藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

「適切な治療」とは何なのか。6


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各論的な話を含めて書いていくと、但し書きや、解説が増える為に上っ面しか書きませんが、
術者及び患者の双方に必要な理解というのは鍼灸治療の限界を知る事だと思います。
この事を認知してもらう事が鍼灸治療に於ける業界発展の鍵となりうるかもしれません。
筋原性疾患、神経原性疾患の一部及び、放置しておく事で死を示唆する疾患及び外傷、
感染症、進行性の疾患の一部等々に於いて、鍼灸治療は無力である事を認識する事が先ずは必要です。
 
但し、全ての症状群が無力となる訳ではなく、上述の疾患に於いて派生した
筋骨格系症状や自律神経的症状に関しては鍼灸治療にて奏功していく為、
選択的に率先して受療される方々というのは、優位性、安全性を既に認知されているからであり、
QOLの向上への一助となるのですが、如何せん、このような患者方というのは僅かであり、
告げられた診断名に対して全ての症状を当て嵌めようとする傾向、及び、憎悪する状況、
更に異なる症状が現れ始めると、新たな疾患を模索し始めるのが現状です。
 
上記内容というのは、鍼灸治療が無力であると同時に、
現代医療でも無力である事を意味するのですが、生死を分ける事態に於ける
必要悪の投薬等々というのは容認されるべきであり、全てを批判している訳ではありません。
症状を抑え込む事は可能です。但し、急性期を脱して以降の状態に関しての
現代医療は過剰医療とも言える状況下にあるべきだと再認識する必要性があります。
何故過剰医療に陥るのかは、皆様で考えていくべきだと思います。
 
では、何が医学の恩恵を受けられる状態、身体状態であるかと言えば線引きは非常に曖昧となり、
個々人により若干の差は生まれるかもしれませんし、
厳密に書けば1つ1つ解説を要する事になる為に大雑把に書けば、
死ぬ間際まで医学は必要ないのかもしれません。
街で睨まれたから病院、アイスを落としたから病院、病院の待合室で他患者に足を踏まれたから病院、
雷が怖くて押入れに逃げ込む性格だからと病院、嘘かと思うでしょうけど本当に、これらの原因でも
病院に駆け込む人はいます。極端な例でしょうけど、医学の範疇ではない心身の症状に対して
病院に駆け込んだところで、本当の病気にさせられる手立ては既に存在しています。

鍼灸治療を医学、医療だと言われる方々がいれば、
鍼灸治療は医学でも医療でも無いという方がいます。
私にとってはそんな事はどうでも良く、疾患の喧伝により、患者方が診断名に振り回され、
病名を増やされ、薬が増やされ、最早自ら拗れさせている状況が医学だとするのなら、
鍼灸は「医学」という恥ずかしいカテゴリーから外されても良いのではと思います。
 
統合医療」そのような言葉が業界に居ると散見されます。
現代医療と鍼灸治療を組み合わせて、良いとこどりで頑張ろう的な裏では、
結果的に薬も抜けず、鍼灸治療で各種症状に対峙しているだけでは
本当の改善というものは一向に得られないものである事を患者側は認識する必要性が高く、
特に重症度が高くなればなるほど、残存能力の向上に努めるだけの人生で終始してしまう
人間になってしまうのではないでしょうか。薬漬けの加担、迎合だけはしたくありません。
見て見ぬフリ、干渉出来ない環境下に立たされ傍観しているしか出来ないのであるならば、
薬漬けを容認しているのと等しいのです。
 
大切なのは残存能力の向上は勿論、可能性のある限りは消失した能力の復帰と向上であり、
その身体に化学物質を入れ続けている以上、本来の身体能力が発揮出来ないばかりか、
痛みを痛みと感受出来ない身体は、いつしか更なる薬の増量に陥ってしまう事は目に見えています。

ここに於ける医療機関の選択的要素として必要なのは、
医療機関が何を出来るか、医療機関が何の検査をしてくれるか、
医療機関がどのような治療をしてくれるのか、
医療機関がどのような診断をするのかではなく、
それ以前に患者の意識下に於ける、
自身の病態把握が一番大切になってきます。
医学で治せるのか?という心持ちが大切なのです。
 
借金で生じた「うつ」は薬で治りますか?カウンセリングで治りますか?
仮に治療を相談するのだとしたら、医師ではなく、弁護士です。
気分を高揚させるような覚醒剤紛いの薬物を処方され、
自殺に意欲的になって死んでしまったら、先方が困るのではないですか?
 
自身が今悩んでいる症状を既存の病名に宛がおうと思うと、恐らく、数十種類の病名が並ぶかもしれません。
ここにも但し書きや解説は必要かもしれませんが、自身の身体に何十種類も病名が並ぶのであれば、
その病名には既に価値はなく、必要のないものです。
 
病気の存在を知る事は重要です。但し、診断された事への意義を求めるのではなく、
治療に対しての意義と価値を求めなければ、一生病気に甘えた身体になってしまいます。
且つ、薬物を摂取している以上、薬によっては生涯に渡り大きな後遺症が残ります。
病気によっての後遺症でも、怪我の後遺症でもなく、時間の経過で症状が幾つか改善されてきたとして、
残っている症状群は病気が齎した結果ではなく、薬によって齎された後遺症であるかもしれません。
 
今回は、時折取り上げさせて頂いているブログを下記に転載しております。
彼女は気づく事が出来たようですが、難病でも奇病でもなく薬が原因です。
現在、数多くある創り上げられた病気の大半は、医原病から派生したものと捉えるべきです。
彼女の状態は時間の経過によって様々な症状が出ていると思います。
その症状が出ている状態で掛かった医療機関により、様々な病名が付きそうではないでしょうか。
幾ら検査しても異常が見つかる事はありません。薬物にて脳内を狂わされて出ている結果なので、
幾ら発症部位の検査を行おうが、原因不明に陥り、薬が増量されていくだけなのです。
 
最早、病名なんて何だって良いのです。飲ませる薬は同じなのですから。
知っているなら初めから飲まなければ良いだけのことです。
但し、飲んでしまったら早期段階で気づく事。
長期間の服用後、気付いたとしたら慎重に。
独断で薬を断薬しようものなら強い離脱症状にて死んでしまう可能性もあります。
 
病気と生涯付き合いたくなければ、医学の世界から離れる事が先決です。
何故、全ての心身の症状の答えを医学に求めるのか。
何故、心身の症状の解決は医学でなければならないのか。
医学は風邪もアトピーも花粉症すらも治してはいないのは、
気の毒ながら、被害に遭われた先人が示しているのではないですか?

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  ~針治療から病態定義の見直しを~

突然、パニック発作に襲われる
 Qさんが最初に発作を起こしたのは、今から17年前、平成9年のことだ。その日のことは日付までちゃんと覚えている。8月18日。部屋で仕事の関係者と電話で話している最中、突如、発作に襲われ、Qさんはこのまま死ぬのではないかという恐怖に襲われた。
 何が起きたのかわからないまま、ともかく(貧血かもしれないと)近くの病院に急患として飛び込み、診察を受けた。
しかし、医師からは「脈も正常だし、熱もない。なんでもないが、あなたのような症状の人は、東邦医大神経科にでも行ってください」と言われた。この時、もし「精神科」と言われていたら、行くことはなかったかもしれないが……とQさんは言う。
 その後、しばらくは何事も起きなかった。そのため、発作のことは忘れていたのだが、9月1日の夕方、仕事先で再び例の症状に襲われた。
あわててまた病院に行き、結局、紹介された東邦医大も受診した。そこでは今から思えば、ドグマチールが出されたが、眠くてどうしようもなく、続いてワイパックスが出されたが、発作はおさまらなかった。病名もはっきりしないまま、東邦医大では、大勢の学生たちの前で、モルモットのような診察を受け、多くの検査も受けた。
しばらくすると、医師から「過換気症候群」と告げられ、ビニール袋を持ち歩くようにと言われ、Qさんはそうしたが、例の発作はそれでは治まることがなかった。
発作が怖くて、だんだん外出できなくなり、家に閉じこもるようになった。
そして数か月後、たまたま見かけた新聞記事に「パニック障害」のことが書いてあり、Qさんは自分の病気はこれに違いないと確信した。さっそく、記事中に出てきた東京・赤坂にあるクリニックに電話をすると、この記事に紹介されていた「有名医師」の診察は1か月待ちと言われたが、Qさんにしてみれば、そんなに待てるはずもなく、「誰でもいいからすぐに診てくれる先生でお願いします」ということで、数日後、診察となった。最初の発作から7か月が過ぎていた。
担当医は院長のA医師だった。そして初診時、QさんはA医師から
パニック障害で間違いないでしょう。パニック障害は薬で治ります」
と言われ、山のような薬のサンプルを見せられた。その頃は、もちろん薬のことなど何も知らず、ともかく1種類の薬が処方された。いま思えば、それはメイラックスという薬だが、そのときは、まさか十数年後、今のような状態になるなど想像もしなかった。

薬を服用してからは、激しい発作はなくなり、その一歩手前の予期不安(発作が起こったらどうしよう)のような状態が続いた。そうなると、薬は飲み続けなければならないものとQさんは思い込み、だらだらとクリニックに通院し続けた。
そして3年半が過ぎた。Qさんは自宅から遠い赤坂のクリニックへの通院が面倒になり、勝手に別のBクリニックに転院した。ここは院内処方で、初診以外は予約なしで済むので、通院が楽だったからだ。

 
攻撃的・衝動的になる
Bクリニックの医師は少々変わり者だった。日本では認可されていないような薬も言えば売ってくれた。
あるとき、頼んでもいないのにQさんは「若返りの薬があるから、1本だけあげる」と言われた。両肘の内側に塗るもので、傷の治りがとても早くなるとのことだった。
あまりに力説するので、真に受けて、Qさんはまとめて購入した。
自分では気づかなかったが、その頃ちょうど、家族から「性格が荒々しくなった」と言われていた時期である。自覚はなかったが、家族にしばしばそう言われたので、Qさんはこの塗り薬のせいだと思った。医師にその話をすると「そんなことは聞いたことがない」と一笑に付されたが、使用は中止するように言われた。
まとめ買いをしたので、たくさん残っていた。仕方がないので、仕事柄ケガの多い友人のレスラーにあげることにした。
じつは、Qさん、それまでそんな傾向は全くなかったのに、この頃なぜかプロレスにはまり、年に50試合以上観戦に足を運んでいたのだ。
今から思うと、なぜそんなことをしていたのかわからないが、ともかく攻撃的な性格になっていて、人を「殴る蹴る」を見るのが楽しくて仕方なかった。それは塗り薬をやめたあとも変わらなかった。
さらに、それまでギャンブルが嫌いで宝くじさえ買ったことがなかったのに、なぜか毎日ゲームセンターに通うにようになった。ゲーセン通いのあとは、まったく興味のないアクセサリーを買いあさるようになり、一時は押し入れに入りきらないほどのバッグをインターネットで買いまくった。また、使うはずのないおもちゃや、自分の好みからはほど遠い服をたくさん買い続けた。
ギャンブル依存、買い物依存……そういう生活にずっぽりはまった日々が何年も続き、散財を繰り返した。
そのあと今度は、毎日が眠くて仕方がなくなってきた。朝起きて、ともかくペットの犬に餌をあげると、もう起きていられずに寝てしまう。頑張って起きていようと思っても起きていることができないのだ。夕食を食べているときも、食べ終わる前に眠ってしまう。せっかく資格をとって始めた仕事だったが、その頃にはもう仕事をすることもできなくなった。
B医師にそのことを相談すると、「睡眠薬は出していないから眠くなるはずがない。みんな眠れなくて困っているんだから、眠れるのはよいこと」と取り合えってもらえなかった。しかし、医者が言うのだから、そうなんだろうと自分を納得させて、薬について調べたり、他の解決策を探そうとはしなかった。



突然の断薬
そうやって歳月は過ぎていった。
Qさんがようやく薬に対して疑問を抱くようになったのは、飲み始めて15年ほど経った頃のことだった。
ずっと続いていた異様な眠気……倒れこむように眠ってしまう状態に異常なものを感じたからだ。これは飲んでいる薬のせいに違いない。薬をやめた方がいい、と思ったのが一昨年の4月のこと。Qさんはそれまで飲んでいた薬をすべてやめてしまった。
服用をやめた直後には、両手の先にちょっとした違和感を覚えたもののすぐに治まったので、薬のことはすっかり忘れていた。
ところが、半月後の4月16日、胃に痛みを感じた。そのときは、無理に食べたケーキが胃を荒らしたのだろうと思い放置した。しかし、1週間後の4月23日、今度は耐え切れない胃の痛みに襲われて、あわてて出先から胃腸科のあるクリニックに飛び込んだ。
医師からは「微熱があり、喉も真っ赤に腫れているから、風邪だろう」ということで風邪薬が出されたが、喉の痛みは増すばかり。今度は耳鼻咽喉科を受診した。
しかし、喉の異常は見つからず、それでも痛みが続いたため、Qさんは通院を続けたが、結局よくならなかった。
そうこうしているうちに、なんだか現実感がなくなってきた。生きている実感がない。平衡感覚もなくなってきたので、目がおかしくなったと思い、眼科へ行ったが、異常なし。一応眼鏡を作ったが、体のふらつきはひどくなるばかりだった。
一昨年の4月から5月にかけて、さまざまな科を受診し、ついには総合病院で胃カメラやエコー検査も受けたが、原因はわからず、症状はどんどん悪化するばかりだった。
自分でも原因がわからず、やめた薬のせいかもしれないとちらと思ったこともあったが、パソコンで調べても、そのときは何も情報を得ることができなかった。「禁断症状」で検察しても、アルコール依存や覚せい剤、麻薬の情報ばかりだったのだ。
6月になる頃には、もう外出できる状態ではなくなった。眠くてどうしようもなかったのに、今度は完全な不眠となり、1日の睡眠時間は1時間程度となった。



奇病になった――離脱症状
6月下旬、あまりの苦しみに死ぬことばかり考えていた。
原因不明の胃痛に始まり、微熱、喉の痛み、不眠、現実感の喪失、悪寒、味覚障害、失禁、全身のしびれ、幻聴、幻覚……。
やはり、B医師が何か知っているのではないかと思い、数か月ぶりに診察に行った。Qさんがこれまで起こった体の異変について一つ一つ話をすると、医師は何の説明もないまま「ふーん、薬を飲めばいいのに」と一言だけ漏らした。
Qさんは声を振り絞って「でも、飲むと眠くてどうしようもなくなるから」と言うと、すかさずB医師は、「メイラックスの1錠や2錠、自分で調整できるだろう!」と吐き捨てた。
何が何だかわからないまま診察を打ち切られたが、QさんはB医師の言動から、「眠くなるのはやっぱりこの薬のせいだった」と確信した。そして、医師が「飲めばいいのに」と言ったその言葉を信じることができず、その後も断薬状態は続いた。
しかし、7月。生きている実感がますます薄れ、人とすれ違うだけで切りつけられるような痛みに襲われた。気が狂って叫んでしまうのではないかと思うことがたびたびだった。
奇病にかかってしまったと思い悩むうちに、7月半ばとなった。以前どんなに調べても何もわからなかったが、それでも必死にパソコンを検索し、自分が飲んでいた薬にはとんでもない副作用があることをQさんは知った。
離脱症状」――聞いたことのない言葉だった。が、それについて書かれた文章を読めば読むほど自分に起きた様々な身体の変化に当てはまる。
 Qさんはようやく、自分が奇病でもなんでもなく、この症状だったのだと納得した。そして、すぐに最初に受診した赤坂にあるクリニックに予約を入れ、以前の担当医だったA医師に会った。そこを転院してから、すでに10年の歳月が過ぎていた。
 4月から続く体調不良についてQさんが話すと、医師は「離脱症状」であることを認め、さらには「この薬を最初に処方したのは、私ですね」とカルテを見ながら言った。
 メイラックスを最初に処方され、続いて2年後には、SSRIが日本に入ってきたのを機にデプロメールが追加され、さらにトフラニールという古いタイプ(三環系)の抗うつ薬も加わって、結局Qさんはこの3種類の薬を、Bクリニックに転院してからもずっと、10数年間服用していたことになる。
 診察中、A医師は、離脱症状に苦しむQさんに服薬をすすめた。Qさんは、言われるまま、3種類の薬を飲んだ。数えてみたら、111日間、断薬していたことになる。A医師は、「早ければすぐ、遅くとも数週間で体調はもとに戻る」と言ったが、あれから1年8か月経過するが、いまも完全に元に戻ってはいない。

 
医師への不信
 それでも再服薬によって、体調はかなり楽になり、胃痛や喉の痛み、不眠も改善されてきた。そこで、Qさんは、改めて再服薬から2か月たった一昨年の9月頃から、一応A医師のもとで減薬を始めた。といっても、特に指導があるわけではなく、ただ少しずつ減らしていくようにというアドバイスがあっただけだ。
 そして、トフラニールは、一昨年の10月末頃に断薬した。ベンゾジアゼピンメイラックスは、半錠ずつ減らして、苦しみながらも、昨年の5月の連休明けに断薬した。
 この2種類は二度と飲まないとQさんは誓っている。
 そして、デプロメールも――このときはすでにA医師の元を去り(一種のドクハラを受けて(後出))、再びBクリニックの別の医師にかかり――この医師は患者の言いなりに薬を出してくれるので、デプロメールの25㎎を手に入れて――何とか漸減、そして昨年の12月8日を最後に、いまも断薬が続いているという。

「もう医者を信じる気持ちはまったくないです。自分のことは自分でやるしかないと思い、最後の断薬は自己流で行いました」
 QさんがBクリニックのB医師に、何度も何度も自殺願望について語っても――具体的にどうやって死のうかという話をしても――B医師はうっすらと笑みを浮かべて「へ~」、「は~」、「そうですか」としか反応しない。その態度には、どこか患者を見下しているような印象を受けたとQさんは言う。
「薬を飲んでいるときは、気分が高揚して、出不精の私が毎日のような家を空け、イベントやギャンブルに興じていました。いま、いろいろな事件のニュースを聞くと、あの事件の加害者はもしかしたら自分だったかもしれないと恐怖を感じます。本当に意味もなく、攻撃的、衝動的で、当時のことは正直、思い出したくないです。恥ずかしいこともいっぱいやったり、言ったりしました」
 抗うつ薬2種類、なかでもSSRIのアクチベーションシンドローム(賦活症候群)や、ベンゾの脱抑制(抑制がきかなくなる)など副作用から、元の性格からは考えられないような言動に走る人は大勢いる。
B医師もQさんのそうした行為を診察のなかで知らされていたにもかかわらず、処方を変えたり、減薬を提案したりすることは一切なく、淡々と同じ処方をし続けた。医師自身が言った言葉のとおり、ただ「薬を飲めば楽になる」という考えしか持っていない医者なのだろう。

 Qさんは、現在1日に5時間ほど眠れるようになり、一昨年から比べると多少楽になった。喉の痛みも軽くなったが、声が出にくく、口が渇く。また、体中にしびれを感じ――正座をしたときに起こるしびれが全身にあるような感じ――寝ても立っても座っても、つらい状態がいまも続いている。
「これはもう治らないんじゃないかと、半分はあきらめています。もうこういうものとして生きていくしかないかなと」
 以前、プロレスにはまっていた女性とは思えない穏やかな口調でQさんは言う。

抗うつ薬による躁転双極性障害とすることの不合理
 じつは、Qさんは、去年の夏、離脱症状で10年ぶりに再診したA医師に、転院したい旨を伝えた。A医師の元で行う減薬に限界を感じていたからだ。そして、Qさんは転院先として、具体的にある大学病院の医師の名前を挙げた。すると突如としてA医師は、その医師のことを口を限りにののしり始めたのだ。
なぜそんな悪口を患者に向かって言わねばならないのか……Qさんの中でA医師への不信感がますます膨らみ、それと同時に、A医師もB医師もそうだったように、どうせ紹介先のこの医師にかかってもろくなことにはならない、この症状を治すことはできないだろうと感じて、転院をせず、減薬を自分で行う決心をしたのである。
 そして手元には、A医師が文句を言いながらも書いてくれた「紹介状」が残った。Qさんはもう使うことのないそれを開封して、驚いた。
以下は、Qさんに許しを得て紹介するA医師の「診療情報提供書」の文面である。

 北●大学東病院 精神科  ●岡等 先生御侍史

傷病名 パニック障害双極性障害の疑い
症状経過および治療経過
パニック発作抑うつ気分などで平成10年4月から12月当院に通院。
平成12年から平成14年6月○○クリニック通院。
メイラックス2㎎、デプロメール100㎎、トフラニール20㎎ 継続していたが、眠気などあり、本人自己判断で断薬したところ、全身のしびれなど強く、平成24年7月より当院。急な断薬に伴う離脱症と考えられ、あらためて漸減をすすめ、現在(平成25年7月)はデプロメール25㎎服用のみとなっている。パニック発作なく、予期不安は軽度残存。身体のしびれ感は残存しているという。また経過中、浪費、過活動など軽躁を思わせる状態もあったとのことである
よろしく御高診ください。

Qさんが言う。
「浪費の話は、以前こういうことがあったと、昔の話としてA医師にしたものです。それなのに、それを理由に、双極性障害の疑いって、変じゃないですか。そのときはもうそういうことは一切なかったんですから」
 確かに、前の症状をあたかも今もそうであるかのような書き方をして、さらに「双極性障害の疑いあり」と紹介状にあれば、次の医師はQさんを、双極性障害患者として扱うであろうことは想像に難くない。
 前のエントリでも取り上げたが、抗うつ薬による軽躁を双極性障害Ⅱ型と診断しなおすのが、いまの精神医療界の流行であるからだ。
 しかし、当時抗うつ薬デプロメール)を減薬中のQさんに、双極性障害と診断される元となる軽躁状態はすでになかった。ということは、薬物による躁転双極性障害と診断することの不合理さをそれは証明していないだろうか。つまり、抗うつ薬を減薬、断薬すれば、Qさんのように、自然に躁状態もなくなっていく、ということではないか。
もし、Qさんがハイテンションとなったのが、ここ数年のことであったとしたら、抗うつ薬を断薬する猶予も与えられずに、双極性障害の治療が始まっていた可能性は大いにある。Qさんから躁転した話をたくさん聞いていたはずのB医師が、双極性障害と診断しなかったのは、当時はまだそういう「流行」がなかったから、その一点に尽きるだろう。
 紹介状をもらいながら、医療への不信感があったため、それ以上治療を重ねることのなかったQさんは、ともかく被害をここで食い止めることができたわけだ。
減薬するつもりで、紹介状を携えて大学病院を受診していたとしたら、抗うつ薬の断薬はできたかもしれないが、「双極性障害の疑い」と書かれてある通り、今度は気分安定薬等の処方を受けていたに違いない。
もう頼れるのは自分しかない、この状態から抜け出すには、自分でやるしかない。医療信仰ともいえる思いから抜け出すことで、Qさんは、現在かなり厳しい体調にあるとはいうものの、さらなる精神医療の被害から抜け出せたともいえる。

「体調を崩した平成9年頃、28歳でしたが、当時、資格をとった仕事がまだ軌道に乗らず、若かったこともあり、食生活もかなりいい加減でした。一人暮らしでしたから、適当に食べたり食べなかったり、今から思えば、あのパニック発作は栄養失調から出てきた症状ではないかと思うんです。体重も中肉中背だった私が40キロを切るくらい痩せていましたから」
 なら、発作を起こしたとき、医療以外、どうすればよかったと思いますかと尋ねると、Qさんはこう答えた。
「そうですね、仕事をすっぱりやめて、大好きな犬をつれて、田舎に行っていたかもしれません。そうしていれば薬など飲まなくても、発作も自然に治っていたと思う。十数年治療を続けて、結局、いま仕事はできないわけですから、どうせ辞めることを思うと、そうしていればよかったと本当に思います」
 それでもQさんはいま前を向いている。全身のしびれという辛い症状は残っているが、自分にできることは何かないか。仕事のこと、そしてこの精神医療で被害を受けた人たちを何とか救う道はないものかと探りながら。