藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

「知らない」という事


今から11年前(2002年)、
私は交通事故で長期間入院していた時期があり、
医師から処方されていた薬はボルタレンハルシオン
そして名前は忘れましたが胃薬でした。多分他にも飲んでいたかもしれませんが忘れました。
「先生の出してくれた薬だから飲み続ければ治る」と信じ飲み続けましたが、
一向に痛みが引ける事はありませんでした。
 
「知らない」とは危険な事です。
 
何故、ボルタレンが効かなかったのか。
何故、ハルシオンが出されていたのか。
何故、鍼治療で痛みが改善したのか。
 
「学ぶ事」「視点を変える事」「疑問を持つ事」で全てを一掃する事が出来ます。


私が交通事故による痛みで苦しんでいた時期、もう1人、薬に苦しめられている人がいました。


T子さんは現在31歳。薬を飲み始めたのは20歳のとき。ダイエットを始めたのがきっかけで摂食障害となり、友人関係のいざこざもあって、うつ傾向が強くなったのが病院の精神科を受診するきっかけである。今から11年前の1999年といえば、世間で盛んに「うつは心の風邪」キャンペーンが喧伝されていた頃だ。
T子さんは福祉系の大学に籍を置き、ゆくゆくは大学院を出て心理カウンセラーになるつもりだった。福祉系ということもあり、SSRIの情報も割に浸透していて、気分が落ち込んだらすぐに心療内科を受診したほうがいいと周囲の多くの人が思っているようなところがあった。
両親に相談したが、あまり重大に考えてくれないので、母親の姉(伯母さん)が開業医(内科)ということもあり、相談してみた。
すると、「そういう病気は薬を飲まないと治らないから、病院に行った方がいい」との意見。紹介状を書いてもらって、病院の精神科に行くまでの間、飲むようにと、わざわざSSRIのデプロメールを送ってくれたりもした。
T子さんとしては薬への抵抗感があり、なぜ薬を飲まないと治らないのか不安だったので、その時点で薬は飲まなかったという。しかし、病院で診察を受けた結果、「摂食障害は入院治療が必要だから、最低でも3ヵ月の入院をするように」と言われてしまう。入院は絶対にしたくなかったので、医師に告げると、「それなら、大学を一年休学すること。それと、薬だけは絶対に飲んでください、薬にはまったくいっていいほど副作用はなく、依存性もないから安心して」と。
それでも薬だけはどうしても飲みたくなったが、母親からも(伯母から言われていたのだろう)、精神科の看護師からも、「薬だけは飲んでくれ」と強く言われて、しぶしぶ飲み始めたその時の薬についてT子さんは詳しいことは覚えていないが、抗うつ薬睡眠導入剤抗不安薬で、一日15錠ほどを飲んでいたそうだ。
しかし、飲んでも効いている感じはなく、ただただ体がだるい日が続いた。大学を休学している間は運動をしたり(日に10キロ走ることも)、読書をしたり、家の手伝いをしたり……。しかし、1年が過ぎるころから朝起きられなくなった。医師に告げると、朝起きられないということより、1年休んだのだから、今度は絶対に学校に通うように、と言われ、薬が追加された薬を飲みながら通学するが、結局、体力気力がなくなり、再び休学。
 
3年ほど経った23歳のとき、「薬なんか飲んでも病気は治らない」と思い、自己判断で減薬を始め、完全に断薬。そうなると、お決まりの離脱症状である。
立っていても寝ていても、目眩がして、船酔いしたみたいな感覚が24時間続く。ベッドで休んでいても、船酔いしたみたいな感じがして、気分が悪くなる……毎日目眩がするので、ずっとベッドに寝たきりの生活が二週間ぐらい続きました」

 
 心配した両親が、再び別の心療内科に連れていった。そしてT子さんが目眩について話すと、医師は「そんな病気は聞いたことがないが、とにかく、薬を飲むように」
そして、薬を飲むと嘘のように目眩がなくなり、離脱症状のことをまだ知らなかったT子さんは、やはり薬はすごいのだと思った。

 
 24歳のなった頃、T子さんはさらに別の病院に通うようになった。脳で有名な医師で、本を出したり、テレビに出たり、日本全国から患者がやってくるような医師だったが、その人が主治医になってから、さらに薬が追加され、それまで日に15錠ほどだったのが、20錠に増えた。その頃はすでに摂食障害はなくなっていたが、かわりにうつ症状がひどかった。今から思えば、薬によってうつになっていたとわかるのだが……。
 医師はT子さんに「あなたは働けるはずだ」といい、体調不良を訴えると、「じゃあ、薬を追加するから、働いて成果を出しなさい」と言ったという。
 
 
T子さんは医師に不信感を抱き、同じ病院だが、医師を変えることにした。
 その医師は、薬を減らすことを考えてくれ、20錠が13錠に。
デプロメール (フルボキサミン)3錠×朝昼晩の3回
エチセダンエチゾラム) 1錠×朝昼晩の3回(肩こりがひどいということで)
マイスリーゾルピデム) 寝る前に1錠

 
 しかし、やはり離脱症状である。薬が減ると、すごく気分がハイになったり、すごく落ち込んだり、感情の激しい波を感じるようになった。そして、薬の副作用からか、朝から晩までアルコールが飲みたくて仕方がなくなり、とうとう薬とアルコールの同時摂取。マイスリーエチセダンをお酒で飲むと、記憶が飛んで、気持ちよくなり、そしてついにオーバードーズも始まった
その後、ODしないよう睡眠導入剤は処方されなくなり、
そうなると症状も落ち着いて、
デプロメール 1日2錠
エチセダン 1日2錠 となった。
 
26歳。医師の勧めもあって仕事を始めるが、体調不良で、結局続かずに辞める。

でも、それを医師に訴えても、それは、自分の病気のせいだと言われて全く相手にされませんでした。仕事が続かないのなら、ということで、デイケアに通うように提案されました。私もデイケアに通えば、仕事も続くようになるのではないかと思い通うことになりました。デイケアに通うときは、徒歩で通い、体力をつけるため、2時間以上のマラソンを始めたり、社会復帰に強迫的になりました」


その後、主治医が移動になり、新しく主治医が女医になる。この医師は 珍しく、毎回の診察に1時間とってくれた。そして「あなたは、薬を飲む必要も、心療内科に通う必要もほとんどないので少しずつ薬を減らして……断薬を目指した方がいい」と言ってくれた。
パキシル  20ミリ×一錠
エチセダン  0.5×一錠
 
27歳。体調もだいぶ良くなっていた。また新たにパートを始め、朝から晩まで、肉体労働だったが、働くことができた。それとともに、退学した大学を新たに通信大学に変更して、T子さんはもう一度臨床心理士を目指し始めた。


 28歳、パキシル、1日1錠を1日おき


しかし、またしても離脱症状に苦しむようになる。ハードな仕事を始めて半年、仕事場で立っていられないほどの不安感に急に襲われる。それからは、どんどん恐怖感と不安感が襲い、トラウマも鮮明に蘇って、気分が悪くなり、結局 仕事をやめ 家で寝たきりに。また、その頃、主治医だった女医が異動になり、新しい医師に変わる。T子さんは、その頃はまだ「自分が勝手に薬を減らしたから、病気が再発したんだ」と思っていた。離脱症状など、全く知らず、聞いたこともなかったからだ。
 
新しい主治医に、体調の悪さを訴えた。当然のように、薬を処方。
パキシル  30~40ミリ 1日に2錠
エチセダン  0.5 1日3錠

新しい主治医は決して、薬を減らすことはなかった。増やすだけ増やして、しばらくしてデパケンも出されたが、T子さんは危機感を覚え飲まなかった。また診察も毎回1分以内で終わってしまった。5分以上になるとイライラしはじめて、勝手に診察を終えてしまう。主治医を変えようと思ったが、その病院の医師は、ほぼ全員 診察は5分以内。田舎なので、他の病院をとなると、遠すぎて通院できなくなるというのが現実だった。29歳くらいまでは家と病院との往復という生活。無気力、体調不良の日々だったが、薬を飲まないとまた恐ろしいことになると思い、薬だけはちゃんと飲んでいた。

 そして、30歳になる頃、今なら薬の副作用とわかるのだが、体調がどんどんひどくなっていった。物事に集中できない、簡単な文が理解できない、買い物依存症(ネットで買い物をして記憶がない)、うつ状態などだ。また、エチセダンを試しに母親が1錠飲んだところ、歩けなくなり、ベッドまで這って行って、1日以上眠り続けた。その後も、食べられない、飲めない、顔の筋肉がゆるんでしまった。そんな状態が2日続いて、徐々に消えていったという。
「そんな薬を私は5年以上飲んでいたのかと思うと……その副作用なのか、パキシルの副作用なのかわかりませんが、30歳のころ運転中に意識がなくなり車で接触事故を起こしました」

ここ1年半以上、1日に5時間くらいしか起きていることができないという。昨年中は、2、3日眠り続けていることもあった。
「食事が自分で出来ず(ベッドから起きていられず)、母に食べさせてもらっていました。食事をした記憶もほとんどないのですが。トイレだけは何とか一人で出来ましたが、入浴も異常な睡魔で1日おき。入浴中も目を開けていられず、大変でした。親が気分転換にドライブなどに連れていってくれましたが、たった15分ほどのドライブ中も起きていられませんでした。普通に起きて食事をし、入浴もトイレも本当に普通に出来るようになったのが、今年の春あたりです。

 
洗濯物を干すことができず(睡魔におそわれて)やっと、今年の春・夏と、自分で洗濯物を干せる喜びを感じたのでした。そのような状態が、ずっと続いていたため、今でも母に介護してもらって生活できる状態ですまた筋肉弛緩剤であるエチセダンの影響で、エチセダン断薬後、もう8ヶ月が過ぎますが、筋肉痛がずっと続いています。それと大量の発汗もあります。エチセダンをやめて、ずっと8ヶ月、毎日、悪夢にうなされ、大量の汗をかき、一晩に5回以上パジャマを着替えています。パジャマを着替えずに ぐっすり眠れる夜は一度もありません。 以上のような症状を 医師に訴えても、全く相手にされず ただの妄想として扱われてしまいます」


 T子さんは最近になって主治医を変えることにしたという。10年も飲んでいるSSRIは急に止めるとたいへんなことになるので、薬をもらうためだけに病院へは通っている。以前、パキシルを断薬した時の離脱症状はひどかった。吐気、幻覚、呼吸困難……10日目にして薬を飲んでしまった。そして、現在も減薬中の離脱症状に苦しんでいる。意識がなくなる、幻覚が見える、吐き気、頭痛、目眩etc.

SSRIの副作用について、T子さんは次のような衝動的、攻撃的な体験を送ってくれた。教習所に通っていた25歳くらいの頃。かっこいい年下の男の子がいて、普段なら告白したりできないのに、T子さんは彼にいきなり告白をして、連絡先の書かれた手紙を渡した。ろくに話をしたこともない相手にである。しかも彼のことが好きだったのかどうかも定かではない。まるで「お酒に酔っているみたいな攻撃性、衝動性がすごくありました」

 
 それにしても、T子さんの20歳から現在に至るまでの経過を見ると、まさに薬によって(医師によって)人生が左右されてしまったという感が否めない。「うつは心の風邪」キャンペーンによって、周囲の多くの人が、いい薬がある、薬を飲めば大丈夫、という宣伝に踊らされてしまった。そして、その流れが変わりそうになったときにも、無知な医師、無責任な医師に変わったことで結局振り出しに戻されてしまう。
 本当に、残念としか言いようがない。もともと薬にたいして懐疑的であったにもかかわらず、日常生活を送るのにも難儀をする、そんな場所にまでT子さんを運んでしまったものは、いったい何なのだろう。医者は薬という武器を手に入れて、それを思う存分使っただけである。しかも一人や二人ではないのである。かかる医者かかる医者がそうなのだ。
 
 青森から鍼灸治療の意識改革を~