前項の投薬量は入院患者だけに限った事ではありません。
多剤の実態を知っている人にとっては当たり前の世界ですが、
患者当事者及び患者家族に知識が無ければ一気に巻き込まれます。
下記の患者に対しての投薬量を見て、
「私は少ないから安心」と思わないようにしてもらいたいのです。
彼女も始めは「少なかった」のです。
典型的な増量であり、珍しいものではありません。
このような例は何百も存在します。
20代 女性 主婦
始めは軽い不眠で内科へ受診しました。
診断は「不眠」と「うつ」だろうと言われ、
2~3種類の薬を貰って帰ってきました。
始めは良く眠れましたが、直ぐに薬が効かなくなり、
先生の診察とカウンセリング、チェックシートで
再度「不眠」と「うつ」と診断されました。
薬の量は、当初の内科より少し増えた程度でした。
始めの内は良く眠れ、凄く楽になりました。
しかし直ぐに眠れなくなり、相談をする度に薬が増えていき、
最終的には10種類以上の量(下記参照)となり、毎日服薬し続けました。
レメロン (抗うつ剤) 15mg
ロゼレム (睡眠薬) 8mg
私は当時、薬の知識は全くなく、主治医が出す薬に間違いはないだろうという思いで毎日飲んでいました。
度々、一か月分を半月で飲んでしまう事が多々ありましたが、
主治医は何事もないように一ヶ月分を処方してきました。
薬の事(危険性)を知らなかった私は、
少しでも嫌な事がある度にオーバードーズを繰り返すようになっていました。
オーバードーズを繰り返す日々で意識は朦朧とし、急に倒れる事が毎日のようになりました。
通りすがりの人に救急車を呼ばれたこともありました。
身体に生傷が絶えませんでした。痛いとか悲しいという感情はなく、無意識にリストカットを繰り返していました。
飛び降り自殺や、包丁での自殺をしようとしましたが、未遂で終わりました。
当時は自殺をしたいという気持ちが酷かったです。
主人への感情をコントロール出来ず、首を絞めたこともありました。
これらの症状(衝動)は、全て通院前には無かった症状ばかりです。
薬を飲み続ける度に、私が私ではなくなるようでした。
精神科には結果的に6年間通いました。
そんな折、周囲から「薬が多すぎる」、「おかしい」と指摘がありました。
私も多いと思っていましたが、その当時は主治医が出す薬を信じていました。
その後、○○さんに薬の表を見せると、「多剤大量療法」という言葉を知りました。
今、私は減薬していますが、
離脱症状により、睡眠時間が不安定となり、意味もなく泣いたり、身体の痛み、
動悸、イライラ、手の振るえ、感情のコントロールが出来ないという状況が続いています。
主婦としての仕事が上手く出来ない状態にイライラしています。
でも、主人との間に健康な子供を授かりたいという思いで今は頑張っています。
精神科の薬は決して病気を良くしてくれないということを身を以って体験しました。
今はバックアップしてくれている○○さん、家族に感謝しています。
私は6年間の間、薬漬けとなっていました。
もう1人、ご紹介します。
私は2002年、24週と4日、814グラムで生まれた早産時の母親です。
私は子供を出産した国立○○の○○科で治療を受けました。
当時は育児相談に訪れた○○科が精神科医だという事は知りませんでした。
次々に抗精神薬を投与され、日常生活にも支障を来すようになりました。
主治医に「貴女は精神障害者だから」と言い渡されたショックは今でも忘れる事が出来ません。
小さく生まれた子供を育てるには、様々な試練があります。
当時の私は育児に悩んでいましたので、うつ状態、或いは軽度のうつと診断されても
おかしくない状態だったと思います。
しかし、私は精神科医の治療を望んではいませんでした。
何故なら、精神科は薬物治療が中心だと思っていましたし、
自分でもそこまでの治療は考えていなかったからです。
○○科という名前は育児の悩みを聞いてくれる所だとばかり思っていました。
不安の原因は未熟児の育児に関して正しい情報が少ない事や、福祉や教育の不備面です。
これらが、薬によって治るものではありません。
全てを心の問題にすり変えてはいけないと思います。
私は受診してから一ヶ月で3剤に増量され、最終的には4剤を処方されました。
勿論、量も増えていきました。
薬の副作用でフラフラし、階段から落ちたり、色が変わって見えたり、
決して状態が良くなった訳ではありません。
息子が生まれたのは8月6日でした。
奇しくも広島に原爆が投下された日です。
テレビ画面に映し出された原爆投下の悲惨な光景と、
その中で力強く生き抜いていく人々の姿は、私に生きる意味を深く問いかけました。
幼い我が子を守る母親の姿は、極小未熟児で生まれた息子と、出血多量で状態が悪い自分と、
どこか重なって見えました。どんな過酷な運命にも負けず、
「貴女は自分の人生を精一杯生きなさい」と言われているようでした。
私達親子は、最新の医療によって命を助けて頂きました。
取り上げて頂いた産科の先生や、
その後を引き継いで救命して頂いた新生児科の先生の姿は今でも忘れられません。
息子には呼吸障害や未熟児網膜症があり、ミルクの誤嚥による呼吸停止や胆石等、
2回の救急搬送含め、何度も命の危機がありましたが、その度に助けて頂きました。
幸い、現在は小学4年生となり、毎日元気に学校に通っています。
それらを思い返すと、感謝の気持ちと共に、日本の医療の素晴らしさを実感しました。
しかし、同じ医療でも精神医療は全く違うものでした。
患者の人権が蔑ろにされている世界でした。
精神医療では、診断そのものが正しいものか分かりません。
診断名も都合の良いように変えられ、薬の副作用で起きた体調悪化まで私のせいにされました。
死に至る重大な副作用があっても亡くなった方は訴える事が出来ません。
多剤大量処方で中毒死した被害者のご遺族には
「薬を欲しがる中毒患者だから」という聞くに堪えない言葉が投げかけられます。
例え被害者本人が訴えたとしても、精神科の通院歴の為に、差別や偏見、
言葉では言い尽くせぬ数々の困難が待ち受けています。
日本は人が死んでも変わらない国です。
後何人死んだら変わるのでしょうか。 ※彼女は2010年に断薬成功しています。