藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

【転載記事】その陽はまだ沈まない~精神医療の犯罪 1


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仮に「精神病」とやらが存在したとしても、「精神病」は死ぬ病ではありません。
しかしながら、精神病院での異常な死亡退院数には理由があります。
1つは薬による強烈な副作用と、もう1つは暴行です。下記は単なる1例、氷山の一角です。


読売新聞の「医療ルネサンス」(佐藤光展記者)で以前(2012年1月24日)
精神科病院 謎多いけが』というタイトルで取り上げられた被害である。

保護室内で、看護師による暴行を受け、頸椎骨折をして首から下が麻痺してしまった。
暴行が起きたのは2012年1月1日午後4時頃のこと。
この件に関しては現在も裁判が続いている。
しかし、事件後、ケイジさん(被害男性・仮名)は頸椎骨折治療のため県内の
大学病院(帝京大学附属ちば総合医療センター)に入院し、
さらに療養型の地元の病院に転院後、残念ながら、今年の4月28日、亡くなられた。
死因は、「低栄養」と「肺炎」――お姉さんが医師から口頭で伝えられたのは
この二つだが、死亡診断書には、「呼吸不全」とあり、備考欄に「頚椎骨折」と
書いてあった。享年36歳。
じつは私は、先日、ケイジさんのご家族(ご両親、お姉さん)に
会いに千葉まで行ってきた。
昨年のいつ頃だったか、一度千葉地裁まで足を運び、裁判を傍聴しようと思ったが、
裁判は非公開とのことで、叶わなかった。その後、担当弁護士に依頼され、
裁判を公開で行うよう(このような事件はぜひ裁判を公開にして、
より広く世間一般の人に知ってもらうべきであると)
裁判長あて「上申書」を提出したが、残念ながら、その後も非公開のままである。
じつは、ケイジさんのお姉さんは、ケイジさんの無念、家族の無念を晴らすため、
この事件、裁判の経過について詳細なブログを立ち上げている。
 
弟のこと。~その陽はまだ沈まない~  http://gunter75.blog.fc2.com/

一人でも多くの人に、こうした精神科病院の実態、
その闇で何が行われているのかを知ってもらいたい。
そして、私も私なりに、お姉さん、ご両親の思いを受けて、
聞かせていただいた話から、この記事を書いてみたいと思う。
 
「石郷岡病院」における暴行事件
そもそも、密室である保護室で行われた暴行がなぜ明るみに出ることになったのか。
それは、保護室内に取り付けられた防犯カメラの映像があったからである。
私もその映像を見せてもらった。部屋を真上から撮っている。
横たわるケイジさん、おむつかえのために部屋に入ってくる准看護師(男性)2人。
おむつかえに手間取ったものの、ようやく終え、
ズボンをはかせようとしている段階で、 
一人の職員がケイジさんの胸から下に覆いかぶさり、
膝で腹部を押さえつけた。ケイジさんが苦しそうに手を動かすと、
その職員が払いのける。ケイジさんはもがくように足をばたつかせ、
その足がもう一方の職員に当たった。すると職員は突然立ち上がり、
まずケイジさんの頭部側面を足で蹴りつけ、次に頭頂部を蹴りつけた。
この時、監視カメラの映像は、ケイジさんの髪が乱れるのを捉えていた。
次にその職員は、ケイジさんの顔面を踏みつけた。
その後、もう一人の職員が、ケイジさんの背後に回りこみ、
蹴った職員はケイジさんの股を無理やり開かせ、
足首を足で踏みつけながらズボンをはかせたのだ。
その後、顔面を蹴りつけた職員は、もう一度ケイジさんの大腿部に蹴りを入れた。
おそらく蹴ったために出血したのだろう、
職員はタオルでケイジさんの顔面を拭っている。
そして、映像は、仕事を終えた准看護師たちが部屋を出ていく場面を映すが
布団をかけてやるわけでもなく、やることをやり終えたらさっさと出て行くといった
感じ。そして、出口近くで、一人の准看護師が足元にあった枕を横たわる
ケイジさんの方へ投げつける。
映像は淡々とケイジさんの姿を映し続ける。
そして、10数時間後の1月2日。
仰向けに横たわるケイジさんの下半身がまったく動いていない。
巻き戻してみると、もう数時間も同じ角度に両足を開いたまま、
微動だにしていないのが見て取れる。その間に職員は食事やおむつかえに
ケイジさんを見ているにもかかわらずだ。
そして、ケイジさんは1月3日になってから、
帝京大学付属ちば総合医療センターに救急搬送された。
そのとき、自発呼吸もない状態だった。
音声のない映像を見ながら、
私は正直、胸がむかむかするのをこらえるのに必死だった。
これは「医療」「看護」とは程遠い、犯罪行為そのものである。
この事件を起こした病院の名は、千葉市にある「石郷岡病院」。
同じ名前の有名精神科医が、最近別の意味で有名になった
大学病院の教授をやっているが、彼はこの病院の理事長でもある。
裁判の経過のなかで、病院側としてはこの行為をさまざま主張しているようだ。
最初は、ケイジさん自身による「自傷行為の結果」という説明だった。
しかし、ビデオの映像から、どうもそれが通用しないとなると、
今度は、ケイジさんが暴れたため、やむを得ず足で「軽く」押さえつけたと
主張を変えた。しかし、ビデオを見れば一目瞭然。
準看護師がどうにかしなければならないほどケイジさんは暴れていないし、
「軽く」抑えたはずの足にはくっきりあざが残っていることもわかっている。
が、それでも石郷岡病院は断固として、この行為を暴行と認めようとしないのだ。
ビデオでは、暴行後、職員が部屋から出て行ったあと、
ケイジさんが立ち上がる姿が映っている。
そのことで、病院側は頸椎骨折は准看護師の行為とは
関係がないと主張しているのだが、搬送先の帝京大の整形外科医の意見では、
「脊椎損傷の臨床場面では、腫脹が徐々に拡大するなどの結果、
遅発性に症状が発現する事例は珍しいものではない」とのことである。
(赤い矢印の部分。第二頸椎がぱっくりと骨折しているのがわかる。)

どこにでもいるごく普通の大学生だった
そもそも、ケイジさんが精神医療に関わることになったのは、大学生のとき。
それまではごく普通の青年だった。テニスサークルに所属し、
合宿に行ったり、アルバイトをしたり、ギター(ベース)に夢中になったり……。
「お友だちがお葬式に来てくれて、初めてわかったのですが、
ケイジは、家での様子とは違い、けっこう活動的で、
仲間内でも中心的な存在だったみたいです」とお姉さんは言う。
学生時代は、通学の便のため、自宅を離れて一人暮らしをしていた。
大学1年の頃は、とても元気にやっているように見えた。
ところが、大学2年生の夏休み、帰省したときのことだ。
ケイジさんは突然「学校をやめたい」ともらしたという。
ベースに夢中になっていて、学業よりバンド活動に力を入れたいから、
とそんな理由を口にしていた。
そして、お正月休みに帰ってきたときには、なんとなく元気がないように見えた。
学年が変わり、アパートを引っ越してから様子が少しおかしくなった。
暗い声で電話がかかってくる。気になった両親がケイジさんのアパートを
訪ねたところ、かなり痩せていた。
心配になり、両親は自宅にケイジさんを連れて帰った。
しかし、状態は改善せず、ケイジさんは休学届を出し自宅療養していたが、
結局留年となってしまった。そのことでケイジさんは自分を責めるような
気持ちになったのかもしれない。また、お姉さんが聞いた話では、
交友関係での悩みを抱えているようだった。
それでも自宅に戻って少しずつ元気を取り戻していたケイジさん。
アルバイトができるまで回復したため、復学した。
しかし、自宅から大学まで片道4時間かかる。
この長距離通学が再びケイジさんの精神的疲労を招き、
結局、両親に相談することもなく、退学届を出してしまったのだ。
その直後から、うつ状態になった。
 
うつ病の診断
2001年の9月(23歳のとき)、
ケイジさんは近くの精神科病院を受診した。
そして、うつ病と診断され、抗うつ薬パキシル(10㎎、1日1錠)が
処方されたのだ。
パキシルを服薬ししばらくした頃から、ケイジさんに変化が現れた。
家族に対して暴言を吐いたり、些細なことでイラついて、
特に妹と衝突することが多くなった。
そして、服薬2か月ほど経った11月30日。
向かいの家が引っ越しをしていて、その音がうるさいと、
ケイジさんは引っ越し作業をしていた男性をいきなり殴りつけてしまったのだ。
ケガはたいしたことはなかったが、ケイジさんは自ら警察に出頭した。
自分は学校にも行かず、人を殴ってしまい、悪い人間だから、
警察へ行かなければならない。自分を責めるような言葉をずっと口にしていた。
父親が付き添ったが、殴られた男性は被害届を出さす、
結局この件は示談でけりがついた。
警察からの帰り道、父親が「なぜこんなことをしたんだ」と尋ねると、
ケイジさんは「淋しかったんだ」と答えたという。
父親としては、このようなことをしでかしたので、
一応かかりつけの病院に行ったほうがいいと考え、
ケイジさんたちは「市原鶴岡病院」(パキシルを処方した病院)に立ち寄った。
ところで、2001年といえば、
SSRIが日本に入ってきたばかりの頃だパキシルは2000年日本発売)。
当時、SSRIは「まったく副作用もなく、極めて安全な薬」、
「魔法の薬」としてもてはやされ、副作用であるアクチベーションシンドローム
(賦活症候群)が騒がれることもなく、医師は競ってこの薬を処方していた、
そんな時期である。
したがって、市原鶴岡病院の担当医も、ケイジさんの暴力、
攻撃性の原因がパキシルの副作用である可能性を疑うことはなかったのだろう
(今でも見抜けない医者がたくさんいるが)。
 
それだけでなく、この医師はケイジさんに「幻聴は聞こえるか?」と質問したという。暴力ひとつで統合失調症を疑ったのだろうが、ケイジさんが「ぜんぜん」と答えると、首を傾げて「じゃあ、何だろう? うつ病かなぁ、不安神経症かなぁ」
――かなりの時間考えている様子だった。
そして、しばらくすると意を決したかのように、
「見知らぬ人に暴力を振るうのだから、統合失調症だね」と断言した。
もちろん、ケイジさんのいる前で、である。
そして、何の薬か一切の説明もなく、
「3日間出すので、様子を見て」と薬を処方した。
後でわかったことだが、このとき出されたのは
リスパダール」(2㎎×2 朝夕)である。
しかし、1日目、リスパダールを初めて飲んだところで、
すぐにケイジさんに異変が現れた。首がガクンとうなだれて、
意識が朦朧としてしまったのだ。病院へ電話を入れると、
そのまま横にして寝かせてくださいとのこと。
2日目、やはり服用直後に、同様の状態になったため、
再び病院に問い合わせると、そのとき対応した医師(副院長)は
「水を飲めば、薬の毒が排除される」と言ったので、
水をたくさん飲んだが、3日目も、服薬後はやはり同じ状態になった。
それでも、少し回復したところで、ケイジさんは父親と散歩に出た。
ところが、途中で突然からだがエビ反りになり、ひきつけを起こした。
チアノーゼもでている。あわてて救急車を呼び、地元の病院に運ばれたが
(じつはこの病院は、頸椎骨折後のケイジさんが療養のため入院し、
亡くなる病院である)、あまりに対応が悪いのですぐに転院を希望して、
市原鶴岡病院へ入院することにした。
そこで出された薬によって出てきた副作用であるから、
責任をとってほしいという思いもあった。
薬の副作用で入院、しかし――
ところが、である。
12月初旬に入院をして、ケイジさんは、年末にはかなり回復してきたように見えた。会話も普通、身の回りのこともきちんとできる。差し入れた本も読んでいる――。
そろそろ退院できるかもしれないと家族が考えていた翌年の1月4日のことだ。
両親が病院に見舞いにいくと、ケイジさんは肢体拘束をされ、
目の焦点も合わず、うつろな表情で、天井の一点を見つめているだけだった。
会話もできない状態である。
病院に理由を聞くと、暴れて、壁に穴をあけた。
自殺をしようとしたので、拘束したとのこと。
そして、壊れた壁の修理代金として30万円支払うように要求された。
病院側の説明も釈然としないまま、
家族は目の前のケイジさんの変わりようにおろおろするばかり。
結局、言われるがまま、修理代を支払った。
そして、「また自殺しようとするのを防ぐために拘束は必要だ」と言われれば、
黙って従うしかなかった。
後でわかったことだが、この拘束のとき、
ケイジさんに投与されていた薬は以下の通りである。
プロピタン 抗精神病薬
ウィンタミン 抗精神病薬
グラマリール 抗パ剤
セルシン ベンゾ系抗不安薬
ベンザリン ベンゾ系睡眠薬
ユーロジン ベンゾ系睡眠薬
アキネトン 抗パ剤
セドリーナ 抗パ剤

こうした薬を入院中の5ヶ月間(拘束は約3週間続いた)とっかえひっかえ、
抗精神病薬は常に2~3種類は投与され続けたのだ。
不安になった両親が医師に減薬を願い出ても、
医師からは、「これが普通だ。嫌なら出て行ってください」と言われるだけだった。
そもそもケイジさんには薬剤過敏があった。最初のリスパダール数ミリで、すでに首が前にうなだれる「ジストニア」の症状が出ていたのである。
 
医師はそれを完全に見逃して、薬の中止より、「水で排毒すればいい」
などと適当な対応で服薬を続けさせた。そして入院中、実際ケイジさん
どのような行為を行ったのか不明だが、病院側の説明によれば「暴力」と
「自害行為」ということで、これだけの薬を、
からだを縛り付けたまま投与し続けたのだ。
拘束は3週間続き、その頃には、ケイジさんの首は完全に曲がってしまっていた。
2月中ごろ、医師に「首が曲がってしまったが、薬のせいでしょうか」と
家族が問うと、医師は「そうですね」と答えたという。
(しかし、その後、医師は、薬の影響を否定する見解を述べ、
さらにその後、家族が「医薬品副作用救済制度」を申告した際、
医師としての意見欄には、「薬剤性パーキンソニズム」として、
認めることになった。結局、救済制度は認められなかったのだが)。

その後、ケイジさんは、ジストニアの治療のため、
5月に千葉大医学部附属病院(整形外科)へ転院した。
市原鶴岡病院を退院するときには、ジストニアは、
顎が胸につくほどになり、歩くのもかなりゆっくりしたペース。
表情もさえなかった。
千葉大病院のジストニア治療では、
ボトックス注射、そして、抗パ剤のアーテン(3錠)が処方された。
しかし、状態は芳しくない。
ケイジさんは突然バックで歩きだしたり、
体がこちこちになったようなロボット歩きになってしまったり。
結局、歩行不全、トイレに間に合わない(失禁)、見識障害、
話にまとまりがない……そんな状態に陥った。
医師の見解は「統合失調症と判断するが、
薬に敏感なため現在は適切な治療薬がない」とのことで、
ケイジさんは11月、退院となった。
自宅療養を続けるなかで、「アーテンがいけないのではないか」と考えた家族が、
自己判断でアーテンを断薬した。すると、徐々に、こちこちだった体の
柔軟性が回復し、食事も一人でとれるようになり、
見識障害も少なくなっていったのだ。
アーテン=抗パーキンソン病薬――抗精神病薬の副作用(錐体外路症状等)止めとしてセットのように、気軽に処方されるが、じつは、重い副作用がある薬である。
たとえばアーテンの添付文書には、副作用として以下のものが挙げられている。
悪性症候群、精神錯乱、幻覚、せん妄。さらに、興奮、神経過敏、気分高揚、
多幸症、見当識障害、眠気、運動失調、眩暈、頭痛、倦怠感など、
抗精神病薬に勝るとも劣らない。
ケイジさんもアーテンを中止したことで、いくつかの症状は消えた。
しかし、ジストニアの状態は相変わらずである。
ケイジさんはときどき、「こんな首になって、もう僕は結婚もできなくないんだね。
死んでしまいたい」そんなことを漏らすようになったという。

安定、そして状態悪化で電気ショック治療
精神科へは、同じ千葉大病院精神科に通院が続いた。
そこではセロクエルが処方されたが、少量処方(1錠)で、
体調・精神状態は安定してきた。父親と定期的に散歩をし、
休日には一緒に買い物にも出かけ、ケイジさんはCDを買ったりした。
父親から見ても「首が元にもどれば、普通の青年」だった。
しかし、外を歩けば人が振り返り、あからさまな視線にさらされることもあった。
それでも、ケイジさんは、首にカラーを装着するジストニア改善策には
頑として応じようとしなかった。
そして、この年の年末、ケイジさんは友人に年賀状を出した。
そうしたケイジさんの様子を知った医師は、
統合失調症ではないかもしれない」と言ったという。
医師のその言葉があったからか、
その後、ケイジさんは薬を飲むのを嫌がるようになった。
通院も拒否したため、父親が病院に足を運び、経過報告をしていた。
結局、セロクエルを断薬。そして、3年間ほど、薬ゼロの時期があったが、
少しずつ少しずつ状態が崩れてきて、徘徊、失禁、
住んでいる社宅の管理室に入り浸る、そして暴力が出てくるようになってしまった。
2005年、千葉大病院に再入院。ここでもまた拘束が行われ、
点滴での薬の投与が始まった。しかし、一向に改善しない、それどころか、
暴力が治まらない……。医師が提案したのは、
「電気ショック療法」である。「おとなしくなるから」というのが理由だった。
仕方なく承諾した。

2005年10月17日、第1回目の電気ショック治療。
その後、数日おきに実施され、6回、1クールを終了した。
その頃のことをお父さんが日記に付けていたので、引用する。
「(医師の見解として)返答の中には意味不明も散見されるが、
以前と比較して会話がスムース。また、幻聴が少なくなったと本人が言っている。
電気治療の効果は認められる。今後、拘束を解く予定である。
明日、今後の治療について打ち合わせ」
ということで、担当医は電気ショック治療の継続を勧めてきた。
結局、11月21日に電気ショック治療の2クール目が開始され、
6回で、第2クールが終了。
「担当医より電話にて、会話が以前より積極的になり、
効果が認められるので、さらに電気ショック治療をお勧めしますとのこと。」
医師の強い勧めで、ケイジさンはその後、
追加で一度だけ電気ショック治療を受けたが、
家族からみて改善がほとんど見られないため、2回目以降、中断をお願いした。
そのとき、母親が拘束が長期にわたっているので改善を要求したが――、
「ケイジさんの現状では、看護師への予測不可能な暴力行為が考えられ、
また看護師不足により拘束帯を使用しなければならない」という説明があった。
その後、千葉大病院でも、ケイジさんを持てあますようになった。
手におえない、面倒見きれない……。ケイジさんは退院となり、
薬の処方も行われなかった。
お姉さんが言う。
「結果的に、どんどんおかしくなりました。36時間、
このテーブルの椅子に座り続けていたり、話もほとんど通じなくなっていました」
何を言っているのかわからない、認知機能も落ちてしまった。
ついには、自力での排泄も困難になった。

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  ~針治療から病態定義の見直しを~