藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

薬害問題の不利な側面


公民問わず雇われとしての立場の場合に関しては分からない観点かと思うが、非雇われの立場で「法律」と言う下で全国を飛び回る事になれば、如何に「法律」と言うものが市区町村や都道府県単位で幾らでも変動すると言う事を体験する事になると思う。恐らく、業界内外の人間問わず、これらの事象を多く経験している人もいるとは思う。
一応私も免許所持者の為、何かをする為には良いか悪いか、自由か不自由かは扠措き、必ず法律の下で動く事になる。但し、その法律と言う存在が市区町村、否、対応した担当者と言う個人により幾らでも変動すると言う事を幾らでも目の当たりにする。これも又、多くの人間が経験している事だろう。
別に私個人に関わる云々に関してはチッポケなものである為、各地域で対応に変動があろうが別にどうでも良いような内容ばかりではあるが、後述するような各地域に住所を置いている個々人が国に推奨された手段で健康被害が生じた場合、どのような対応に至るかまで左右される事例と言うのも多くあり、これは軽視出来ない側面もある。
これらは昨今の薬害問題が発生した際にも、当該薬物をどのように市区町村が推していたか、そのようなバックボーンの異なりによっても、その後の対応も異なっていたのは恐らくニュース等でも目にした事はあるだろう。救済に至る迄の窓口で門前払いを食らうところもあれば、柔軟な対応をして繋げてくれるところもある。
端的に書けば、同一症例に対しての対応1つ取り上げても、アソコの市区町村では良いものが、コチラの市区町村ではダメ、と言う事例は幾らでも存在する。これは恐らく薬害問題だけの話ではないだろうからこの限りではないと思うが。私は相当以前からこれらの事象は既知していた為(このような話はアチコチからドンドン情報として入ってくる)、移動する場ごとに同様な質問を投げかけているが面白い事に回答は全て異なる。何故全て異なるのだろうか。
全て回答が異なると言う事は、法律なんて幾らでも対応した担当者によって変動する。それが法律としての対応なのか、市区町村としての対応なのか、個人としての対応なのか、常に不明瞭である。

その為、困るのは患者になるのだが、その理由を問えば要因として多いのが前例が「有る」か「無い」か、判断するのは案外その程度のものである事を滲ませる発言ばかりである。事実、「前例が無いから」と実際に発言するケースもあるだろう。
しかし、もう一回考えてみてほしい。前例の「有」「無」と言うのは、法律と全く異なるラインの話である。前例の有無のみで物事が決めつけられていくのであれば、歴史的にも新規発症の健康被害と言うのは前例は「無」になる。新薬で生じた健康被害は全て「無」から始めなければならないのか。いつまでも「前例が無いから」と言う対応であれば、いつまでも「無」が続く。
「無」を「有」にすると言う行為は本当に大変で時間が掛かる。その為、小規模、スポット的な健康被害と言うのは極めて不利になる。このような場合、垣根を超えて母体を大きくし、大きな声を上げなければ健康被害に遭った患者の声は簡単にかき消される。何故なら前例が無いから対応しないと言う態度だからだ。
その結果、薬害問題は常に後手後手の対策しか出来ず、1つの事例を取り上げたとしても、何年も何十年も被害者は闘い続ける事になる。今でも時折数十年前の薬害問題で勝訴敗訴云々と言う話が入るが、本当にそのような辛い闘いをし続けていると言う事だ。原因が不明瞭の場合、又は因果関係が不明瞭の場合、要は現在の検査機器では「異常なし」と出るような場合は因果関係が不明瞭である事から、より一層不利になる。
そして、仮に近い将来検査機器が発達し、見えないものが見えるようになったとしても、その見えたものが原因であると結び付けられる約束と言うのもない。何故なら、被告側は限りなく自身の行為を過小評価してくる為である。それも人間としての本能である。自身の誤りを100にも200にもしてネガティブな本音を言う人はいない。このように、分母数が少なければ、同市区町村でも担当者が変われば回答が又変動する事なんて幾らでも存在する。これは非常に興味深い。知れば知るほど謎めいていく。

例えば保身の為にしか動けない人間が窓口に多数を占めている場合、「医療」と言う法律の下で健康被害が生じた場合に関しても、一般患者が指を咥えて回復の指示を待っていても、その「医療」の下での治療しか情報は下りてこない。法規制やガイドライン、保険制度で雁字搦めの治療によってしか動けず、結局は薬漬けになるしか道は残されていない。
何故なら、検査をしても原因不明な症状に関しては、幾らでも患者の精神と言う無限部位な存在に対して責任が充てがわれる事になるからだ。では仮にも精神と言う無限部位の存在に原因があったと仮定しよう。無限に原因が考えられる事象であるならば、薬物治療と言うようなお節介はするべきではない、と言う考え方も出来ないだろうか。
しかし、それらの行為は推奨事項となっている為、恐らく今更変えられるものではない。その為、患者個々がリスク面と現在の病態由来を自身で調査し、解決するしか回復への道は開かれないケースと言うのは予想以上に多くなる。これも後述した添付サイトの一文からも見えてくる。「>>思春期特有の症状についての理解は医師の間でも進んでいない」と言うように、思春期や成長期特有の自然発症性に於ける身体疼痛や自律神経症状も鎮痛剤で反応しなければ向精神薬と言う当たり前の階段を登らされる。
別にこのような話は今更するべきでもなく、随分と古くから同様な事象は幾度となく起きているのだが、その時代、その市区町村、その担当者によって、もしかしたら、その患者の対応次第で幾らでも動きと言うのは変動するものである事を知る事が出来る。考えようによっては自然発症性の症状を抱え、現行医療に於ける薬物治療しか選択肢しか存在しないのであれば、「症状を抱えたまま暫く過ごしてみる」と言う手段もアリなのかもしれないと思うほど、薬物治療の中長期的将来に渡るリスクは大きい。
改めて書くが、法律と言うものは担当者個人の感覚や感情、バックボーン次第で幾らでも変動する。これは体験してみれば本当に驚く。感覚や感情や前例で変動する存在と言うのは、一体何の為に存在するのか頭を傾げたくもなるのだが、取り敢えず其処は理解しておく事とする。どうせ其処で揉めてもラチが開かない、時間の無駄である事も分かっているからだ。だから患者側が気付かなければならない部分と言うのも本当に多いと思う。

法律云々の話は置いておき、公民の内、公は何を求めているか。其の公の多くは前例が存在する事象や事例、そして、肩書きや権威、担当の上の動き方、担当の上の上の動き方でしか物事を判断出来ない存在である事も分かる。そうしなければ自身の身を守れない事を既知としているからだ。
では仮に、そのような人間が自身の身に健康被害が生じた場合どうするのだろう。
民の製薬会社が公の厚労省に営業を掛け、その営業に厚労省が乗り、各自治体に推進したワクチンや薬物治療で健康被害が生じた場合はどうするのだろうか。その自身又は近親者が推進された予防手段、治療手段によって、健康被害が生じた場合どうするのだろうか。
推奨された「治療」に則り、オピオイド鎮痛剤や向精神薬漬けになるのだろうか。なりたいだろうか。なっても良いのだろうか。それで治らなくても気が済むのだろうか。片や薬物を一切用いずに治っている同症例患者がいるにも関わらず、国が推奨した薬物治療と言う手段で治らなくても、それが自身の保身やプライドの為に具合の悪いまま過ごし続けるのだろうか。
残念ながら、私はそのような個人が「薬物治療と言う手段で治らない」「むしろ悪くなる一方」と言う状況に追いやられた場合、どのような手段を選択するかも知っている。私が常に言っている事は、自分らのやっている事が単なるビジネスか、それとも自分らのやっている事が単なる保身なのかを問うており、事実、そのようなラインでしか生きてきた事の無い人間の思考がある限り、経時経年で最悪な結果を辿る事を随分と見てきている。
常に生き物と言うのは自身を都合の良い状態、都合の良い情報、都合の良い根拠に基づいてしか動かない思考が根底にある事を知る。それは自分が世間では良く分かられていない「針師」と言う免許しか表に出さず動く事で、それはより鮮明となった。
さて、このような健康被害が自分らの保身の為にしか生きてこれなかった、生きてこなかった人間に生じた場合、どのような事が起きるか見た事があるだろうか。薬が効かない、手術では治らない、そのような現実を1番直視しているのは医師、看護師、薬剤師と言うような謂わば世間一般のスタンダードな医療従事者である事は一般患者は知っているだろうか。「薬が効かなくて」と言う話は、私以上に上記の医療者が実は1番聞いている。
それを大っぴらに言うか言わないかだけの差である。その多くは薬物治療の限界を知っているから、致し方なく現在の症状の患者の精神の問題にし、向精神薬を大量に処方し、脳みそを抑え付ける事でしか自身のプライドを保たせられなくなる。処方している側はそれで終われるだろう。しかし、処方された患者は終われない。
「治らない」と言われる事は医療者にとっては最大のストレスとなる。そのようなプライドを潰されたくない為に向精神薬と言うのは存在しているような気もする。その為、恐らくこのようなケースは今後も続くものと思われる。そして、そこの従事者が苦虫を噛んだ眼差しで針治療を受けると言う現実を知っているだろうか。医者が「手術で治りませんでした」と針治療を受ける行為に至るまで、どれだけ自分のプライドをぶっ潰してきただろうか。

結局は何処に所属していようが何に従事してあろうが、自身が窮地に追い込まれれた場合、プライドも立場も肩書きも権威も年齢も職業も全て関係なくなり、回復に一心を向け始める。逆な視点で見れば、其処まで自身が追い詰められない場合、積極的に治療を行う事はない、と言うことだ。さて、そんなプライドと言うものは必要だろうか。一体プライドとは何なのだろうか。プライド、そして保身の為に「あれはイヤだ」「これはイヤだ」と言う時間は、進行性~遷延性を示唆する症状群に関しては極めて自身の身を滅ぼす行為かもしれない。寝てても治る病気と言うのは沢山ある。しかし、寝てても治らない病気と言うのも沢山ある。
これは現在の病態と薬物治療、観血的治療のマッチングを国の推奨ベースで調査するのではなく、自己で切り開き行動に移行出来るかにも掛かってくる。状態によっては治る迄、本当に苦悩の連続となる場合もある。時として諦めたくなる場合もあるだろう。そして治る事だけが目的か、治る事なぞ単なる通過点で、その先に自己が抱える目標が在るのか。それだけでも全然違う。治療なんて長い人生でチョット躓いただけの節目でしかないし、その治療を通して新たな発見や解釈と言うのも患者自身でも体験出来る事になるものだ。
幸か不幸か私は「治る手段」を探しておらず、「治らない手段」を常に情報収集している事は以前も書いた。「治る手段」と言う観点で物事を探せば、獰猛な臨床医学なぞ全てが「治る」と表現されている。1つだけ収集する為のヒントを書こうと思う。健康と言うカテゴリに於いては様々な業種が集まっているものと思われるが、「〇〇博士~」「科学的~」「医学的~」「エビデンス~」等と冠付けられている手段は大体厳しい結果しか生まれていない。
常に私はベネフィットよりもリスク面を追求している性格ゆえ、且つ針治療と言うのは凡ゆる治療手段で抵抗性を示した患者が大半を占めると言う事実から治療を構築しなければならない現実に叩き付けられているからだろう。治らない手段の情報を収拾すれば、消去法により「治る手段」が勝手に浮き彫りになる。恐らくプライドと保身の固まりで生きている人間が私にとっての「治らない手段」ばかりをチョイスする人間であり、調査・追跡対象となる。何故か、このような人間は人が然程介入「しない」手段を選びがちである。人が然程介入しない手段と言うのは何だろうか。
それは口にポイッと運んで済ます薬物治療である。それで治るなら最高だと思う。それで全て治るなら是非私も鞍替えするだろう。しかし、治らない症状も山程あるものだし、薬物の恩恵を誤解し、痛み自覚が無い事を良い事に結果的に自己を破壊してしまうケースも又少なくない。以前も書いたが対処療法を私は全否定していない。していないが、薬物療法、対処療法と言うのは本当に人を選ぶと思う。
そこから見つめてみるのも不思議な世界かもしれないが、痛い人は沢山いると思う。痛い人は沢山いると思うが、治りたい人と言うのは又別である。患者自己が先々の目標や目的があってこそ、治療と言うのは成立する節もある。先々に目標や目的が無ければ、少し位の日常生活の不便さは別に何てことないからだ。長く歩けなくても長く歩かない人生であれば、それは症状とはならない。そのように、自己の人生と症状を天秤に掛けて考えた場合、どちらに傾かせた生き方が有効かは患者に委ねようと思う。

参考関連1 (クリックでリンク先にジャンプします)


この点が凄く重要かもしれない。
>>「報道のバランスが著しく悪くなっていったのです。科学的事実よりも、感情を揺さぶるエピソードが重視されている。今回のアメリカ大統領選で見られたのと同じ現象です」
>>事実よりも、感情を揺さぶるエピソードが重視されている。
視覚聴覚に訴える事になる多層は現実的には一般被害者。一般被害者が科学的事実とか医学的背景を元に述べる事は通常ないと思う。今の厳しい現実を述べるだけで精一杯だと思う。それが結果的に報道関係も同様な人間である以上、感情に支配された報道で色濃くなるのも当たり前かもしれない
>>「副作用を訴える方のお話を聞いていると、いまの医療システム、縦割りの制度の狭間に落ちてしまったのではないか、と強く思います。思春期は小児科と大人の医療の間の時期であり、専門性が必要な領域です。それにもかかわらず、思春期特有の症状についての理解は医師の間でも進んでいない」
>>思春期特有の症状についての理解は医師の間でも進んでいない
薬物治療や手術で奏功し難い、そもそも加療の仕方が分かり難いのが思春期や成長時期特有の身体疼痛や自律神経症状かもしれない。これらの諸症状と言うのは残念ながら通常医療では改善し難い手段しか存在しない、又は存在したとしても年齢的にも倫理的な問題が絡む治療になるかもしれない。そのようなネガティブな環境しか存在しない場合、手を付けられない⇒臨床データを構築出来ない⇒理解が進み難いとなるのだろう

参考関連2 (クリックでリンク先にジャンプします)

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