藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

「適切な治療」とは何なのか。


    
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※下記の日記と写真は無関係です。
「適切な治療」とは何なのか、常に悩みのタネになっています。
 
熱が上がったから解熱剤を飲む事が適切なのか。
炎症を引かせる為に消炎剤を使う事が適切なのか。
血圧が上がったから降圧薬を飲む事が適切なのか。
コレステロールが上がったから低下剤を飲む事が適切なのか。
アトピーが出来たらステロイドを使うのが適切なのか。
疲れたからチョコレートを食べるのが適切なのか。
眠れないから睡眠薬を使うのが適切なのか。
椎間板ヘルニアだからヘルニアを除去するのが適切なのか。
 
片や、適切だと思っている医療の世界があり、適切だと思っている患者がいます。
片や、不適切だと思っている医療の世界もあり、不適切だと思っている患者もいます。
 
元も子もない話しをすれば、医療の世界には適切も不適切も現状では存在し得ないと思います。
患者に対して適切だと創り上げられた医療行為は、
根っこを辿れば製薬会社や医療業界の喧伝によるものもあるでしょうし、
製菓会社やメディアが創り上げた社会の毒の結果かもしれません。
 
患者の命を救う為、医療は日夜、生きるか死ぬかの患者に対して向き合っています。
しかし、その医療行為すらも間違いであった場合、我々は生きるものも死に、
死ななくても重篤な後遺症を残す結果になるかもしれません。
 
下記の日記を今回は見てみましょう。
過去の当ブログを見て頂いている方であれば、
○○ちゃんが脳症に至ったトリガーは何処で引かれたか分かると思います。
下記の患者は医療で後遺症を残したのかもしれません。
 
但し、下記の日記内に書かれている内容を見る限り、「医療過誤(過失)」とはならないでしょう。
勿論、治療を施した側も脳症を発症させようと思って治療した訳でもないでしょうし、
患者サイドとしては医療によって後遺症を残したと思いたくもないでしょう。
要らぬ憎悪の念を抱きたくもないでしょうし、知りたくもない内容かもしれません。
 
そして、前も精神科領域にて書いたかもしれませんが、
医療機関が「何もしなくて何かが起きた場合、裁判で負ける」という状況でもあります。
 
調べあげて知る事が出来た内容が、世間一般では当たり前の医療行為であり、
ガイドライン上に記されていたとしても、それが間違えだったらと考えた事はないでしょうか。
調べる事は大切です。知る事も大切です。
 
しかし、本当に自身にとって有益な結果を齎しているか否かは別だと考える思考が大切です。
1つだけ言える事は、「自分の身体は自分の身体が治してくれる」事を自覚していれば、
今後の人生に於いて取捨選択も容易になるでしょう。
 
鍼灸院の現場にいれば、実害に遭われた方々と対峙する事になります。
健康な人は基本的に来ないですから。
実害に遭われた方は、多くの反省と後悔より、今後の取捨選択も出来るでしょう。
但し、現在被害に遭われていない方、及び、被害に遭っていると自覚されていない方にとっては、
過去から現在に掛けての当ブログの内容に関しても、訳が分からない状態かもしれません。
 
後悔先に立たずです。医療の世界程、泣き寝入りが蔓延っているのではないでしょうか。
取り返しの付かぬ事態になる前に、自身が受けている「医療」や「投薬」が、
「自身の症状」と本当にリンクしているか、自身の身体を良くも悪くも育て上げた食べ物が、
本当に必要だったのか不必要だったのか、改めて見直すのも良いかもしれません。
 
※参考関連⇒「何もしない事」と「引く事」が一番の予防
         
         何の為の「予防」で、何の為の「治療」なのか

 
2月26日(月)
 
夜寝る前(8時くらいだったか?)「おなかいたいわ(ノ_・。)」と。
言葉が増え、会話もできるようになってきていた○○。
初めて『体調の悪さ』を言うことができたのが、この時だった。
それが嬉しくて、「お腹痛いん?」と聞き返してみると、
「うん。○○ちゃんおなかいたいわ。」と答えた。
 
その後、少しきばっている様子(笑) 
オムツの中を見ると、少しゆるいウンチ。
下痢という程でもなく、いつもより少しゆるいかな?という程度。
(痙攣を起こすまで、排便は結局この1回だけだった。)
オムツを替え、念のため検温。37.4℃。
明日はちょうど火曜日だし、病院へ連れて行こう・・・。
 
そう思って、その日は休んだ。
(近くの××病院は常勤の小児科医がいなく、火・木曜の週2回、別の病院から医師が来ている。
その内ひとつの病院が、今の○○のかかりつけ病院である。)
 
2月27日(火)
 
朝から機嫌はいい。熱は38.0℃。少し上がってきたな・・・。
○○と△△を連れ病院へ。診察前の検温は37℃台。
私も頭痛と寒気。長い待ち時間、2人をみるのがかなりきつい。
ダメもとで、母の職場にSOSのTEL。
1時間年休を取ってくれることになった。助かった・・・。
やっと順番がきて、診察室へ。
 
「カゼかなぁ。」ということで、
セフゾン,エンテロノン-R,ムコダインシロップ,ポララミンシロップ,
頓服にカロナールを処方してもらい実家に帰った。
 
○○38.3℃。私38.5℃。食欲もなく、取りあえず寝た。
先週の土曜日(2/24)、クソ寒い中、○○と2人公園で遊んだのが原因だな。きっとそうだ・・・。
私の熱が下がるまで、実家でいよう。自宅まで車で10分もかからない。何の不便もないや・・・。

 
2月28日(水)

39.7℃の私。だるくて、布団から出られない。
○○は、38.0~39.5℃をいったりきたりしていた様に思う。
食欲もない様子。嘔吐下痢もなく、38℃台になると、プーさんの車に乗って遊んだりもしていた。
私も食欲がなく、乳の出が悪い。そのせいか、△△もよく泣いていた。
 
○○もしんどいせいか、泣いている△△に腹が立つらしく、
「△△ちゃんうるさいわぁー」と布団を叩いていた。
(△△に話しかけた?のは、これが最後となった。)

夜7時すぎ、○○40.4℃。
母が、「病院行った方がいいんちゃう?」と。
39.7℃から下がらない私は、「明日、木曜やし。明日でいい。」と答えた。
でも・・・。虫の知らせだろうか、「やっぱり病院に行こう。」と思い直した。
で、なぜか、いつも救急で行く総合病院(車で50分)ではなく、
一度しかかかったことのない総合病院(車で1時間半)にTELをかけた。
 
案の定、「近くの病院で診てもらえないんですか?熱だけなら・・・。
来てもらってもすぐ下がりませんし、今日は様子をみて、朝になってから・・・。」との返答。
食い下がらない私に、「まぁ、どうしても心配なら一応来てもらっても。診てもらうだけですけど・・・。」と。腹が立っていたが、「心配なので連れて行きます。」と言ってガチャン。
(ムカついて、「もう結構です!!」なんて言わなくて良かった・・・。)

この日、ダンナは夜業だった。
私は運転する体力もなく、母に連れて行ってもらうことにした。
△△をチャイルドシートに乗せ、私も後ろに倒れこんだ。
助手席で、○○が歌っていた。ゆずの「もうすぐ30才」
熱でうなされながら、「もうすぐ30さぁーい」と・・・。

病院に着いたのは、もう午後9時をまわっていたと思う。
救急外来で受け付けを済ませ、検温するように言われ、待合いのイスで待っていた。
40.6℃。抱っこしているのに、「かあさん、だっこしてぇ。」と。
 
「抱っこしたぁるで。」と言って、ギュッとすると今度は、「かあさん、おうちかえろう。」と何度も言う。
「うん。お医者さんにもしもししてもらってからね。それからお家帰ろうね。」と答えていた。
突然、腕の中の○○が「ガクンッ」と。
痙攣を起こした。
「痙攣です。看護師さん、痙攣起こしました!」母が叫んだ。

2月28日(水)~3月1日(木)

救急処置室のベッドの上、全身をバタンバタン打ちつけていた。
初めて痙攣を見た私は、驚いていたように思う・・・。
口の中を切っているのか、血が出ていた。唾液と一緒にどんどん流れていた。
酸素マスクの隙間から、吸引してくれていた。
△△をおんぶし、「○○ちゃん、○○ちゃん。」と泣き、取り乱している母。
 
私は・・・冷静だった。イヤ、理解出来ていなかっただけかもしれない・・・。
時間が止まっているんじゃないかと思うほど長く感じ、
「先生、長くないですか?」と聞いた。
「そんな事ないです。今、薬も入れましたから。」
多分、ジアゼパム静注。8分で治まる。インフルエンザ(-)

入院することになり、CTを撮り、病室へ上がった。
CT室から出てきた時、「便をしているみたいなので・・・。」と言われた。
病室で、ベッドへ移そうとすると、オムツから漏れパジャマを汚すほどの下痢だった。

先生が来て、また採血。1時間おきくらいに何度かしていた。
痙攣を起こす→薬を入れる。3度程繰り返した様な気がする。
最後は、「強い薬を入れるので。」と言われ、処置室へ連れて行かれた。
なかなか戻って来なく、帰って来た時には、点滴が増えていた。
病室でもインフルエンザを調べた。また(-)。
 
「GOT、GPT、LDH、アンモニア、乳酸などが高い」と説明を受ける。
そして「インフルエンザは陰性ですけど、インフルエンザ脳症として治療していきます。」とも説明。
でもこの時、「インフルエンザ」と「インフルエンザ脳症」の違いがよくわからず、「???」と思った。
そしてあくまで、「熱が高かったから痙攣を起こした=熱性痙攣=乳幼児にはよくある事だろう。」
そんな風に解釈していた・・・。(バカな母親だ・・・。)
ダンナにも、メールで知らせた。すると、「命に別状はないん?」と返ってきた。
「大げさやなぁ( ´艸`)」と笑った。
まさかそんな状況を心配する時がくるなんて、この時は夢にも思っていなかったから・・・。

最後の痙攣のあと、○○は落ち着いているように見えた。
今日も仕事の母は、「ちょっとだけ休むわ。」と言って、目を閉じていた。
(3月。卒園式の準備などで忙しい。
仕事を休むわけにはいかない母は、1時間も眠れなかっただろうが、朝6時前には帰って行った。 
※母は保育士をしている。)

母と代わり、△△を抱っこし、眠っている○○の顔を見ていた。
この時は、「今日(3/1)日中、痙攣を起こさなかったら、数日で帰れるかな。」とそんな風に思っていた。

朝、ダンナも到着。(時間は全く覚えていない。多分、7時とかそんな感じかな。)
CT、エコー、心電図、レントゲン、MRI。色々検査をしていた。お昼すぎ、主治医から説明を受ける。
 
「急性脳症」との診断。
「心臓の動きも悪いので、重症です。原因は不明で、後遺症として発達遅延なども考えられます。
ステロイド・パルス療法、ガンマグロブリン療法を行います。」
 
そんな感じの話だった。びっくりはしたが、危機感はなかった。大丈夫だと思っていた。
この日、点滴が7本に増えていた。気が張っていたせいか、日中は37.8℃に下がっていた私だったが、
夜には悪寒がし、39.8℃まで上がっていた。

(これは後々に分かった事だが、脳症発症と同時に急性心筋炎を併発していたらしい。
しかし、今までにそんな症例はなく、「心筋炎」だとは分からなかったらしい。
この時は「心臓の動きも悪い」という説明だったが、
実際はいつ止まってもおかしくなかったと、後から教えられた。)
実際は痙攣が7回だった。2月末のカルテ開示まで勘違いしていた。

3月2日(金)

夕方、再び説明を受けた。急性期は過ぎたとの事。ホッ。
ドルミカムを切っていく方向で・・・。
しかし、夜中に痙攣。ドルミカムを再開。回復に向かっていると思ったものの、
まだどうなるか分からない・・・。

この日から、ドルミカムを減らすと、痙攣を起こし、また増量。
そんなことを何度となく繰り返していた。でも、心臓の方は少しずつ良くなっていた。

3月6日(火)

お昼前、主治医が「お父さん、何時くらいに来られますか?」と聞いてきた。
(私)「今日は来ませんけど・・・。」
(先)「じゃ、明日は?」
(私)「明日も来ません。週末まで来ませんが。」
(先)「今日のMRIの結果と、今までの経緯をお話したいので・・・。」
(私)「私聞きますけど。一人じゃダメですか?」
(先)「お父さんも一緒に聞いていただいた方が・・・。」
取りあえず、ダンナにTEL。昼から年休取ってもらった。

何となく悪いのかな?と思った。ルートはいっぱいだし、脳波も付いてて、見た目は大変そう。
でも、痙攣起こってくる以外は落ち着いてる様に思うんだけどなぁ・・・。

夕方、眼科の先生が診察に来た。眼圧正常。ステロイドを大量に使うと、
先々色んな合併症を起こすかもしれないという話を聞いた。「大変だなぁ。」そう思った。

鼻のチューブから、15cc/Hで、ミルクを入れてくれることになった。
午後8時頃だったか、やっとカンファ室に呼ばれた。
(これなら年休取らなくても、仕事終わって走ってもらえば良かった・・・。)
夕方の、眼科の先生の話での心配なんて、一瞬にして吹っ飛んだ。

「治療をしたにも関わらず、脳の腫れが止まりません。
このままだと、脳幹を圧迫して呼吸を止めます。
もし、腫れが止まったとしても、目を覚ましてこないかもしれません。
目を覚ましても、最重度の後遺症は覚悟して下さい。」
 
頭が真っ白になった。先生が話してるのは、○○の事なんだろうか?そう思った。
「元の、元気な○○くんに戻してあげる事が出来ず、
こんな結果になってしまった事、申し訳なく思っています。」
先生の目が少し潤んでいたように見えた。
私が泣いていたから、涙でそう見えたのかもしれない。

ダンナは泣いていなかった。多分、私が泣いたからだ・・・。
初日から、○○を見ては、すぐ泣いていたダンナ。いつも泣いていた。
私は、△△の世話もあるし、泣いてる暇はなかった。この時、初めて泣いた。

病室に戻ると、○○のベッドの傍で、ベビーカーの中の△△も眠っていた。
「こんなに小さい2人が、がんばってるのに・・。私、しっかりせんと・・・。」そう思った。

「命さえ助かれば・・・。その後の事は、その時々で考えよう。」と、ダンナが言った。
この後、一人帰ったダンナ。帰りの車、きっと泣き崩れただろう。
元気な時の思い出がいっぱいの自宅で、一人過ごすのは、本当に辛かったと思う。
病院で、毎日一緒の私の方が、どれだけ良かったか・・・。

ノロウィルスの検査をしたのは、3/12だった。
髄液やら色々調べたが、出たのは便からの「ノロ」だけだった。
嘔吐下痢の症状がなかったので、驚いた。そんな症状出る前に、脳症になってしまったようだ。

ステロイド・パルス療法を2クール。
脳の萎縮が始まっているので、3クール目はできなかった。

薬をきってみないと分からない・・・。と言われていた意識レベル。
薬を切る前と後では、ほとんど変わりなかった。
音への反応は少しあるような気がしたが、追視はなし。
首もすわっってなかった。
歯ぎしりがひどく、歯が折れてしまうんじゃないかと思うほどだった。
(案の定、下の前歯がグラグラになってしまった。)

3月末、脳血流の検査をした。
大脳の部分はほぼ真っ青だった。
「こんなものなのか?」と思っていたが、
小脳の部分は黄~赤だったので、改めて、大脳のダメージの大きさに驚いた。
脳血流を増やすため、ヒルトニンも3クール行った。
でも、萎縮が進み、血流は悪くなっていた・・・。

日に日に身体の緊張が強くなっていき、ずっと、反り返っていた。
泣き声を上げることはできた。
本当に苦しそうな泣き声で、顔は紅潮し、全身に力が入っていた。
でも、唯一、聞ける○○の声。
いつか、笑い声が聞きたいと、いつも願っていた。

嚥下はもう無理だろうと言われた。
(6月、○○病院にリハビリ入院してから、訓練開始。
少しずつ練習し、トロミつきのミキサー食をたべていたが、11月からストップ中)


2007年5月 1日:身体障害者手帳(1種1級)取得。
2007年5月23日:療育手帳A1(最重度)取得。

【予約制】 0173-74-9045 又は 050-1088-2488
                             (繋がらない場合は090-3983-1921)
【診療時間】 7:00~21:00 時間外対応可
【休診日】 なし 土・日・祝祭日、お盆、正月も診療しています
緊急性の低いご相談に関してはメールでも受け付けています。
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 ~鍼治療から病態把握の見直しを~