藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

積極的治療の功罪/高齢及び脊椎変形に伴う解剖学的死腔の存在を大腰筋刺針から知る



「積極的治療の功罪」

何かしかの症状が生じた場合、症状の内容や状態よりも発症原因の探求が一般的であると思う。
突然、上肢や下肢に激痛が生じたら、身体内部の異常を探求したいという欲は、
願望を満たす1つの行為でもあり、原因さえ分かれば、
その原因に対して処置を施す事で何とかなるだろうと思案するのも、また一般的な思考であると思う。

それを咎める理由や権利は誰にもないし、且つ、
事前検査が済んでいれば患者から得られる情報の価値は高くなる為、
「~だろう」的な不安感も術者側には生じにくい。しかしながら、
それで全ての不安が拭えたとは言い切れないのが人間の難しいところでもある。

もしかしたら私達は一般の人に比べれば、
各種疾患に対してのデータや症例を多く保有しているかもしれない。
それは、現代医療が施す治療内容や治療成績、中長期に渡る症状の経過、再発率、
そして調べようと思えば、これらのデータの嘘まで追う事は出来る。

しかし私達は、そのデータがあるからと患者が直接的に納得する材料には
結びつかないという事も認識しなければならず、仮に針治療なり何なりで効果が生じたとしても、
不安の払拭に繋がるかと言えば、全てがそうでもないかもしれない。
簡単な例を挙げると、針治療で中長期的に腰下肢痛が皆無になったからと言って、
椎間板ヘルニアという器質的異常の事実を抱えている以上、
常に私達の言葉を信じていない場合もあるという事である。

それはもしかしたら、他の保存的治療で改善した患者群であったとしても、
同様な不安を抱えているかもしれない。器質的異常を抱えている以上、
またいつか爆発するかもしれないという恐怖に怯えているかもしれない。

不安は不安を助長し、周囲を巻き込んでいるかもしれない。
乳がんを発症する前に乳房を切り落とす女性のように、無症候にも関わらず、
脊椎変性疾患に対して、患者意志で手術をするかもしれない。
多くの疾患に関しては、「良くなればそれでOK」という思考ではない人も
沢山いるのではないかと言うのを感じる。考え過ぎと言われればそれまでかもしれないが、
針治療というのは仮に症状が消滅したとしても疑心暗鬼に思われる世界がある事を知った。

では、何故症状が消滅したとしても不安に思い続ける患者が存在するのかを考え、
これらの思考を持つ患者に対しての対策を練らなければならない。
ここを突破しなければ、治したという実績は積み上げても信頼は積み上がらないと思う。

1)疾病利得やそれに類似する背景を抱えている患者
2)治る症状にも関わらず患者意志(もしくは身近な人間の伝達により)で治る事を諦めている患者と諦めさせている患者家族
3)治るという意味を履き違えている患者

の3群は、そもそも針治療をチョイスする確率は低いと思われるが、
知っていても損はない事がある。何故ならば、受療確率は低くとも仮に受療した場合、
積極的治療が施される事で場を乱される可能性があるからだ。場を乱されるというよりも、
自ら治そうという気持ちが伴わなければ治らないのが現代医学が真の力を発揮する
領域外の疾患であり、且つ領域外疾患は多方の患者に発生する事象であり、
事前に既知してもらう事で治癒速度に直結する事を知ってもらわなければならない。

似た話しを某人としていたら同じだと笑っていたが、現実は何処もそんなものであり、
積極的治療を施す側は常に真実と深みを追いかけ続ける為、
患者が保持する治癒意識や疾患概念との温度差が掛け離れてくる。
仮に症状の消滅が生じたとしても患者は逆に不思議がり不安がる。

こちら側にとっては当たり前の治効理論も、人は未知の時間が生じた場合、不安になる。
それが既成概念を打ち破り続ける積極的治療の功罪である。そして脊椎外科医は、
脊椎変性疾患という所見が保存的治療で症状が消滅すると立場的にマズイようだ。

一体何の話しかと言えば、患者依存の医療以前に、名誉欲や権威欲が渦巻き、
患者の治癒を邪魔しているのである。私はどんな診断名が付いていたとしても、
どんな薬を飲んでいたとしても、その事自体を問題とは思っていない。
診断名が付くのは、何かしかの症状を抱えて病院にでも行けば得るものであるし、処方される。

問題なのは、事実から生じる事実は幾ら目を背けても事実として生じる事実がある事を
知ってもらわなければステップが踏めないのも又事実なのである。
これらの事情を患者が既知しての事なら話しは早い。

では、既知していない場合はどうするか。
ここが問題なのだが、各種領域によっては同一疾患に対しても、
病態の概念が全く異なるのが障壁となる。只、恐らく病態の概念は統一される事はないと思うし、
ここまで医療が発達したのは統一されなかった(できなかった)からこそなのかもしれない。

そのように考えると、患者が仮に何かしかの症状を呈した場合、
患者自身の疾患に対しての分析や認識と、術者(もしくは教科書)が提示している分析や
認識がリンクして、症状が改善するか否かは別として、初めて治療というステージに上がる。

さて、前置きが長くなったが、現代医学は救急救命感染症と産科で力を発揮する分野であり、
異論はないと思う。ではそれ以外の分野は如何だろうか。
元も子もない話しをすれば、全ては患者依存で生じる疾患になる。
患者依存で生じる疾患という事は予防が可能である。
予防が可能であるという事は自己の生活態度で如何様にも制御出来る事を意味し、
自己の生活態度で如何様にも悪くする事も出来れば良くする事も出来る。

では、その諸症状の発生源となる根が何かを知れば良いだけの話しであり、
一生治らないような悍ましい病名が付いていたとしても、
発症時期や発症状況、発症患部、発症部位に偶然居合わせた神経や血管走行によって
各々異なる症状を呈しているだけなのではないかと言うのを、
針治療という手段「しか」していなければよく分かる。(勿論、壊滅的に不可逆化した細胞は難しいが)

ここを一歩一歩各論的に論じていけば、
今後の積極的保存治療にカテゴリを置く針治療の価値や意義は一気に伸びていくはずである。
そこでブチ当たったのが向精神薬の反応により(敢えて作用や副作用とは書かない)
中枢神経系の諸症状を呈し続ける患者群との対峙であり、
様々な既成概念により招かれる治癒遅延の問題なのではないかと言うのが
データを取り続けていれば見えてくる。

前も書いたかもしれないが、針治療で早期回復、早期社会復帰が得られる患者群というのは、
切った張ったを繰り返され、後が無い患者である。
少しでも手術や薬で何とかなるという余地思考が在る場合、自助努力が伴わない。
医療という壁が余りにも巨大で美しく寄り掛かりたくなる存在に見えるのかもしれない。

どうしたもんだか、医療というのは改めて恐ろしい世界である。

「高齢及び脊椎変形に伴う解剖学的死腔の存在を大腰筋刺針から知る」

「高齢」と一括りにするのは不憫な話でもあるが、高齢という年齢的な基準よりも、
加齢に伴う構造的な異常というのは多かれ少なかれ発生する。
それが50年程度の人生であった時代であれば未だしも、
00年でも生きる時代に突入し、医療は高齢という構造的異常から派生する問題や、
脳血流量減少に伴う様々な脳神経系由来症状に追いついていないのが現状である。

人間は何れ死ぬ生き物ではあるかもしれないが
せめて生きている内だけでも心身の状態は常に活発であってほしいと節に願っている。
改めて考えてほしい。
人間の細胞は何によって栄養されているかであり、その栄養供給が不安定な状態に陥る、
陥った為に凡ゆる機能異常が生じる事は恐らく誰でも学んできた事である。

さて、今の手段は逆行させていないかを考えた事があるか。
例えば、今、漫然と肩や腰に貼り続けている湿布の作用と、
今、漫然と痛み続けている症状の作用とのマッチングしているか考えた事があるだろうか。
たったそれだけでも考える事で、今後の将来に渡る様々な取捨選択も可能となる。

では、それを踏まえた上、既に構造的異常の極みに至った患者群との対峙は当たり前のようにある。
100歳生きた人間、100年間使い続けた身体を元に戻す事なぞ出来ないだろう。

それでも尚、痛みが無くなり、曲がった腰が伸び、歩行距離が伸び、
自身の身の回りのものだけでも他人に頼らない生活を送る事が出来たら
どれだけ素晴らしい人生を送る事が出来るか。

…椎体間の狭小化、側湾、すべり等々の脊椎変形、それに伴う筋走行率(伸収縮率)、
血管や神経走行の変異、種々靭帯の肥厚、癒着、既往として腰部術後に伴う浅層~深層に
至る迄の術後の癒着等々を抱える患者とは高確率で遭遇する。

ヤコビーの基準等、もはや意味をなさない。
(これは私自身、年齢関係なく意味を敢えて持たないようにしている。先天性の奇形により腰椎が6つ存在したり、円背も強度になればL1やL2等の高位がヤコビーに存在する例なんて珍しくない)

押し手で棘突起を触知しながら椎体の形状と幅、治療姿位に伴う脊椎の捻れを3Dで立体描写し、
肋骨突起間の感触を得ながら刺入する。極度に変形が伴う円背患者なぞ、幅は数ミリしかない。

しかも浅層から肥厚及び経年に渡る持続的な筋収縮に伴う硬さなぞ3番でも入らない。
5番でも入らない。8番でも負ける。マジで10番?
痛覚受容器も減少した高齢である為に治療由来の疼痛もないようだからまぁいっか。

「〇〇さん大丈夫?」

「おー全く痛くねーぞ」

「(まじかいな)」

※「スコっ」

「ん?」

大腰筋ではない。そして大腰筋と腰方形筋のコンパートメントに刺入された感覚とも異なる。
これは完全なる解剖学的死腔が極めて高度に円背傾向を示す高齢患者に存在する事を意味する
感触の喪失である。敢えて更に椎体に刺入角度を狭めていくと、
筋組織であるだろう感触を針尖に感じた。その硬さ。患者の人生、生き様を見た瞬間であった。
   
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