藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

他者に対し脳へ影響を及ぼす薬物治療や医療介入を勧めた場合ってのは、その人に対しての人生ごと全責任を負う位の覚悟が無ければいけない


世界15都市でうつ病と診断された患者の12か月の追跡調査(WHO調査)4グループに分類
抗うつ薬による治療を受けた群 回復 32% うつ病持続 52%
・ベンゾによる治療を受けた群 回復 25% うつ病持続 52%
薬物療法以外の治療を受けた群 回復 39% うつ病持続 26%
・治療しなかった群(未加療)   回復 42% うつ病持続 28%
*「何もしない」が一番回復が早く、「ベンゾジアゼピンでの薬物治療」による治療成績が1番悪い

無邪気という言葉があります。子供には邪気がありません。子供は嫌いなモノを本能的に嫌がります。子供が嫌がっているという事は、危険性を本能的に感じているからなのではないでしょうか。
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私は向精神薬服薬前と、服薬後の同一患者を何人もリアルタイムで診ている。職場や学校、家族で、うつ病パニック障害発達障害だと、一切価値の無い病名を示唆されるかのようなポスターやチラシをチラつかせ、遠巻きに様々な嫌がらせを受けてきた患者達がいる。
さて、こんな私の取り組みも、幾ら私が服薬前に危険性を提示していたとしても、そんなのは微力であり、結果的に多くの患者達は会社や学校や家族に服薬を半ば強制的に勧められている内に、服薬しなければ居場所が無い状況に立たされてしまうケースと言うのは少なくない。
その後、服薬後(服薬中)の同一患者とも結果的にお会いする事になる。何故、服薬後に結果的にお会いする事になるか。答えは簡単であり、結局は経時経年で私が散々提供した情報が本当である事に気づいたからなのである。時折会社や学校、家族経由での再打診もあるが、大方はこの時点で私が以前伝達していた危険性に背いて服薬を勧めた故に、ばつが悪い状況である事に変わらない。
おかしなプライドが邪魔しているのだろう。大人ってのはそんなもんなのだ。常に患者は置いてきぼりだって事を忘れてはならないと思う。
勧めた人間自身に責任が無ければ簡単に言い逃れする。医者が飲めと〇〇に勧めたからだの、このような症状が出たら精神科や心理士に相談しろだの、なんだのかんだの…。
そんな世間一般のルーチンはこっちも知っている。こっちが知りたいのは、そもそも、何で会社や学校や家族が、その人間を〇〇病だと遠巻きに指差し、主観的な判断しか診断材料の無い精神医療へ繋げ、向精神薬で狂わせてしまい、結局は再度責任逃れしているかという事だ。

感覚的なものである事を前置きとして書くが、人間は誰しも傷め、痛め、場合によっては傷め続け、痛み続ける場合も時としてあるだろう。痛みは精神を病み、精神の病みは身体症状へもオーバーラップする時とてある。その絡みでキャンペーンを打ったのが「うつは痛む」としたサインバルタであった。3~4年前位だったか。
当時、テレビコマーシャルは視聴者等から「怖い」と言う事で打ち切りになったようだが、さて、これも痛みを抱えた人間に対して恐怖を煽る不安ビジネスの1つである事が分かる。まぁそんな話しは置いといて、以前もチラと書いたが、臨床現場に立っていると、ベンゾ系を服薬している患者群というのは極めて多い。勿論、全員が全員、ベンゾ由来の諸症状を呈し、それに応じた対応をしている訳ではない。以前も書いたが私は患者自身から話しを持ち出してくれない限り、薬物系の話しには一切対応せず、あくまでベンゾ系以外の他症状と付き合っている。
長く生きている人間ほど、過去から現在に至るまで様々な経験をし、服薬するに至る迄のエピソードも持っている事だろう。それが小さな出来事でも大きな出来事でも何でも構わないし、寧ろ、出来事の大小なぞ他者である私が評価する事も出来ないだろう。当事者がデカイと思えばデカいし、大した事も無いと思えば大した事もないのである。
多くの患者がベンゾ系の服薬に至る理由は「不眠」や「不安」、他、各種検査を行った上で目立った異常もない事から世間一般で言う「自律神経失調症」としての処方が多いと思う。
では、それらの症状が仮にも薬物で症状が軽減~改善されているとしよう。私は薬物に対しての危険性も訴えている反面、現場ではこれらの向精神薬を服薬して症状が改善したという話しも聞いている。それは私に限らず、他の方々も同様な話しは聞いていると思う。
そのようなエピソード(服薬~改善)を抱えている人間に対して危険性を訴えても暖簾に腕押しどころか、「この人、ヤバイ」で終わるだろう。眠れないのが眠れるようになり、不安感が払拭され、各種自律神経系異常が軽減されているのだとしたら、それは薬物に恩恵を受けている事を患者自身が1番自覚している事であり、その段階では介入する必要性は一切ないのかもしれない。
人間という生き物は、自己を防衛する生き物でもある。自己を否定されると逆に強固になる。だから私は現場では常にフラットであり、意見を求められたら意見を話す事しかしない。現に、今私が書いている内容とて、服薬中且つ薬物の恩恵を受けている患者にとっては訳の分からない話しをされているという感覚でしかないだろうから。
さて、人間と言うのは何時気が付くものであろうか。結果的には今信じて行っている物事(今件の場合、医療というカテゴリ)で、自身の身体にとって害悪である事に気付いてからである。それが服薬直後に副作用で倒れたとかであれば即時的に気が付けるだろう。
しかしながら、数ヶ月~数年と服薬し、恩恵を受けてきたと感じている患者が、その後、謎めいた中枢神経系症状を呈してきた時(この場合、副作用や常用量離脱)かと言えば、未だまだ、この段階では患者は分からない。仮にも医療機関に病状を告げに足を運んだところで、中長期服薬に伴う副作用や常用量離脱の発現に関して同意をし、減薬を提案する医療機関など、患者が強く訴えない限り、ない。多くは現疾患の悪化と捉えられ、薬物の増量がされるか切り替えられるかが関の山である。
一定層は、この段階で気づく。薬物が急激にスイッチされた事により、以前服薬していた薬物がゼロとなった事で、急性的な離脱症状を発症する場合もある。ベンゾ⇒SSRISNRI等という切り替えも少なくないからだ。ここ数年は、「うつ病は誤診で、実は双極性障害でした」と言うプロセスが流行している為、尚の事急激な離脱症状を発症する患者層も増加傾向であり、この段階で患者自身が医療機関を経由せず調べ、脱出する事も可能だろう。
しかしながら多くの層は、其処まで自身で情報収集をしない。出来ない環境にいる人間も少なくない。近場に本屋も無ければネット環境もないケースなぞ、地方地域ではザラにあり、情報源は処方した医師のみという場合も多い。セカンドを求められない環境と言うのは、如何せん辛いと思う。そんな中、気付いた方のエピソードを以下に。

『まだ主治医を信じていたんだと思います。離脱症状と気付いて以前通っていた心療内科へ行きました。何を期待していたのか自分でもわかりません。
私「薬をやめてから体調不良が続くんですけど離脱症状じゃないですか?」
医「離脱? 離脱は2、3週間で終わるよ」
私「じゃあ今の症状は何ですか」
医「ストレスがかかっているのかもしれないね」
私「離脱症状という可能性はまったくないのですか?」
医「私は離脱とは思わない。神経症だよ」
私「神経症? 私は不眠症で薬を飲んでいたんですよね?」
医「いったん以前のことから離れてみよう。今の症状だけをみていこうよ」
この時はセルシンを処方してもらって帰りました。アシュトンマニュアルを読んでいたので飲み直すのならセルシンと思っていたのです。主治医は本当に離脱は2、3週間で終わると思っているようでした。薬を受け取るときに薬剤師にも訊きましたが同じでした。これだけ離脱症状が続く可能性は低いと言われました。
もしも離脱症状ということをネットで調べなければ医者が言うように新たな病気にかかったと思ったかもしれません。そして薬を飲み、いつまでもやめることができなかったかもしれません。ある日は目を覚ますと全身が大きくガタガタと震えていたことがあります。痙攣といってもいいかもしれません。本当に本当に恐ろしかったですある日は心臓がばくばくして恐怖、不安でどうにかなりそうになりました。あまりにも恐ろしくて救急車を呼ぶべきか本当に悩みました。立っているのも辛い。座っているのも辛い。横になっていても辛い。
14年飲み続けました。「一生飲んでも安心なお薬」「私も飲んでます」と説明したくせに、離脱が出ると「律儀すぎる」と開き直り、止めたい旨伝えると「止める時期ではありません」と責任回避します。止める方法はと聞くと「半分にして、半分にすれば止めれる」といいかげんなことをいいます。責任問題については「私は医師法で守られています」と返答します。自分は特別な人間で、騙される方が悪いし騙して薬を飲ませるのが彼の能力と考えお金のことと、出世のことしか頭に無いのが精神科医です。減らしたところ、「ALS様」の症状が出ました。肩こりで処方されましたが、カルテには別のことを書いていました。彼らを信じていては「死」が訪れるだけです。』

他者に対して脳へ作用を及ぼす薬物治療を勧めた場合や医療介入を勧めた場合ってのは、その人に対しての人生ごと全責任を負う位の覚悟が無ければダメだと思うんだけど、結局最後は患者だけ取り残されて周囲は知らぬ存ぜぬという態度を取られてもね。
それで患者が回復する事もないし、結局は中長期的に休職から離職へと追いやられたり、長期的に学校を休む羽目になったり、家の中でも居場所が無くなるケースというのは少なくないのね。
幾ら忠告しても「そんなの知らなかった」と反論されるのがオチですが、知らないものを誰かに勧める事自体が既に問題。

DSM 5をめぐって Dr Allen Frances に聞く。
アレンフランシス氏と大野裕氏の対談の全文を入手した。見過ごせない記載が多数見受けられるので、紹介したい。インタビューでは、DSMⅣ作成委員長であったアレンフランシス氏が、いかなる意図でDSM4を編纂し、それが広まった結果それがどのように影響したかについて述べている。
アレンフランシス氏はDSM5における幾つかの新たな診断基準の導入に反対する立場である。そもそも、DSM4がアレンフランシス氏のいうような公正な立場で編纂されたとは到底思えないが、この対談で彼らが述べていることは、日米の精神医療の権威の発言として、重く受け取らねばならないものである。
内容から重要な発言を取り上げてみたい。ここ数年かけて何度も被害者が主張したことが、DSM4の編集責任者によりと語られています。ここでは、要点を私が抽出したので、正確には全文を参照してください。
以下はアレンフランシス氏の発言です。
「米国ではDSM4に基づく3つの疾患が急増しました.注意欠陥障害は発生率が3倍になり、自閉症は20倍に増加しました。また小児双極ll障害の発生率は製薬会社の宣伝も手伝って20倍増加したのです。」
「注意欠陥障害(ADHD)では 、15%の増加を予測したが実際は300%の増加であった。その増加の理由は、製薬会社によるダイレクトマーケティングによる病気喧伝と注意欠陥障害が過小評価されているということを医師や学校関係者、保護者に思い込ませた。」
ADHD自閉症と診断されている人達の多くが過剰診断されているとの証言
「注意欠陥障害の診断でもっとも正確な予測因子は8月生まれか9月生まれかであった。8月生まれは注意欠陥障害と診断される率が高い。」
*8月とは米国での学年を分ける月である。
つまり日本では3月。発達過程の違いが診断影響していることを示唆している。
「DSM4以前では、自閉症の発生率は5000人に1人か、2000人に1人の数値であった。アスベルガーを加えることにより、米国では88人に1人、韓国では38人に1人が自閉症と診断されるようになった。またそう診断された方がメリットがある状況がうまれた。」
*病気と診断されるメリットが誤診をさらに進めることがあるとの証左。
 また近年自死が急増する韓国がいかにこうした診断が浸透しているのかが分かる。
「精神科の診断を法医学的判断、障害判断、学校の判断、養子縁組の判断などから切り離すべき。」
「米国では精神科診断が正常な人の領域にまで拡大し日常生活のさまざまな問題を抱えた多くの人が精神障害を抱えていると誤診されそして本当に精神疾患を病んでいて診断がきちんとされれば生活が大きく向上し 場合によっては命を救うことになるかもしれないという患者さんたちに適切な注意がはらわれていないという問題があります。米国では誤診が多く 、日常生活の問題や失意を精科疾患として病名を付けるのが非常に多いのです。」
「弱年層や高齢者に対し地域サポートを提供し生活の場で助ける地域予防プログラムがあることは非常に重要なことだと思います。ただ そういうプロクラムの恩恵を受けるために精神科診断が必要であると考えないほうが良い。」
「DSM5の信頼性はとても受け入れられない。」
「子供の双極性障害の診断急増は不祥事。」
「誤解を生みやすい考えの一つが、精神科の問題は全て化学的アンバランスによるもので、服薬で病気が治るという考え方です。この考えによって製薬会社は過去30年に渡って薬を売ることが出来た訳です。」
双極性障害Ⅱ型を作ったのは、患者さんを抗うつ剤による医原性の弊害から守るためだった。文献をしらべると、抗うつ剤を服用中に躁状態に変わったり、躁鬱のサイクルが短くなったり、双極性患者と似た症状を様々な形で呈する患者がいたから。しかし実際にはDSM4以降、双極性障害の発生率は2倍になった。」
*うつではなかった、双極性障害だったという診断がいい加減であるという証左。
「ある診断が広く行われるようになったら疑うべしという事です。人間はすぐには変わりませんが、物の名前はすぐに変わります。もし突然多くの患者さんが同じ診断名をつけられるようになったら、それは患者がかわったのではなく、考え方が変わったからであり、考え方が変わるのは、多くの場合、製薬会社が自社製品を売るためにその病気のマーケティングを動かしているからです。」
米国精神医学界の権威により裏付けられたことは喜ばしいことです。ADHDやアスベルガーなど発達障害、早期介入の議論において、推進派に反論の余地がないほどの明確な説明です。しかし、いまさらながらに精神医学界の中からこうした説明がされると、意見が否定され続けてきた怒りに代わって、では不必要な薬物治療により命を落としたり、健康を害したり、仕事を失ったり、家庭を、人生を失った被害者に対してどう責任を取ってくれるのかという怒りが湧いてきます。
これはDSMにより薬が必要のない大勢の人々が医原性の病気にされていることが証明する有力な証言です。アメリカでは、このアレンフランシスを始めとして、様々な学会がDSM5に公然と反対声明を出しました。オーストラリア発の「子供への早期介入」も彼等やヒーリーらの努力で阻止されつつあります。
残念なのは、この日本で医療側から積極的に我々の主張を後押ししてくれる人間が現れない事です。 このままでは、この国はほんとうに滅びます。これからは、薬害被害者は、医原性の精神疾患患者と正しく診断され、医原性の薬物依存者として治療され、医原性の障害者として救済されるべきです。被害者が、精神疾患患者として生きるしか方法がない状況こそ、最初に改めるべきことです。

余談…
今件の連休も各地域で様々な種のスポーツ競技が行われていたようです。針治療は整形領域内であるスポーツ障害系疾患に対しては奏功性が高く、治療反応も極めて高いものです。
そんなスポーツ障害系を抱えた患者は病院に行っても「休めば治る」と言う「そりゃそうだけど…」的なルーチンである為、そこらをウロウロしている自身の身体の使い道や目的の無くなったジジババよりも治療に対しては積極的な姿勢を示しますし、前に前に進む為には自分の身体が痛くては前に進めない。
即効性を求める方々は既に病院という選択肢はないんではないかな。そもそも病院行っても湿布と電気と牽引とトリガー注射程度で休養を命じられても競技者にとっては無理なのです。
そしてその反面、人間と言うのは、自身の身体の使い道が無ければ少々悪かろうが治そうとしない生き物である側面も見えてきます。競争心が無くなった時点で自身の身体もどうでも良いのでしょう。
年代別関係なくですが、競技で身体を壊してでも勝負する、限界を日々超え続けて他者よりも一歩でも前に抜きん出る。しかしながら、勝負ってのは勝つ人がいれば負ける人もいます。負ける事は悔しいでしょう。でも、悔しいから前に進めるってものです。
10代の若い選手が悔しがる姿を見てたらオジさんの涙腺も緩むってなもんですね。鴨肉が名物だと聞いてたものの、トンカツが出たけど何てことない位の感動はある(笑)
     藤原 航太さんの写真

参考関連(クリックでリンク先にジャンプします)

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  ~針治療から病態定義の見直しを~