藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

健康や不健康の線引きを他者にされない為に


健康や不健康の線引きは他者にはし難いものですし、寧ろしてはならない行為だとも思っています。患者本人が持つ活動範囲内で症状と自覚しなければ、それは症状となりませんし治療対象ともなりません。長く歩けなくても長く歩かない生活範囲内でしか過ごさないのであれば症状にはなりません。速く走れなくても速く走らなければ症状にはなりません。
これらの症状を無事であると見るか有事であると見るかは他者が勝手に決めるだけの事であり、患者自身が困っていなければそれは病気ではありません。このように、健康や不健康、症状の有無の判定と言うのは、他者が線引きする事自体、烏滸がましい事です。
整形領域疾患や自律神経領域疾患の場合、日常生活を脅かす疼痛性疾患が大半を占めてくる為、患者は様々な手法を自身でも勘案し、工夫し、生活に取り入れたり、他者にアドバイスを仰いだりします。これは自然な事かもしれません。困っているから早期脱却したいと言う行動表現であり、早期脱却したいと言う欲求です。
それでも尚、痛みと言う症状は決して悪い物ではありません。痛みがあるからこそ行動制限にも繋がり、自然治癒を早期に求める事にも繋げる事が出来るからです。しかし、それも中長期的に及べば、痛みも痺れも脱力も日常生活に於いては困る要素になる為、何かしかの手段を講じる事になります。
その何かしかの手段と言うのも場合によっては全く治療になっていなかったり、若しくは症状に蓋をするだけだったり、単なる鎮痛だったりするかもしれませんが、それもそれ。患者自身にとっては学びの1つです。その後の人生に於ける取捨選択の経験にもなると思います。
では、非疼痛性疾患の代表格でもある精神症状はどのようなものでしょうか。その前に先述した内容とリンクを持たせる事を前置きとしますが、症状と言うのは分かち合えるものではありません。共有出来ないものです。そのように、共有出来ない症状と言うものに対し、他者がアレコレと口を挟むのは烏滸がましいと常々思っているものですが、精神医療的な他者評価の表現方法として
「この患者は病識がない」
と言う有名な表現があります。なんと上から目線の表現でしょう。一般社会では「病識」と言う単語は用いないと思いますが、学校や会社、家庭内に於いて、その個人が煩わしく思う言動を取る人間に対し、似たような表現を使う事があります。要は、このように精神疾患、或いは精神症状と言うのは、評価方法が、その個人によって幾らでも変動する事になるのです。
その人の言動が、その個人の思考にそぐわない場合、幾らでも病人扱いする事が出来るのが精神医療です。此処までなら100歩譲って患者の心身面は未だ大丈夫かもしれません。言われた個人も気にしなければ良いだけの話ですし、馬鹿と言った人間が馬鹿だ論法で済みます。問題は、その後、精神医療に繋げられて向精神薬を服薬する事です。その結果、本当に抜けられない病人になるのです。
残念ながら、直接的にも間接的にも精神医療に繋げ、向精神薬を服薬させ、本当に狂ってしまった人に対し、精神医療に繋げた人間と言うのは一切責任を持ちません。服薬後に更におかしくなっても、「それは病気だから」で免責されるからです。それが個人間で発生した事象、若しくは患者個人の意思で服薬した事象であれば、早期脱出早期解決へと繋がり易いものですが、学校や会社絡みとなると中々厄介な事態に陥ります。
薬を飲まなければ学校にいられない、会社にいられない。そのような事態に陥ります。飲んだフリでもしておけば良いもののとは思いますが、残念ながら多くの人間は、自分の為にと言うか誰かの為に飲み続けます。しかし、その中長期的に及ぶ服薬行為は社会適合出来なくなる結果に繋がる、と言う事も多くの人間が教えてくれます。そのようにならない為にも知っておくべき事は多くあると思います。

流れてくるニュースの多くは物質や環境問わず「身体に良い物、悪い物」です。でも、それと同時に「何を選べば良いか分からない」と言う疑問符も付いて回るのも、いつの時代も同じです。これは考え方の1つでしかありませんが、もしかしたら良い物も悪い物もマダマダ半端なのかもしれません。
勿論、何かを取り込もうとすると何かは犠牲になります。作用があれば必ず反作用は生まれます。その結果、良い側面も悪い側面も必ず体験する事になる為、個々の指向性、嗜好性、志向性、思考性により、良く見えたり悪く見えたりするのかもしれません。改めて書くと、半端だから右往左往する結果になるのかもしれません。そのように考えると、右往左往する余地がないほど良い物を追求し、構築したくなるものです。

色々書いていれば相談や質問ベースのメールも沢山きます。「〇〇なんですけど治りますか?」と言う入りが一番多いのかもしれませんが、〇〇でない可能性もある訳です。〇〇の由来が異なる道で蓄積され〇〇となっている場合もあるかもしれません。その〇〇の根拠も画像所見上からの〇〇と言う診断であるかもしれず、現症状と直接因子を持っていない〇〇なぞ山程あります。症状群から〇〇と言っているだけかもしれません。故に、基本的に私は〇〇と言われても信じないタイプです。
医療機関で〇〇と言われた理由も幾つかあると思います。その1つに、〇〇としなければ一般的な医療機関は保険適用で治療が出来ないからです。中には親身になってくれる医師もいますから、カルテを改ざんしてでも積極的に治療してくれる人もいますが、それは極一部かもしれません。それが仮にも正解に繋がるかどうかは分かりませんが、異なる視点で病態を見れると言うのは患者にとっても新鮮味のあるもので、それは私も同様です。
患者は、患者個々が抱える症状や受診歴、治療歴を持っており、且つ自身の症状や告げられた診断名に対して色々調べていると思います。症状は患者自身しか分かりませんので、仮にも診断名や類似性の高い症状群と照らし合わせて相当調べられているでしょうから、その知識は恐らく相当なものかと思います。時に、その調べたツールが何であるかで、その知識が回復過程に於いて邪魔をする場合もあるかもしれませんが調べる事に損はありません。私も散々現行医療に於ける各種症状の治療内容や予後や経過、再発率、術後の他部位損傷等のリスク、論文等の裏側(書いている人間が誰か、協賛は何処か等)等も調べているつもりです。
何のヒントになるかは知りませんが、幸いにも身体と言うのは有限です。有限の中で巻き起こっている症状なのですから、多くの症状と言うのは軽快に向かいます。その為、仮にも症状が中長期的に継続した場合、何故症状が継続しているのかを考えるのが一番であり、二番は症状に対して逆行作用を取り込んでいないか、三番は自身が仮にも取り入れる治療手段が対処療法なのか根治療法なのかを考える事だと思います。そこと様々存在する治療手段を照らし合わせ、リスクよりもベネフィットが上回る手段を模索し続ければ良いのです。

さて、対処療法と根治療法は何処で線引きされるでしょうか。其処から考えていかなければ結局は良くなりません。治療者側の多くは患者と同様に「治る手段」を取り入れる思考性を持っています。それは私も同様です。常に「治る」手段を考察しています。但し、先述した通り「治らない手段」と「ベネフィットよりもリスクが上回る手段」も常に情報として仕入れている訳です。
態々そんな事をしなくても、患者が色々と情報を持ってきてくれるので実体験以上の価値ある情報はないと思っていますが、お利口さんに「治る手段」を純粋に情報として取り入れ続けた場合、「全ての治療手段が治る手段」と表現されている事に気付きます。全ての薬物治療も手術も代替療法も健康食品もサプリも運動療法もです。勿論、改善率や再発率、副作用や離脱症状等の内容やパーセンテージ等のネガティブな記載もあるかもしれませんが、基本的に「治る」とされています。一般論として捉えた場合、それは当たり前の事です。
自身の開発した商品、構築した理論、それをウリにしている訳ですから、「治る手段」として発表されます。「これは治りませんよ」と言って売り込みをする人間はいません。特に目に見えない身体内部で巻き起こっている諸症状に関しては何でもアリな世界です。一体ドレが正解なんだろうかと言うのも症状を抱えて焦燥に駆られている状態では、特に分からなくなるものです。その為、患者は混迷を極め続ける事になるものかもしれません。

私は他の業界の事は詳しく知りませんが、フェイスブックや勝手に送られてくるメールを見ていても思う訳です。「お金が欲しいアナタにとっておきの秘密を教えます」とか、「毎月数時間だけで幾ら稼げます」とか様々な情報が流れてきます。さて、それは皆さん鵜呑みにしているでしょうか。大体話半分で聞いているか無視していると思います。が、相当切羽詰まっている場合はクリックの一つでもするかもしれません。
「彼女が欲しい。彼氏が欲しい。そんなアナタにサクラなしのサイトを紹介します」とか、それは皆さん鵜呑みにするでしょうか。恐らくフラレたばかりの傷心しきった心身状態であればクリックの一つでもするかもしれません。
医療業界も同じようなもので、自身の症状に困った時は、取り敢えず手元にネットでも繋がっていれば症状を羅列して調べるでしょう。そうすると山のように病名が並びます。そして自身の症状と照らし合わせます。そして、その診断と自身の抱える症状が合致すれば一息ついてませんか?でも、一息ついた事で症状が回復する保証はないのです。そもそも、その病名も同じ人間が作ったものだと言う事を忘れてはなりません。自身が抱える症状は自身が一番知っていると言う事も忘れてはならない事です。
あくまで病名と言うのは、画像所見上や数値上、もしくは症状群によって判断されていると言うだけに過ぎませんし、どの症状も厄介な状況になればオピオイド系鎮痛薬や向精神薬に帰結し、脳みそを抑え付ける手段しか出来ない事も知らなければなりません。

患者の多くはそのように〇〇と言う診断名を告げられ、一般的にはその診断名を以て、診断名に沿った治療にあたる事になります。患者自身も〇〇と言う診断名を告げられた場合、良くも悪くも〇〇と言う診断名に重きを置く事になります。確かに、画像所見上や各種検査、数値上では、世間一般概念による〇〇である事には変わりない場合も多くあると思いますが、診断名と現症状が直接的な因子を持っているケースは少ない事は先述の通りです。
その為、それはそのような判断であるだけであり、診断であるだけには変わらず、その診断名に振り回される事だけは双方にあってはならない事だとも思っています。残念ながら1度診断が付いた場合、その診断を以て現行医療の多くは時間が進みます。しかし、時間の経過と言うのは元々の症状の緩徐な進行や突発的な憎悪、そして広範化、複合化が生じると言う時間概念がなくなる場合もあり、特に脊椎が経年的に圧壊傾向である高齢層に於いては凡ゆる可能性が常にあると言う大前提となります。その為、私の掲げている適応症に関しても診断名は殆ど書いていません↓
【針治療 適応症】 
・画像検査、血液検査等にても原因不明の痛み、痺れ、麻痺、脱力、自律神経系症状
・整形外科領域にて、手術及び薬物治療で症状の改善が得られると勧められた状態
・手術に至らない程度の軽度閉塞性動脈硬化症、バージャー病等の脈管系疾患
・各関節や椎体周辺、腱等々に構造的異常が見られ、手術を行うも変化なし、又は悪化した状態
・薬物治療等を長期的に用いても、症状の改善が見えてこない、展望が見えてこない状態
・高齢層特有の機能低下に伴う諸症状の改善と予防(各種椎体の変形から派生する上肢痛や下肢痛。加齢による脳血流量低下による脳神経由来症状(嗅覚、視覚、聴覚、運動失調、認知症様症状など))
・加齢による凡ゆる運動機能、生理機能、神経機能低下の改善と予防
・関節痛、神経痛、筋肉痛、自律神経由来症状、術後後遺症、成長痛、スポーツ障害など
・脳神経系機能異常、自律神経系機能異常を端とした症状(脳血管障害後後遺症を代表とする中枢神経疾患)
・花粉等の外的刺激に対してのアレルギー症状、免疫低下に伴う風邪症候群等に高頻度で罹患する状態
向精神薬被害に対してのフォローアップ、副作用、離脱症状の軽減と早期脱出
・凡ゆる治療手段に於いても抵抗性を示す難治例の症状
不親切且つ、非常に曖昧な表現だと思います。診断名に固執されない(しない)為にも、このように書いている訳です。医療は日進月歩です。その為、病態定義も年々変動しますし、国単位でも異なります。そのように症状1つとっても確固たる定義がない状態である以上、極力リスクは低減させた手段で改善に運ぶ手段を考察しなければなりません。
身近な食べ物を取捨選択して治るのであれば食べ物を厳選すれば良いだけです。、症状の寛解憎悪が周囲の環境で変動するのであれば極力環境を変えるのが一番です。意見があるのは重々承知しています。多くの損傷起因は仕事であり趣味であり嗜好品である為、中々変えられない事も知っています。
その仕事や趣味、嗜好品によって症状が惹起されているのも患者自身既知としていても、困り度が極端に高くなければ変えられないのもわかっています。但し、中々変えられないから中々治らないと言う事も皆知っているのではないでしょうか。それでも尚、人生と言う時間と価値で、痛みと天秤に掛けた場合、必ず痛みを背負うリスクを被りながら人は生きているものだと思いますし、少しくらいの痛みであれば自分のやりたい事を優先させるのも又人間だと思います。
重症化しなければ幾らでも早期回復は出来るものだと思います。「寝てれば治る」程度の身体状態が当たり前になればドレだけ世の中は円滑に動く事でしょうか。その為、先ずは重症化しない為の知識を患者ベースで有してもらうような努めをしなければならないものです。

さて、対処療法と根治療法は何処で線引きされるでしょうか。「お腹が空いた」という感覚に対しての対処療法と根治療法はどのようなものでしょうか。短期的に収束させたい(お腹が満たされたと言う感覚を得たい場合)のであれば、胃壁伸張と血糖値を上げる食物を選択的に摂取すれば取り敢えず対処出来ます。
その逆の根治療法とは何でしょうか。その答えは「何故お腹が空いた」と言う感覚になるかを考える事だと思います。お腹が空く原因を考える事が根治に繋がります。世間には1日1食と言う人は少なくありません。それは意図的に減らしているとかダイエット等の精神的苦痛を背景として持つ訳でもなく、それが当たり前の人達も少なくありません。
飯を食うから腹が減る⇒食わなきゃお腹が空かない、と言う事を感覚的にも体現している為かもしれません。但し、1日1食を実践、継続的に執り行う為には、対処療法的な栄養摂取内容では恐らく短期的にギブアップすると思います。対処療法は燃費の悪さとリスク>ベネフィットを兼ね備えているからです。

燃費の悪さとリスクは凡ゆる物事を過剰消費させます。燃費が悪ければドンドン取り入れなければなりません。発生するリスクを打ち消す手段も講じなければ日常も成り立ちません。その悪循環により、消費者の経済的損失と心身の疲弊が蓄積されます。但し、消費者には頻回に財布から金を出してもらわなければ成り立たないものも多くあります。根を絶たせてしまうと金を出す理由がなくなるからです。それを知ってか知らずかは分かりませんが、多くの物事が対処療法で動いている事も知らなければなりません。
さて、それが自分の心身に直結する物事として捉えた場合はどうでしょうか。私のとこには糖尿病を既往として持つ患者もいます。別に糖尿病治療を主訴としてくる訳ではありませんので、自身の身の回りの食生活を開け広げに話してくれる訳なのですが、その実情は如何なものでしょうか。飯を食って上がった血糖値を薬で下げる。そのようなマッチポンプ行為が残念ながら当たり前です。痩せる為に肉や魚を我慢してお粥だけにしている。別に珍しい事ではありませんね。恐らく、カロリーと言う面で食事内容を見ているのでしょう。
但し、それでは薬も飲み続けなければならない食生活でもあり、栄養不良から様々な疾患を引き起こす可能性もあります。それが冒頭でも書いたように、対処療法と言うのは凡ゆる物事を過剰消費させてしまう事に繋がるのです。

このような話をすると阿部氏のミートボールの話を思い出します。他人に毒々しい商売をすると、回り回って自分に降りかかる場合もあります。その時に、他人に売っておきながら「こんな毒々しい物を自分と家族には食わせない」なんて言えるでしょうか。
転載開始
阿部 司氏 http://www.abetsukasa.com/
~ミートボール~
「安部司氏が、食品添加物の神様とすらいわれたのに、なぜ、キッパリ足を洗ってしまったか、といえば、実は、その大きなきっかけは、彼が添加物で開発したゼッタイの自信作ともいえるミートボールにあります。
そのミートボールは、あるメーカーが安く大量に仕入れた「端肉」(牛の骨から削り取る、肉とはいえない部分。元の状態では、形はドロドロで、水っぽいし、味もなく、ミンチにもならないもので、現在は、ペットフードに利用されているもの)を使って、何か作れないか、とい依頼で、安部氏が開発したものです。
彼は、このどうしようもないとても食べれないシロモノに、卵を産まなくなったくたびれた鶏のミンチ肉を加え、さらに増量し、さらに、「組織状大豆たんぱく」を加え、味付けは、「ビーフエキス」と「化学調味料」を大量に使用。さらに「ラード」「加工でんぷん」「結着剤」「乳化剤」「着色料」「保存料」「ph調整剤」「酸化防止剤」をうまく加えて、ミートボールを作ってしまいます。...
コストを抑えるために、市販のソースやケチャップは使わず、「氷酢酸」を薄めて「カラメル」で黒く色をつけたものに「化学調味料」を加えてソースもどき」を作り、ケチャップも「着色料」「酸味料」「増粘多糖類」をうまく調合して、「ケチャップもどき」も作ります。本来なら、産業廃棄物となるべきクズ肉を、彼が「魔法の粉」である添加物を大量に投入して、舌においしい「食品」に仕立て上げたわけです。
このミートボールは、スーパーでも売値が1パック100円弱。安い!あまりにお買い得な価格!笑いが止まらないほどの大ヒット商品となり、そのメーカーは、この商品だけでビルが建ったといわれるほどだったそうです。
ところが、ある日、猛烈サラリーマン安部氏のせめての家族へのサービスとして、3歳になる娘さんの誕生日には、早々に会社から帰宅して、めずらしく家族みんなで食卓を囲み、お祝いすることにしたようです。なんと、そのミートボールは、彼が添加物を大量に使って開発した自信作のミートボールそのものだったのです!
安部氏は、真っ青になって、あわてて、「これは食べちゃいかん!」とミートボールの皿を両手で覆ってしまい、胸がつぶれるような思いをしたといいます。廃物同然のクズ肉に大量の添加物を投入して作ったミートボールを、わが子が大よろこびで食べていたという現実。
「ポリリン酸ナトリウム」「グリセリン脂肪酸エステル」「リン酸カルシウム」「赤色2号」「赤色3号」「赤色102号」「ソルビン酸」「カラメル色素」などのあふれるような添加物を、自分の愛する子どもたちが平気で摂取していたという事実。安部氏は、夜も眠れぬほど、悩み苦しみ自問自答したあげく、きっぱりと、添加物の会社をやめる決心をしたといいます。」
転載終了

人間と言う生き物は経年劣化は避けられないものですが、劣化を加速させる要因を取り込まない事が、日常的なストレスにも耐えられ、内科的疾患含め患う事なく元気に過ごせるものと思います。糖質の過剰摂取、おクスリの服用。先ずはこの2点でしょう。何故おクスリを飲まなければならない身体になってしまったのか。何故糖質を摂取し続けなければならない衝動に駆られているのか。
小難しい疾患への派生要因は知らなくても、病名を知らなくても個人的には然程構わないと思っています。糖質や薬に依存している人間に病名が付くとロクな事にならない事も十二分に知っているからです。人間は生きているだけでリスクを負い続けるものです。だから時に心身を傷める時もあるでしょう。その時に自然軽快が得られない場合は第三者にコンサルトするものですが、その治療内容はどのようなものでしょうか。
原因不明と言われている症状は山程あるかもしれませんが、数値を上げ下げするだけ、気分を上げ下げするだけの対処療法です。何故なら原因不明なのですから仕方ありません。原因不明だと言われた相手に貰ったおクスリを飲むのはフト考えれば非常に恐ろしい行為かもしれませんが、いつの間にか、そのように言われた事は忘れているものです。
生きてればリスクは伴いますが、おクスリを飲むと言う行為は非常にリスキーな日常になります。何故なら、毎日のように口に運んでいるのですから毎日リスクを伴います。勿論、その時の状態によってはベネフィットのほうが高い時もあるかもしれませんが、そのような緊急事態に陥る時って生きていればドレくらい遭遇するでしょうか。滅多に存在しないと思います。
滅多に遭遇しない緊急事態を日常的に取り入れている事で、常に心身のリスクが高まり続けると言う事も知らなければなりません。弱いおクスリだからとかは関係なく、何故おクスリを飲んでいるのかを知る事です。若ければ様々なリスクにも対応出来ます。少し位、自身の許容範囲を超えた日常を送り続けても負担にはならないかもしれませんし、早期回復は出来るかもしれません。
しかしながら年齢を重ねるにつれ、どうしても避けられない経年劣化はおクスリと言うリスクにも耐えられないようになります。しかし残念な事に、年寄りと言うのは大体何処に行っても損をする生き物です。「年だから」の一言で、おクスリの副作用も片付けられます。そのような事にならない為にも、そのように言われない為にも、今の内から準備すべき事、知っておくべき事って沢山あるかもしれません。
如何せん、病気や怪我と言うのはなってみて初めて知る世界です。ならない限りは無縁の世界かもしれませんが、無縁だから無知でも良いと言う訳でもないと思います。様々な対象に医療は入り込んでいます。勝手に検査されて勝手におクスリを出されたり、勝手に呼ばれて勝手に病気にさせられたりと、随分とお節介なものです。その時に知っているか知らないかの差は極めて大きいものです。

何故強い依存が伴うかと言えば、凡ゆる依存物質や環境と言うのは緊急反応が伴うからだと思います。即時的に脳の神経伝達物質が変動する衝動を人間は好みます。違法合法問わず中枢神経系に至る薬物が蔓延し、糖質が蔓延しています。蔓延しているのは市民権を得ているから、と言う理由なのではなく、蔓延したのは人間の脆弱な部分を付いていると考えるのが自然です。
案外、極めて優秀な素材と言うのは蔓延しません。それは何故でしょうか。その理由の1つとして全く金が掛からないからです。コストが発生しない手段と言うのは使用する側にとっては良く見えます。でも、コストが発生しない手段と言うのは企業側には邪魔な存在でしかありません。もしかしたら歯磨き粉も洗濯粉も塩や重曹を自分で買ってきて賄えるかもしれません。自分で調達すれば恐ろしく安く済みます。
無駄な添加物等も口に入れずに済むかもしれませんし、化学物質の経皮的な吸収も存在しないかもしれません。しかしながら中々このような素材はテレビやラジオで紹介されずオーバーグラウンドになりません。故に、ネットや書籍店等で情報を仕入れ、使う人間も案外コッソリ使用しているものです。良い物が、そして良い物を使う人が肩身の狭い思いをすると言うのも又不思議な話ですが、多数派に靡く習性を持つ民族の性です。
純粋に良い物を求める事に対してコスト高になると考える人も多いようにも見受けられますが、案外、トータル的なコストで見れば安く済む事に気が付くものです。健康や不健康と言うのがどういうものかに関しては個々に委ねるしかありませんが、健康というのはマイナス的作業で成し遂げられる事だけは事実です。引いた分だけコストは浮き、健康を獲得出来るものです。

日常を起因とした諸症状に対しての向精神薬処方に関しては、現行医療は既に白旗を掲げている証拠でもあり、更に向精神薬処方は凡ゆる諸症状の延長線上に存在する薬物ですが、1例として整形領域疾患を抱え、その結果向精神薬が処方されるケース。これはよく見る光景です。
暇な人は整形領域疾患のガイドラインを斜め読みしてみるのも良いでしょう。向精神薬処方は当たり前になっています。それが鎮痛目的か疼痛閾値を上げる目的か元々の症状に対しての抗不安作用を求めるものかは知りませんが、どのような名目で飲んでも、どのような医者が出しても向精神薬向精神薬です。
勿論その逆もある訳で、別理由で向精神薬を服薬している人間が些か厄介な整形領域疾患を抱える事も当たり前のようにあります。別理由と言うのは、例えば睡眠障害だとか欝傾向だとかパニック気質があるとか、どちらかと言うと精神症状の改善を見越す為に向精神薬を飲んでいる群です。
これも単なる肩凝り腰痛程度であれば未だしも、上~下肢症状、それらに付随した自律神経症状等も絡み、且つ画像所見と疼痛部位が一致しない場合や、向精神薬の中長期服薬が背景としてある場合、心療内科や精神科の受診歴がある場合、その多くはゾンザイな扱いをされます。
現行医療の病態定義と一致しない所見しか取れなかった場合、既往の精神疾患とされるものです。その結果、普段行っている病院(心療内科・精神科)で診てもらえとなりがちです。その結果、新たな症状も全て引っ括めて精神病の範疇に入れられてきます。在るのか無いのか分からない星の数ほど並ぶ精神病名なんて難病奇病も全て包括できるものです。
他は、脳血管障害の後遺障害を持つ患者やパーキンソン患者等の中枢神経系疾患を既往とする患者が整形領域疾患を抱えた場合等も傾向としては顕著かもしれませんね。大疾患の背景を持っている場合、異なる小疾患を抱えても大疾患由来とされがちになります。
このように、既往疾患が何であるかや受診歴によって、診る人間もバイアスが掛かる可能性も大いにあるのです。このようにバイアスが掛かった対応と言うのは上記のようなケースだけでなく、先程も書いた通り、世間一般での大疾患を持つ患者は小疾患を抱えた場合は軽視されてしまうか大疾患由来とされがちです。
とは言え、現行医療での大疾患とは何だろうと考える必要もあります。冒頭でも書いた通り、凡ゆる諸症状の延長線上には必ずと言って良いほど向精神薬が存在します。薬物治療や手術、リハ、これらの治療で反応性が悪い、抵抗性が高い、改善しない、これらの結果が向精神薬処方に繋がります。勿論、初っ端から向精神薬を処方される場合もあるでしょう。
現行医療に於ける最後の砦は精神科です。最後の砦が精神科です。脳外の福島先生ではありません。まぁ(精神科に)行くだけなら良いでしょう。話を聞いてもらうのも良いでしょう。此処までは大疾患ではありませんし、大疾患にもなりません。向精神薬を飲む事で、仮に今後別疾患を抱えても「全ては大疾患の精神病扱い」に発展するかもしれないと言う事です。
これも気が付けば早期段階で回避脱却出来るものです。そんなに難しい話でもありません。本人が気が付くかどうかで全て決まります。医療選択は人それぞれかもしれませんので自分が良いと思うものを選択するのが良いとは思いますが、流石に何年も同じ事を言い続けて現場を見てきたら何となくですが別な視方も出来るようになってきます。
その1つが薬物依存者を依存させる商業が異常な盛り上がりを見せている事です。薬物依存に陥る人間は元々依存傾向が高い人間だとは古くから言われています。そのような根本的に依存傾向が高く、更に薬物依存に陥っている患者を別な方向から異なる依存に嵌める商業が盛んです。
健康の獲得には依存は要らないと思うのです。薬物を抜くなんて元々金の掛かる事ではありませんし、代替品を買う必要もありません。テキストなんて買う必要もありません。でも、其処を狙うビジネスも随分存在します。これを世間では脱依存ビジネスと言います。
だから向精神薬肯定派も向精神薬否定派もどっちもどっちじゃねーか、と言うのが最近の感覚です。勿論全てが全て悪い訳ではないと思いますし、感覚としては高い料金払う事でようやく筋トレと糖質制限をする気にもなるのと似たようなものかもしれませんが、強い動機さえあれば情報は幾らでも金と時間を掛けずに得られるし、健康も獲得出来ると言う事です。
一番危険なのが裏取りや準備せずに一直線で進むと逆に健康被害も生まれると言う事です。急激に減~断薬してしまって恐ろしい程の禁断症状を呈した人も沢山いますし、糖質抜けば良いんでしょという観点だけで栄養失調になった人も沢山います。そして、向精神薬は危険、糖質は毒だと更に周りに強制し、更なる被害を生んでいったケースも少なくないものです。

あくまで人間は個の存在と言う事だけは忘れてはいけないと思います。集団意識は洗脳性が高いもので、自分が個の存在である事を忘れがちになります。杓子定規に沿った手段が誰にでも適応となる訳もなく、何かを始める前には知識と準備を経て、ジワジワと進めていかなければ時に大変な事態になるものです。

参考関連(クリックでリンク先にジャンプします)

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 ~針治療から病態定義の見直しを~