藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

【転載】まったくもってこの10年は悪夢の連続です 1

 クリックすると新しいウィンドウで開きます
                       ※写真はイメージです。

 
※当院注釈※
 
登場している吉田さんと同様の境遇に苛まれている方って相当数いるかもしれません。
診断名も時代によって流行り廃りがあります。
流行り廃りのある病気なんて、そもそもが存在しない病気なのです。
 
癌なら癌、脳卒中なら脳卒中動脈硬化なら動脈硬化心筋梗塞なら心筋梗塞。存在します。
では、2001年にパキシルを処方された吉田さんは何でしょうか。
 
『2001年頃って「鬱は心の風邪」キャンペーンでGSK社がパキシルSSRI)を売りまくっていた時だよなぁ』
程度で十分です。向精神薬を漠然と飲んでいる方は、自分の病気なんて存在しないという事を
理解する事が大切です。薬を飲み始めてから何かに具合が悪くなる機会が増えていませんか?
 
               
 
               
 
              
 
  
 
このような事を書けば、「気持ちが楽になるから飲んでいるんだよ」という反論もありますが、なんてことはない。
それは○○病患者でも△△病患者でも□□病患者でも何でもなく、薬物中毒患者って言うのです。
 
なんでこんなキツイ言い方するかって書きましょうか?
薬物中毒患者とは随分と会ってきましたが、
彼等彼女等は都合の悪い情報を全てシャットアウトします。
治りたいと言ってる割に、紹介した資料も読まなければクリック1つもしません。
良い子良い子して好きなように薬を出してくれる精神科医にくっつきます。
これではいつまで経っても治る訳がありません。
患者を想う看護師や薬剤師は傍若無人な処方に辞めていく。疑義照会でクビになる。
 
「一生、この病気と付き合う」ではなく、
「一生、向精神薬の調整に付き合う」という状態になっていませんか?
 
薬を飲んでいる間、寛解はあっても完治はありません。
常に宙ぶらりんで危険なヤジロベー状態である事を認識しなければなりません。
副作用、常用量離脱、長期化した服薬歴による体力減少が伴えば減~断薬時の離脱に耐えられる体力もない。
大切な人生を、たった一個の薬で左右されるのは勿体無いとは思いませんか?
 
ジストニアだジスキネジアだアカシジアだパーキソニズムだALS様症状だ何だかんだで
えらいこっちゃになる前に軽微な状態で気づく事が出来なければ、
自身で努力する事すら出来ない状態に陥る可能性だってあるのです。
周囲に理解(知識)があれば持つものの、理解(知識)が無ければ精神病棟一直線です。
 
は、前項を踏まえた上で読みすすめていきましょう。
精神医学がでっちあげ医学である事を知る事が出来るかもしれません。
「心と体の両方からアプローチ」された水面下で巻き起こっている事

吉田さん(仮名・44歳)という男性からお話をうかがいました。
10数年におよぶ精神医療とのかかわり、その中で、
吉田さんの人生は大きく変化していきました。なぜ、こういうことになったのか? 
少なくとも現在のような精神医療でなければ、こういう成り行きはあり得なかったのだろうと思います。

吉田さんが最初に精神科を受診したのは、今から13年前の2001年のこと。
当時、吉田さんは会社員として、海外出張も多く、残業も月に100時間を超え、
週に2回は終電に間に合わずタクシーで帰宅という超多忙な日々を送っていた。
さいころから父親の仕事の関係で海外で過ごす時期が長かった。
 
本の学校は中学校しか行っていないという。小学校はタイの現地の学校、
高校はアメリカの公立高校、大学は再びタイに戻って現地の大学を卒業した。
前述のとおり、仕事は激務で、吉田さんが体調の変化を感じたのは2000年頃のことだった。
 
朝起きるとめまい、吐き気、考えがまとまらない等の状態が続き、
吉田さんとしてはしばらく時間がたてば治るだろうと我慢をしていたのだが、
いよいよ仕事にも支障が出て、人間ドッグを受けることにした。
 
結果は、異常なし。
そのため、ドッグを受けた病院から心療内科の受診を勧められたのだ。
提携病院へ紹介状を書くと言われたが、吉田さんはそれをり、
自分でネットで病院を探すことにした。
当時はまだネットの情報量も少なく、はっきり覚えているのは、
(受診を決意したのは)UTSU-NETというサイトでした。
漫画で、”医者は病気のプロ、悩んでないで受診しなさい!”といった趣旨の項目に目がとまり、
家から一駅先にあるメンタルクリニックに行くことにしました」という。
初診では、オーバーワークが原因との説明を受け、薬が処方された。
医師は、「病名は明かさない。患者が思い込むと治療に影響がでるから」と言い、
吉田さんはそんなものかと思い、処方された薬を飲み始めた。
「今でも覚えているのは、そのとき処方されたのはパキシル40㎎。
これは断薬に苦労したので、用量もはっきり覚えています」

ちなみに40㎎はパキシルの最大処方用量である。
しかし、吉田さんの状態は改善せず、
その後、主治医は以下のものを次々、とっかえひっかえ処方した。
*サインバルタ *エビリファイ :副作用が強くすぐやめてもらった
レキソタン52 *リーゼ  *眠剤として *ドラ-ル  *ユーロジン

 
結局、吉田さんはこのクリニックに2010年まで通院することになるのだが、
その間、主治医が3度変わった。どの医師も淡々と薬を処方し、
特にドクハラと感じるような理不尽な扱いを受けた記憶はない。

しかし、である。
薬の副作用は徐々に吉田さんを蝕んでいった。
当時、吉田さんは薬を飲んだことで「仕事がバリバリこなせている」と感じていた。
それどころか、非常に気持ちが大きくなり、自信満々の毎日。何十人も前にして、
堂々とプレゼンテーションを行ったり、新規プロジェクトを遂行したり……
表面上は「無敵な気分」だったという。
自分が大金持ちになったと錯覚した。
給料は平均より多かったことも余計にその錯覚を助長したのかもしれない。
100万以上もする腕時計を一目見ただけでカ-ドで購入。
しかも1個だけでなく、何個も買い、スーツや私服はブランド物を買いあさり、
旅行は決まってビジネスクラスである。その他浪費は想像を絶するものだった。
 
一応、名前の通った会社だったため、カード会社の信頼があったのだろう。
いくら使っても限度額はなかったという。
しかし――、
「そんなお金、もちろん、給料からまかなえるはずがありません。
ボーナス一括払い、最終的にはリボ払いとなりながら、それでも、
何とかなるとお金について真剣に考えたことはありませんでした」
そのうえ、会社でも異常な行動が目立ち始めるようになった。
 
上司、部下に対して尊大になり、突然キレる、会議中自分の意見に反対する人をとことん追い詰める。 そんなふうにして、吉田さんのせいで退職していった後輩、部下も数名いたという。
日常生活でも攻撃性が出ていた。包丁を持ち出して、両親に向かって、死んでやる!と叫んだり、
「これからマンションから飛び降りる」と最上階まで行ったりしたこともある。
また、当時交際していた相手と口論になり、
衝動的にホームから線路に飛び降りて 電車を止めてしまった。
 
そのときは、線路を走って逃げたという。
このような状況から母親が不眠となり、
のちに吉田さんが通院してひどい目にあう病院に通院することになった。
母親が言うには、2回目の診察で「薬を飲んでも眠れない」と担当医に告げたところ、
即入院を勧められたそうだ。
また、その頃のこと、ベンゾ系の薬を複数飲んでいた吉田さんは、
意識をなくして 床に転倒し、額から血を流して倒れているのを父親に発見されたこともあった。
こうした経過の中で、当然のことだが、体が悲鳴をあげるようになった。     
 
会議中突然意識がなくなり、眠りこけたり、始終体がだるく、
点滴を打ちながら勤務を続けるという状態で、周囲も、なんとなく「おかしい」と
感じていたのかもしれないが、それでも、仕事の評価が高かったこともあり、
会社からは特に注意等は受けなかった。
こんな状態が2010年、最後の担当医の「薬を整理しましょう」という言葉があるまでずっと続いたのだ。

担当医も吉田さんのテンションの高さを薬のせいと疑ったのだろう。
当時飲んでいた薬を少しずつ減らしていった。
吉田さんとしては当時は特に体調の変化の自覚もなく減薬が進んだが
(といってもその頃は離脱症状等もはっきり知っていたわけではなかった)、
パキシルの減、断薬には手こずった。 

40㎎のパキシルを週に10㎎ずつ減薬。
減薬中は、仕事の関係で、月のうち2週間を日本、
2週間をシンガポールで過ごしたが、その間、シャンビリやめまいを経験。
しかし、それが離脱症状とは気づかずに、何とか断薬に至った。
しかし、しばらくすると、人前で話をしていると頭がぐるぐる回り、
めまいが起こるようになった。薬をやめたから、
うつが再発したのではないかと吉田さんは思った。
めまい等の身体症状だけでなく、焦燥感もあった。
 
今から思えば離脱症状だが、それに輪をかけて、
当時吉田さんの気持ちを一番追い詰めていたのは、浪費による借金のことだった。
そのとき数種のカードを含め、借金の総額はなんと2000万円以上もあったのだ。
もう自分でどうにかなる額ではない。
 
それでも、借金のことは見栄もあり、誰にも言えなかった。
医師にも言えず、焦燥感からただ泣きわめき、薬を処方してくれと懇願するだけだった。
担当医は困り果て、何種類かの抗うつ薬を提示して「この中からお好きなものを服用してください」と
言い、吉田さんはアモキサンを選んだ。ところが、そのことを知った家族が、
「患者に薬を選ばせるとは何事か。転院しなさい」という。
 
その言葉に従って、地元で一番大きな精神科病院に転院することになったのだ。
それがある意味で、何度目かの吉田さんの運命の分かれ目だったかもしれない。

最初吉田さんを担当したのは院長だった。
この医師は、口は悪いが薬を増やしたりすることはなく、
「君は重症患者ではあるが、焦燥の原因を解決しない限り改善には向かわないよ。
何があったの?」と吉田さんに尋ねてきた。
 
しかし、やはり借金のことは言えなかった。
結局、借金は、その後両親に相談し、何とか返済を済ますことができた。
吉田さんとしては、これで状況はよくなる、新しく出直そうと、
ずいぶん気持ちが楽になったが、そんな矢先のこと、院長が他の病院に移動となり、
主治医が変わることになったのだ。
 
年齢は吉田さんより若く(40歳前)、最初からこの医師で大丈夫?
の思いを抱いたという。その不安は見事的中してしまった。
吉田さんとしては、その頃は、心身の状態も安定し、あとは薬を減らして、
通院も不要になると思っていた。それが、この医師が担当になった途端、
再び多剤大量処方が始まったのである。
再度のパキシルを処方(抗うつ薬4種である)。
 
しかし、パキシルを再服薬したところ、意識がなくなり、
吉田さんは「このときは正直、命の危険さえ感じました」という。
主治医に電話したところ、「そうですか? この量ならそんなはずはないのですが」と言い
「20㎎錠だったら、半分に割って(10㎎)飲んで下さい」というだけだった。
吉田さんはパキシルは結局、服用しなかった。
 
一度やめた薬を再服薬すると、しばしばこういう過剰な反応を示すことがある。
おそらくその薬に対して体が「過敏」になっているからと思われるが、
そういう視点を持っている医師はほとんどいない。
以前の服薬状況を考慮することなく、処方を行っている医師がほとんどだ。
 
こうしたこともあり、吉田さんは主治医への不信感が拭いきれず、
病院に担当医の変更を申し出た。それなら代わりに院長(新しく来た)に
カルテを回しますとのことで、言われた通り吉田さんは院長の部屋に行った。
ところが、頭ごなしに「あなたは私の患者ではない。出ていきなさい」と
追い返されてしまった。病院側の手続きの問題なのか、院長の人格の問題なのか……。
 
ともかく、結局は、元の主治医に差し戻された。吉田さんがいう。
「この主治医は私の勤務先、育った背景に異常なほど興味を示しました。
何度も何度もそういう話を聞かれました」
そして、初診から3、4回目の診察でのとき、突然こう切り出したというのだ。
「吉田さんは入院の必要がありますね」
理由は言わず、しきりに入院を勧めるのだ。時には、あなたでは話にならないから、
両親を呼びなさいと言われたこともあったが、吉田さんは断り続けた。
 
そんなある診察日のこと、医師は、突然、
「吉田さんは双極性障害の疑いがありますね」と切り出してきた。
医師にそう指摘されて、吉田さんはネットで双極性障害についていろいろ調べてみた。
イーライリリーのホームページに行きあたり、内容を読んでみると、
まさしく自分の過去の症状に当てはまる。
 
そのときはまだ「薬剤性」とは考えてもいなかったのだ。
そこで、次回の診察のとき、吉田さんは医師に、
双極性障害かもしれません」とネットの情報から判断したことを正直に言い、
医師もうなずいて、それまで抗うつ薬中心の治療だったのが、
双極性障害の治療に切り替わることになった。
医師は薬の切り替えのためとしてまたしても入院を勧めてきた。 
 
しかし、吉田さんとしては、精神疾患で入院となるともう会社では立場が
なくなるとの思いから強硬に入院を拒否した。すると……。
「これはあくまで私の個人的な考えですが、
この医者はいよいよ医師としての奥の手を使ってきたんです」
つまり、抗うつ薬のほぼ一気切り、そしてデパケンジプレキサの処方である。
ちなみに、平成2349日 の処方は抗うつ薬3種を含む以下のようなもの。
 
*デプロメ-ル 25mx3(朝)25mx3(夕食後)
*トリプタノ-ル25mx2(朝)252(夕食後)252(寝る前)
リフレックス 15mx2(寝る前)
レキソタン5mx1(朝)5mx1(夕食後)
メデポリン0.4mx1(寝る前)

これが医師のさじ加減で、平成231029日には以下のように変更された。
ジプレキサ 2.5mx2(夕食後)
ロドピン25mx2(寝る前)
デパケンR 200mx2(夕食後) 200mx2(寝る前)
セロクエル25m 不快な時適宜
メイラックス2mx1(夕食後)
リフレックス152(寝る前)
メデポリン0.41(寝る前)
*デプロメ-ル25 0.51(朝) 

結果、離脱症状と新しい薬の副作用で、吉田さんは動けなくなった。
そして、意識朦朧の状態で診察に行くと、
「ほーら、入院が必要でしょう。手続きします。入院してじっくり治療しましょう」
と言ったというのだ。

「私は観念しました。入院を認めました。そして、もうダメだと、辞表をだし、会社を辞めました」
 
 
突然の辞表に会社としては吉田さんを遺留
(両親のところへ何度も連絡があったようだ)、しかし、吉田さんは入院中、
両親へは誰にも会いたくないと伝えて、会社側の休職扱いの申し出も断った。

【電話】 0173-74-9045 又は 050-1088-2488
                             (携帯 090-3983-1921 Cメール可)
【診療時間】 7:00~21:00 時間外対応可
【休診日】 なし 土・日・祝祭日も診療しています
【PCメール  
fujiwaranohari@tbz.t-com.ne.jp お返事には数日要する場合も御座います

  ~針治療から病態定義の見直しを~