藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

何で医学で治さなきゃいけないの?という疑問



こないだ私はガッチガチの叩き上げの外科医に1つの指令を出された事を書いた。
「藤原君には難病を治せるようになってほしい」と。
さて、難病とは何だろうか。ALSやパーキンソン病等の指定難病だけの事ではない。
事実、これらの指定難病と針灸の相性は良いかもしれないし、
ADLの向上に寄与出来る側面は持っているかもしれないが、
難病というのはもっと足元に転がっているのではないだろうか。
何処に行っても治らない肩凝り、腰痛、膝痛等々。

これらも私は難病だと思う。
恐らく、患者自身も同じように思っているだろう。このような事を書けば、
実際に指定難病で苦しんでいる方々から批判的な意見も出るかもしれないが、敢えて書こうと思う。

症状は他人には分からないのである。他人には分からないから比較しようがないのである。
あの人の肩凝りと、この人の肩凝りの比較は不可能であるし、
同一人物の肩凝りと腰部痛という2つの症状の比較も不可能である。

では、車椅子に一生乗らざるを得なくなった人と、小指をちょっとだけ切った人。
どちらが重症度が高いと思うだろうか。
世間一般的に見たら車椅子と答える人が圧倒的多数かもしれない。
それは、患者の将来性も見越した上でそのような回答なのかもしれない。
しかし、実際にはそのような答えは、他者が勝手に創り出したイメージであり、
当の本人にとってはどのような状態であろうとも軽症や重症という意識はないのではないだろうか。

それを受容という表現に置き換えても良いかもしれないが、本人が良ければ何だって良いのである。
比較好きな人間が勝手に比較するだけで、比較好きな本人が勝手に誰かと比較して、
悦に入ったり苦しんだりしているだけで、別に気にする必要もない。

例えば、ダウン症を取り巻く報道を今まで見たことがあると思う。
どのように報じられているかも知っているかもしれない。
幸せだとか不幸だとか言っているのは、親も含めいつも他者である。
んな病気や障害を抱えていようが、
本人が幸せだとか不幸だとかという気持ちはそっちのけなのである。

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重いとか軽いとか、あの人はどうだとか、この人はこうだとか、
実はそんな事を考えているだけ時間の無駄である事に気づく。

では、異なる視点で針灸治療を見直してみる。針灸の適応範囲は相当広い。
さて、「適応範囲が広い」という表現は正しいのだろうかという根本的な部分を見直さなければならない。
今更ながら気づいたが、適応範囲が広いという表現は実は誤りである事に気づく。
世の中には凡ゆる発症機序があるかもしれないし、凡ゆる病名が存在するかもしれないし、
今後も星の数ほど病名が出来るかもしれないし、今後もありと凡ゆる訳の分からない
症状とも向き合う事になるかもしれないから現時点での話という事を前提とするが、

そもそも論として、針治療という作用機序で凡ゆる症状の改善が可能であるという事は、
「適応範囲が広い」という大上段に構えた見方をするのではなく、
医学そのものの間違い、既存の病態定義、病態把握が間違えであるという事に気づき、凹む。
故に、アレもコレも治せますよという表現はウリにはなるかもしれないが、少し違うのではないかと思う。

そこに気づいた時、私は針灸治療の適応症を一旦消した。

何故なら多くの方々は病名を先行し、発痛部位を先行し、構造的な異常を先行し、
薬物で治る事を先行思想とし、手術で治る事を先行思想とし、デカイ看板と白衣に傾倒する節があり、
その上で、針治療では治らない事を前提とした先行思想を持つ傾向があるからだ。

そして、何年も何十年も痛めた身体を1回の針治療で治せというニーズを突き付けてくる。
このような姿勢で患者が構えてくる事は、針灸治療が舐めれられている証拠でもあろう。

これに対しては、かなり私自身嫌気がさした。
治療以前の問題とし、既成概念に囚われた思考の舵取りは1人1人行うものの、
理解が伴わない場合、何処かで曲解的理解が生じていく感覚は非常に苦しいものである。

とは言え、それは仕方ない。いきなり異なる話をし始めるのだから仕方ない面はあるものの、
今まで受けてきた治療手段で良くなっていないという現実を抱えているにも関わらず、
再度「この場所」で同様な手段を求められても、何も変わらないのではないだろうか。
私は過去の多くの先人患者が受けてきた凡ゆる治療手段や予後、
経過を知っている上で、話をし、治療をしている事だけは忘れないでほしい。

故に、早期回復を得られるのは医療機関から見放された後のない患者からなのだ。
但し、なんだかんだで早期回復を得られるのは早期発症群である事には変わらない。
しかしながら、既存の針治療の受療経験患者群であれば別だが、
早期発症の針治療未受療群が、いきなり針灸をファーストチョイスするケースは確率的に極めて低い。

そして、一般患者が針治療という業界を見た場合、そのような認識でしかないという事もまた、
業界の力不足でしかないのである。ここは謙虚に受け止めなければならない。

同じような業界の人間は色々言っているだろうが、
同じ業界の人間が同じ業界の人間に敵対視しても全く意味がない。
国家資格だろうが民間資格だろうが無資格だろうが、
「人を治す」という意識の強さは保有資格の種別や有無では測れないのである。

勿論、人に介入する以上リスクを背負う訳だから制度的には免許保有が大前提ではあるし、
民間資格や無資格は存在してはならないし、それを放置している事に対しても問題はあるが。

私は単に針治療が大好きだから針治療をしているというだけであり、
「針治療で人を治す」という押し付けがましい根底的思想を持って針治療をしているのではない。

語弊があるかもしれないが、「人を治す」のは針治療だけではない。針治療ほど直接的なアプローチが可能な治療手段はないかもしれないが、「人を治す」手段はどんなものでも良いのである。

歌を聴いて治る人もいる。歌を歌って治る人もいる。
絵を鑑賞して治る人もいる。絵を描いて治る人もいる。
スポーツを観て治る人もいる。スポーツをして治る人もいる。

ここで、何で医学で治さなきゃいけないの?という疑問なのである。
いったい、どうしてなんだろうか。

何で心身の痛みは医学で治す必要があるのだろうか。
患者に気づいてもらいたい事は、そこからなのではないのだろうか。

参考関連(クリックでリンク先にジャンプします)

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