藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

幾許かの希望に掛ける想いは治療者側とて同じ事


私とて受話器の先から聞こえる数々の重篤な病名は全て誤診であったと願いたい。
死が目前に迫る病名が誤診であれば、鍼灸治療で一気に症状は改善されていくからだ。
 
しかし、残念ながら全てが誤診である訳もない。
医療の発達は希望を見出すと同時に、無慈悲な現実を患者に突きつける事もある。
 
先に書いておくが、整形外科領域の大半は誤診ではなく誤認である。
精神科領域に関しては誤診や誤認という言葉自体も存在しない。
その意味を知りたければ過去の内容に目を通して貰えば分かる事。
今回はそのような領域の話ではない。
 
数々の医療機関を渡り歩く度に病名が変わる。
容赦なく流れる時間は容態を悪化させていく。
時間が止まればどれだけ良いかと思った事もあるだろう。
患者の時間が止まる時はあれど、時間は容赦なく流れ続ける。
 
我々は生きている。
 
生きているから時間の流れを感じ、痛みを感じている。
それだけは忘れてはいけないと思う。

事実を捻じ曲げる事は出来ない。
世の中には事実から目を背けた順番から死んでいく病が存在する。
 
医学では語れない?
科学では語れない?
事実では語れない?
根拠では語れない?
 
だったら何で語れば良いのか。
 
アナタが思うように語れば良い。
我々は受け売り話を聞きたいとは思っていないし、
言い訳を聞く為にいる訳でもない。
 
我々はアナタが思い続ける話を聞きたいのであり、
治りたいかどうかを問うているのだ。
 
諦めるには早過ぎるのではないだろうか。
治りたいと強く願い続ける患者に対して、我々が妥協する事はない。
 
診断を下したのは一個人の人間なのだ。
一個人の発言に踊らされる程、人間は弱くてはいけないと思う。
一個人の発言で人生に幕を下ろすような弱さを持ってはいけない。


ある年のクリスマスに、綾子さん(仮名)のお子さんが、サンタに手紙を書きました。
綾子さんは、子供が寝ついた後に、プレゼントを選ぶために、
子供の書いたそのサンタへのお願いの手紙をゆっくりと広げて読んでみます。
すると、そこには、たどたどしい字で次のようにあります。
 
「おかあさんのびょうきをなおしてください。おかあさんのびょうきがなおるくすりをください。」
 
そして、先に書いてあった欲しくて欲しくてたまらなかったDSのソフトのところは斜線で消してあり、
「これはいりませんお願いします」と書いてあったそうです。
綾子さんはいわゆる難病で根治治療法のない病気を抱えていた為、
子供にはいろいろと不自由な思いをさせていたようですが、その年の初詣では、子供が、
 
「神様、どうかおかあさんをながいきさせてください。おねがいします。」

と言っていたのを後で知ったそうです。
 
綾子さんは、この病気の為に落ち込んでしまう事もよくあったようですが、
このお子さんの思いを知って、子供の為にも元気でいなくちゃいけないと思い直したそうです。
 
人は落ち込んだ時、周りの人から励ましの言葉を受ける事で、希望を見出します。
たった一つの何気ない言葉であったとしても言葉にはその人の心を180度変える力があります。 
何故なら、言葉は言霊と言われるように人の魂が宿るからです。
 
従って、いくら素晴らしく、感動を与える言葉であったとしても、
そこに魂がこもっていなかったら人の心を動かす事はできません。
一方で、たとえたどたどしく、洗練されていない言葉であったとしても、純真で本当に心から
その人を思い、発した言葉であったなら、人の魂を揺さぶります。
 
綾子さんのお子さんは、本当に綾子さんの事が大好きで、何よりも大切な存在であり、
心の底から綾子さんの病気がなおって欲しいと思っていたのだと思います。
たとえ、小さな子供の一言であったとしても、100人の励ましの言葉よりも、大きな力を持ちえるのです。
 
大人になってからも、実は人を感動させるのは、子供のような純真な言葉であり、
決して洗練された、スマートな言葉ではないのです。
まっすぐな気持ちを、ありのままに伝える事が大切なのです。
 
年を重ねても、人生を歩む過程で、逆に子供の純真な心に戻る事は可能です。
みなさまが、澄み渡る冬の青空のような純真な心を取り戻し、幸せな気持ちで満たされますように・・。


日本警察の「死体検索」システムの土台は、
いまだに体表観察の「検視」だ。最先端の医療機器で高度な診断を行う時代に、
「死体検索」は昭和24年に死体解剖保存法が制定されて以来、全く進歩せずに今日に至っている。
体表観察で犯罪関連死体かどうか判断する、それが科学警察を標榜する現代の警察の初動捜査なのだ。
 
検視と画像診断の併用事例を比較すると、検視のみによる死亡時診断と、
その後に行われた画像診断による確定診断では、20人中4人に診断の食い違いがあった、
という報告もある。 検視単独では、誤診率は実に20%。
この比率を年間100万人の死者に当てはめれば、
死亡時に誤診される人数は年間実に20万人にものぼる。
 
既存のシステムの擁護者は「体表から調べて怪しければ、解剖するから間違いない」と言う。
しかし解剖実施率は2%台で、年間3万体前後。 2005年度の死者101万人のうち変死者数は
約15万体(交通事故関係を除く)。 司法解剖行政解剖という変死者用の解剖で対応できたのは
1万3570体。 解剖が必須の死体に対してすら解剖率9%である。
 
解剖症例2787例について解析しているが、そこには衝撃的な数字が記載されている。
 
「臨床診断」と解剖施行後の「病理診断」の一致率は88.3%だ、というのだ。
この場合「臨床診断」とは、検案のみで行う診断で、主病名ならびに直接死因である。
その症例に解剖施行した場合、12%の症例で診断が変わった、というのである。
 
つまり解剖を行わなければ、死亡時臨床診断は一割以上は誤診しているのである。
注目点は、この「臨床診断」は、病院で緻密に経過観察をしていた症例が大半だ、という点だ。
高度な医療情報を有する症例さえ、解剖なしでは12%の誤診率を含むのだ。
解剖なしの臨床診断の誤診率は12%。 この数字を記憶にとどめておいてほしい。
 
ちなみに欧米の論文にはもっと衝撃的なデータがあり、
解剖を行うと生前診断には30%以上のエラーがある、という論文も発表されている。 

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