と医療界が気付くことで、その先に救われる命や健康もあるのです。
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以上が、この眼科医グループによって提唱され広められようとしている「ベンゾジアゼピン眼症」が、離脱症状と認められずに、単なる副作用と解釈されることで起こり得る問題点です。
私が医学的に間違ったことを言っていたり、論理的な矛盾があるなら素直に訂正します。最初にも書きましたが、これまで精神科医たちが心因性や原病と言い続けてきたであろう眼の症状を薬剤性と見抜いたこの眼科医グループは称えられるべきだし、離脱時に頻発する羞明感や眼痛が眼瞼痙攣の症状だろうとする眼科医たちの解釈はおそらく正しい。
しかし、それを「ベンゾジアゼピン眼症」と呼び、目に限定して出現する単なる副作用と解釈することに私は異を唱えます。医学的により妥当な解釈を示して、それで間接的に人が救われるなら、そっちの方が余程良い筈だからです。
転載終了

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