藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

患者心理と患者ニーズを充足させた窓口


ようよう考えれば、こっちはもしかしたら知識や知恵(?)等が現場を通してフィードバックされ見識が一層深まっている、累積されている感はあるのですが、当たり前ですが患者は「今傷めて今痛く、今手術をし終えて薬を飲み、そして治らないから諦めろ」と言われている、今から各々が歴史を刻み、病態の矛盾を知り、回復へ向けての第一歩を歩み始めると思うと、時々は超初歩的な分かり易い情報を挙げる事も患者有益性としては高いんじゃないかと今にして思うもの。たまには、そのような話。

飲みたくなるんだろうな。と思う。これは別に悪意を裏に想って書いている訳でもなく、素直な気持ちである。治療先では患者が部屋中の薬物を探し回り、家族がそれを制し、常に一触即発な時間を過ごしている風景と言うのは案外見慣れたものかもしれないが、
それ程迄に薬に浸った人間にとっては、何かあれば薬で解決しようとし、薬で出ている症状も薬で解決しようとし、病気である事に意義と価値を求めている節が伺える。
「アンタに私の気持ちなんて分からないでしょ」なんてオーバードーズ癖のある患者から言われる時もあるが、この点は全ての依存を生む事象に於いて共通している事だろうから気持ちは分からない訳でもない。
人は大なり小なり何かしかの環境や物質に依存しているのは否めない。仕事も休養も趣味も全て依存である事には変わらないのだが、それすらも上回る薬物と言う依存性は、後々にも書こうと思うが随分と優秀な存在であるのかもしれない。
過去には「合法故に厄介」と言う表現もしてはみたが、仮に合法でも優秀でなければ此処まで拡がらない。ネットを見れば個人売買が横行し、海外から個人輸入をしてまで手に入れる人が後を絶たない現状と言うのは、それ程迄に患者の心理とニーズを掴むのだろう。
取り敢えず、現状で言える事は、向精神薬さえ存在しなければ、これ程迄に現場は混沌とした状態にならず、何処までも向精神薬と言う存在は心身を脅かす物である。
一部抜粋
解析対象者のうち、約86%にあたる581人は原因薬剤が抗不安薬睡眠薬だった。依存性の高さが指摘される薬が上位を占めた。これまでも度々報じてきたが、過量服薬患者の救急対応のために、多忙を極める救急現場はますます混乱し、ICU(集中治療室)の空きがなくなることもある。その結果、他の急患を受けられない問題が深刻化している。
過量服薬の原因は、ベンゾジアゼピン系などの睡眠薬抗不安薬の依存性の高さだけではない。自殺衝動のある患者に、大量の向精神薬を安易に処方する医師の問題でもある。精神保健指定医の資格不正取得問題が再燃、拡大し、精神科医の診療技術や倫理観、人権意識が厳しく問われている今、向精神薬処方のあり方も一から見直す必要がある。

向精神薬の肯定派と否定派は議論が平行線を辿るのは今に始まった事ではないのだが、私自身のスタンス的には否定派よりかもしれない。寧ろ、このような議論が継続し続けるのは、医療者側よりも、向精神薬を肯定する患者群が勢力を強めていると言っても過言ではない。
先程とも重複するが、承認が外れれば再承認を求めるのは患者であるし、再承認が得られなければ違法性の高い取引きを個人間で始める。
向精神薬批判をする多くの方々と言うのは、過去に向精神薬を服薬し(服薬させられ)、大変な想いを持った過去を持つ方々だと思うが、向精神薬を飲んだ事もない私がこれ程迄に書き続けていると言う事も僅かながらも汲んでもらいたい部分でもある。
それ程迄に、向精神薬を中長期的に服薬した場合、回復過程に於ける安定性や速度と言うのは混沌とし、更に患者は患者周囲の人間を巻き込む事態に発展する、と言う面倒な状態に陥るのである。
否定派よりの理由と言うのも、向精神薬を中長期的に服薬した場合、その症状が自然発症性のものなのか否か、若しくは内臓疾患から現れているものか否か、そして内臓疾患で生じている症状にフィルタリングされているのか否かと、症状の鑑別が極めて付け難くなるのも1つの要因でもあるし、純粋な向精神薬由来となる症状の場合だとしても、ズルズルと長期に渡り尾を引く事になる事が問題であるからかもしれない。激しい禁断症状を避ける為には急速に止める事は出来ず、止め切ったところで、それが症状改善のゴールに結び付く訳でもない。
手術前のみ、と言うような緊急性の高い短期使用に限る用いられ方をされ、知らずの内に服薬していなかった的な事柄に於いては別に言及するつもりもないが、このような緊急性の高い事象以外の日常生活を送る上で自然発症した自律神経症状や整形領域症状患者を対象に投与された向精神薬の類に関しては極めて否定的な姿勢となってしまう。何時まで投与されるか分からないと言うリスクを患者は背負い続ける事にもなるからだ。
整形領域は向精神薬を服薬してからの時系列が簡便に追える事が出来る為、治療過程で元々の整形領域疾患が略治可能となる迄に改善したとしても、向精神薬由来の症状(副作用や常用量離脱と思しき症状)が高確率で残存し続け、
かと言って、向精神薬の有害性を既知としない患者にとっては、取り敢えず「飲めば気持ちいい、飲めば痛みが和らぐ感じがする」とベネフィットを初期的に感じた経験から、結果的に中長期的な服薬に移行するケースが後を絶たない。
その後、患者自身も薬を飲み続ける事が当たり前であり、飲んでいるから現在の(整形領域)症状で落ち着いていると思い込み、まるで何処で刷り込まれたのか「死ぬまで飲み続けるもの」と都合良く解釈してしまう場合も散見される。その末、整形領域の疾患と言えば、多くは筋骨格系疾患等になってくるものだとは思うが、向精神薬の多くの副作用や常用量離脱の内容は如何だろうか。
筋肉は硬直し、緊張し、痙攣し、まるで整形領域範疇で他疾患が生じたと誤解する患者も多く、且つ、その情報を持って再度掛かり付け医等に相談すれば、向精神薬が増量されるか、写真を撮って器質的異常が生じていれば手術をされ⇒治らない、と言う道程を辿る患者も実は少なくない。この器質的異常あり⇒直接的な症状の誘発要因と言うのも改めて記述する必要もあるかもしれないが、その点に関しては別項で詳しく記載している。
当たり前の事だが、薬物が原因で筋硬直や筋緊張、筋痙攣が生じているのであれば、薬物を増量しても手術しても原因は取り除かれる事はない。これは素人判断でも分かると思う。しかし、このように情報として知っていれば特段恐がる必要性もない事象すら、情報が無い故に要らぬ恐怖感に苛まれ、患者は日々を送る事になる。
このような傾向が後を絶たないと言うのは、やはり向精神薬の反応性が如何なるものかと言うのも周知不足であると同時に、短期的には向精神薬の増量で症状が落ち着く⇒元症状の悪化だった、若しくは他疾患の発症だった、と言う短絡的な図式に当て嵌めてしまう事も1つの問題だと思う。そもそも、向精神薬の反応性を既知すれば、どのような領域の症状とて「取り敢えずは落ち着く」のである。中枢を抑えてしまうのだからどんな症状も「効いた感覚」に陥る。
この段階で多くは大きく2群に分けられる。1つは「好き好んで飲んでいる」群と、「止めたいけど止められない」群である。前者は基本的に自身の思考により積極的に飲んでいるのであれば、治療の対象とはならない。原因を取り込み続けたままどうにかしたい、と言うのは厳しい表現かもしれないが無いものねだり、と言うものである。
後者に関しては回復の余地は十分ある。処方医との関わり方、関係性から減薬に事を運ぶ手段を講じられるし、仮にも処方医が俺様気質の場合なら理解ある他医へ流す事も出来る。更に減薬方法は過去の減薬に成功した患者群が一番の情報源ともなる。
そして徐々に向精神薬の減薬時に起きうる可能性のある事象を学びながら進行させていけば、仮にも減薬過程で離脱症状と思しき症状が出たとしても、患者の精神衛生上は予想以上に保たれるものである。離脱症状を知っているか知らないかの差は本当に大きいと言う事を現場を通してよく分かるものである。そのように、多くの患者は回復過程での情報を欲している事も現場感覚としては鋭敏に感じるものであるが、他者誘導が極めて強い場合も案外少なくない。
向精神薬のみならず、薬を服薬する、と言う行為に対して積極的であるのは、医療従事者よりも一般患者のほうが未だ根強いものである。そのように考えると、患者のみならず患者周囲の協力や理解も回復過程では絶対に必要である事も伺える。
その為、以前も書いたかもしれないが、精神衛生も保ちながら、回復過程も比較的安定しているのは1人暮らしの患者が多い。これが地方部と都市部での回復速度の差に影響しているのかもしれない。他、理由は詳しく知らないが、減薬を抱えているクリニックが点在するのは都市部が多いのも、そのように情報収集量と精査能力が患者個人で可能、且つ、他者誘導の少ない環境下であるからこそなのかもしれない。
しかし、多くの高齢者は未だに薬物に対して信奉性が高い。これは情報を得られる場所が限られているのも1つの原因かもしれない。このように、薬物治療の信奉者と共同生活を送らざるを得ない環境下の患者であれば、人間関係の歪みが大きい為、精神衛生状態も悪く、スムーズに運ばない事も多く見受けられる。他は、恐らく患者以上に患者の症状を「理解している」と言う、悪い意味での親心もあるかもしれない。
しかし、これらも考えてみたらよくよく分かる事だが、患者が抱える症状は患者にしか分からないのだ。私も含めだが、外野がアレコレと患者の訴える症状に対して決め付ける行為ほど愚かなものはないと思う。様々な可能性を秘めての現在の症状である、と言う考え方をすれば、患者に教えられる事ばかりである事を常々持っておきたい部分でもある。
取り分け、治療ベッドに寝てれば何とかなる訳ではない向精神薬由来と推定される症状を持つ患者群と言うのは、治療反応性も特異的であり、治療部位によっては極めて厳しいリバウンド様症状に苦しむ場合もある為、相互に反応性を既知している必要もあり、患者自身の理解力も必要となる。
それを1つ1つ紐解いていく必要性もある為、只でさえ向精神薬由来で苦しいと言うのに、新たな知識を入れ、待ち構える離脱症状に耐えうる精神力と体力を要すると迄考えれば、確かに患者にとっては面倒臭い。今までは薬を口に放り込んでおけばヤジロベーように症状も不安定だったかもしれないが、そのナリで平衡を保てていたからである。
それでも、物事は見方を変えれば実はどれもこれも同じようなもので、ケガをするのは一瞬かもしれないが、治る迄には時間が掛かるものである。ケガが小さければ早期に治り、大きければ時間が掛かる。これは向精神薬由来の症状も同様だと思う。短期間の服薬、低力価、単剤であれば早期に脱出出来る可能性もあるが、長期間、高力価、多剤であれば脱出する迄の時間は長期間に及ぶ、と言うだけである。
確かに、過去の処方内容に対し、今更ながらとは思うのだが、恨み節を医師や製薬会社にぶつけたくなる気持ちも分からないでもないし、訴えたい気持ちも分かるが、残念ながらこの国は致死量を超えた処方をされ、患者が死んだとしても患者は負ける国である。
そのように考えると無念であるかもしれないが、時として気持ちを切り替え、自身の回復に時間を費やし、専念する必要はあると思う。誰かを訴えたければ回復してからである。具合が悪いまま訴え、結局は過去の判例に沿って負けを言い渡されるの予測が付いているのであれば、気持ちは分からなくもないが時間と金の無駄である。
これは全ての物事に於いて言える事かもしれないが、仮にも今、向精神薬に対して嫌疑的な意識が僅かにでもあるのであれば、それがきっと減薬するタイミングとチャンスなのだと思う。こんなちっぽけなラムネみたいなものに人生を左右されるような時間とは決別したほうが良い。

予防医学とは理想形である。それは私も目指している部分であるかもしれないが、現実の予防医学とは、如何にして向精神薬を飲まないように予防線を張るか、取り組むかが現段階での最良の策である事を知る。末梢の症状も中枢で抑えられてしまう現状では明らかにリスクが高過ぎる行為でもある。
今一度書けば、凡ゆる症状も向精神薬で取り敢えず落ち着く。それは肩凝りも腰痛も頭痛も膝痛も様々な自律神経症状も落ち着く。かと言って、その薬を中長期的に飲み続ければ治るか、と言う観点で改めて考えてもらうと、全く治しておらず、単に脳ミソを抑えつけられているだけに帰結する。
向精神薬にさえドップリとハマっていなければ、ある程度の症状なら自己の生活や考え方を見直す事で立ち直る事も可能であるし、治療と言う視点で見た場合も極めて反応性はよく、早期回復も可能であるケースも多い。
症状を憎悪する要因と言うのは幾つもあるとは思う。その多くは日常生活に起因しているものかもしれないが、中枢神経系を強制的に変動させてしまう薬物を中長期的に取り込んでいる場合、これらの日常を起因とした症状の改善策を始めても、原因が薬物である以上、大半が無駄に終わる事を多くの患者が教えてくれる。「何とかしようと様々な手段を試みるが、何をやっても無駄だった」と言うのが多くの患者の現実である。其れでも尚、これくらいの理解があれば問題はない。
そのような理解も回復思考も持たせてくれないのが、副作用や常用量離脱の存在を無きものとして取り扱い続けた考え方かもしれないし、幾らでも追加されていく病名かもしれないし、取り敢えずは大人しくなったと評価する、患者対応を煩わしく思っていた患者周囲の人間なのかもしれない。
現状を見る限り、親や学校が対応に困り、若しくは同僚や上司が対応に困り、多くの方々が「善意」で向精神薬を処方する傾向を掲げ、その後はどのような状態になったとしても知らんぷりしている姿を見ていると、
随分と医学や教育、そればかりか人と人と言うのは無責任な存在であるとも言えるし、様々な職種は存在すれど、それが仮にも医師であれカウンセラーあれ、私は薬を使わないとウリにしている人間であれ、患者に病名を付ければ「この人は病気だから」で全てから逃げる事が出来る。問題は「この人は病気だから」なのではなく、この人の症状を改善させる為に策を講じねばならぬのに、凡ゆる人間が患者に対して病気と言う大義名分を押し付け、それで終わらせようとしている。しかし、実際に取り残された患者はどうだろうか。
年々増えていく病名は、このように医療者自身の身を守る為に創造されたものである事がよく分かる。製薬メーカーが儲ける為だとか、そう言う金の話はどうでも良い。そもそも薬は買うのも飲むのも強制ではないのだから、患者自身が気づけばそれで済む話なのだ。そんな事よりも、人を治す人間が病名を創り、向精神薬を飲ませ、新たな病気を生み、新たな病名を創る。このサイクルに歯止めが止まらない。
人を治す人と言うのは、人に病名と言うレッテルを宛行い、もしくは自身の範疇を超えた症状を抱えた患者に向精神薬を処方するのが仕事なのだろうか。向精神薬を処方された時点で、医療は患者にお手上げだと言う事、そして医者以外の人間が向精神薬投与を促すようであれば、その人間は患者自身を煩わしいと思っていると言う事である。
そのようなエゴの塊である支配医学が精神医療であると言う事を患者は知らなければならないと思う。
向精神薬は飲まない方が良いと言う観点は(患者表現から汲み取るに、正確に言えば精神科には行かないほうが良いと言う事になるが)、意外にも精神科の敷居が高かった時代のほうが周囲の人間は既知していた事かもしれない。

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今でこそ(GSK社による「うつは心の風邪」キャンペーンが始まってから)、カジュアルに心療内科や精神科、またそれ以上に整形外科を始めとした凡ゆる科で処方されるようになった故、向精神薬と言う存在は精神症状の変動に伴う改善目的として処方されている訳でもなく、
痛ければ飲ませ、痺れていれば飲ませ、目を合わせなければ飲ませ、世間の物差しと異なる物事に集中していれば飲ませ、キレイ好きでは飲ませ、健康主義であれば飲ませ、ギャンブル好きであれば飲ませと様々な用いられ方をしてはいるものだが、
これは情報が少ない時代、そして情報の捉え方や取り方にもよるかもしれないが、「過去の精神科」と言うスタイルしか知らない高齢者等は情報が少ない故に、良い意味で精神科と言うスタンスやスタイルをよく見ている節もある。「あそこの病院に行って帰ってくると、皆、頭がおかしくなってくる」と言う表現を各地域で聞くものである。
流石に、「頭がおかしくなってくる」と言う表現は、今の時代には相応しくないかもしれないが、意外にも事実を見ているのは情報が少ないながらもコミュニティを大切にしていた年代達であるからこそ、病院に足を運ぶ度におかしくなっていく人達を観察していての結果なのかもしれない。精神科のスタイルが当時から露呈していたのを既知としているのは、意外にも高齢者だったりするかもしれない。
今でこそ、そのような表現の意味もよく分かる。行けば行くほど悪くなる。良くなる兆しがない。それでも尚、全ては病気と言う大義名分で、良くも悪くも許され、そして患者は本当の病人になっていった。ご存知の通り、モノアミン仮説の嘘は既にバレているし、仮にもスペクトや糖代謝、そして脳萎縮そのものが現症状と結び付ける根拠も実はない。そして、仮にも精神病と言うものが存在したとしても、精神病と言うのは死ぬ病気ではないが、いつの間にか精神病は死ぬ病とされている。
向精神薬を飲んだ為に、心不全や肺塞栓となり、筋肉は溶け、糞詰まりとなり、そして飄々と自死行為に積極的となり、と言う服薬からの時系列を合わせれば死因は向精神薬であると言う可能性が極めて高いケースが大半なのかもしれないが、それでも尚、死因は精神病である事から覆るケースがまた少なくなく、いつの間にか、「精神病=死ぬ病」として世間一般として広まったのも、お偉いさん方が広めた結果でもある。
何故、これ程迄に向精神薬がカジュアル性を極めて処方されているかも知らなければならないが、その前段階として、向精神薬の依存性と言うのは此処まで高いと言うのは、ある意味、極めて優秀な薬である事も伺え、且つ、仮にも日本のように処方期限が定められていないベンゾ系を服薬する多くの層は数年数十年が当たり前であり、飲む事が当たり前のように振舞う。
そして、肩が凝る、常に不安だ、眠れない、身体が痛いと訴え、増量されては落ち着く症状に安堵感を示し、更に時を刻み、又同様な循環を繰り返している。先ずは、これらの患者心理を知りたいところでもあるのだが、患者心理がこのような状況に陥っているのは、恐らく、ベンゾ系を服薬している患者群と多く対峙しているのは別に私に限った事ではなく、掛かり付けの医者であれ当たり前のように接している事には変わりない。
患者が増量を求める場合もある。増量を拒否すれば患者に悪評を立てられるのを恐れ増量する。患者が出せと言ったら出すような自動販売機的スタンスで無ければ患者は満足しない。医療とは、そのように患者に治療を促すスタイルを捨て、患者心理と患者ニーズを充足させる為だけの窓口となっている節もあるが、面白い事に、そのような窓口ほど人気なのは、それ程迄に向精神薬が優秀な依存性を持つ薬物でもあると言う事だ。
外来で出される薬なんて未だ知れたものである。本当にキツい薬と言うのは入院してからなのかもしれないが、その頃にそのような薬を用いられる状態となるのは、散々と窓口を賑わして薬物の処方をお願いしている段階の患者には分からないと思う。が、現在、極めて厳しい環境に置かれた向精神薬由来の被害に遭った患者群と言うのも、当時は似たような段階を踏み、今に至っていると言う事も忘れてはならない事だと思う。

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