藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

昨今の周辺内外への所感


自身の持つ過去事例や現在の治療反応性から様々な考察や擦り合せができ、昇華出来る作業と言うのは私自身にとって極めて気持ちの良い時間でもある。その為、私の考え方は現場を経て、現場を通じて幾らでも変動する。1つの病状を挙げても数年前と今では異なる考え方かもしれないし、治療内容と言うのも変化を遂げているかもしれない。
後述する事にはなるが針治療と言うのは「出来る事が限られている」「作用が限られている」、そのような極めてシンプルな作用機序のみで凡ゆる病状の改善が得られると言う事は、今星の数程に存在する凡ゆる症状の根源が何であるかも掌握し易いものである。

適応症の多くは日常生活を端に発するものであり、割合としてはカジュアル性の高い症状である。案外様々な症状に対しても対峙出来るのかもしれないが、患者側が想像する針治療のイメージと言うのが、恐らく日常生活を濃厚とした症状であれば効くと言う感覚だとは思う為、層としては私が常々述べている向精神薬関連と言うのは低いかもしれない。
何故なら、その多くは気づけないからだ。これが純然たる日常生活を起因とした整形領域疾患であれば、自己で症状発症の起因を判断出来る。反面、向精神薬被害の場合、それそのものが治療と標榜されている為、時系列を追い難く、且つ服薬の起因と言うのも自然発症性の自律神経症状に伴う為、即時的に副作用だと気付けた場合は別だが、漫然的な服薬で発症した副作用や常用量離脱の場合は気付き難いものである。
話は戻すが、カジュアル性が高い故に医科で相手にされなかったり、相手にされても治らなかったりと不安定性の高い諸症状でもあるかもしれない。様々な事情や理由があっての事だと思うし、ヒアリングする限りでもあくまで参考程度にしかしないケースも多い。仮に医科での結果や対応に不備不満があれば、私や他の知人友人等の第三者にはネガティブ面を誇張した表現になる傾向と言うのは高い為、あくまでどのような検査や治療に対して抵抗性を示しているか程度しか情報収集の対象ともしていない。
とは言え、日常的にQOLを落とす症状と言うのは案外軽視出来ないと思う。片方の肩が痛い、片方の腰が痛い、指が痛い、これ1つ抱えているだけで、患者から見える世界全てが面白くなくなるものと思う。

症状は相対的なものではなく、患者が個で抱えた症状が全てになる。誰が重いとか軽いとかは関係なく、どの症状が重症で、どの症状が軽症で、と言う事もなく、個が抱えた症状は個の患者にとっての全てとなり、世界観が生まれる。だから、どんな症状とて患者が抱える苦痛や苦悩と言うのは他者が勝手に評価するものではないと思っているし、全て深刻な状況であると受け止めなければならないと思う。
自身の身体から発生する症状は、先ず自身の周辺環境と天秤に掛け、自身が評価する。長く歩かなければならない人が、長く歩けなくなれば症状にもなるし、長く座っていなければならない人が、長く座っていられなくなれば症状になる。反面、類似症状を抱えても、元々長く歩かない人にとっては症状にはならないし、元々長く座らない生活を送る人にとっては症状にならない。
そのように、症状と言うのは他者が線引きするものではなく、患者自身が自身の環境と照らし合わせ、現状を幸か不幸か決めるものであると思うし、それに対して不具合を感じるようであれば、その時に初めて治療と言うのを受けるのではないかと思う。勿論、加療するなら時期は早いに越した事はないと思うが、それはもしかしたら術者側のエゴなのかもしれないと言う部分も僅かにある。
治療に関しては治療反応性から既存の疾患論や病態論を推測する。又は既存の疾患論や病態論を治療反応性から推測する事により、現症状の原因部位と言うのも推測が立てられるものだが、対人間相手で臨床的側面が色濃い「治療」と言うものは、試験管で起きている物事とは異なり、同様な結果が常に出続ける事はない。
そのような絶対論と言うのは存在せず、あくまで確率論を推移する中、再現性や確実性と言うのを如何に高め、高め続けていくかが重要な部分でもあると思うが、年月を経れば「その自身の疾患論」と言うのも又変化が齎されていくものと思うし、その度に治療内容と言うのも大きく変化していくと思う。

幸いにも針治療と言うのは基本的にリスクは低いと思う。薬物治療のように内臓器への負担は少ない。厳密に言えば、若干の内分泌の変動や細胞の遊走は伴うと思うが、凡ゆる薬物の添付文書に書かれているような副作用と比較したら無いに等しく、極めて低リスクの手段である為、ジワジワと治療反応性から適応症を拡大させ、今に至る部分はある。
その結果、様々な症状の根源と言うのも見えてくるし、既存の病態定義が異なる理由も見えてくるし、先日から述べている「心因性」「思春期」「成長期」「更年期」「精神異常」とされた身体的疼痛や自律神経症状が「精神」による機能異常ではなく、器質的な由来である事も分かる。
そもそも、仮に「精神」による機能異常であれば針治療では治らないと思われる。反面、針治療で治るのであれば、それは器質性の高い由来となる。そして大半は器質性と思われる。延髄~橋~中脳~間脳を中心とした脳内全般へ渡る継続的な血管拡張に伴う栄養が見込まれて解決する課題であるならば、それは精神の問題ではなく中枢神経系の各領域の問題である。
勿論薬物治療に関しても、どの神経伝達物質が過剰か欠乏かに伴う仮説で処方されている為、根源を精神の問題ではなく分泌異常の器質的由来と説明している所もあるが、これが対処療法と言う意味が分かるだろうか。
仮に分泌不全、濃度不全だとした場合、何故このような事象が起きているかに対しては薬物が追う事は残念ながら出来ない。足りないと仮定されているものを無理やり促し、若しくは蓋をして濃度を高める。仮にそうだとしても、何故そのような事態が持続的に生じているかの原因迄は追求しない。その結果リスクが上回る。
ただ仮に針治療で結果が出ても、これは画像や数値で表現出来るものではないと思う。今後検査機器が発達したり、都度検査し続ければ数値の変動も追う事は出来るかもしれないが、そこまでしなくても症状が改善されれば、別にそれ以上の事を患者自身は追求しなくなる。故に、治療の学問と言うのは検討し難い部分もあるのはデメリットの1つでもある。現状でのスペクトや脳の糖代謝が何処まで精神変調とリンクしているかも疑問視せねばならない事態だとは考えている。
如何に無駄を省き続けるかと言うのも1つの課題だと思う。要は、無駄刺ししない、如何にスパンを空けた治療で持ち上げられるか、上記理由を踏まえてでも如何に1回毎の治療上の作用を上げていくかである。

私が筋肉や筋膜を標榜しなくなったのも過去事例から鑑みて必要ないと判断したものであるし(明確な筋筋膜の損傷や他の軟部組織の肥厚や癒着等の場合は別だが)、指や機械しか用いない術者からの施術論に関しては、解剖上の観点からも処置出来ない部位も多く、その観点からでしか論じられない為に話は必ず食い違う。
よく指と針は同じだと言う人もいるが、どのような理由で述べられているかは分からない。指は目的部位が深層になるほど作用上の力価は減衰する。しかし、針は骨と骨の隙間迄も力価の減衰なく作用させる事が出来る。まるっきり内容が異なる。
そのような議論は決して無駄ではないとは思うが、処置したい部位に好きなように処置出来るか、又は物理的、構造的、免許的に処置出来ないか、もしくはそこの近位にまで処置が出来るか、遠位からしか処置出来ないかと言うのは極めて大きな違いが結果で生まれてくると思うし、私自身もこれらは散々経験してきた事だ。私も元々筋筋膜を標榜した治療を行ってきた経歴はあるし、指で何とかならないかと言う事を散々試してきた経歴もあるからだ。

薬物治療のような全身投与性の手段になれば、原因部位が何処であろうと鎮痛される場合もある。何処が悪くても鎮痛されればそれで良いと言うスタンスと、針治療のように選択的処置のスタンスであれば、また見えてくるものも違う。原因部位が外れれば結果が出ないと言うのは大きな情報でもあるからだ。
これが良くも悪くも薬物治療とは異なる点であり、選択的に治療出来るからこそ見えてくる疾患論や病態論と言うのはあるものだが、如何せん、このような手段のみで対峙している人間は少ない。且つ、このような手段と言うのは職人的要素が含まれてくる為、同免許でも出来る出来ないやった事がないやれない知らない聞いた事がないと言う部分も存在する為、より一層オーバーグラウンド化と言うのも難しい側面はあるかもしれない。
とは言え、私の過去の投稿内容を見ている方なら分かる通り、決して目に見えない雲を掴むような話はしていない。体内に存在する有限な物事のみで話をしている為、やろうと思えば誰でも出来るものばかりである。
このように、人間の手が加わる手段と言うのは、術者によって様々な思惑や背景、疾患論や見立て、そして所持免許内でも治療手段は大きく変わる。これは別に私達の業界だけの話ではなく、人間の手でなければ出来ない物事全てに対して言える事かもしれない。

その為、多くの医療にはガイドラインが存在し、保険制度が存在し、全国一律で同様なマーケットを開くようにと厚労省が定めている。行く場所行く場所でバラバラであれば、患者の症状によっては困る場合もあるからだ。
だが、一律で杓子定規で定められた制度上では必ず零れ落ちる患者と言うのは存在しうるし、その時代で流行病名も存在する為、時代が変化する毎にどんどん病名が変わる場合もある。その都度薬物もコロコロ変わるかもしれないし、法改正がある度に法改正初期は妙に熱っぽい医療者医療関係者教育者が早期発見早期ヤク漬けに躍起になっているかもしれないしと、大体鬱陶しいものである。
其処まで人間と言うのは時代によって病気が変わるものかとも思うし、それほど迄に人間と言う存在を病人に仕立て上げたいのかとも思う。頭が痛い、肩が凝る、腰が痛い、人と話したくない、落ち込んだ等々、誰でも経験した事はあるだろう。それが少し長引けば病気や障害になるのだろうか。人生の躓きの短長で健康か病気かを他者が決めた線引きで決めつけられても良いのだろうか。勿論、内科的疾患や内分泌異常が伴って症状が出る場合もあるだろうし、脊椎の変性疾患が伴う場合もあるだろうが、その多くは大体異常がない。
異常がないからと、そして一般的な鎮痛剤では抵抗性を示すからと、手術では治らないからと精神異常にする事自体が烏滸がましい話でもあるし、不誠実極まりない話にも私は感じる。感じるが、その多くは「そんなもんだ」と解釈し、向精神薬を飲み続け、今の惨状が起きているのは事実だと思う。それが治療だと思えばそれが治療だと思うのも患者の自由かもしれないし、それが治療ではないと患者が思えば、それは治療ではなくなる。
さて、それ程迄に疾患論や病態論、そして治療選択が自由な中で、且つ年代ごとに定義は変動し、治療手段は変化し、類似症状の病名は増える一方で、製薬企業の力により法律は変わり、増えた病名分だけ薬は売れ、その薬で生じた諸症状にも病名を付けては薬を飲ませと、順繰り順繰り変化をしていく歴史を抱えているものの、改めて考えれば、それくらい医療と言うのは曖昧な状態だと言う事も分かる。それが良いとか悪いではなく、曖昧なのである。

折れた物をくっつけたり、出っ張ったものを切り取ると言う作業とは異なる為、不明瞭な人間の症状と言うのは幾らでも病名は創られ、告げられ、これでもかと薬物を投与されている人と言うのも又少なくないが、取り敢えず、この時点では肯定も否定もしない。これらの手段に乗じた患者の意志と言うのも尊重する必要もあるからだ。とは言え、ここから本題に入るが、世の中には案外無理やり強引にやっている人も少なくない。
選択権を奪う術者も数多いと言う事だ。患者と言うのは症状で苦しんでいるから患者なのであって、何処も悪くない人に比べれば精神的にも脆弱な状態を抱えている。そのような状態に付け込んでいくスタンスと言うのは個人的には好きではない。好きではないが、このような人間と言うのは医療・代替医療問わず山程いる。
恐らく、代替医療や他の民間療法と言われる類のほうが割り合いとしては多いのではないだろうか。かと言って、これらの手段も全否定出来るものでもない。拝んで治ったと言う話も事実聞く。それを無下に否定すべきではないし、拝んで治る理屈も又考えなければならないが、其処まで私もやってられないから、あくまで私は私個人で見えている物事に対して述べようと思う。
凡ゆる手段はあれど、患者へ「付け込む」と言う話は今に始まった事ではなく、相当古くから行われている事だと思う。それが善意なのか自身の手柄取りなのかビジネスなのか、又は異なる思想を持つ術者を寄せ付けない為の洗脳的作業なのか迄は知らないが、そのような人間からは私はさっさと離れる事に決めた。多分、この人達(当該術者達と)と絡んでいたら、救われる患者も救われないと感覚的に感じたからだ。突破的、衝動的ではない。5~10年と付き合いもあれば見えてくるものもあるものだ。
「(藤原には)俺が教えた」「(藤原には)俺が機序を教えた」「(藤原には)俺が治療手段を教えた」と何処かのHPに書いている術者もいるが、私は一度も教えられた事も聞いた事もないし、機序も本人から聞いた事もない。そもそも私が使用している針は特注品の為、この針は私しか持っていないし私しか使っていない。その為、治療反応性は私自身の個でしか知らない側面もある。更に、その「教えた」と言う人間は針治療をしていない。勿論注射でもない。そのような中、一体何を教えられるのだろうか。
「私のHPを見ろ」と言う発言が「教えた」と言う事に繋がったのだろうか、「HP見ろ」が「教えた」のだとしたら、それは流石に違うんじゃないかと思うし益々不信感は高まる。この辺りの関係性に関してはもう少し詳細を書こうと思う。そうでなければ謎めいた誤解混じりの質問が類似症例を抱える患者から絶えない。このような状態が続いていた為、だいぶ疑問を持たれていた患者も多いし、その度に全く治療に関係ない話に答えるのも流石に面倒臭い。
そもそも、私は全然そう言うつもりがないにも関わらず、勝手に取り込まれてしまった状態だった事に関しては今後明確にしなければならないと思う。どのような意図でこのような表現をしていたかの真相は本人でしか知らないと思うが、流れから推測すれば単なる売名行為に近い。「俺は売名行為の為にしている訳ではない」と言われた時に私はハッとした。自身でも僅かにそのような気があったのだろう。最早、鬱陶しさを通り越して呆れる。
私は患者からしか治療というのを教えてもらっていない。勿論、考え方と言う観点から言えば、外部からも多くの情報を収集しているのも事実だが、実の治療反応性と言うのは目の前の患者からしか得られないものなのだ。患者が抱えたネガティブな過去背景を羅列し、擦り合せし、又異なる患者に対して治療を行っている、その繰り返しで今があると言う事しか私は言えない。
一体この業界と言うのはどんな状態で回っているのか知れば知るほど謎めいてくる。別に私は同業界の身内や内輪に評価されるつもりは端から無い。内輪で盛り上がっていても患者が助かる事はない。

【電話】 0173-74-9045 又は 050-1088-2488 (携帯 090-3983-1921)
【診療時間】 7:00~21:00 時間外対応可  【休診日】 なし 土・日・祝祭日も診療しています
【pcメール】 fujiwaranohari@tbz.t-com.ne.jp 適応症状・非適応症状・病態解釈・経過予測・リスク・費用・治療内容等のご相談はメールでも受け付けています。お気軽にご相談ください。
  
 ~針治療から病態定義の見直しを~