藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

臨床的疼痛学問が発展し難い理由2


脳外や整形の多くは圧迫圧挫に興味を示し、薬の多くは止めたり出したりする事に興味を示し、神経生理は何処を切断する事で何処が悪いかを検証する事に興味を示しと、それぞれの居場所や立ち位置で考え方や遣り方は全て異なり、発言内容も見立ても異なりますし、勿論、同一業界にいる人間とて異なるものです。
そのような中、整形的な居場所にいる方々を見てみましょう。神経の圧迫圧挫の所見が取れなければ筋肉や筋膜等の軟部組織に重きを置く場合もあるかもしれませんし、これら筋膜筋肉、靭帯や腱等を標榜した保存的治療で抵抗性を示した場合は一層キレのある薬物が処方されるかもしれません。心因性と見做されるケースもあるでしょうし、ここ最近は初期から向精神薬オピオイド系で頭抑えをする場合もあるでしょう。そして、何故このような状況にばかり昨今の患者は陥り続けるのかも整形と言う枠組みの中でだけ勘案しても恐らく答えは導き出せないかもしれません。
治療に抵抗性を示したら心療内科や精神科の受療を促す場合もあるかもしれません。精神医療や向精神薬は整形領域のみならず、他科の治療で抵抗性を示した症状、又は既存病態定義のプライドを守る為に存在するよう見受けられます。しかし、何でもかんでも頭抑えをする薬物で封じ込めた場合、痛み治療は発展し難く、取り込み続けた患者の身体内部でのリスクは高まり続けます。
実際問題、圧迫圧挫、圧壊摩耗に伴う所見が無くとも同様な症状を呈している方々は多くいます。画像所見で認められなくても上肢や下肢に痛みを出している方々は沢山います。圧迫圧挫を仮に有していたとして、それを何かしかの観血的治療で解消させても、圧壊や摩耗部分を埋めたり固定しても症状に変化が出ない人も沢山います。これらの不遇な事例は画像所見に依存した弊害かもしれませんし、積極的治療を保険制度が制限している為かもしれませんし、元々の病態定義が異なる為に改善に至らぬケースもあるかもしれません。
痛みは多くの方々が抱える症状かもしれませんが、層が厚い故に軽視され続け、日常病や職業病だと揶揄され、層が厚い故に財政は圧迫され、益々今後も制限が掛かり続ける可能性もあり、様々な理由や事情が交わり合いながら迷走を続け、痛み治療は今後も続くと思います。それでも尚、少しずつでも前進させる為には、病態定義の見直しが必要であり、その為には既存病態定義の誤りを認めると言う、医学の分野とは既に関係ない自己のプライドを自己で潰す必要もあり、全ての過去の努力を自己で全力で水の泡にする事からが始まりなのかもしれません。
上肢に痛みがあり挙上し難く、写真を撮ったら腱板が切れていた。腱板を繋いでみたが症状は変わらなかったが、後に頚椎の神経根症である事が治療反応性から答えを導けた。膝が痛いからと関節内注射を幾度となく繰り返したが改善に至らず、変形も著しいと言う事で人工関節に置換したが症状に変化が無かったが、坐骨神経由来による偽陽性膝関節痛だったと治療反応性から答えを導いた。
股関節が痛いからと関節内注射を幾度となく繰り返したが改善に至らず人工関節に置換したが症状に変化が無かったが、大腿神経や閉鎖神経由来による偽陽性股関節痛だった。と、これらは誤診と言う言葉を用いるのが手っ取り早いのかもしれませんが、事情を知れば誤診と言う言葉を用いるのも少し酷に感じる一面もある事を上記の事情を知れば仕方ない事なのかもしれません。
仮に関節性~骨性が大元となる症状ではなく神経由来だとしても、現行制度のままでは積極的に対応出来るかも鑑みれば「この状況では仕方ないのでは」と思います。変えられないものは変えられませんし、変わらないものは変わりません。大きな物事を変えるには相当な時間と労力を要するものです。しかし、患者個人が考え方を変えれば、これ以上に軽いフットワークはないものと思います。
症状をヒアリングすれば、ある程度の原因部位のイメージは沸くかもしれませんが、痛みに限らず全ての症状は何を以て原因とするのかは治療をしてみなければ分からない側面もある為、なるべくならローリスク且つ、仮に症状改善に至らなかったとしても後戻り出来る位の治療から施行していくのが誠実な対応かと思うのですが、現行医療はいきなりハイリスクな手段から入り始める為、その後の尾の引き方も著しいのでしょうし、状態は混沌とし易いのかもしれません。
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私達の脳と脊髄を除く末梢神経系の侵害受容器は3つ。自由神経終末と後根神経節、脊髄後角です。痛覚として自覚可能な部位は温度や湿度、PH、圧力、損傷程度、プロスタグランディンやプラジキニン等の分泌具合で症状自覚の度合いも変容するかもしれませんし、基礎的身体状況下でも痛覚閾値は異なる為に一概には言えないかもしれませんし、特異的な身体を持ち合わせている場合はこの限りでもありません。
私達は手根管や胸郭、斜角筋が圧迫される事で当該抹消部位に痛みや痺れ、麻痺が出ると学び、梨状筋が圧迫される事で当該抹消部位に痛みや痺れ、麻痺が出ると学んできました。しかし、神経機能を振り返りながらこれらの既存定義を見直すと、これらの部位は神経圧迫が生じたところで痛みは出ない事に気付きます。痛みを先行させた病態論をツイツイ唱えたくなるクセがありますが、痛くない症状を振り返る事で痛いと言われている病態定義の矛盾点に気付け、治療精度は高まるのかもしれません。
表現的、訴え的には痺れも痛みと訴える事もあるかもしれませんし、痛みを痺れてる感覚として表現する場合もあるでしょう。脱力や麻痺の解釈も各々異なります。痺れを麻痺と捉える人もいるでしょう。その為、付き合わせる部分は数多くあるのかもしれません。整形領域的症状に罹患した事がある人ならもしかしたら自覚があるかもしれませんが、例えば橈骨神経や正中神経、尺骨神経に生じた場合、痛みは覚えず脱力及び皮膚感覚異常が生じているものと思います。脛骨神経や腓骨神経の麻痺も同様でしょう。これらは痛みは先行しません。
このように、電気信号が止められると麻痺が生じます。しかしながら、先程の手根管症候群胸郭出口症候群、斜角筋症候群、梨状筋症候群の現行の病態定義を振り返ると、橈骨神経や正中神経が圧迫された結果、上腕神経が圧迫された結果、頚腕神経叢が圧迫された結果、梨状筋が圧迫された結果、痛みが出ると言われています。椎間板ヘルニアは神経根が圧迫された結果とされ、脊柱管狭窄症は狭まった脊柱管で脈管がインピンジされた結果とされます。しかし、そこには侵害受容器は存在せず、痛みは出ないにも関わらず私たちは痛いと覚え、〇を付ける事で免許を取得する事になります。
流石に神経圧迫論の中でも脊椎変性疾患の類に関しては疑問視され見直されてきましたが、医学的には是正されつつある情報も、患者的には未だまだ根強く残っており、治療上の妨げになるケースは非常に多く感じらる事を現場に立っていれば実感出来ます。このように、病態定義を創設するにあたっての研究者が異なる歴史から、同様な神経圧迫が生じた症状解釈と言うのは全て異なってくるものですが、現場ではその混乱状態を押し通した解釈で説明されているケースは、これに限らず多くあります。
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このように神経圧迫論を1つ取り上げても同一科に於いて既に混沌とした矛盾を生じる病態定義のまま治療が行われている事により治療無効例が出る場合もあるかもしれませんし、誤診治療が生じている理由なのかもしれません。筋電図でどうとか神経学的検査でどうとか、画像所見がどうと言うのは前項でも書いた通り案外役に立たない、そして場合によってはその事で誤診のままの治療を確固たるものにしてしまい、結果治らないと言う状況も少なくないものです。その事から、患者は症状を抱え続け身体的及び精神的負担の蓄積になる事から、そのストレスが異なる症状を引き起こす事もあるのでしょう。
どの患者とて症状を自覚した場合、早期回復を望みます。その望みに応えられるべく取り組む必要はあるのですが上記の通り同一科でも矛盾の定義のまま歴史は進行している為に患者はジレンマを抱えてしまいます。しかし、理由が分かったと治療する場合も、今度は制度の壁があります。治療回数の制限です。1週間に1回しか出来ない治療もあるでしょう。もしかしたら1週間に3回行ったら治るかもしれない。しかし制度が認めていない為に出来ない治療もあります。
症状は重症例であるほど理想的にトントン拍子に階段を昇る事はなく、コンスタントに繰り返しながらの治療を経て初めて段階的収束に至る症例はあるもので、回数や期間を制限されている以上、その結果治らない→手術→しかし定義が異なる為治らない、と言う不遇な状況を抱えている患者と言うのも少なくありません。
又、異なる部位に治療をしても一時的に症状の改善を得られる場合もあるかもしれません。1~2時間だけ無痛になった事を治療効果あり、有効治療であると判断するのは少々誠実さに欠けると思われ、1~2時間後に同様なVAS値に戻ったのだとしたら、その治療部位、原因部位は異なると判断を下す勇気もいるかもしれませんし、異なる病態が潜んでいると判断する勇気もいるでしょう。5年も10年も1~2時間の無痛時間を有効治療であると判断したまま患者に時間を過ごさせる行為は恐らく日常茶飯事的に起きている事でしょう。
しかし残念ながら、痛い事を訴え続けるとプライドを守る為に、身体表現性疼痛だとか、既に整形領域とは異なる話が始まり事態はループします。このループを何処かで断ち切る必要性は高いものと思いますが、整形領域疾患は既に向精神薬オピオイド系の浸潤が年々強まり続けている為、少しでも治療に抵抗を示した場合、精神科領域の病名が下されずとも、結局は同様な事態に陥ります。話がループするだけなら身体リスクはないかもしれませんが、症状の強大化、難治化を引き起こす結果になる事は向精神薬被害に遭っている患者群が既に数十年も前から教えてくれています。

さて、このような混沌とした状況の中で幾つかの修正論を唱えていく必要もある事を現場を通して感じる部分もあり、前々から書いている事かもしれませんが改めて2つ簡単にまとめてみようと思います。

1)疼痛性症状と非疼痛性症状問わず、これらの区分けに「心因性」や「気のせい」、「精神異常」と言う非器質的状態と感情を介入させる事に対してのデメリット
テレビやネットや本を見ていても、様々な病名を目にする事になると思います。しかし、病名と言うのはあくまで病名であり、単独または複合的な症状が生じた結果、そしてそれらの症状が継続した結果、又は画像や血液検査の数値上等にて幾つか合致した際に充てがわれるものであり、病名が付いたからと、それが直接的に改善に結び付く例は殆どない事を知っていると思います。病名が付いただけでは治りません。あくまでその病名に対して奏功すると言われている治療がされ、症状が改善され、その治療が終了しても中長期的に症状が出なくなった事で始めて個人に宛てがわれた病名は削除されます。
これらを前提として考え、そして心因性や精神異常を由来とする症状が仮に世の中に存在し、それが治療で改善されたのだとしたら、それは心因性ではありませんし、精神異常でもなく、抹消及び中枢神経系機能の器質的異常に伴う症状であると捉えるのが自然です。モノアミン仮説の真偽やHPA仮説の真偽は扠措き、これらの説を下に当該薬物で心因性や精神異常が改善されたのだとしたら、
それはセロトニンノルアドレナリンドーパミンの濃度不足に伴う精神症状であったり、ネガティブフィードバックが著しく働いた下垂体前葉機能のACTH低下だったりとする機能及び器質的状態だったと判断するのが適切な表現であり、それは心因性や気のせい、精神異常と言う非器質的な感情で表現するのは望ましくないと思いますし、前進し難い状況に陥るのかもしれません。但し、薬物で神経伝達物質を上げたり下げたりして精神症状をコントロールするのは、極めて難しい事を多くの患者に教えてもらう事になり、極力使い難いものと思います。
単なる表現方法の1つにしか過ぎないかもしれませんが、症状を改善させる治療を行う人間が自ら心因性等の表現をするのは既に逃げの姿勢である事を示唆しているのかもしれません。治療をして良くなるなら、それは気持ちや気のせいや精神と言う無限の存在下に於ける症状ではなく、有限な身体内部の機能及び器質的異常です。

2)抹消性・中枢性症状の機能及び器質性症状の発症起因は殆どが当該部位の血流量不全から生じている
凡ゆる細胞は血液により栄養され、血流により維持・確保・代謝されています。そして血液が行き渡らない部位はやがて腐ります。それが何処で生じたかで症状の内容や具合が異なるものです。筋肉であれば硬くなるかもしれませんし、骨であれば腐るかもしれません。知覚神経であれば当該支配領域に痺れが出るかもしれません。運動神経であれば当該支配領域に脱力が生まれるかもしれません。
自律神経であれば内臓器に異変が生じる事もあるでしょうし、脳内で血液が滞れば当該抹消領域に障害が出るでしょう。それがもっと微細な内耳神経一本取り上げても耳鳴りや難聴に至ったり、ムチウチのように高いエネルギーで頚部に負担が掛かれば頚腕神経叢の横軸での末梢神経系障害、縦軸での脳幹の中枢神経系障害になります。
このように、凡ゆる部位で症状が異なるのは不思議な事ではなく、何かのキッカケで生じた血流量不全に伴う栄養阻害から始まる各種当該部位での危険信号を私たちは症状としてキャッチし、その事を医学的知識のある方に訴えれば病名が付けられる事になるだけで、それだけの事と言えばそれだけの事です。
針治療は血流を上げる事しか出来ない治療手段でしょう。抹消領域であれば萎縮した神経近傍に栄養し回復を求め、中枢領域であれば交感神経節への処置で脳の血流量を上げる。針治療は東洋医学的観点も絡む膨大な資料と歴史があり、様々な観点で取り組みがされているものと思いますが、私が今まで現場を通して行ってきた判断として、現状では非常にシンプルな理屈に帰結するものと思います。そこを分解して組み立てる事を繰り返す事で、凡ゆる病態定義の誤認が見えてくる事になり、そして逆に既存病態定義が異なる事に気づき、今までやって学んできた事は何だったのかと凹みながらも1つ感じた事は
凡ゆる症状、そして凡ゆる難治例は脊椎に帰結する事も治療反応性から分かるものです。先日も述べた通り年代性別問わず、横軸及び縦軸での損傷や負担は、ありとあらゆる症状を呈する事になり、そして脊椎の健康状態を高齢に至るまで保持し続ける事が最も健康な状態で過ごし続ける事が出来ると言う事も様々な年代を見ていて分かるものです。
3) 1)+2)に対しての答えを導く
簡単にまとめると、症状発症の多くの要因は中枢及び末梢神経変性に伴う諸症状になる事が分かります。これらは多くの指定難病、又は指定されておらずとも原因不明と言われている難病、肩こりや腰痛も難病でしょう。このように、1)+2)に対して答えを出す事は、多くの諸症状が解決に導かれる事になり、喫緊な課題として数十年経過しているものの、有効率100%の答えを出せてないのも現状です。
末梢神経のみでもそうでしょう。神経根、神経幹、神経索、軸索、髄鞘、そして生体での神経上膜内、周膜内での問題なのか、知覚神経か運動神経か自律神経かetc…。その情報が試験管や動物実験範囲での情報なのか、薬学的な上での情報なのか、神経生理的な情報なのか、そしてその情報は臨床をベースとしての内容なのか、基礎と臨床での大きな障壁の中、そしてその情報の出元に関わる人間は誰なのか、研究に支援している所は何処なのかで大きく異なってくるものです。
その為、これらの事情を踏まえて考えても、暫くの間は常に混乱し続け今後も続いていくものと思いますし、これらの事情が分かれば極力低リスクな手段を模索してみる事も又大切な事なのかもしれません。

症状とは、その状態を本人が症状だと自覚し、日常生活に不備が伴うから症状であると他者は考える寛大さが必要で、不自由でない状態であれば、それは症状として勝手に格上げする事は強引な気が最近はします。ただ、何かしか何処かしかの栄養阻害部位を経時経年抱え続けた場合、やはり症状の固定化や強大化、症状の変容が伴う事も多くあり、その時には幾ら治療をしても追い付けない事もあるかもしれません。
治療回数や改善までの期限も伸びれば其れだけでストレスにもなるでしょうし、症状の改善速度も不安定性を示す場合も勿論あります。もしかしたら治らない場合もあるでしょう。そこを鑑みれば早期且つ軽症の内にと言うのも又分かるものですが、人の気持ちと言うのは本当に難しいものだと思います。しかし、それも又許容出来る寛大さと言うのも治療を行う側としては必要な事なのかもしれません。
1つの症状からその人が過ごしてきた人生が見えてくるものです。変形した背中も緩みきった肩もあったからこその今だと考えれば、無下にあれやこれやと言えない出来ないものです。だからこそ、どんな症状だとしても頭を抑えて人生を潰すような向精神薬は否定されるべき対象ですし、目先の鎮痛ばかりに目を向け、数ヶ月~数年後の患者の身体はどうなっても良いような手段は提供したくないと思うのも又自然な事です。

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イメージ 1 ~針治療から病態定義の見直しを~