藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

向精神薬被害の実情 3


イメージ 1

デパス
不眠、希死念慮抑うつ、吐き気、息苦しさ、動悸、発汗、めまい、手の震え、手に力が入りにくい、離人感、頭がおかしい、全身ぴりぴり、音が痛い、イライラ、耳鳴り、異常に喉が渇く、対人恐怖、閉所恐怖(電車)

食欲不振・嘔吐・下痢・耳の閉塞感・目の痛みと乾き・肩凝りと頭痛・頭が回らず目の前が1枚膜が張ったような感じ・顔面と背中の皮膚感覚が無い様なピリピリした感じ(触られると過剰反応・触られると不快)・不眠・胃痛・体感温度の落差・足の裏のコリ・耳鳴り

筋肉の痛み、目の痛み、頭のしめつけ感、手足の痺れ、不眠。

不安 不眠 明け方トイレに行きたくなる 強張り

激しい偏頭痛/ふらつき/目眩/吐き気/麻痺/やる気低下/億劫感 頭痛に悩まされて脳神経科でCTやMRIを撮りましたが異常がなく、デパスを処方されました。デパスを飲んでる間は頭痛が落ち着きましたが切れると頭痛復活で、内科へ相談して心療内科へかかりました。心療内科では初見判断が難しく数ヶ月して仮面鬱病と診断され、休職を勧められましたが、受け入れることも出来ず悪化させてしまい、自律神経失調症も併発。

身体の冷え、脳みその中が、血の流れる音?ひゅんひゅんというのがする、攻撃的になる、話したくない、もちろん眠れない、全身かゆい、脳みそ、身体のこわばり、顔が変、眼をあけているのがつらい、開けていると、まぶしい、鼻の付け根が痛い、歯ぐきが過敏になる、手に力がはいらない、呼吸がしづらい、寝ているとき、足の芯が、ずくんとして起きてします、姿勢が悪くなる

現在、メイラックスを半分割って0.5mg。ロヒプノールも半分に割って0.5mgとした。減薬による明確な変化はない。身体的症状は、筋肉喪失と強烈な耳鳴り、足の無感覚、嗅覚異常、発汗異常(顔面に汗をかかない。)四肢の血行不良、皮膚角質喪失。(食器の洗剤で、手の皮膚が一気に薄くなり痛い。足の裏も。)味覚異常。逆流性食道炎と肺への流入。胸が痛い。脊椎の軟骨減少。特に頚椎。首を回すと石臼を引いた様な音が出る。その後視覚、身体の電気が走った様な痛みが現れ、今では首を動かさない様にしている。
知覚症状酷い健忘。2/23より本当に酷くなった。離人感覚。デパケンを止めてから若干回復した様な気がする。強い不眠2、3月は1時間/日しか寝れておりません。今はロヒプノール0.5mgで3時間睡眠です。服用経緯・1996年夏頃から仕事が忙しくなり、不眠。会社の産業医に診察を受けるとストレスだねと言われ、リーゼを一錠毎日の様に服用。
そのうち、もう少し効き目の長い眠剤が欲しくなり、ドグマチールを一錠/日処方される。海外出張が多かったので、時差ボケ解消によく使った記憶がある。もちろん依存性についての注意は全く無し。(この時に抗不安薬向精神薬の危険性はINTERNETがあまり普及していなかったので知らなかったし、会社の産業医を疑うこともなく安心していた。)易怒性発覚おそらくドグマチールの力価をアルコールが増長し、易怒性が出ていたためと思われるが、気が付かなかった。
1997年結婚。仕事がさらに忙しくなり、不眠。(今思えば、だんだんと依存しているのが分かる。)産業医よりドグマチール+レンドルミン0.25mgを睡眠薬として処方される。何も一錠/日。ドグマチールはもともとは胃薬だから、大丈夫と申し伝えあり。以後、毎日のように服用していたと思う。易怒性が強くなる。社内外で怒声を上げる。反省の念を持つも繰り返す。少しずつ記憶力が低下していることに気が付く。2000年から2002年までその理由で禁煙したから。当時たばこのせいだと考えていた。・2006年2月頃仕事、2歳の息子の障害発覚でショック状態。
全く寝付けなくなり、(2006年春だったかな?)心療内科クリニックへ訪問、鬱症状と診断され、ドグマチール、ロヒプノール2mg、全然眠れななかったのでSSRIパキシル、ロヒプノール2mgを処方されるが安眠が得られないので、SSRIパキシル+ドラールに変更。一か月程服用したが易怒性が見られ、中止。メイラックス+ロヒプノールを代わりに処方される。この組み合わせが2016年6月まで続く。酒が好きで良く飲んでいた。元々、神経質、気分屋の性格が、冗長されていた様な気がする。・2015年2月、私の恫喝に社外からクレームが来て、私が異動となる。
この6年間ずっと1日でロヒプノール2mg+メイラックス1mg+ビールの引用。その後長年苦しんできた部署から解放されたと勘違いし、躁転。おそらく、常用量離脱症状と感じている。この頃から体の異常発汗、夜尿症が現れる。・2015年6月、会社の飲み会で大量に酒を呑み、躁状態が酷くなる。・2016年6月、上司より心療内科受診命令。双極性感情障碍Ⅰ型と言われ、ロヒプノール2mg、デパケン200mg、メイラックス1mgを処方される。(向精神薬+アルコールは易怒性を亢進することが後からわかる。)先に書いた通り、常用量離脱と感じている。2015年10月までに躁状態から急激に鬱へ落ちる。
・2015年10月、担当業務を任されるが記憶障害と離人感覚発覚。デパケンの感情抑制効果が離人症状態を引き起こしていたと思われる。(感情がなくなる。)不眠が再発。・2015年11月不眠、離人症感覚が取れず、いつもの心療内科クリニックにかかるも鬱対処と診断され、デパケン200mg、メイラックス1mg、リスパダール5mg×2(最大5錠)、サインバルタ20mg、ロヒプノール2mg、効き目無し。あまりに多いので、服用は1週間とし、メイラックスロヒプノール+デパケン200mgのみとした。服用期間短ったので、この時は離脱作用無し。・2016年1月念のため、セカンドオピニオンを受け、デパケンを100mgへ変更(ジェネリック)+メイラックス1mg+ロヒプノール2mg。・2016年2月8日より人事から休職命令が出される。気が向くときには5km先の図書館に行く。
セカンドオピニオンの医者にアンケートの回答を見せたところ、メイラックスを抜かれる。デパケンは200mgとなるが、100mg×2で薬局で処方してもらい、100mg1個で服用。・2016年2月21日、メイラックスの離脱で強い不安感があり、余っていたサインバルタ20mgを空腹時に服用。翌22日躁状態になる。(怒りの感情はなし。)よって1錠服用のみ。翌23日躁状態継続。いきなり25kmのウォーキング、10kmウォーキングの時に感じたふくらはぎの痛みを感じない。
下記症状が現れる。離人症の悪化、味覚、触覚、温感、体温調節機能喪失、嗅覚、ひどい耳鳴り、記憶障害悪化(今言ったことが覚えられない。)寒い外にシャツ一枚で歩いても寒くない。独り言、冷たい手と足の裏にも拘らず汗が出る。聴覚は酷い耳鳴り、触覚はカッターで手の甲を切っても痛くない、嗅覚はずっとガソリンのにおいがする。手の震え、じっとしていられない、酷い口渇、不眠、徘徊。唇の皮膚荒、顔の引き攣り、筋肉の喪失。足の痺れ、痛感感覚低下。痺れた箇所が翌日筋肉喪失している。記憶障害私の短期記憶の無さから話がかみ合わず、クリニック主治医と押し問答。結局、クリニックにも副作用だったらもう治まっている、服用継続が大事なのになんで薬の量を減らすのだと相手にされず。リスパダールを処方されたが怖くて飲んでいない。短期記憶能力改善無し。視覚障害。 視覚右:複視。今もメール入力しづらい。アカシジアじっとしていられない、手の震えはロヒプノールを飲むと止まる。その他の症状は治まらない。現在、メイラックスを半分割って0.5mgロヒプノールも半分に割って0.5mgとした。減薬による明確な変化はない。
身体的症状は、筋肉喪失と耳鳴り、足の無感覚、嗅覚異常、発汗異常(顔面に汗をかかない。)四肢の血行不良、皮膚角質喪失。(食器の洗剤で、手の皮膚が一気に薄くなり痛い。足の裏も。)味覚異常。知覚症状酷い健忘。2/23より本当に酷くなった。離人感覚。デパケンを止めてから若干回復した様な気がする。

恐怖感、希死念慮、不随意運動、過呼吸、不眠、嫌な事を思い出すと頭が今にも破裂しそうな感覚、1分ももたない頻尿など。29歳の娘の母親です。娘は、「薬で自分の思考回路が変わってしまった。本人だから離脱かどうかの区別は付く。今の症状は離脱ではない。脳が壊れてもう治らない」と確信しています。私は精神薬の副作用と離脱症状だと思いたいのですが、知識が無いため説得出来ずにいます。精神科に通うことになったきっかけは、学校での教師及び生徒からのいじめです。(当時はPTSDと診断)。
さいころから要領が悪く、皆についていけない場面がありました。ショックな出来事にその場で対応できず、ずいぶん経ってから記憶がいっきに甦り、初めてそれが重大な事態だったと判明したようなこともありました。“後になって思い出す”これにも疑問を感じています。精神科にかかり、13年間精神薬を服用し続けました。一昨年、薬を変更・増量した頃から、一旦は薄れていた学校に関する感情が強く再燃しました。何を見ても瞬間的に思い出し、些細なことも異常に気にし怖がるようになりました。
それを抑えるためさらに薬を増量することになりました。そのころから異常な恐怖感を訴えるようになり、次第に「怖い、怖い」と一日中泣き続け、食事も睡眠もまともにとれない状態となっていきました(そして統合失調症と診断名が変わる)。これらの急激な悪化から、精神薬に疑問を持ちはじめ、減薬に踏み切りました。減薬当時服用していた薬は、リントン、エビリファイコントミン、アビリット、ルーラン、タスモリン、メイラックス、頓服でレキソタン。4カ月かけて減薬し、リントン、エビリファイコントミンを断薬(現在、断薬後8カ月が経過)。残りの薬も減薬中で、現在服用しているのは、アビリット106.3mg、ルーラン2.55mg、タスモリン0.5mg、メイラックス0.031mgここまで1年かけて減薬しました。頓服だったレキソタンは10mg前後/日で服用しています。
この間の離脱症状は、恐怖感、希死念慮、不随意運動、過呼吸、不眠、嫌な事を思い出すと頭が今にも破裂しそうな感覚、1分ももたない頻尿などです。容赦なく襲う症状はとても辛そうでしたが、減薬期間の4カ月間と、3種類の薬の断薬後3カ月、計7カ月ほどで、これらは治まっていきました。問題は、現在も続いている精神症状についてです。
今の主な症状は・日常の全てに過剰に反応し学校での出来事と関連させる。それが自然にごく当たり前のように発展し、説明しがたい嫌悪感でいっぱいの考えになる。(言葉、仕草、状況が当時と似ている、あいつも同じ事言いそう、しそう、言っていたらこうなるはず・・・とリアルに想像して止められない。脳がクルクルと回転している様な感覚で発狂しそうになり、もの凄く嫌な感情で収集つかなくなる。)

・常に不安とイライラがある。(四六時中嫌なことに繋がるきっかけを探しているよう。)・自分や家族の少しの間違いも、異常に気になる。(何か大変な事に発展してしまいそう。)・プラスイメージのものに、自分をいじめた教師や生徒を投影する。(自分をいじめつつ上手く立ち回り、皆には受け入れられていた事を思い出す。)・マイナスイメージのものに、自分を投影する。(教師や一部生徒に言いくるめられ、皆から悪い噂や無視をされていた事を思い出す。)・寝る前は特に、無意識に嫌な考えに囚われる。・あるひとりの生徒(同性)のことが異常に気になる。(自分のあらぬ噂を信じて誤解しているのではないか。また、自分をいじめた生徒が、この生徒とも仲良くしていたことも嫌でたまらない。)・学校に関連しないことでも、ふと思ったことに対する考え方がおかしい。(我慢できずに発狂するほど言い表せない嫌な感覚。脳が壊れたと実感する。)
・思考が混乱・興奮し、これらが終息するまで、気をそらすことも振り払うことも出来ない。(この間、悲鳴、暴言、暴力、物を投げる、外へ飛び出すなど、人が変わったようになる。)など他にもまだ沢山あります。これらの症状が、一昨年の状態が悪化した時から続いています。映像、言葉、文字など、あらゆるものがパニックの引き金となるため、気を紛らわせる手段だったテレビや本やパソコンも、全くさわれないようになっています。娘は、服薬し続けたせいで脳が壊れてしまい、もう元には戻らないと確信しています。最近では、「このまま改善せず、気晴らしさえ出来ない生活なら、もう生きる意味が無い」と自殺願望が強くなり、いっときも目が離せなくなりました。「今の症状は薬の影響だから離脱が進めば時間とともに改善していく」と説得しても、「こんなに考え方がおかしくなる離脱症状はない!」と納得しません。
本人がそう確信しているのは、リスパダールテグレトール等をメインに服用していた時期、錯乱と同時に・脳が「ギチュギチュ」と鳴って逆流する感覚・発狂し暴れだす位の気持ち悪さ・脳が「ガシャ」と恐怖に切り替わる感覚・頭を殴られたような「痛い!」「怖い!」などの異様な感覚・不安薬のレキソタンを時間を空けずに過剰に飲んでいた事。などを体験したことからきているようです。このころ、パンクロックのヘッドバンキングのように頭を振りまわしたり、ビクンビクンと痙攣したりすることもありました。恐怖感が異常であり、妄想と現実の区別もつかなくなっていました。
このため、担当医に「この薬は飲みたくない」と訴えると、「これは新薬で凄く効くから」「暫く服用しないと効果が出ないから」「元の症状が悪化してきたようだ」などと言われ、嫌々ながらも結局約1年服用し続けました。娘は「あのときの感覚は異常すぎた。その時、脳が壊れたとしか思えない。それから次々に他の薬も飲み続けたせいだ。離脱や減薬中に感情が大きくなる症状があったがそれとは今の症状は違う」と言います。すでに2年以上、今の状態が続いています。

私は2002年、24週と4日、814グラムで生まれた早産時の母親です。私は子供を出産した国立○○の○○科で治療を受けました。当時は育児相談に訪れた○○科が精神科医だという事は知りませんでした。次々に抗精神薬を投与され、日常生活にも支障を来すようになりました。
主治医に「貴女は精神障害者だから」と言い渡されたショックは今でも忘れる事が出来ません。小さく生まれた子供を育てるには、様々な試練があります。当時の私は育児に悩んでいましたので、うつ状態、或いは軽度のうつと診断されてもおかしくない状態だったと思います。しかし、私は精神科医の治療を望んではいませんでした。
何故なら、精神科は薬物治療が中心だと思っていましたし、自分でもそこまでの治療は考えていなかったからです。○○科という名前は育児の悩みを聞いてくれる所だとばかり思っていました。不安の原因は未熟児の育児に関して正しい情報が少ない事や、福祉や教育の不備面です。これらが、薬によって治るものではありません。
全てを心の問題にすり変えてはいけないと思います。私は受診してから一ヶ月で3剤に増量され、最終的には4剤を処方されました。勿論、量も増えていきました。薬の副作用でフラフラし、階段から落ちたり、色が変わって見えたり、決して状態が良くなった訳ではありません。
息子が生まれたのは8月6日でした。奇しくも広島に原爆が投下された日です。テレビ画面に映し出された原爆投下の悲惨な光景と、その中で力強く生き抜いていく人々の姿は、私に生きる意味を深く問いかけました。
幼い我が子を守る母親の姿は、極小未熟児で生まれた息子と、出血多量で状態が悪い自分と、どこか重なって見えました。どんな過酷な運命にも負けず、「貴女は自分の人生を精一杯生きなさい」と言われているようでした。私達親子は、最新の医療によって命を助けて頂きました。
取り上げて頂いた産科の先生や、その後を引き継いで救命して頂いた新生児科の先生の姿は今でも忘れられません。息子には呼吸障害や未熟児網膜症があり、ミルクの誤嚥による呼吸停止や胆石等、2回の救急搬送含め、何度も命の危機がありましたが、その度に助けて頂きました。
幸い、現在は小学4年生となり、毎日元気に学校に通っています。それらを思い返すと、感謝の気持ちと共に、日本の医療の素晴らしさを実感しました。しかし、同じ医療でも精神医療は全く違うものでした。
患者の人権が蔑ろにされている世界でした。精神医療では、診断そのものが正しいものか分かりません。診断名も都合の良いように変えられ、薬の副作用で起きた体調悪化まで私のせいにされました。死に至る重大な副作用があっても亡くなった方は訴える事が出来ません。また、自死遺族が訴えても「ウツは元々死に至る病だから」と言われ議論になりません。
多剤大量処方で中毒死した被害者のご遺族には「薬を欲しがる中毒患者だから」という聞くに堪えない言葉が投げかけられます。例え被害者本人が訴えたとしても、精神科の通院歴の為に、差別や偏見、言葉では言い尽くせぬ数々の困難が待ち受けています。日本は人が死んでも変わらない国です。後何人死んだら変わるのでしょうか。  

10年ほど前リボトリール断薬をきっかけに種々の痛みが発症。眉間に強い痛みが残り毎日厳しい痛みが続いています。離脱症状は体力は有りますので運動とサプリで何とか治まりつつありますが、激しい眉間痛だけはどうしても取れない状況です。
薬害を理解しつつ投薬以外の治療を探す中、幸い本HPにたどり着くことが出来ました。治るかもしれないと期待感が始めて沸いてきました。下記にいきさつの概要記します。現在の症状は下記です。早朝から眉間・眼の廻りにズキン・ジリジリした激しい痛み。眉間の筋肉はガチガチに固まっており熱を持っています。右首・右肩も痛みますが眉間痛に誘発されていると思います。痛みはほぼ一日中痛みは取れず耐え切れなくなった時点でゾーミックとトラムセットを飲んでいますが切れると痛みが復活する為きりが無いと思っています。
いきさつは下記です1回目、会社の健康診断で多剤向精神薬中毒(2004年)2回目、休職して心療内科でベンゾ中毒と激しい離脱症状(2008年)3回目、頭痛外来で再び多剤向精神薬中毒(2009年)減薬開始(2015年)残るはレボトミン5mgのみ(2016年)
服用開始:2004年ごろ健康診断で神経衰弱と診断。産業医よりリーマスを投薬されるがそれ以降悪化をたどりピーク時はリーマステグレトールパキシルトレドミンデパス・他不明の処方。2週間でレジ袋満杯の処方だったので非常に多かったと思います。パキシルトレドミンを飲み始めてから躁鬱状態とOD・自殺未遂(好奇心から死にたいような異様な気分)を繰り返し2007年休職処分。その頃は産業医を信じており、また思考能力を極端に落とされてしまったため言われるがままに飲んでいました。診断は神経衰弱といわれ続けていました。
休職中、心療内科の通院を指示され投薬量が多すぎる。軽い薬に変えますと説明を受けてリボトリールセロクエルMAX処方に置き換わりました。昼ごろまで眠り続けましたが休職中で今までの疲れが出ただけという説明を信じてしまいました。ただ一日の充実感を得るため運動だけは激しくやり続けました。約2年後の2008年中盤、復職の為リボトリール断薬。
薬を飲んでいる間は復職許可証を出さないといわれた為です。何のために飲んでいたのか理解できなかったためMAX処方から一気に抜きました。2日後強烈な不眠となり意識が朦朧となり続けました。医師から離脱症状と診断されましたが2週間で治まると言われ信じてしまいました。2週間後も全く眠れなくなった為ハルシオンマイスリーリスミーレンドルミンデパスが処方されました。その頃私はリボトリールハルシオン他は同系列と全く理解していませんでした。
その後「あなたにはもう処方する薬は有りません」と言われ復職許可証が発行され不眠の中復職となりました。数カ月後ようやく2・3時間は眠れるようになりましたが、ある日突然眼の奥がズキンと痛み出し、日毎に痛みの時間は長くなっていきました。これが今も悩まされている眉間痛?頭痛?の始まりです。復職は出来ましたが2009年、突然眉間から頭全体に痛みが広まりたまらず頭痛外来に通院しました。
当初、ロキソニン・ミグシスの処方だったのですがさらに痛みは酷くなり、その後投薬は雪だるま式に増え、ピーク時はロキソニン・ミグシス・アセトアミノフェンテグレトール・デパゲン・デパスリボトリール・マイスタン・リーマスデジレルレボトミンアモバンを服用。痛みどころか?意識朦朧状態が続き倒れてしまい2009年再度休職。
その頃短期間で激太りとなり右膝に激痛が走りました。元々辛党ですがなぜか甘いモノが止まらなくなっていました。整形外科に行くと脊椎管狭さく症と診断されボルタレンとブロック注射を受けましたが全く効かずトラムセット1日/6個の処方となりました。最初は効きましたがそのうち殆ど効かなくなりました。下垂体に腫瘍が見つかり手術もしたが効果は有りませんでした。首に交感神経ブロック注射も実施しましたが全く効果は有りませんでした。
休職中ネットで調べている内にようやく薬害と解り減薬開始しました。自分の置かれた立場を理解するのに長い期間がかかりました。2015年までリボトリール1日2mg・レボトミン5mgのみを残していたが2015年秋にリボトリール断薬成功。2016年現在、レボトミン5mgのみ。これも少量ずつ減薬中です。脊椎管狭窄症は体重を落とすことで自然に治りました。現在は体の変調がものすごいですが根性と体力で耐えていますが痛みだけは耐え切れず頓服でゾーミック・トラムセットを服用しています。
治療として星状神経節ブロックで喉仏の横の辺りの注射でした。〇〇クリニックです。交感神経ブロック注射後、グランダキシン・ノバミンが処方されましたので医師は注射にあまり自身が無かったかもしれません。薬も効果は無しでした。注射後は右腕がパンパンに腫れたような感覚で30分ほど体全体が麻痺しました。痛みについては無効でした。他、後頭部にも注射した経験が有り瞬間眼の廻りの痛みは消失しましたが数時間後に痛みは復活しました。再度の注射は全く効果無しでした。
リボトリール断薬後期間を経て突然顔面の痛みと後頭部のズキンとする痛みが出ました。その頃リボトリールは完全に切ったのですが不眠が続きハルシオンは大量に飲んでいました。一日で1シート程度です。足らなければレンドルミンデパスマイスリー他を付け足していました。この処方はその後数ヶ月は続きました。すみません記憶をたどりつつ思い出してきました。離脱が原因?高容量で飲んだハルシオン他ベンゾが原因?すみません。不明なところです。
現在は、早朝、覚醒に伴い急激に痛み、眉間はハの字のシワが深く筋肉は硬くなっています。眉間に力が入り無意識ににらめつけているような状態になります。眉間に釘が刺さった様な痛み?眉間が極度に緊張している?表現は難しいです。痛みのピークを過ぎてくると、眉間・額の部位は赤く熱っぽくなり鋭い痛みから鈍痛に変わりつつあります。夜になるにつれ徐々に弱まり傾向です。アルコールで弱まります。鎮痛剤はまず効かないですがトラムセットは効く場合が有ります。
これは疼痛閾値を上げるからでしょうか?不明です。下記直接関係は有りませんが中毒時・減薬時の状況記します。減薬について痛みに関しては大きなメリットが有りました。後頭部を中心とする頭全体のバットで殴られたような激しい激痛は減薬と共に消失しました。これでようやく眉間がトリガーポイントになっているのが解ってきました。
5分ぐらい歩くと右膝に激痛が走り杖が必要になってしまった脊椎管狭さく症も減薬と共に消失しました。脊椎管狭さく症は急に太らされたのが原因かもしれません。向精神薬が多い時の状態は、何を考えるのも面倒くさくボーとしている。痛みは強いがどうでもいい考え。常にうとうとしてどこでも居眠りできる。どこでもハワイアンという気分で快楽という言葉がぴったり合います。
眠気覚ましに無水カフェインを大量に購入した記憶が有りますが原因となっている向精神薬の減量は全く思い浮かびません。まるで二日酔いを起こさない強い酒を一日中飲んでる感覚です。これが麻薬中毒の感覚と思います。あっと言う間の出来事でした。心療内科のみではなく内科・整形外科でもこの様にされるとは想定外でした。
【眉間痛以外の症状について】去年の1月、1.5mgを2週間おきにカッターナイフを角を削りつつ、去年の春ごろリボトリール0.5mgになったタイミングからでしょうか?離脱症状と思われる症状が突然出てきました。・極端な嗅覚過敏。タバコの吸殻の中で生活しているような感覚・極端なイライラ感と思いきや極端な落ち込み感・体中の不規則な鋭い痛み・右首と肩のえぐられるような鋭い痛み・光過敏までは行きませんが太陽を見てその後ヒリヒリ痛むような感覚・極端な頻尿と極端な閉尿・極端な顔面蒼白と思いきや極端な顔面紅葉の繰り返し・針金のように曲がりくねる髪と地肌が見えるほどの逆立つ髪・精力全く無し・温度変化で突然の嘔吐・30分〜1時間おきの中途覚醒・何ヶ月も止まらない咳
服用中は重々しい痛み・重々しい体調・重々しい感情がだらだら続きましたが減薬後は鋭い痛み・極端で不安定な体調・感情に変わった感じがします。ダラダラ続かず不規則に発生して不規則に静まりを繰り返しています。眉間痛もリボトリールを減量して2日目ぐらいで急に鋭い痛みが出ますが我慢するとその後は不安定な状態となります。
一番きつい症状は、甲状腺機能低下症?の様な症状です。現在は回復傾向です。朝は倦怠感・無気力感が強い。指一本動かすにも気合が入れないといけない状態。(もしかしたら、減薬・断薬で寝たきりになる人はこの症状?私自身体力はアスリート級(と思っている)ですので普通の人では寝たきりになるのでは?想定ですが。。)
食欲不振にもかかわらず運動もしているが極端な肥満体系になる。腹部CTスキャンでは脂肪肝・内臓脂肪・皮下脂肪過多。突然脂肪が付いたせいか?腹に大蛇が巻きついているような違和感が取れない。歩くと足が地面にめり込むような重量感。日中、本能的に体が休息を求め続けます。他、主に内ももと顔のむくみ。1日内で4kgの体重差が有ることも。
それと今まで鈍らされていた神経が急に正常に近づいたことを実感しています。例ですが:70kgの体重で多剤で98kgに太らされましたが実感は全く無りませんでした。ランニングは続けており色んな人に抜かされますが、驚いたことに歩いている人に抜かされていることに全く気づきませんでした。断薬後、初めて体の動きが鈍っているのと肥満体であるのが認識できました。冷凍睡眠から突然目が覚めた感じです。今、体中の違和感で悩んでいるとことです。ボディが入れ替わったような。。トラムセットについてはまさかSNRIの類とは思いもよりませでした。 SSRISNRIの恐ろしさは十分体験しましたので断薬出来て良かったと思います。
この手の薬を飲むと人身事故・落下事故の多さが納得できてしまいます。 例ですが:プラットホームで電車を待っている時、電車の音が聞こえ始めてから体がものすごくソワソワする。その時悲壮感は何もなく興味感に近いです。異様に体中に力が入る。短距離走のスタート前の様な感じ。やばい。。と感じ、理性が必死に止めようと体に説得する。体は別な生き物に乗っ取られたような感じで飛び込みを求め続けている。必死に体を止めている間、ようやく電車が到着が到着、体中に脂汗をかいてどっぷり疲れる。
高いビルの窓にいると、何故か体が窓の外に吸い込まれるような感覚に襲われる。窓の外から飛んだらどうなる?悲壮感ではなく、飛んでみたい!!という興味感です。横断歩道の信号待ちで、車にタックルしてみたい。これを何回も繰り返し生き延びたのは今でも奇跡と感じています。既遂したところで抗鬱剤を飲んでいたのでうつ病で死んだということなったでしょう。これは疼痛閾値が極端に上がったからでしょうか。激越になり机をぶっ叩いた時手の骨を折りましたが痛みを全く感じなく数週間放置していました。痛み止めでこんな薬は絶対使ってほしくないところです。

はじめましてなので今までの経緯も含め長くなりますが、沢山の方々に危険性を認識してもらいたい為ご理解下さい。初診年月日がうろ覚えですが大体もう20年弱~近く飲まされ続けて来ました。
増量するばかり、診察せず受付でバンバン出す医者に危険さを感じ転院、引越し等から転院を繰り返して10以上は変わったと思います。20年弱前、それまで元気で明るく行動的で人並みに社交的だったんですが、過労やそれまで抱えてきていた過度のストレスで体が突然動かず鉛になり訳も分からず涙が溢れ生きている事がしんどいとある日突然大泣きした事を今でも鮮明に覚えています。
5月病ってこれなのかなと思いましたが、友人に精神科行けば?と勧められましたが自分は変な病気じゃないと頑なに拒み続けていたんですが、もしかしたら今の落ち込みを治してくれるかも•••と自分も世間も偏見だらけの時にこっそり行ってしまったあの日が間違いでした。
当時体が自分で理解出来ないくらいに動かなかった事で休職しており、継続してお金を払っていつ治るか分からないなら通院する自信がありませんと話したら、当時ですが「お金持ってない人は大丈夫、32条で無料だから継続して来なさい」と言われました。あそこで32条で意味も分からず勝手に手続きされなければ経済的な観点から嫌でも自然に通わなくなっていたと思います。それも大失敗でした。
今みたいにネットで情報がこんなに蔓延してくれていたら絶対に調べていました。携帯にカメラもついていない、パソコンを持っていたら凄い、心が弱い、気の持ちようという、気のせい、怠け病、ズボラだという時期で、人に相談も出来ず、お医者様だから大丈夫だと信じきっていました。どっぷり染まっている事すら気付かず、薬で嘘の元気が出て仕事を毎日楽しくこなせていました。
まだ薬を飲み忘れても何も感じず、職場にも持っていく必要がありませんでした。でも通院はしないといけないんだろうなと漫然と考え、どんどん増えました。飲み忘れている事を言えば、しっかり飲まないといけないじゃないか!と激怒され必要性すら感じない「治療薬という覚醒剤麻薬大麻危険ドラッグ」を消化し続けました。
知らずにのみ続けてきた5年目くらい経ったある日、電車でかなり遠出をする事がありました。駅に着いた時に心臓の鼓動と合わせたように脳がグワングワン揺らされドクドクという感覚ですが例えようがない恐怖感からか意識が遠退く感じがしました。
もしかしてこれって薬切れ•••?と初めて実感しました。でも薬を持ち歩く習慣なんてありませんでした、冷や汗と立っていられない目眩でしたが我慢して家に何時間も掛けて帰ってすぐ薬を飲みました。30分程度で恐怖感や目眩も消えました。
完全に薬に染まっていると実体験した時でした。それから精神薬は危険だと知り、それまで何という種類で、1日の服用量も覚えていられないくらい、沢山の病院で病名が変わる度に薬も変えられ何をどう消化してきたか分かりませんが減らしていきました。
どんなに苦しくても光と音が脳に突き刺さろうとも這ってトイレに行き、深夜に近所のグラウンドで毎日恐怖と闘いながらウォーキング5キロ以上を自分に課し時には10キロ以上ずっと歩き続けました。いつか完全に離脱成功出来ると信じて。でも3ヶ月続けても何も変わらず、日常生活をこれ以上危険に出来ないと自分の弱さと悪魔の精神薬の誘惑に負けた自分が腹立たしいながらもゾロフトワイパックスロヒプノールだけに絞りましたが飲みました。
でも初めての禁断症状のたうち回る生き地獄を体験できた事で、どんな風になるか知れたので、今回3回目にチャレンジしている最中です。ベンゾ依存性の恐ろしさを身を持って体験しています。
半分に割ったワイパックス0.5を息苦しくなる毎に飲んで誤魔化し、ツムラ16番漢方薬を飲み、寝付けませんがデパス0.5を割って舐めて寝るを続けています。悪夢で汗びっしょりで飛び起きが続きます。20年弱~言いなり通りに続けただけに、半分もう永遠にやめられないかな限界かなと思いながら今3ヶ月目です。仕事も一人暮らしなので買い物も自分でしか出来ませんが、全てが恐怖です。
恐怖なんて一言では片付けられません地獄です。常におどおどして冷静さを欠いているので誰にも悟られない様にしているつもりですが、挙動不審なのは自分でも分かっています。スーパー、電車、バス、銀行•••人と接していない1人でいられるこの時間がリラックスタイムです。
楽しそうに普通に元気でいる人や仲間とワイワイ出来ている人達を見る度に羨ましいです。何でみんな普通でいられるのかなといつも思います、極々自然で当然の事なのに•••反対に通院時に新規患者を見る度に、心の中で今なら引き返せるぞ、やめとけ、生き地獄離脱症状にいつか苦しむぞと真実を知らないであろう人達を見る度に野放し状態精神薬大国日本を恨みます。
寝る前に馬鹿げていますが、こんな苦しみが続くなら寝ている間に地球を爆発させて下さい、隕石をこの部屋だけに目掛けて突入させて人生終わらせて下さいと願ってから寝ています。だらだら書いてしまい申し訳ありませんでしたが、やっとベンゾや精神薬が危険だと世間が騒ぎ始めてくれた事は本当に嬉しいです、もっとマスコミは下らない芸能情報や偏向報道よりも世間が安全だ安心だと信じ込んでいるこの処方薬の危険性の真実を伝えて大騒ぎさせてほしいです。
本当は危険性離脱症状が凄い事なんて飲む前に知っていたかったですが・•・画面を見ている事さえ光が目と脳に突き刺さり掻き乱すんでしんどいですが、折角見つけたページで書かずにはいられませんでした。
初めて断薬した時、脳がかき回されている滅茶苦茶な時に誰も理解してくれない信じてくれない悔しさの中で書きなぐっていた当時の文章をコピペさせてもらいました。因みに今行っている医者擬きは開院して2年で薬の知識ゼロでこっちが指定した通りに出すシステムで、ニュースになった話を出せば「営業妨害なので、先輩達と団結して我々医師会の力で圧力掛けて記事を削除させました!我々の力をナメるなと言いたい!西洋薬の素晴らしさを誰も分かっていない!無知過ぎる!」と自信満々な人です。
無知はあなた方精神科医という殺人鬼です。離脱症状がどれだけ苦しいものか飲んだ事あるんですか?とやんわり質問すれば、「必要ない病人じゃないのに何故飲むんですか?1錠も飲んだ事ありません。
そんな弱い人間じゃないんでね」と豪語します。製薬会社が持ってきたパウチされた薬一覧表を見て、今日はそれにしましょうと、全く必要ないリーマスを出されました。過去にもそれを出して要らないって断ったのにまた?と諦めました。
リーマスで月1で血液検査が必要だけど?とこっちから聞いた時、「近所の内科でやりたければやって来て自己判断して下さい」と勿論何の薬かなんて以前にリチウム中毒でニュースになっていた事も話したのに運が悪かったんでしょうねーとどうでもいい様子、どういう精神薬とか説明する訳ありません。こんなふざけた人でも医者なんてもんになれるんだなと不思議な国だと思います。
こっちが指定した通りに出すだけの30秒程度の会話であんなもの診察じゃないですが殺人鬼がいうところの診察ですが、その診察室に入って1分もしない内に完全にガーっと寝やがった事もありました。完全にナメられています。何を言っても無駄なので、ありがとうございましたと持ち帰り、ワイパックスデパス以外、処方されたとんでもない精神薬全て自分で廃棄しています。
要らないから減らしてくれというと怒るんで、相手にせずに持ち帰り処分しています。まもとな最初から減薬させるつもりの医者や、積極的に海外の精神医療を見てみようとか、カウンセリングに重きをお置いてみたい•••と考えるまともな思考を持った医者はこの日本には皆無なのでしょうか。
いるとは思いますがロシアンルーレット状態でハズレばかりです。大昔ですが薬剤師にも「日本の精神科医は絶対おかしい間違ってる・・・みんなどんどんヘロヘロでおかしくなって顔から生気消え失せていくばかりじゃないか•••それに荷担している自分に腹が立つ」と言われながら渡された事もありました。
医者擬き売人に言いたい事、毎食毎日何年も自分達が出しまくっている精神薬を同じ量ずっと飲み続けて染まった頃に止めてみろ、それでも普通に服用前みたいに元気な離脱症状に苦しまない自分自身でいられるか試してほしい。厚生労働省は何故ここまで精神薬は危険だと分かっていながら、全国に乱立する精神科やらメンタルクリニック、儲けの為だけの製薬メーカーを放置しているんだ!今こんなに精神薬が危険だという情報を飲まされ始めた20年前に知っていれば、絶対に飲まなかった。
最初にかかった殺人鬼精神科医は大した症状でもなかった初診時にリュック一杯になる大量の殺人薬を出し、やめられなくなるから一生の付き合いと思ってねとほざいた。でもその当時はお医者様だからと信じて消化していた。必要なく飲まなかった時期があった事を伝えると、全部飲め!と大激怒。10以上まともなお医者様をと探し転院し続けたが、カウンセリングなんてなく1分足らずで大量に出す。
あなた達には分からない禁断症状、離脱症状の生き地獄を精神薬をやめたいが為に何度も挑戦したが、電気の光が目と脳に突き刺さり、小さな音が脳に突き刺さり、人が怖くなり、脳を両手で掴まれて思い切り振り回されて歩く事すらできなくなった。元気でアクティブだった自分は今ではただ恐怖におののき、24時間365日天井をただ見詰めていつ自殺しようかと考えるばかりだ!トイレに行く時は床を這って行く。
過労で体調不良で精神科医に頼った自分が馬鹿だったが、治療薬という廃人にするだけの精神薬を今まで何万錠飲まされ続けたか分からない!元気だった精神薬で脳を作り替えられる前の自分に戻してくれ!人生返せ!厚生労働省が安全だと言い張るなら職員全員が1年でいいから沢山飲み続けてみろ!そして全部やめてみろ!絶対にやめられない、禁断症状で廃人になる事を身を持って体験しろ!
このまま放置し続けると薬害訴訟にいつか絶対になる。いや、なってもらって償ってもらわないといけない。周りで命を落とした人、自分が分からなくなり常によだれを垂らし失禁して意味不明な発言をするようになった人、幻聴幻覚で何度も自殺未遂を起こしている人、リタリンを飲まされ続け現在もどうにか入手しようとヘロヘロになっている人。薬害AIDS、薬害C型肝炎訴訟のように、薬害精神薬訴訟が1日も早く起こる事を願う。何にもいらない。精神薬で破壊された脳と人生を全て返せ!


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