藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

治癒遅延を招く思考基盤

人が転べば坂のせいにする。
坂がなければ石のせいにする。
石がなければ靴のせいにする。
人はなかなか自分のせいにしない。 
       
        ―――ユダヤの格言

 
先日、フェイスブックに投稿した内容をブログにも載せます。
隔離された状況下に於いて伝えているだけでは、陰でコソコソ言っているようで嫌ですしね。
私自身の考えている事はフルオープンで提示していきます。
大切な内容かと思います。
目を背けるなら図星だって事を認識して下さい。
 
「患者」以前に「人間」としての性質的な諸問題が治癒遅延を引き起こすケースもあります。
鍼灸治療問わず、病院で行われる必要性のある治療法等々含め全ての治療を受療する権利のある患者、
そして医療選択の決定権を握っている患者全てに言える事かと思います。
決して治らぬ理由を患者に押し付けるという意味合いを持つ内容ではありません。
 
鍼灸治療の対象患者群に関しては、不意に追突されての事故等は除外し、
非外傷性の鍼灸適応症状群に関しては、大方が患者自身の生活環境を起因とした症状です。
 
我々の治療はそのような患者群に対して、
除痛及び痛みや痺れ、マヒ、各種自律神経症状等々を改善~消失を目的に鍼を打ち込み、
快方へ向かう状態へと背中を押す役割を持ちます。
 
それに伴い、症状発症要因が日常生活にある以上、日常生活時に於ける環境下を変えない以上は、
治癒は遅れ、再発の可能性は高まり、結果的に招くのは症状の悪化だけなのです。
 
治療を行うという事は、人生を変えるという事です。
人生を変えたくない人間は、治療は受けないほうが良いのですね。
 
このような患者群に関しては、得てして自己正当化をします。
事あるごとに環境や情勢、身近な状況や状態に対して言い訳をします。
 
「この現代社会が…」
アメリカでは…」
「住んでいる町が…」
自治体が…」
「社長が…」
「上司が…」
「同僚が…」
「部下が…」
「家族が…」
「子供が…」
「ペットが…」
「履いている靴が…」
「椅子が…」
「床が…」
 
だから何だって言うのですか。
気に入らない社会を変えるのも、
住んでいる町が気に入らないのも、
勤め先が気に入らないのも、
家族やペットがどうだろうが、
住宅環境がどうだろうが、
気に入らないと思っている自分自身が変えなければ、一生そのままなのです。
 
これらの思考を持つ人間は、仮に自身が怪我や病気を負った場合でも多分に反映されますし、
自身が招いた各種症状であったとしても、同じ言い訳をし始めます。
 
治りたい気持ちが無ければ治りません。
治りたくなければ言い訳塗れの世界で生き続けてください。
 
そして、そのような患者群は医療業界の良いカモになる危険性がある事も知っておいて下さい。
薬に薬を飲ませる。必要のない検査、必要のない治療、必要のない手術等々、
患者にとっては必要か不必要かの判断も出来ぬ状況にまで追い込まれる可能性もあります。
流され続ければ、言いなりになり続ければ、その先に待っているものは患者自身と患者家族の崩壊です。
 
そんな将来が嫌なのであれば、今すぐ自分自身が動かなければなりません。
 
※以下フェイスブックに投稿した内容

今に始まった事じゃないけど、
病に甘えている患者は一目で分かるがな。
自身の病や怪我が好きで好きで仕方ないんですよ。

「頭が痛い私が好き」
「足腰が悪い私を見て」
「病院に通い詰めているの」
「薬はこんなに飲んでいるの」
「先生にこんな事言われちゃったの」
馬鹿かと。

怪我や病気をして世間の注目を浴びる事に対して、
若しくは浴びている状況に関して快感を得られるようになってしまったら、
その人間はお終いだって事ですね。

良くなるのが恐いですか?

症状改善と共に、
少しずつ自身の人生に対して言い訳が出来なくなってきてんのかね
自身の逃げ道が無くなり、周囲の目が働けだの勉強せいだの言われそうなんかね。
いつまでも病に甘えていられる環境でありたいんかね。

誰かに寄り掛かっていなければ自立の出来ぬ自分に気付いているのですよ。

誰かに無理矢理連れられてきた患者なんて言い訳三昧だわ。
そんな考えだから何時まで経っても治らんのだよ。

問診表に今度書いておこう。
「本気で治りたくて来院しましたか?」
「適当な気持ちで来院しましたか?」と患者に丸付けしてもらうわ

何をしたいか早速未来に向かって走り出してもらいたいのです。
患者は治療を行う事で症状改善の期待を持ちながらも、
社会復帰の不安を持ち始めるとは如何なもんかと常に思います。

どれだけの人間が患者のバックには付いていて、
支えているのかを考えると、こっちは命がけなんですわ。
それを「治りたくない」とは、自慢の電動ベッドも唸りを上げて
下降し、お引取り願って塩巻くぜ塩。

治る事を希望しないって。
若しくは、掛かり付けの病院が既に存在し
毎週毎週何年間も鎮痛剤やら注射やら足腰に打たれても
何も改善が得られないとボヤキながら来院し、
1~2度の治療で改善していく感覚が恐ろしいみたい。

「今まで車を走らせて待合室で何時間も待ち、治療を受けてた先生は何だったんだ」
「今まで負担したコストと時間は何だったんだ」
「皆が良いよ良いよって言われて通った整形の医者様は何だったんだ」
「膝が痛いのに、この人(僕の事)は膝を見もせずに痛みを取った。
散々ヒアルロン酸を膝に打たれてきても変わらんかったのに」

過去の事象を何時までも引きずるような患者の思考には付いていけん。

大枚はたいてきた医者様に治してもらいたいんだわね。
数年掛けて通い詰めた医者様に治してもらいたいんだよね。

良化しても悪化しても、
悪い話が大好きなんだよコノ性質を持った患者ってのはね。
良くなっても「でも」と「だって」を繰り返し、今後も無駄な人生を送るだろう。

必要性のある手術、治療手段等関係無く、患者意識の問題だわね。
患者家族が幾ら心配して当人を連れてこようが本人が治る気がなきゃ治る訳がないのよ。
仮によ、当人の努力無くとも治療で良くなったら良くなったで新たなアクシデントが患者家族には襲い掛かる。
もしかしたら当人が痛み痺れで寝たきりになっていた以上のアクシデントがね。
 
全て包括出来る覚悟と、当人の治りたいという強い意識がなきゃ無闇に連れてくるべきではないんだよね。
そんな覚悟が無いんだったら、
整形にでも行って牽引と電気だけに留めて「治らないわね」とボヤいてた方が得だ。

 
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 青森から鍼灸治療の意識改革を~