藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

各種脊椎変性疾患と周辺環境


普段から向精神薬関連の話ばかりをしているように感じられても仕方ないかもしれないが、心療内科や精神科に直接的に出向き、薬を求める場合も含め、整形外科領域疾患や自律神経系領域疾患を抱え、現行医療機関で処置を行うも軽快せず、症状が強大化、憎悪化し、中長期的に症状が残存したまま経過した場合、向精神薬は凡ゆる科で処方されるようになり久しく、その結果、自然発症で生じた初期的な症状で悩む以前に、向精神薬を由来とした症状(薬剤性由来)に多くの患者が苦労し、悩む事になる為、今後も向精神薬関連被害(薬物耐性や薬物依存)に遭われた患者群とも接していかなければならないが、
あくまで向精神薬は凡ゆる諸症状の延長線上に過ぎないと言う事もハッキリしており、整形領域なり自律神経領域なり、初期段階で症状を改善させる事が出来れば(若しくは寝て風呂でも入って考え方を正し、自然治癒を成し遂げる事が出来れば)患者も向精神薬を積極的に飲まずに済み、後々に向精神薬由来を飲んだ事に対して悔やむ事はなくなるだろう。
しかし現段階では、その多くは鎮痛剤を飲んでも手術をしても改善に至らないケースも少なくない為、オピオイド系の鎮痛剤や向精神薬が処方された結果、薬物依存や薬物耐性より、常用量離脱や減~断薬で苦しんでいる方々が多くいる事には変わらない。
その為に少しでも向精神薬被害患者を減らす為には、向精神薬を飲む前に症状を止めるしか手段はない訳なのだが、如何せん、その前段階の処置及び対応が芳しくない状況である事にも変わらない。肩こり腰痛と言うカジュアルな諸症状とて初診から向精神薬を処方される時代である。これを防ぐ為には患者自身が知識を入れなければ避けられない状況でもある。
得てして、これらの結果は現行医療の病態定義の誤りであるに過ぎず、症状に対しての考え方の異なりに過ぎないのだが、それでも尚、僅かでも前段階の処置及び対応が改善される事を祈りつつ、保存療法を行う側としての見解も踏まえ書いていきたいと思う。
転載開始
腰椎椎間板ヘルニア手術の目的は、圧迫を受けた神経根の除圧にあります。ヘルニアの摘出はヘルニアと骨との間で圧迫を受けた神経根を除圧するために行います。つまり、ヘルニアの摘出は神経根除圧のための手段であって、ヘルニア摘出自体が目的ではありません。従って、ヘルニアの摘出によって神経根が適切に除圧されれば、症状は改善されますが、神経根の除圧が不完全に終わると症状の改善は得られません。
術後に執刀医から摘出した椎間板を沢山見せられても,症状の改善が悪ければ、神経根の除圧は不良に終わったと考えるべきです。ヘルニア手術後に症状が改善しない具体的な場合を次にあげます。(1)ヘルニアの取り残しがあって神経根の除圧が不十分の場合と(2)ヘルニアに狭窄症を伴っていて、ヘルニア摘出のみでは神経根の除圧が不十分な場合です。このような場合には、諦めずに再手術で神経根の適切な除圧を得ることです。
ヘルニア手術では、神経根除圧の適否が結果に対して重要な意味を持つのであって、手術方法が結果を決めるわけではありません。顕微鏡ラブ法でも、内視鏡を用いたMEDやPELDでも、私のMD法でも、重要な点は神経根の除圧が適切に行われたかです。勿論、手術侵襲が少ないことに超したことはありません。しかし低侵襲手術では、より高度の技術と豊富な経験が必要です。技術が未熟で経験の浅い背椎外科医では、患者を満足させる結果をだせないことや、却って症状を悪くすることが起こり得ることを知って外科医選びを慎重に行うことです。』
腰椎変性疾患は椎間板ヘルニアであれ、脊柱管狭窄症であれ、変形性腰椎症であれ、再発があることを前提にして治療を考える必要があります。これは保存治療でも、手術治療でも同様です。このことは、腰椎変性疾患は腰椎が加齢変化を進める中で発生する病気であると考えるなら当然でありましょう。
様々な腰椎変性疾患は一度の手術で生涯に渡って、安泰となることはありません。その理由は上記した通りです。幸いにして再発なく術後の快適な生活を謳歌している方でも、腰椎の変性は進んでいきますので、自分は大丈夫と高を括ることは禁物です。再発を防止するための一定の注意は必要です。しかし、加齢変化が原因といっても、加齢が腰椎に与える影響は個々に異なりますので、なかなか一概には言えず、効果的な予防法が立てられないのが悩みです。
今まで、腰椎変性疾患の手術は二度目はないというのが常識でした。そのため、再発すると効果のない保存治療をやむなく続けるか、あるいは、このような場合の最後の切り札となってきた腰椎固定術にすがるしかありませんでした。しかし、腰椎固定術はそれ自体が患者にとって辛く耐えがたい腰痛などの問題を残すことが希ではありません。そのため、再発したなら患者にとって希望のもてる治療の選択肢はなかったと言っても過言ではありません。
このような状況を変えるべく、私は腰椎変性疾患の再発手術に取り組んで来ました。その中で腰椎固定術に頼らない、最小侵襲のMD法(小切開、チュブラーレトレクターと手術顕微鏡を用いた手術)による神経の再除圧術を確立してきました。このような再除圧術は、再発を繰り返す高齢者の腰椎変性疾患で極めて有効です。勿論、若い方でも同様です。』
転載終了
では上記説明に対して幾つか疑問を投げ付けてみる。
1)画像所見上、明らかに病変が認められないにも関わらず、画像所見上、明らかに病変が認められる患者と同様の症状を呈している場合の患者に対しては如何様な説明となるか
2)神経根の除圧を目的としていると言う事は、神経根が圧迫されているから当該神経支配領域の症状(上肢や下肢、体幹)が出ていると言う前提で話は進んでいるが、適切な除圧が行われたとしても、症状が残存又は悪化している場合はどうか
3)神経根の圧迫が神経症状を引き起こすと言う前提で話は進められているが、神経根には元々痛覚受容器が存在しない為、神経根の圧迫と言うものが現実として発生した場合の症状は、痛みや痺れ、脱力や感覚障害ではなく、運動神経も知覚神経の感覚も全て脱失した麻痺となると思うのだがどうか
4)仮にも神経根が圧迫され、神経症状が引き起こされたと仮定した場合、日内変動や日差変動、姿勢の変化に伴う症状の寛解憎悪及び経時経年により画像所見上はそのままにも関わらず、自然軽快している人間も沢山いるが、どのような説明となるか。数ミリ及び数センチ以下で巻き起こっている神経圧迫論が、「その日の体調」で圧迫の軽重が変わり、症状が変動するか、と言う質問に耐えられるか
5)LOVE、MED、PELD等と術式は様々あるが、何故術式より再発率が異なり、古典的なLOVE法が再発率が低く、侵襲性が低い術式ほど再発率が高く(再発率は75%迄引き上がる)なるのか。それは、神経根除圧に伴う術式如何の問題ではなく、その術式を選定する術式前段階の処置と、術後の患者経過に伴う処置によるものではないか。※全身麻酔「のみ」を掛けた患者の65%が改善しており、この改善率は同術式の手術を実際に行った改善率と殆ど同率だが、この結果は如何ような説明となるか
6)何故、神経圧迫論を前提として推し進めるのなら、初めから手術せずに投薬やブロック等の保存的治療で様子を見るのか。日帰りが出来る程の低侵襲術が存在するのであれば、即時的に手術を行うべきではないか
と言う疑問は浮かぶものだが、手術好きの医者と手術好きの患者は世の中にゴマンと存在する事から、このように根底的思考がマッチングしている状態では、保存療法で治そうとしている人間の言葉は耳に入らないだろうからこっちはこっちで話は進めていくとしよう。
臨床感覚としては、ヘルニアによる占拠性病変に伴う神経(根)圧迫に伴う神経症状の類は直接的には惹起されないのは、実際に針治療を受け、中長期的、及び永続的に症状が消滅した患者であれば納得出来る部分はあるかもしれないが、先ほども書いた通り、無加療でも、そして画像所見上、明らかに神経(根)圧迫が生じているであろう状態でも、全くの無症候まで改善はするし、占拠性病変が生じていても、全くの無症候の方々も多く存在する。
その多くは「腰が痛い」と言う事で写真を撮って初めて分かった事であり、腰を痛めた日がヘルニア誕生日でもなく、恐らくその多くは前々からヘルニアを抱えていたと推測されるものである。
個人的にはこのような病変が存在している患者方と存在していない患者方と比較しての現段階での話にはなるが、このような脊椎変性疾患の類(椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症、分離・すべり症、先天的な二分脊椎や破格及び奇形等も含め)に関しては、仮にも保存治療で症状が一度消失しても、全くの構造的異常が伴わない方々と比較した場合、若干は症状の再発率が高いようにも見受けられる。
特に加齢に伴う円背傾向を示す群や、脊椎圧壊や椎体間の不安定症が顕著な方々は一層発症率は高まり、突発的に神経症状が引き起こされるケースと言うのは散見されるものであり、それは極めて軽度な日常生活内での活動でも起きる。電車やバス、車に長時間乗り続けた、と言うだけでも神経症状は簡単に引き起こされるケースもある。勿論、これらの症状とて一度は症状消失した経緯があれば、即時的に針治療で症状は改善するものではあるのだが、易発症性である事には変わらない。
勿論、このような再発症率を低減させる為には、腰部(脊椎全般に言える事だが)に対して負荷の少ない生活を送る事が1番の予防にはなるのだが、症状が消失及び軽減すれば無理をする生き物である事には変わらないので、仮にも構造的異常を基礎的状態として抱える群にとっては、再発の可能性は高い、と言う事も常に頭の隅に入れておいて損はないかもしれない。
大切な事は、仮に再発したとしても、「再発したから手術」と言う図式に頭を持っていく事なのではなく、「再発するものだ」と言う認識でいる事が1番の策なのではないかと思う。そうでなければ自身の脊椎が幾つあっても足りない程に手術をされるものである。勿論、再発すれば症状に悩み苦しむ訳だから、然と保存療法で即時的に改善させられる術者を探しておかなければならないし、
そのような環境下でなければ、自身の活動量を極めて落とすしか手段はないのかもしれないが、ここでもう1つの考え方としては、これらの占拠性病変含め、日常的に発生する症状であると言う事は、誰にでも発生する可能性はある。誰でも発生すると言う事は、同一人物に対してでも言える、と言う事である。
その多くは「痛い」と言う症状を不自然な状態だと思う為、その最後は固定術をする傾向が高いかもしれないが、固定術の中長期的将来、末期は大概悲惨な状態になる事は、仮にも私のような保存治療派でなくても、上述に転載した脊椎外科医でも同様な見解である。要は固定した上下の脊椎高位が損傷し、その損傷した高位の神経損傷が発生する可能性が極めて高く、それを見越し、態々ボルトを外した人もいるほどだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/anti_white_…/13671314.htmlでも触れてはいるが、どうしても診断名と病態定義の誤りの差が術者と患者である以上、時として誤解が生まれ、話が平行線となり、また、その多くは手術を散々しても症状が消えない、又は憎悪した状態でウチに来る群を見ている限り、多くの患者は1回は手術をしなければ気が済まない考えを持つ人間が多いのかもしれない。
散々、踏んだり蹴ったりされなければ分からない事もあるのかもしれないが、治療は早期に介入させたほうが早期に改善に向かう事実もある。それが薬物治療や手術と言う余地がある場合、やはり、どうしてもそちらに目が向いてしまう生き物である事には変わりない。
しかし、現実問題として如何だろうかと思う。薬物治療は「治して」いるのだろうかと言う事を考えてみれば、大方の疾患や症状に関しての薬物治療は姑息的な治療手段である事は皆認めている事であるし、大方の疾患や症状に関しての手術と言う治療手段の大半も、誤認であり将来性のリスクを高度にさせる事も、多くの先人患者達が教えてくれた。
日進月歩で新しい術式は生まれているかもしれない。より侵襲性の低い術式は生まれ、キレのある薬物も生まれている。しかしながら、それすらも結果的にはスタートの病態定義が誤認である以上、新しい術式もキレのある薬物も、その価値はドレだけのものなのだろうか。
「手術しても良くならない」、「薬を飲んでも良くならない」と言うフレーズはよく聞く話であり、「手術しても薬を飲んでも良くならないのが針治療で良くなった」、「薬を飲まなくても良い」と言うフレーズも、よく聞く話である。第一選択肢とされる多くの薬物治療は、針治療と真逆の作用を示す。では、その真逆の作用である針治療で良くなると言う事は、そもそもの世間一般の病態定義自体が誤っている事も示す事になる。そのような段階を踏んで考えると、多くの疾患や症状の定義が異なっている事に気付く。
その定義の異なりに、幾ら術者側だけが気付いたとしても、それは治癒率に直結するかと言えば、そうでもない。全ての患者が1~2回で治るような軽症例ではない以上、時として若干の辛抱が伴うケースとてある。その期間中、幾ら症状が改善傾向であったとしても、手術や薬物治療と言う余地がある患者ほど、途中でそちらに走る患者も少なくない。そして、また戻ってくるケースも少なくない。こちらは術後経過や薬物治療の中長期的将来も見越した上で、患者に伝達しているものの、やはり患者自身が身を持って体験しない事には気づけない場合も多くある。
そのように考えると、あまり好きな考え方ではないが、最後には「信じられるか」「信じられないか」の二択でしかなくなるのも、如何せん悲しい話でもある。その為、脇目も振らずに早期回復するのは後がない患者からなのでもあるが、軽症例患者のほうが飛躍的に回復が早いのも事実である。その為にも、患者保持の診断名と病態定義の誤りの差を手っ取り早く埋める方法を先ずは考える必要性があると感じるようになる。極めて長いが、頭の整理も兼ねて書いている。
理解の差を手っ取り早く埋める方法は全ての傷病に於いて常に考えている。患者が前医で症状に対して説明書きされた用紙を持ってくるケースはザラにある。某学会かガイドラインかが作成したコピーなのだが、「〇〇(傷病名)は、症状として痛みや痺れ、症状が長期間に渡れば皮膚の感覚がおかしくなります」みたいな事が書かれている。とは言え、仮にも侵害受容器の存在しない部位、且つ末梢神経系の圧迫で「痛み」と言う症状が出るのだろうか。それが1つの根本的定義を見直す論点となる。
事実、当該患者は「痛み」を覚えている。そして、その用紙にも「痛み」と書かれている。しかし、罹患部位(クリニックが診断した部位)は「痛み」を自覚させる機能が元々存在しない部位であり、ここで大きな誤解と障壁が生まれる。
1)患者の症状は「痛い」「痺れ」「脱力」である事は事実。2)某クリニックで診断された内容も「痛い」「痺れ」「脱力」を発症していたが故に、某傷病名と合致すると言う事での診断。3)しかし、診断部位には生理解剖上「痛み」を起こす機能は存在しない。4)しかし、患者は前医での診断を信用している。5)とは言え、薬物治療で数ヶ月様子を見られても憎悪傾向故にセカンドとして来た。6)症状発症部位はびまん性でもないが、診断材料としては矛盾点が多い。しかし、発症部位が一致している為に、それで診断をし、それに基づいた治療を行ってきたと思われる。
改めて書くが、この段階で前医と患者の両方に思い込みが存在している。A)前医はガイドラインか学会かは知らないが、そこが作成した傷病名に基づく症状を呈していた為に診断を告げた。B)患者も、その症状に基づく診断名に納得しているが治らないから来た。C)しかし、そもそもの根本的病態定義、罹患部位に「痛み」の出る機能が存在しない。
D)故に、患者は誤った罹患部位に対しての治療(針治療)を求めている。E)当該部位には散々他院で処置をしているが、「針で当該部位を処置したら治るのではないか」と言う期待がある。F)しかし、そもそもの診断が誤っており、且つ診断に至る病態定義自体が異なる為に、診断も定義も異なる。と言う訳で、「痛み」「痺れ」「脱力」が出る原因となる部位に対して初めて改善が得られる。
となると、凡ゆる病態定義が間違いである事に気づき、整形領域の凡ゆる傷病名は最早どうでも良くなる。しかし、理解の差は患者の思い込みが強ければ強いほど埋まらない。それは椎間板ヘルニアや斜角筋症候群、胸郭出口症候群、肘部管症候群、手根管症候群、梨状筋症候群、足根管症候群等々、全て同じ。根っこの定義が異なると、全てがだだ崩れになる。
勿論、ダブルでクラッシュしているケースも多く見受けられるが、その場合の判定方法は容易い。
仮にも治しても患者の思い込みが強い場合、手術を選択する場合もあるし、薬物治療を継続すると言う傾向もある。特に椎間板ヘルニアや狭窄症の類の構造的異常が伴っている場合が目立つ。これらは誤診と言う単語ではなく、根っこが誤っている為に、誤認のまま歴史が進んでおり、誤認に対して凡ゆる薬物治療や観血的治療が執り行われている為に、症状改善に至らない患者群が溢れているに過ぎない。
それでも尚、侵害受容器の存在しない末梢神経の圧迫による痛みの存在が無いと、仮にもそれが真実だとした場合、過去から現在に至る各種病態定義や神経学的検査が全て誤りである事を認めざるを得なくなるが、恐らく認める事はないと思う。認めてしまったら大変な事が起きるからだ。それは患者が被害を被る訳ではない。
過去から現在に掛けての医学書、教科書、国試、凡ゆる全てが修正される事になってしまう被害のほうが甚大である為、認める事が出来ない。それでも、徐々にではあるが、罹患者としては多い椎間板ヘルニア等に関しては知見が変わりつつあり、手術と言う選択肢も減ってきているのは事実であるが、未だ患者の理解が追いついていない故に、患者側から手術を提案するケースと言うのも散見されるものだ。
この手の障壁は多い。それが傷病名に拘り過ぎたが故の結果かもしれないし、既存定義に揺さぶられた結果かもしれない。画像所見に拘り過ぎた結果かもしれないし、患者は症状を抱えたが故に凡ゆる傷病名を探すかもしれない。しかしながら、そもそもの自身と一致した傷病を発見したところで、その傷病の定義自体が生理解剖とは一致していない事象が多くある為に、根本的な概念が異なるのだから、何時まで経っても治る事がないと言う現象が生じるのも当たり前でもある。
腰部に関しては、馬尾性に展開する神経網に対して、選択的にヘルニアが圧迫してくれるのかと言う部分から話を展開したほうが早いのかもしれません。更に後方部も随分と空間が存在し、仮にも「神経圧迫=症状」と直接的な因果関係で議論している人には、幾らでも避けられる空間が存在し、且つ、主には単根性障害を呈している自体、謎めいた話です。と言う訳で、ネットから幾つかピックアップしてみました。ここで改めて以下の記事を読んでの「考え方」なのですが、
1)画像所見上、「髄核の逸脱性」が見られたら「椎間板ヘルニア」で間違いない。それは誤診ではない。診断は合っていると言う事。だから、「椎間板ヘルニアなんて存在しない」と言う説明の仕方は違う
2)説明の仕方としては、「画像所見上、椎間板ヘルニアであり、椎間板ヘルニアと言う診断は間違いないが、この椎間板ヘルニアが直接的に因果関係を持って症状を出している訳ではない」と言う説明の仕方が理解し易い
3)但し、ヘルニア好発部である下位頚椎や下位腰椎は、他のクビの関節や、コシの関節とは異なり、可動性が大きいぶん、突発的なりにも緩慢的にも負荷が掛かり続ければ「ヘルニア」と言う状態は起き易いものであると考えられる。…1)に戻る。全く知らない人には、先ずはこんな説明が一番分かり易いのでしょうか。
もう少し知っていたら、貪食時の炎症性発火、異所性発火、神経根部の侵害受容器の有無、神経根部と後索部に存在する侵害受容器の働き、異痛症(アロディニア)の仕組み等々の既存定義の矛盾点の説明も加えていくのがスムーズなのかもしれません。
下歯槽神経、前骨間神経麻痺、後骨間神経麻痺、橈骨神経麻痺、正中神経麻痺、尺骨神経麻痺等の運動感覚神経支配領域の一過性ながらも圧迫が生じれば運動及び知覚が脱失する。一部連動性、協調性が伴う為に、完全な脱失と自覚する事はなくても外的な刺激検査を行う事により、罹患部位は逸脱した感覚自覚を得る事になる。
これらは「痛い」「痺れ」「脱力」とも異なる「麻痺」であり、既存の椎間板ヘルニア的論点で同一視して議論した場合、神経圧迫由来は「麻痺」になる。これらの矛盾点に対しての議論は既に数十年前から行われている。では、斜角筋症候群、胸郭出口症候群、肘部管症候群、手根管症候群、梨状筋症候群、足根管症候群も椎間板ヘルニアも含め、末梢神経系の圧迫が「麻痺」にならずに「痛い」「痺れ」「脱力」等の症状を出すと言う観点は、
先も記載した通り、侵害受容器を持たない部位に対しての圧迫により症状発症の起因となるのかを考察する必要があり、特に「痛い」と言う症状に関しては、そして「痛い」を伴う場合は如何なる診断名を告げられていようと、頸部や胸郭、上肢、下肢の凡ゆる好発圧迫部位、若しくは表層を走行する神経系の圧迫だとしても、全く異なる症状を呈する事になると言う考察をする事が極めて自然である。
勿論、末梢遠位、末梢表層のポリモーダル受容器に対しての外的刺激を伴えば「痛い」と言うのは誰しも経験する事になるが、改めて誤解の無いよう記載すれば、これらの症状は、仮にも斜角筋が神経や脈管を圧迫する事で手指遠位まで「痛み」が惹起するか、胸郭出口部で神経や脈管を圧迫する事で手指遠位まで「痛み」が惹起するかと言う問題である。この辺りの判別が付けば、治療上、相当優位に進める事が出来る事も付け加えておく。
勿論、患者は「痺れ」も「痛み」として自覚している場合もあり、言葉として発する場合とて「痛い」と表現しているケースも多くあるだろうし、神経走行など深層~浅層全般まで含めると数限りない走行が存在する。しかしながら、発症部位の押圧痛~反跳痛である程度の判別も付くものであり、治療と言う狭義のスポットで論じた場合、この事自体は然程障壁になる事はない。故に、後は患者が保持する疾患概念との差が埋まれば済む話なのである。
次点としては、運動に伴うアロディニアであろう。患者は足関節を使えば足関節が痛い。膝関節に負荷を掛ければ膝関節が痛い。股関節を動かせば股関節が痛い。けれど、画像所見も乏しければ疼痛部位を押圧しても然程疼痛が増強されない場合等が挙げられる。これらも症状として「痛い」である事に変わらない。さて、この痛みとは、何処が支配しているかを考察していく事により、精神異常者であると匙を投げられた患者は救われ、凡ゆる治療手段で難治例を伴った患者も救われる事になる。
そもそもが精神異常でも無ければ難治例でもない。抵抗性を持つ症状でもなく、只単に、既存の病態定義に沿った治療手段の場合、難治例や抵抗性を持つ病態であると言う幻想が出来上がっているに過ぎない。
故に受傷起因が明確であればあるほど治療精度は上がり、発症部位に浅層であれば刺絡や超音波を用い、深層であれば針を用いて強制的な動脈血流の流入を保持して神経系への栄養をバックアップする事で回復に至る。それが、既存定義の椎間板ヘルニアや斜角筋症候群や梨状筋症候群と言う、麻痺でもなく「痛い」「痺れ」「脱力」等が伴う症状の場合、発症部位である例えば手指や足趾、上肢や下肢にアプローチを行う事で、どれだけの結果が出るだろうか。出てきただろうか。
それは即時的な鎮痛作用を求めるようなゲートコントロール理論ではなく、経時的に症状改善に至る治効理論を構築するにあたっては、発症部位、発痛部位、疼痛部位に対しての処置では極めて作用が弱い事が分かると思う。では、ある程度明確性が出てきたところで、解剖学上のボトルネック部位を考察する事により、何故、既存の病態定義、傷病名の定義が生じ、これらの傷病名に対して「痛い」と言う症状も付随してきたかと言うのが見えてくるものである。
人間と言う生き物は、100人100様だと言うが、何だかんだで似たように内臓器は配置され、神経系や脈管系は走行し、筋骨格系をしている有限の世界の生き物である事には変わりない。私はカイロや柔整の理論理屈は分からないが、カイロは脊椎を弄り結果を出す。柔整は関節を弄り結果を出す。その意味が解剖学上のボトルネックと言う概念を組み込む事で意味が見えてくるし、ペイン科のブロック注射の意味も見えてくる。
要は、治効理論は異なるかもしれないが、現状存在する原因発症部位に対してクリティカルに処置が行われ続けば、何れ結果が出ると言う事である。後は、凡ゆる治療手段の枠内で、如何に早期に安全に結果を出し続けるかがステータスの1つになってくるものと思われ、他の治療手段を突き放す力を持つ事も出来るようになってくる由縁ともなる。
さて、此処まで書いて、今現在、免許の有無や種別関係無く誰でも用いられる治療手段である筋筋膜性疼痛理論、トリガーポイント理論に対して考えなければならない。以前も書いた通り、「トリガー理論は誰でも出来る故に驚異的に拡散し拡大した」と推測した。圧痛部位、ポリモーダルの感作部位に対して処置を行い続ける事でも結果は出るかもしれない。が、これは「出るかもしれない」と言う、極めて脆弱性が伴う事も書いた。
何より、「原因部位に対しては遠位過ぎる」のが問題でもある。「腰部痛患者に足つぼマッサージやドクターメドマーや金魚運動を延々と繰り返していたら、10年後に良くなった。」と言う観念論に近く、人間が抑も備わっている自然治癒機構による経時的な良化であると言う見方をする事に近いものがあるのではないだろうか。
かと言って別に足つぼマッサージやドクターメドマーが悪い訳ではなく、トリガー理論が悪い訳ではなく、如何に早期に治癒に至らせる事が出来るかであり、凡ゆる徒手的な治療手段を鑑みれば根っこは極端に変わらない。単にそれが効果が薄いか効果が濃いか、見立てが誤っているか当たっているかが肝要な部分である。
肩凝りは神経根炎であると言う見解がある。しかし、何故か腰部痛にはこのような見解が見当たらない。恐らく研究グループが異なるからであろう。仮にも、それが腰部圧痛のトリガーブロック、大腰筋と腰方形筋のコンパートメント部のブロック、上臀神経ブロック、下臀神経ブロック、上臀皮神経ブロック等々、圧痛部位に対しての処置で結果は出ているだろうか。確かに薬効時間は患者の症状軽快感も生じるだろう。
麻酔を打つ事になるのだから約1~2時間の軽快は約束される。問題はその後の話であり、経時経過に伴う改善自覚、VAS値軽減を見越した治療を目指す場合、結局はこれらのブロックも「質」と言う観点で見た場合、金魚運動と大差がない。
求めるべき治療は、肩凝りは神経根炎と示唆するグループと同様、腰部痛とて限りなく狙える中枢部を狙う事が最も高い効果を見込める事が分かる。では、ここまで書いてみて、「筋肉」に対してのアプローチがどれだけ価値があるかと言う事であり、私は既に筋肉に対してのアプローチと言うのは、明確な外傷性が伴った症例でない限り行っていない。改めて書けば、
「筋肉は筋肉に栄養を送っていない」。
ともなれば、栄養を送っていない筋肉に対して針でもマッサでもブロックでも何でも構わないが、「筋肉」と言う細胞に対してのみの処置は効果が薄い事を意味する。勿論、キネティックチェーンの概念は大切であり、これらを補充する意味合いは強いので価値のある内容であるかもしれないが、私は数年間、患者を2グループに分けて検証を取ってきた。
キネティックチェーンの概念を組み込んだ治療と、組み込まなかった治療である。結果、ほぼ変わらないと言うのが私の見解であった。強いて言えば即時的効果、2~3日内のVAS軽減には加担出来るとは思うが、それ以降の改善値の伸びに加担する事は薄いのではないかと言うのが現状の見解でもある。ここで初めて受療平均回数(治癒平均回数)や、リバウンド発症のパーセンテージ、特性、傾向、他、急性憎悪期の効果自覚期と、陳旧期の効果自覚期が易判定、易予測が可能となる。

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