精神科医に対しては
「薬を出すしか能がない」
「次々と新しい薬を出してくる」
「薬をなかなか減らしてくれない」
という批判があるのも事実です。
わたし自身も、「こういう批判があるのも仕方がない」という認識を持っています。
「薬を出すしか能がない」
「次々と新しい薬を出してくる」
「薬をなかなか減らしてくれない」
という批判があるのも事実です。
わたし自身も、「こういう批判があるのも仕方がない」という認識を持っています。
初診からいきなり多種類の薬剤を大量に用いる、あるいはどんどん薬剤の種類が増える一方、などです。
飲んでいる薬を減量・整理することから治療が始まるケースも珍しくありません。
減量しただけで状態が良くなったという人も、実際には存在します。
二つ目の理由として、製薬会社によるキャンペーンに、医師が無批判に従っていることが挙げられます。
「疾患喧伝」「病気の押し売り」(disease mongering)とは、病気と言うほどではない心身の不調を指して、
「病気だから大変だ」と騒ぎ立て、「医者にかかったほうがいい」「治療しないと危険だ」だのと、
やかましく説いてまわることをいいます。
データを読み取る能力が医師にあることが求められますが、
実際には「権威ある論文から」「○×教授監修」という裏付けに、頼ることになります。
しかし、製薬会社のパンフレットに、長年にわたって頻回に顔出しで登場する医師は「御用医者」と疑い、
客観的に自分の目でデータを見る能力が必要になります。
「薬漬け」:医療側からの弁解
「薬ばかり処方して」
という批判に医療側から言い訳をするならば、「薄利多売」の精神科医療の問題が挙げられます。
精神科の医療報酬、特に外来では「通院精神療法」が重要な報酬源です。
「薬ばかり処方して」
という批判に医療側から言い訳をするならば、「薄利多売」の精神科医療の問題が挙げられます。
精神科の医療報酬、特に外来では「通院精神療法」が重要な報酬源です。
30分以上は400点、30分未満は330点です(1点=10円)。
これで言えることは、「たくさんの患者を診た方が儲かる」「ていねいにじっくり診るともうからない」という、
単純な法則です。
「とりあえず薬」「薬は飲むな」極論からの脱却はあるのか
反医学・反薬剤・反精神医学を断定調に叫ぶ書籍が、ベストセラーになっています。
反医学・反薬剤・反精神医学を断定調に叫ぶ書籍が、ベストセラーになっています。
「とにかく医者へ」「とりあえず薬」のアンチテーゼでしょうが、
適切な医療を受けるべき人が断定本を誤って信じ込み、
不幸な結果に終わる例も実際には存在します。
ただ、製薬会社をすべて悪と決めつけるのも、極論です。
ただ、製薬会社をすべて悪と決めつけるのも、極論です。
病気の克服に情熱を注いでいる研究者の存在も忘れてはいけません。
高い企業理念に基づいて、開発から販売を進めている製薬会社もあるはずです。
また、精神医療における薬剤は、多くの患者を救ってきたのも事実です。
わたしも、薬剤がなければまともな診療はできないと考えています。
ただ「薬漬け」の責任が処方を実際に行ってきた精神科医にあるのは、事実です。
自戒としては、製薬会社からのコマーシャルを鵜呑みにせず、権威ある「御用医者」の意見を疑って、
薬剤に対する知識を謙虚に高めていくしかないのではないでしょうか。
それに関する問題点はすでに述べているので省くが、投与された薬の影響で今度は逆に暴れたり、
今度は抗精神病薬(メジャートランキライザー)という薬剤が処方される。
そしてここが重要な問題である。
と疑い始める結果、脳の中のレセプターと呼ばれる「受け皿」を増やすようになる。
しかしここで急に薬を止めたり減薬したりするとどうなるだろうか。
これを過敏性精神病や、薬剤性精神病などと呼ぶ。この理論もまた他のものと同じく、
仮説の域を出ていないのだが、こうしたケースは臨床の現場では非常に多く起きているのである。
つまりどういうことかと言うと、統合失調症ではなかったのに、
しかもその判断がいかに本人の苦痛ではなく、周囲の苦痛に左右されているかがわかると思う。
そして日本の精神科の治療とは薬物投与でしかないことや、そういった薬物投与がいかに無意味であり、
それは単なる利益追求の儲け主義でしかないこともわかる。
非科学的なことを根拠とした診断で薬を投与し、多くの人々の人間性を損なっている行為は、
親ではなく、社会ではなく、本人がどうしたいかの望みを最優先する医師がどこかにいることを信じたい。
相手が怒っても泣いても、喜ぼうが叫ぼうが、喧嘩しようが、病名を決め付ける診断や薬の投与ではなく、
医師はそれぞれその工夫をすればよいし、癒しの能力があると思う人はそれを使えばよい、
スパルタ式が自分には向いていると思えばそうすればよい。
しかし私の知る限り、そのような医師にはお目にかかったことはない。
そしてごく数少ない良識的精神科医と呼ばれる人たちでさえ、必ず精神薬を使う。
それは抗精神病薬(メジャートランキライザー)を使わない代わりに、
子どもを薬漬けにする親たちの自己都合的な行動を擁護するつもりはまったくない。
自閉症は親には関係ないなどとする、事実を無視した都合のいい意見などは潰れてほしいと思う。
私は、患者たちに大量投与の多剤療法や電気けいれん療法を行なったり、
医療観察法により一生病院へ入れておくことは反対である。
そんなことをしなくとも、患者たちがもし社会においてトラブルを起こしたなら、
ひたすら法律にのっとって彼らの違法行為を裁けばいいのだ。
なぜなら精神病院でそういった治療とされるものを施すことは、
なぜなら精神病院でそういった治療とされるものを施すことは、
法律によって刑罰を受けることよりもはるかに現実的で深刻な罪であるからだ。
そしていったん精神病院へ入ってしまうと社会復帰への道は極端に狭くなる。
しかしどうして精神科の悲劇が起きてしまうのだろうか。
それは「精神科医性善説」という考え方が元にあるからである。しかしそのような理屈が通るわけもなく、
しかしどうして精神科の悲劇が起きてしまうのだろうか。
それは「精神科医性善説」という考え方が元にあるからである。しかしそのような理屈が通るわけもなく、
精神医療とは西欧社会において生み出された「優生学」を元にしており、
歴史において収容隔離を基本とした悪なのである。それでも存在価値があるというなら、それは必要悪である。
精神病のすべては、医学的、科学的には証明することができず、
精神病のすべては、医学的、科学的には証明することができず、
しかも人間性に関わるものなのですぐに人権侵害につながるのだ。
そのゆえに本来精神医療というものは、本人の意志と選択をもっとも重視して行なうとする考え方なしには、
成り立たないものなのである。しかも精神薬として使われている薬はそのほとんどが猛毒であり、
取り返しのつかない依存性を持ち、脳を破壊していく。そのような薬で治療などできるはずがなく、
それをなぜ治療と呼ぶことができるのだろうか?
理解させ、それでも飲むことを希望するものだけが精神医療を受ければよいのであるが、
ほとんどの人々は知らずに猛毒を身体に入れているのである。日本人は権威というものに弱く、
権威を振りかざされると目がくらみ、「精神科医の先生」がおっしゃることは正しいに決まっていると考えると、
なぜなら恣意的に作り出された多くの病名そのものが誤診と呼ぶべきものだからである。
これまで指摘してきたように、精神病と呼ばれる病名のほとんどすべてが医師の主観によって
左右されるものであり、周囲の事情によっても左右されるほど曖昧なものである。