藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

医学が語れなければ、患者が語るしかない


                

何だかんだ言っても医学という学問は大切ですし、
生理学や解剖学、物理学、栄養学も必須にはなってきます。
但し、患者を救ったのも既存の学問ではありますが、
患者を諦めさせたのも既存の学問です。
 
とどのつまり、ワクチンの害反応や精神薬の副反応に至っては、
既存の病名に当て嵌めただけで、既存の病名に従った治療を行って
更に悪化したなんて話はテンコ盛りなのですから、新たな病名を創ったり、
新たな薬を創ったりと忙しないようですが、根本的な問題解決には至っておらず、
既に自分で巻いた種を既存の医学では尻を拭けない状況に
陥っているのは誰の目で見ても明らかです。
 
人間の可能性を語るのは医学だけでは既に持ち堪えられません。
医学が語らなければ、音楽が語っても良い訳ですし、哲学で語っても良い訳です。
音楽で治るならそれが正解としても良いですし、哲学で治るならそれが正解となるのです。
 
既存の四角い型枠に無理やり患者を押し込む事自体が間違いであり、
可能性を閉ざしてしまう結果となるのです。
 
死を示唆する状況に至っては、現在は医学の力を借りるしかないと思います。
しかしながら、その後の回復期に至っては、医学の力だけでは足りないのかもしれません。

患者が諦めたらお終いです。医療機関なんて、数ある患者の1人でしか無い訳で、
医療従事者は1人の患者の人生を背負う訳ではありません。
 
治すのは自分です。自分が治したいと思わなければ治りません。
冷たい言い方かもしれませんが、優しい言葉を幾ら交えながら言い伝えたとしても、
患者が行わなければならない根本的問題は1つに集約される以上、
綺麗ごとを言ったところで治る訳が無いのは、
患者等が一番分かっているのではないでしょうか。
 
鍼灸治療で奇跡が起こった。それはそれで素晴らしい。
患者側がそう思って頂くのは結構な事ですが、こちら側では日常的な出来事です。
私達が既存の学問の中から医学を除外して治療にあたっているだけの事です。
 
治す意味を履き違えた現代医療の存在に対して、何時までも期待していてはいけません。

ゼプりオンの副作用で死亡者が多数出ているとか、
発達障害と診断された児童を外して集合写真を撮ったとか、
大人の都合も良いとこです。
 
こんな時、誰が一番の力を発揮していますか?
医療機関でも無いし、学校でも無いし、
患者や被害者が一番で声を挙げているでしょう。
薬漬けを良しとしますか?
薬漬けの人生で最期を締めくくりますか?
 
「あの人は病院で沢山薬を貰って飲んでいたのに早く死んじゃったね」
周囲が分からなければこんな会話もあるでしょう。
 
どれだけの患者(主に高齢患者)が医療機関の言いなりになって薬漬けになっているでしょう。
聞けば聞くほど、目を疑うに手帳が真っ黒になっている現状では死因すら迷宮入りです。
治すのを放棄したから真っ黒になったのか。治すのを医学に委ねて真っ黒になったのか。
 
それもこれも患者の考え方ひとつかもしれませんが、辛い死に方だけは回避したいものです。
誰が語るんですか。患者が声を挙げなければ変わらないのは昨日今日の問題ではありません。
のらりくらりと「副作用はありませんよ」と、逃げまくる医師に一石を投じてみたらどうですか。

精神科医に薬を飲めと言われましたが、本当に飲む必要があるのか・・
以前からリスパダールデパケンアーテン、といろいろ飲んできて、(他に名前が思い出せなくてすいません)
どれもあんまり効かず、副作用がひどいなぁと思うだけでした。
めまいがしたり、頭が回らなかったり今は何も飲んでいないのですが、取るときとても苦しかったですし。

その先生と話をしても、まずは薬を飲んだほうが良い、といいます。
イライラするなら、眠れないなら、家族が困っているなら、まず外に出れるようになるために、薬を・・・と。
以前薬をのんでも外に出れるようになったわけではないと言ってもです。

私もイライラして母を困らせている事は分かっているのですが、
その精神科医はそういう母も使って、私を薬漬けにしようとしているのではないかと心配です。
あとは、薬を飲んで外出可能になったら自助でも東京の病院にでも外に直しに行け、というのです。
薬を飲ませたいだけとしか思えません。

私を薬漬けにして自分の手中に収め薬代だけ稼いでいくつもりなんでしょうか。
このままこの主治医さんのいうとおり薬を飲んでも、大丈夫なんでしょうか。
私の心配のし過ぎでしょうか。

私の通う精神科は待ち時間一分 患者は私だけの時ばかり。
その先生はいくら症状を訴えても人間だから仕方ない。
性格の問題と病気の診断はしません。 薬漬けにしない良い先生と家族は絶賛。
試しに違う精神科に行くと、躁鬱病うつ病適応障害
強い薬は出るわ。休職しろなど病気のデパート。
しかし、主治医に戻ると乗り越えれるよう努力のみ。
カウンセリングは30分。薬は体に悪いから、頭が痛くても吐いても控えるようにしよう。
 
人間、そんなにやわじゃない。
転院をいつも迷いますが、妙に説得力があります。
流行らないのもわかるような…このままで良いか迷います。
確かに症状が悪化しても、時間が解決してます。
しかし悪化中は処置はないので、かなり、きついです。
良い先生かわからなくなります。
 
医師は人生は短いようで長い。楽しかった頃もあったはず。
その一瞬につまづいただけ。君は病気ではない。本当に病気なら、話もできない。起き上がれない。
人間は落ち込む生き物。だから、環境が悪ければ仕方ない。 それは病気とは言わない。
当たり前の自然反応。それに一々薬を出していたら生きていけないし人間でなくなる。
君は人間だから悩む。だから大丈夫。といいます。

薬を沢山出してくれるのを良い医師だと思う患者もいれば、
薬を出さないで何とかしようと思う医師を良い医師と思うのかは、患者当事者や患者家族の考え方次第です。
言ってしまえば、薬を出さないと儲からないし患者も寄り付かない現状や、
薬を出してくれる医療機関に患者が寄り付く点を見ている以上、患者が先に変わらないといけないようです。
 
邪気の無い赤子の笑顔を横目に精神薬を齧っている人間は、私に診断させたらバカかアホかのどっちかです。
親の都合で子供に精神薬を飲ませる親もバカかアホかのどっちかです。
それでも薬を貪るように齧る方々も現実に多くいます。子供を薬漬けにする親も山ほどいます。
バカ科とアホ科を作りましょうか。どっちの暖簾を潜っても待っているのは説教だけですけどね。
「私は○○病だ」「私は○○障害だ」←仕立て上げられた病人である事に気付いたほうが良いです。
 
健康被害が出てから患者が語り始めても遅い時はあります。
それだったら被害が生じる前に患者が知らなければならない事は沢山あるのです。

現代医学の標榜する予防医学はなんでしょう。
 
第一次予防 疾病の予防。健康への啓発、健康増進、特殊予防(教育、予防接種など)。
第二次予防 重症化の防止。疾病の早期発見と早期措置、適切な医療と合併症対策(健康診断など)。
第三次予防 疾病の再発防止。リハビリテーションなど。
 
ですね。実は第一次予防に落とし穴が沢山ある事は過去記事に載せてきました。
健康への啓発をして医療機関に足を運ばせたり、血圧が高いですね、コレステロールが高いですね、
メタボですね、禁煙しませんか?、今は良い薬があるんですよ。と。
「眠れないか?」と世話を焼き、自殺者(未遂含む)を増やしてしまったりと、
予防接種で健康被害を生じさせられた方々が第二次、第三次へと
足を運ばせている事実だけは忘れてはいけません。
 
既にこの段階で、被害に遭われた方は医学では語れない現実を多く見る事になるでしょう。
そのような被害に遭わぬ為にも、患者が語り、情報を発信せぬ限り世の変革は乏しいものとなるでしょう。
 
                           

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