藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

生きてれば心身の疲弊は付き物 本人が一番原因が分かっている心身の疲弊に対し 見知らぬ他人が作った薬は解決してくれただろうか


ブラインドにブラインドをぶつける世界である為、スタートとエンドもまたブラインドになる世界である。出てきたものを削ったり、凹んだものを埋めたり、折れたものをくっつけて「はいオシマイ」でもなく、多方が日常的に負担を掛けた事で発症し、治療期間中とて発症要因を取り込み続け、仮に日常復帰しても支障がない程に回復したとしても、日常的に負担を掛け続ける日々である事には変わらない。
重篤な症状が出ている場合は厳しい生活指導もしなければならないが、多くの人間は「現在の環境」と、「現在の症状」を常に天秤に掛け続けている事も私達は知らなければならないのかもしれない。その為、針治療院と言うようなオッカナビックリな所に辿り着くまでには、散々な我慢をし、医療機関で踏んだり蹴ったりされ、薬袋もパンパンな状態で訪れる事になる。
それは別に構わないのである。別に構わないと言う言い方は失礼に聞こえるかもしれないが、知らないと言うのはそう言う事で、それに目くじら立てる権利なんてあるはずもなく、「今からどうしようか」を考えなければならない。では、ここで患者は価値を天秤に掛け続ける事になるだろう。
信頼を置いて良いのか。針治療と薬物治療は1:9程度で考えておけば良いのか。薬には「痛み止め」と書いているんだから薬は飲んでおいたほうが良いのではないか。「手術しろ」と周りに急かされているのだから手術したほうが良いのではないだろうか。解熱鎮痛剤と針治療は効果が相殺されると言っているが信じて良いのか等など。
様々な価値を天秤に掛けながら話を聞いている事だろう。それもまた、現在の患者が抱える症状の重篤度によって比例され、患者が抱えてきた過去の治療歴によっても比例される。例えば私は所持免許を「針師」としか書いていない。針くらいしか使わないからだ。周りはどうだろうか。肩書きを並べる。権威を付ける。免許を並べる。それが価値となり、患者から得られる信頼性が高まるのを知っているからだ。
人間と言うのは、立場や権威や年齢や性差やプライドによって選択箇所が異なり、それが重篤化すればするほど、立場や権威や年齢や性差やプライドの差は無くなるのである。それは、ガイドラインや薬や注射や手術というプライドの塊で出来上がった産物を超える。自分の身体を治す為に必死になった瞬間、立場や権威や年齢や性差やプライドなんて無くなる生き物である。それが人間である。

選択肢の無い田舎ほど不利なんですね。かと言って、選択肢の有り余る都会が良いかと言えば、また異なる議論を要するかもしれませんが。
選択肢が無いと言う事は他の選択肢を「知らない」で過ごしてきた訳ですから。バスに詰め込まれて毎度様の医者から毎度様の薬と注射とリハを受けて「年寄りだから治らないよ」と諭されて年月が過ぎているんですから。医者のベルトコンベア状態のムンテラほど危険なものはないと思ってますよ。
患者は医者が用いる傷病名毎のガイドラインなんて目を通す事はないと思うし、処方された薬物の添付文書を隅々読む事もないと思う。整形領域で例に挙げた場合、痛み程度までなら薬物や注射、手術等で対応出来る場合もあるが、それ以上の「痺れ」「脱力」「感覚鈍麻」となると、お手上げ状態で書かれている事を何れ位の患者が知っているのだろうか。
手術して痺れや痛みが取れなくても、幾らでも言い訳が出来る文言が揃っている事を患者は知っているのだろうか。
仮に読んだとしても継続的な服薬の有害性や依存性の危険性、常用量離脱や離脱症状の内容、現在多く出回っている中枢神経系に作用を及ぼす鎮痛剤や向精神薬の減薬手段迄となると知らないどころか、湿布をミイラ巻きしてきた人間にとっては「はぁ?」みたいな状況でしょ。その選択肢や判断すらも奪うのが薬物なのかもしれません。
一度でも何かしかの症状に継続的に悩まされると、一般的には真っ先に病院と言う存在が頭に浮かぶと思います。それが一般的。でも、少しでも事情を知れば、もう少しだけ自分で調べてみようかなと言う頭も働くんではないかな。

基礎疾患や内外環境因子の負担、更に基礎疾患に対しての不安、内外環境因子の負担に対しての不安に対して発症した自然発症型の各種自律神経系機能異常に対して向精神薬が処方されるケースが最も多いとは思うのだが、では一度振り返ってみると、そもそもの基礎的疾患の疾患とは何なのか。
それは疾患なのかを今一度振り返るのも良いかもしれないし、内外的な因子に伴う負担と言うのも又、それも負担だったのかを考えてみるのも面白いのかもしれない。
何故、負担と思い、不安に変わるのか。負担は不安に結びける必要があるのかと言う考え方をしてみるのも良いのかもしれない。負担と言うのは実に興味深いものでもある事を知るのも良いのかもしれない。負担と言うのは自身の限界域に近い物事が目の前で生じている。
だから負担と感じるのかもしれない。負担を楽しめる事は難しいだろうか。そりゃ、その負担をクリアしたからと外部の評価や給料が上がる訳ではないかもしれない。そのような見返りを期待してはいけない。
しかしながら、その負担をクリアする労力は自分自身にとってマイナスになる事はない。知恵や知識を絞り出し、工夫に工夫を重ねた過程は自身にとってのプラスとなり、仮にも追々同様なハードルの負担が自身の身に生じた時には簡便に乗り越えられるようになっている自分自身にも気が付ける事になるだろう。
誰しも頭痛、視力低下、異常発汗、ホットフラッシュ、めまい、耳鳴り、難聴、立ちくらみ、胸の締めつけ、喘息のようなセキ、飲み込みづらい、喉の違和感、不整脈、息苦しさ、季節に関係ない手足の冷え、下痢、便秘、生理痛、生理不順、頻尿、閉尿、夜尿症、勃起障害、慢性疲労睡眠障害、うつ症状等々の自律神経症状は極めて追い込まれた人間であれば自然に発症する。
運動神経や知覚神経が絡む末梢神経系由来の身体的疼痛であれば姿勢の変化や運動量の制限で疼痛の軽減は出来るだろう。しかしながら、自身とて制御不能な自律神経系に異常を来すと日内変動や日差変動はあるかもしれないが、身体的疼痛とは異なり自身で制御出来ない存在となる。無論、各種検査をしても異常がない場合が大半である。故に向精神薬が処方される。恐らく自律神経失調症とか各種精神病名が並ぶだろう。
しかし、それがどうしたと言うのだろう。
それが医学のやり方でしかないと言う事も考えた事があるだろうか。告げられた病名は正しいのか。そもそも、その病名は造りあげられたものなのではないだろうか。何故、病名と薬ばかりを並べられなければならないのだろうか。単に頭が痛くて目が痛くて汗っかきで、その症状に困って精神的に落ち込んだと言う状態であり、それが病人として扱われ、病名を並べられ、病名に即した薬を出されても、何の価値があると言うのだろうか。そこに患者が価値を求めた瞬間から、病名からも薬からも逃げられなくなる。
情報収集している患者は沢山いる。今日とて関東2、関西1、四国1からコンタクトが来た。さて、この人達が特別な症状を呈し特異的な症状を持つ方々ではない。重篤化したのには理由があり、重篤化したのには段階を経ているという事は誰しも変わらない。それは既に医療が破綻している証拠であり、医療の尻拭いが既に始まっている証拠でもある。
医学と言うのは、もう少し崇高で格好良くて憧れの存在でなかったのだろうか。フタを開けてみたら医原病の患者が溢れていた事に気づく。もう一度書くが、症状が重篤化したのには特段な理由はない。この方々も当初は軽度な症状であった事には変わらない。
何故症状が遷延性を持ち、広範化し、憎悪傾向に陥ってしまったのかを考えれば、今現在、仕事もでき、家事もこなせる程度の軽症患者とて、誰しも重篤化する可能性とてある事が分かる。
その為に早く治せと言っているに過ぎないのである。

出生からの栄養状態、化学物質(ワクチンや抗生物質等々)の投与の有無、投与量、栄養摂取状態、家庭環境、周辺地域の住民の環境、周辺地域に浮遊している化学物質(排ガス等々)、労働環境、労働内容、勤続年数、趣味等々、出生から現在までの患者背景を知る事ができ、過去の問題が現在の症状に関与しているとしたとしても、後戻りは出来ません。
その為にも、既往を振り返りつつも、現在の環境から発している患者の症状に対して、引き上げられるだけ引き上げる事が治療であるべきだと思います。治療は100%を目指します。但し、人間には不可逆化している箇所があるのも現実問題として孕んでいます。
滑って転んで膝を擦り剥いたとか、足首を捻挫したとかは誰しも経験がある訳ですが、怪我をする前の細胞と丸っきり同じ状態には戻りません。仮に痛みが感じない状態になったとしてもです。それは気にならなくなっただけという状態です。その為に、私は完治という言葉は滅多に使わないのです。完治のラインなんて存在しないとも思っています。
肩を使えば肩が痛みます。腰を使えば腰が痛みます。もしかしたらそれに伴い、頭痛や眩暈、痺れ等々が出る事もあるでしょう。もしかしたら足にも痛みや痺れ、感覚障害が出る事もあるでしょう。発症するには理由があります。
それでも、一晩休めば回復している身体である事が健康なラインであると思います。これが2日経っても3日経っても症状が引かない時もあります。10年~20年経っても症状が引かない時もあります。これにも勿論理由があります。牽引して悪化した。神経根ブロックも硬膜外ブロックも効かない、NSAIDs飲んでも全く効果がない。もう何やっても効かない。これにも理由があります。こんな患者がいたとします。
29歳 女性 
・ストレスより拒食に陥りやすい
・10年前から、空腹時に眩暈と耳鳴、家庭内の揉め事で拒食が悪化
・5年前から欝症状、ADHD様症状(健忘、集中困難、覚醒レベル↓)を発症
・激しい疲労感 ・両手足の冷え ・手指の振るえ ・夜中に動悸で目を覚ます
・時折呼吸困難になる・湿疹
例えば、彼女が何処かの病院に行ったとします。
「精神科って重いイメージがあるから心療内科にしよっかな」 
「心のクリニック○○が優しそうなイメージがあるわね」  
「○○メンタルクリニックって精神科でも心療内科でもないって友達が言ってたわ」
と、向かったクリニックで上記症状を医師に伝えれば、きっと欝病やADHDになるでしょう。他にも色々言われるかもしれませんが。「最近は大人のADHDもあるんですよ」とか何とか言っちゃって。
そして、診断に沿った薬物が投与されます。この事により、彼女の将来はどのように変わっていくでしょうか。但し、現実には薬物投与されていません。その為、薬物投与された彼女がどのように変化していくかは誰も知る事が出来ません。現実にはこの彼女、「砂糖を抜いただけ」で治っています。患者が理論と理屈を納得し、患者自身の努力だけで治っています。
砂糖抜きの途中、禁断症状的な症状にも苛まれたでしょう。甘い物を食べれば血糖値は急上昇し、血糖値を下げる為のインスリンが出ます。この事で急速に血糖値は下がりますが、今度は正常値に血糖値を戻さなければなりません。その時に血糖値を上げるホルモンが放出され、正常値に戻りますが、長期間に渡り甘い物を食べ続けていた彼女の血糖値は安定していません。
約65-70mg/dLに低下⇒グルカゴン、アドレナリンが大量に放出され始める。
約60-65mg/dLに低下⇒成長ホルモンが放出される。
60mg/dLをきると⇒コルチゾールの分泌が亢進する。  
血糖値を上昇させるホルモンが砂糖漬けの頃より極端に少ない放出状態になったもんだから、周囲には一時的に「元気がなくなった」ようにも見受けられたかもしれません。時折、「ケーキやドーナツが食べたい!!」と衝動的になった時もあったでしょう。周囲からは
「早く病院に行かないからこうなったのよ」「薬貰ってきなさいよ」「あんな若造の話は聞く必要はないわよ」「隣の○○ちゃんは病院で薬貰ったら元気になったって言ってたわよ」「あそこの○○クリニックは○○大学病院の先生が開業しているから行って来なさいよ」「甘い物を食べれば元気になるよ」デパスあげよっか」等などと、親切心からか根拠の無い発言をした人もいたでしょう。
しかし、彼女は薬の事、食事内容と血糖値の変動や相関関係の事、栄養摂取内容から派生されるホルモンの作用を勉強し、知識が付いたお陰で周囲の声には靡く事なく頑張る事が出来ました。生きていれば様々な障壁が実際には幾つも存在します。その度に彼女は頭をフル回転させ考え続けました。モチベーションの維持も大変だったでしょう。周囲の要らぬ情報を回避する能力も時として必要だったでしょう。周囲の情報を取捨選択出来る知識も得なければなりませんでした。
そして、
・うつ症状が発症する原因
ADHDと世間で言われる症状が発症する原因
・精神医学のうつ病の捉え方
・精神医学のうつ病治療の理論と理屈
・過去から現在に掛けてのうつ病の歴史
・精神医学のADHDの捉え方
・精神医学のADHD治療の理論と理屈
・過去から現在に掛けてのADHDの歴史
・精神医学の歴史
等々の情報を集め、薬物治療は必要ないと気付く事が出来ました。何故なら、精神医学の治療法や治療手段は全く理にかなっていなかったからです。腑に落ちなかったからです。知れば知る程に医療を介入させる必要性は無く、寧ろ害悪な存在に感じました。発達障害もアスペもLDもADDも双極性障害全般性不安障害社会不安障害適応障害強迫性障害も、何もかも、全て科学的根拠の無いチェックシートで振り分けられるでっちあげの医学である事が分かりました。
軽度な欝症状や不眠から長期間薬物使用した患者の多くが統合失調症へ変貌していく理由も分かりました。光トポで診断出来ると言われても、唾液で診断出来ると言われても、彼女は全てを1人で拒否し、否定出来る理論を得る事が出来ました。これが「気付き」です。以前も書きましたが、物が溢れている時代です。理論や根拠無き治療手段も溢れています。物が無い時代は「足す」という考えも必要だったのかもしれませんが、今は「引く・抜く」事を考えるのが先決かもしれません。
精製された糖は吸収分解が即座に起こる明解な化学式を持っており、あっという間に脳に運ばれる為に多幸感が得られます。美味しく感じるのも脳へ急速に働きかけた結果なのです。胃腸が喜んでいるかは別問題。社会問題化する程に事が巨大化しない限り、メディアは大きく取り上げません。国も動きません。サーバリクスやガーダシルの問題、製薬会社の問題、某巨大製薬会社が日本に営業を掛け、ワクチンの在庫処分地としてまんまと嵌められた問題等など、表面化した裏側では、どれだけ多くの人間が副作用で死に、後遺症の犠牲となり今も尚闘っているでしょうか。
我々は今一度、危険性を見直さなければならないのです。今話している内容が社会問題化した時には、どれだけ多くの人間が既に泣いている事になっているでしょう。

具合が悪くなったら何を見れば良いのか。
1)同治療を受けている患者情報を探す
2)治療に使われる薬物は何なのかを調べる
3)その薬物は「何を治療」するのか調べる
4)それは「治療なのか」を調べる
5)「治療」でないのなら、それは除外する
と段階を追うと、世間一般の傷病に対しての「治療」は「治療」でない事に気づきます

参考関連(クリックでリンク先にジャンプします)
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  ~針治療から病態定義の見直しを~