藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

特殊症例の相互事情2


「特殊症例の相互事情」の補足的所感です。

整形領域患者に対して向精神薬投与からの向精神薬由来の症状(例えば反跳性の筋硬直等)が発症(上乗せ)していた場合だとしても、針治療でベースの元症状であればVAS値減少は求められるものですが、明らかに服薬群と非服薬群では推移が異なってきます。
向精神薬由来の諸症状に関しては対称性の疼痛が顕著に示される、且つ整形領域のような特定動作で疼痛が惹起される訳ではなく、安静時での対称性疼痛も割と多いので、比較的掌握し易い部分かもしれませんし、それに伴い向精神薬由来の諸症状も惹起されている事も伝達し易いかもしれないですが、
1番の問題は患者が薬物に対してどのような理解と意識を持って服薬しているかによって左右されてくる為、患者と処方医の関係性も重要になってくるかもしれないですね。
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他、先日、https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/1497177503706844?pnref=story のコメント欄でも書いた通り、向精神薬が濃厚に絡んだ諸症状は、一見一般的な中枢神経系領域の自律神経症状等に類似してくるものの、よくよく症状をヒアリングすると損傷領域が広範化している印象を受ける事と、自然発症性の自律神経症状領域疾患とは全く異なる治療反応性を示す事も特徴的かもしれません。
それが1つの推測とし、例えばベンゾ系1つ取り上げても、受容体は脳全域に及び、その事からベンゾ系で齎さられた受容体の変性や減少の示唆的状態、及び自己分泌不全の示唆的状態を推理した場合、至極当たり前の事なのかもしれませんが、改めて自然発症性とは全く異なる苦しい試合展開を示す場合もあり、元も子もない話をすれば、中枢領域に反応を及ぼす薬物での心身コントロールの難しさと弊害の大きさを実感するものです。
>>向精神薬が絡まない(未服薬)の症状と治療反応性、向精神薬が絡んだ(服薬)の症状と治療反応性は、症状という部分のみをスポットにあてて見た場合、同様な中枢神経系由来の自律神経症状に見受けられるかもしれませんが、前者の場合、多くは脳幹や間脳程度迄のダメージでしかないケースが圧倒的なんですね。
脳幹が絡むからと言って、極端に大脳基底核由来の運動障害も見る事もありませんが、これが後者になると、脳幹や間脳の極端なダメージ、更に大脳や小脳部を由来とするかのような派手な症状に発展している、及び薬物により受容体の変性や減少、神経伝達物質の自己分泌不全等も加わり、前者と後者では症状の類似性は高いものの、全く治療反応性も改善速度も異なってくるんです。
中枢神経系に至る薬物は安易に用いるべきではない事が本当にわかりますし、薬物で心身のコントロールなんて極めて難しい事がよく分ります。一度、副作用や常用量離脱、又は自己判断や他者誘導問わず急激に休薬に至った場合等の恐ろしい程の離脱症状を見る限り、もうその後は同量を服薬しても落ち着かなくなりますし、成す術無しに近い状態にまで一気に追い込まれる場合もありますし、更に輪を掛けて知らぬ存ぜぬされるものですからどうにもならなくなるものです。
このように前者と後者を比較すれば、向精神薬さえ存在しなければ、こんなに現場での臨床は楽になるのになと思いますし、向精神薬由来である事を既知していれば話が早いかもしれませんが、それが未知だった場合、とにかく面倒臭くなります。治療上は前者も後者も然程変わりませんが、後者且つ患者思考で向精神薬由来である事に未知な場合、「多分しばらくこのヒト無理だな」的な判定も出さざる時もあるものです。
こういうのって向精神薬に限らず、脊椎変性疾患の手術の必要性の有無や、他の整形領域疾患に関しても同様な事が言えるんですけどね。患者は診断名に固執しますが、こっちは症状を見て話をしていると言うのに、なかなか理解が及ばない部分もあり、臨床と言うのは治療以前に難しい部分は多くありますね。だもんで踏んだり蹴ったりされてからじゃないと来ないのかとも思うし、その最期の最期で極めてシンプルな作用しか持たない針で治ると言う事は、そもそもの病態由来も極めてシンプルなものである(あった)事が又分かるものです。

神経変性疾患の一般概念は緩慢敏捷問わず、中枢神経系神経細胞ネクローシスに近い印象を持つ疾患群の事を指します。ALSやパーキンソン病アルツハイマー等や老齢に伴う脳血流量減少による細胞萎縮により、病名が付かない迄も大脳基底核や小脳由来の運動障害、視床由来と見受けられるアロディニア的状態、明確な数値で所見の取れない膠原病様状態も1つの神経変性疾患、退行性変性疾患に含まれてくるかもしれません。
その番外として、又は元症状の上乗せ的症状とし、向精神薬の中長期服薬に伴う薬剤耐性の獲得による受容体の変性や減少を示唆した症状、薬剤性パーキンソンを代表とする脳神経伝達物質の自己分泌不全、これら不随意運動的な他覚的認知が可能な症状だけでなく、ベンゾ系を代表とする交感神経の持続的亢進状態等に伴う諸症状も神経変性疾患に分類しても不自然ではないかもしれません。
現状が可逆的か不可逆的かのラインは治療をしてみないと分からないのはどの症状でも言えるかもしれませんが、これらの状態に如何なる事情で陥っているかの判断は医学的根拠ではなく本能的プライドで推移するものです。
これらの事情が織り交ざる事での現症起因に、これらに見合った既存の診断名が付いたからと、その診断的価値は低くなる一方であり、且つ診断名が治療に直結する事もなく、その多くは鎮痛剤や向精神薬に再度帰結してしまう状況は数十年変わらぬ歴史です。恐らく今後数十年も変わらないものと推測されます。
その理由の1つに医原病を認めない、又は医原病そのものの存在を許さない、有っては困る、知られては困る医療側の傲慢も含まれての事かもしれませんが、診断名云々以前に起きている症状は事実なのですから、其処を紐解く姿勢に術者側のプライドは単に邪魔でしかありません。結果、関心を持っている向精神薬由来症状に関しても、現症に蓋に蓋を重ねても溢れ出てしまった甚大な症状へと発展してから始めて気が付く患者も後を絶たないのも、その理由の1つかもしれません。
鎮痛薬や向精神薬を服薬する諸症状の起因の多くは、日常的に易発症性の高い諸症状からが多いと思います。純粋な整形領域疾患や自律神経症状が多数と思われます。些細な契機に始まり、気付いたら甚大だった、又は謎めいた症状に悩まされていたと言うケースが大半で、初期的には相当些細な理由だったと思います。
しかし全体を見回すと、否、この話は私以上に患者が既知されているかもしれませんが、日常的に易発症傾向の諸症状程、ゾンザイに扱われている側面も鑑みる限り、易発症性の高い症状ほど誠実さの掛けた医療を患者は受けているように見えます。スタートが不誠実故に、症状が発展していくケースを見る限り、根本的原因は、どの病、どの症状も然程変わらないのではないかと患者エピソードと治療反応性からも分かるものです。
只、この点に関してフラットに見た場合、様々な事情があり積極的治療が出来ない側面もあるでしょう。例えば多根に渡る神経症状を呈していたとしても、制度上単根ずつしか治療が出来ない場合、それでは作用が弱く、仮に5本傷んでいた神経の内、1週間に1本ずつしか治療出来ないとしたらどうでしょうか。それが現実的な現行医療の状況です。弱い作用で且つ単根ずつの治療しか出来なければ、次の治療までは異なる根の易損傷傾向、又は憎悪因子を抱えたまま時を過ごす事になるかもしれませんし、もしかしたら全くベクトルの異なる手段の可能性もあるかもしれません。
「出来ない」は「ない」に等しく、制度が患者を治せない状況に追いやっている側面も考えますと、一概に個の人間を責められるものでもないような気がします。
どちらかと言うと「仕方ない」に近いものですが、カジュアル性の高い症状を不誠実且つ「仕方ない」で放っておく為に症状は発展し続けるリスクも患者は背負い続ける事にもなるのですから、出来る限りの事をしなければならないのは治療者側の責任であり実践する事で凡ゆる症状の根本的理由も又見えてくるものですし、既存病態定義の矛盾も多く見えてきた部分もあります。
しかしながら初期は投薬が中心です。大半以上が寛解導入に持ち込めればイイねの抗炎症作用性薬物の持続的投与、末梢~中枢問わぬ鎮痛剤的薬物、上げたり下げたりの向精神薬など、中々ラチが開かない状態であると思います。
これらの状況が延々続く理由もあるでしょう。病態解釈の異なりと言えばそれまでなのですが、炎症が起き続ける状態を維持したまま抗炎症作用を取り込み続ける。これでは火を起こしながら火を消し続ける作業で、その攻勢を以下に止めるかが治療と標榜される手段となってくると思うのですが、その多くは治療ではない事に気付きます。
病名の存在の有無は既存検査や症状基準に当て嵌るか否か程度の価値でしかなく、一方通行で進む時間により破壊されていく構造的変化が織り成す様々な症状は、単一的な表現では推し量れない程の症状を呈しているものと思います。
各種関節の骨性破壊や摩耗、圧壊、椎間板の摩耗、椎間孔部の狭小化に伴うDRGの易損傷傾向、成長期、又は老齢期に伴う縦軸での脊髄の過剰伸張に伴う横軸での骨性由来の神経損傷並びに、脊髄の上位に存在する延髄や橋、中脳、間脳等の血流障害と思しき自律神経症状の類、生まれ持っての脊椎奇形等、様々な事情があって症状を呈している、又は呈し続けている事が分かるものです。
治療反応上から推測される事柄は多く書いてきましたが、その多くは神経変性に伴う諸症状である事が伺い知れ、その事で、現行で治療と標榜されている手段の取捨選択も可能となるでしょうし、作用差も分かるようになるかもしれません。
神経への外力(摩擦や張力、それに伴う炎症、及び低酸素状態からの栄養不全による細胞萎縮)、又は神経内部に走行する血管の炎症からの低酸素状態からの栄養不全による当該細胞の萎縮など、その症状の発生時期、発生原因となるエネルギー量、当該患者が抱える神経脆弱性
及び、仮に炎症が生じたタイミングでの下垂体や副腎機能の状態、若しくは避けられぬ労働に等により繰り返す損傷等など、受傷前も受傷後も、当該患者の事情により、どのような症状の道程を示すかは千差万別でもあると思います。
身体の異常はアクシデントの分野に含まれてきます。アクシデント故、一般的には普段から予防策がされている事もなく、アクシデントが起きてから始めてどうしようかと考えるものです。その為、世間ではアクシデントを治すヒトが有難がられ、予防医学は有難がられません。
予防医学は何ともない人間が今後も何ともなく過ごす為のものであり、仮にその予防医学によって数ヶ月数年後に起きる激痛が回避出来たからとしても、それは元々未知の話でもある為、多くの人間は激痛を治すヒトに賞賛を送るものです。しかし、本来賞賛を送るべき人間と言うのは予防手段を講じ続ける人間であるのかもしれませんが、多くの人間はアクシデントが実際に起きるまで知らないものです。
前者と後者、どちらをチョイスするかは後者を選択したほうが最終的な時間や経済、身体的リスクは極めて低値で済むのですが、起きなければ気付けない、気付き難いのが身体でのアクシデントです。
冒頭でも書いた通り、神経変性と言うワードは一般的には中枢神経系の退行性変性疾患を指すものですが、治療反応性から身体評価をし続けると、神経変性分野は中枢神経系疾患のみならず、末梢神経系疾患でも神経変性疾患と称して対応する意義の高さを感じ始めるものです。それは肩こり腰痛も含まれてきます。
其処には多くの既存病態解釈を臨床ベースで見てこない限り分からない部分もあるのかもしれませんが、少し簡単に表現してみますと、発症初期は片側下肢が「痛い」だけの症状であったものが「痺れ」へと症状が変性した。よくある事と思います。これは神経変性によるものですね。
「痺れ」ていたものが「痺れ」+「皮膚知覚異常」へと発展した。これも神経変性です。患者表現の多くは「痛い」か「痺れ」か「触った感覚がおかしい」の3つが単独か混合か程度の問題であり、先述した通り発症時期や発症由来のエネルギー量、又は発症後の状態に対しドレだけ負荷を掛け続けてきたかにも左右され、各々の事情により変性速度は異なってくるものでしょう。
それが足で起きれば腰椎の神経根症だね、腕で起きれば頚椎の神経根症だね、肩背部で起きれば頚椎由来の肩甲背神経痛だね、頭で起きていれば三叉神経痛だね、後頭神経痛だね程度の差であり、中枢神経系が絡むと、それこそ多種多彩な症状を出すかもしれませんが、
仮に末梢神経である腰神経が損傷を受けたとしても、膀胱直腸や腸管内での自律神経異常も生じるだけの話でしかなく、不思議な事でもなく自然な事です。それらが幾つ織り成すか、又は損傷を受けた部位に、何がどのように配置されているかにより症状が左右され、病名が左右される位の話で、診断的意義と治療は全く異なるスタンスでもある事に気付いてもらいたい部分でもあります。
各論的な話は総論を知ってからとはなるものの、臨床的総論を知れば、別に何処に症状を持っていたとしても何てことのない話となるかもしれませんが、画像所見に依存した既存病態定義の理屈を持ち、知らないだけ、やらないだけ、基礎研究ベースだけの場合、又は各部位により異なる基礎研究者の異なりによる基礎ベースと臨床ベースの差異など、色々な事情から発生した、その概念を払拭するのに難儀する、と言う話だけなのかもしれません。
診断名を意識、固執しない事は上述した通りです。同じ人間が造った創った病名に振り回されている状態では治るものも治らないと思いますし、患者側も意識、固執して良い事はあったでしょうか。そんなに良い事はなかったですね。その理由も、自己の恒常性機能を信頼せず、他人が作った病名を信頼した結果なのかもしれません。
今の症状を放っておく事で、どのように症状が変性していくか。神経細胞が健常から仮死へ、仮死から壊死へ発展していく過程で、どのような症状を呈する事になるか、そして、壊死的状態から仮死へ、仮死から健常へと発展していく過程で、どのような症状を呈する事になるか、又は症状がどのように変動していくか、その神経細胞の状態如何により、どのラインまでなら治す事が出来るか、又は治らないか等、それも又個々が抱える事情により左右されるかもしれませんが、
その時間進行の概念が病気を学ぶ部分に存在しない事から、又、その症状を食い止められるか食い止められないかは別な話になるかもしれませんが、どこからが〇〇病で、どこからが△△病となり、どうなれば××病となる、と言う、症状の発展から病名が変化していくのは自然な事かもしれませんし、そのような思考も大切な事なのかもしれません。


この周辺事情は臨床をしていない者にしか見えてこない部分でもあり、基礎研究とは異なる思考かもしれません。診断名問わず症状改善を最優先にベクトルを向けた場合、副産物的にサブの症状も改善されていくケースも多いものですが、ヒトによっては、そのサブがメインである場合もあり、過去症例が力となる臨床現場では脈々と病態への解釈は日進月歩で進んでいるものです。
現場に立っていない人間が横からチャチャ入れるなと迄は言いませんが、結果が全ての対人間での臨床は、病態解釈へ向けて真実への1歩と繋がります。それは机上の論議や犬猫での実験成果を簡単に覆す程の力があるものです。リスクなく実践し続けられる治療手段でもある為、薬物や手術では倫理的に不可能な事も、容易に行い続けられる最大のメリットかもしれません。以下は参考迄に過去記事より転載します。「ALS症例から見る各種神経細胞仮死説を由来とする回復過程」

1)末梢神経(運動・知覚・自律神経)の損傷にも進行過程は存在する
損傷と書くと怪我や手術、火傷等の外傷性由来が思い浮かぶが、凡ゆる概念を損傷とする。肩凝りや腰痛、膝痛も損傷である。カジュアルに見受けられるのは患者層が多いか少ないかの差だけでしかなく、罹患した患者全ては個々の損傷経緯があり、放置したか加療したかによっても又異なるものであり、多人数が罹患しているからと軽視してはならない症状でもある。
炎症や炎症停滞、当該部位低酸素状態の停滞、構造的異常に伴う骨性由来に伴う鋭敏な疼痛、これらに付随する癒着や肥厚に伴う脈管系の圧迫は日常的な生活を送り続けていても起こる事であり、個々の受容範囲、許容範囲を超えた時点で症状として自覚すると考えられる。
この受容範囲も、その時の基礎的身体に於ける抗炎症ホルモンの分泌能や、休養の有無、既往としての構造的異常の有無、薬物治療の内容、年代、家事労働の内容等によっても大きく左右する。これらの経緯や概念が混じり合い、経時経年で悪化していく。
そのような中、人は「痛み」と言う症状に対しては過敏に反応すると推測される事から、知覚神経に絞って話は進めるが、多くの初期的症状の知覚神経の反応は「痛み」かもしれない。その「痛み」を放置しておく事で、より鋭敏に痛みを自覚し易くなり、時に強大に感じ、症状自覚部位は広範化し、そして1日を占める「痛み」を自覚する時間の割合が増えてくる。
改めて書けば、「痛い」と自覚している時は患部に負担を掛けているから「痛い」のであり、患部に損傷を加え続けている証拠と言う事だけは決して忘れてはならない。故に「痛くても歩け」は極めて軽症期に至ってからでなければ推奨してはならないものだと思っているし、鎮痛剤を飲ませてウォーキングを勧めるなぞ狂気の沙汰だと思っている。動いて傷めたものが動いて治るなら傷める理由は元々存在しない。
そのように持続的な損傷を加え続けた結果、今度はその「痛み」が「痺れ」や「皮膚感覚異常(知覚鈍麻)」へ発展していく場合も少なくない。受傷度合いにより「痛み」を自覚する事なく「痺れ」や「皮膚感覚異常(知覚鈍麻)」へ発展していく人もいるが、初期的な段階では「痛み」を訴え(痛みの前に冷感を自覚する人もいるが)、その後、段階を経て症状は進行していくケースが圧倒的多数である。
一般認識として「痺れ」は神経実質の器質的損傷であると言われているが、臨床反応上、異なると分かる。仮に神経実質に部分断裂等が生じた場合であればニューラプラキシア等の範疇に入り、全く症状の出方は異なる。日常生活に於いて明瞭な損傷が加わらず、且つ当該部位を圧迫する事でも違和感がないのであれば、それは神経実質の器質的損傷ではなく、局所炎症や浮腫等に伴う栄養状態の不安定性から派生した非器質的損傷で生じているものであると推測される。器質的異常で生じた症状ではなく、非器質的異常が関与する神経細胞の炎症や浮腫等に伴う当該部位の栄養供給の不全状態を非器質的損傷下に於ける神経細胞の仮死状態であると、この段階では仮定する。
改めて、非外傷性(非器質的損傷)下に於き、栄養状態の不安定供給から派生した知覚神経の仮死状態で生じるのが「痺れ」「皮膚感覚異常(知覚鈍麻)」と仮定する。このような状態迄陥ると回復迄には若干時間が掛かるケースもあるが、丹念に加療すれば治るケースも大半である。勿論、その過程に於いては当該部位の認識を患者側にもしてもらい、極力負担を掛けない事が早期回復へと繋がると言う事は言うまでもないが、これも「痛み」程度であれば、加療せずとも安静を強いる事で回復する場合もあるのは多くの人間が知っている事である。
しかし、非器質的損傷ながらも、神経実質の仮死状態に陥った「痺れ」や「皮膚感覚異常」が生じた場合、強制的に外部から栄養供給を見越せる加療をせぬ限り、極めて治る気配はない、と言う事も多くの人間から伺う事も出来る。放置しても良くなり難いのが神経細胞の仮死状態となった諸症状である。このように、カジュアル性の高い整形外科領域疾患の大半である知覚神経異常に伴う症状とて、症状を放置しておくと進行する可能性が大いにあるのは、症状を長年抱え続けた患者が一番既知している事と思う。先ずはこのように、抹消神経の神経損傷とて放置する事で進行する場合も少なくないと言う事を前提とする。

2)脊髄前角に居座る運動神経の(神経仮死)進行を考える
整形外科領域疾患の中では割合的に少数かもしれないが、時折運動神経の神経仮死が生じ、「脱力」を発症する患者もいる。勿論、知覚神経部の損傷が著しいあまりに脱力感と表現する場合もあるかもしれないし、知覚神経損傷との複合的な症状も惹起される場合もゼロではない為、こればかりは実際の症例を現場見てみなければイメージし難い場合もあるかもしれないが、「痛みはないけど力が入り難い」と言う状態をイメージするのが良いかもしれない。
この運動神経もバッサリと切断された場合、完全な運動麻痺は生じるが、このような器質的損傷でなくとも、(運動)神経実質の栄養供給が不全状態に陥り仮死状態になった場合でも脱力は生じる。このような状態も、当該部位に対し栄養供給を外部から見越せる治療を行い続ければ、「脱力」と言われる諸症状も回復するものだが、四肢の脱力、両下肢の脱力(運動神経の神経仮死)に関して解剖学的に考えれば、前角部位に対して易負担傾向となる脊椎のラインがどのようになっているかと言うのも併行して考察する理由が生まれる。
生理的に前弯傾向を示している頚椎や腰椎が後弯傾向に陥っている場合、胸椎等が側湾傾向の場合等が最も多いケースかもしれない。頚部運動神経が損傷すれば上肢は動かしづらくなり、腰部運動神経が損傷すれば下肢が動かしづらくなる。時折、腰椎分離・すべり症等の構造的異常によって前角(前根)部位まで症状を来す症例もあるが、これらも丹念に加療すれば人間は順応する。生活上、脊椎への易負担傾向である場合、その理由を知り、負担を掛けない生活を送る事で将来的にも再燃する事なく十分な生活を送る事が出来るようになるが、これらの脊髄前角部位に負担の掛かる原因を鑑みず、悪化要素を取り込み続けた場合、回復は得られ難い。
このように、1)で述べた知覚神経損傷の進行と同様、2)の運動神経損傷も進行する場合が多く、解剖上、知覚神経部より逃げ場のスペースが確保され難い運動神経部に関しては、一度受傷した場合、無加療での自然回復と言うのは残酷ながらも傾向として低いのかもしれない。筋原性疾患、神経原性疾患を除外された純粋な整形領域疾患群とて運動神経損傷は時として見られるが、その多くは1)の知覚神経損傷群とは比較できない程に割合としては少ない為、精神異常者扱いされた過去を持つ患者も少なくない。症状の発症部位は何処であれど、様々な罹患背景は(治療反応上も含め)脊椎に帰結する事を考察すれば、運動して治す事の脆弱性の意味も見えてくると思う。脊椎由来となる疾患は動いて治すものではない。

3)自律神経症状の進行を考える
重症度合いにもよるが、「痛み」であれば行動量を減らしたり、姿勢変化で回避する事が出来る。「脱力」に関しても、動かなければ症状にはならない。しかし、自律神経系の諸症状は行動量や姿勢変化、運動の有無に関わらず回避し難い症状である為、日常生活に負担を掛け続ける。当ブログの自律神経とは何ぞや自律神経とは何ぞや2でも書いたが、現行の定義は「分からない」が定義となっている為、その多くが向精神薬の処方対象となり、更なる悪化が懸念される群に入る。
「痛み」の知覚神経損傷、「脱力」の運動神経症状と大まかに書いてはきたが、自律神経症状と言うのは極めて広い範囲を包括する名称でもある為、分かりやすく代表的な症状を羅列する。
本態性高血圧・動悸・頻脈・のぼせ・ほてり・顔が熱くなる・微熱・頭が重い・偏頭痛・めまい・ふらつき・耳鳴り・耳がよく聞こえない・音が大きく聞こえる・涙が出る・光が眩しい・瞼がけいれんする・声が出ない・どもり・口が渇く・顔色が黒ずんで悪い・胸が苦しい・胸がつかえる・胸が痛い
のどがつかえる・飲み下し困難・食物を飲み込む時に違和感がある・息が詰まる・のどが締め付けられる・ぜんそく・背中が痛い・胃の調子が悪い・胃潰瘍・大腸の調子が悪い・ガスが出る・便秘・下痢・慢性疲労・倦怠感
肩こり・冷え性・手足がしびれる・手が震える・多汗症・夜尿症・頻尿・インポテンツ・性欲が無い・不感症・神経性皮膚炎・じんましん・円形脱毛・生理痛・生理不順・強い不安感(漠然とした不安・特定のことに対する不安)・対人恐怖・人前ですごく緊張する・他人の視線が気になる
自分の視線が気になる・赤面恐怖・表情恐怖・体臭恐怖・外出できない・乗り物恐怖・高所恐怖・閉所恐怖・先端恐怖・不潔恐怖・確認癖・視界が気になる・イライラする・怒りっぽい・無気力・落ち込み・睡眠障害(眠れない・早朝覚醒)・集中力が無い・記憶力の低下・悲観的に考える・すぐに悲しくなる・暗い・死にたくなる・摂食障害(拒食症・過食症)。(日本心身医学会より)
本態性、特発性、原発性等と名称が付くもの全てを含んでも良いかもしれないが、延髄や脳幹部、又は内臓器の自律神経系症状と多岐に渡り、これらも自然発症性であれば加療する事で症状の緩和は十分に見込める。加療により症状が緩和される経緯を逆説的に、及び罹患年代を考察すれば成長期や老年期等の脊椎変性(成長過程・圧壊過程)に伴う脊髄の下方取り込みに伴う延髄や脳幹部(又は更に上の部位)の血流量の不安定状態から発症した損傷であると推測される。これらのテンションの解除の手段が現行医療では存在しない為、わからない⇒原因不明⇒精神異常(ストレートには言わないかもしれないが)向精神薬処方の対象となる。
このような要因で至った各種自律神経症状も、若年期であれば経年変化で次第に回復傾向を示す場合もあるが、老年期の場合は器質的異常が症状の惹起因子でもある為、加療しない場合は極めて難治傾向、進行性の傾向を示す場合もある。かと言って、向精神薬を服薬し続ければ治るかと言うのは又別な話でもある。結論から言えば向精神薬を服薬しても治らないどころか悪化していく。

4)神経毒に伴う中枢神経系症状
広義の視点で捉えれば全てが神経毒になる。それが直接的に関与するか間接的に関与するかの違いである。そのような中、治療として用いる化学物質(薬物)とて神経毒の範疇となる。
ベンゾジアゼピン受容体に作用する物質として身近なものはアルコールやベンゾジアゼピン系薬物となるのだが、凡ゆる脳神経伝達物質アセチルコリンドーパミンセロトニンノルアドレナリン等)の抑制傾向の作用を持ち、術前等に於いての短期服薬に関しては極めて患者に恩恵を与えられるものだと考えてはいるが、処方期限の存在しない日本(他国の多くは依存性や常習性、副作用や常用量離脱を懸念し4週間迄と決められている)でのベンゾジアゼピン系薬物の問題が浮き彫りとなっているのは、中長期的な服薬に伴う副作用や常用量離脱症状の問題になってくる。
中長期的な服薬による耐性獲得に伴う鏡像作用、反跳作用が生まれる結果、時として薬物の主作用とは真逆の症状が出始める。その症状を更に抑制するには薬を増やし続けるか、苦しいながらも立ち止まるか、薬を減らして症状を消す手段を取るしか方法はないのだが、その多くは残念ながら薬を増やし続け、症状を抑制させる手段を選択する。最も楽な手段が薬を増やす事だからだ。但し、その代償は極めて大きな弊害を生む事は過去にも散々書いてきた。
これはベンゾ系薬物に限った話ではなく、抗うつ薬抗精神病薬、中枢神経刺激薬でも同様な事が言えるが、これらの薬物を中長期的に服薬する事で、脳内の神経細胞が変性を来す事は有名な話だ。受け皿が存在しなければ溢れて症状を来すし、自己分泌が滞っても症状を来す。特にベンゾジアゼピン受容体は脳内全般に存在する為、様々な障害が懸念される。その中で今回の主旨である大脳皮質部位での神経変性が生じた場合、全身に渡り運動障害が生じるのも又自然である。その神経細胞の変性が脱力や痩せ等の擬似的、言い方を変えれば薬剤性ALSが時として生じても不思議な事ではない。
私の知る患者の限りでの話とはなるが、急性的に症状が進行している場合が殆どであり、経緯を聞けば比較的急激な減~断薬を試みてしまった方々である為、薬剤性ではあるものの、見方を変えれば自己分泌が伴わず、且つ受容体変性により発生した何らかしらの細胞変性(神経伝達物質自体を栄養と言う見方で見れば簡単に説明は付けられるかもしれないが…)が生じてしまい、脱力、痩せへと発展し続けているものと推測出来る。それが遷延的に生じているとイメージすれば早いかもしれない。
薬剤性ALSに関しては症例的にも極めて少ない為、極めて少ない症例内だけの話にはなるが、幸いにも進行は止まる。止まった後のその後はもう少しデータが欲しいところなので言えないが、一部は止まったと同時に即時的に筋細胞が回復していく傾向ではないようだ。もう少し時間の経過が欲しい。これらは凡ゆる離脱症状に対しても言える事かもしれないが、急性的に離脱症状が出始め、経時的に悪化していく過程が自分の身体に襲いかかった場合、このまま治らないのでは?と言う観念を持ちがちになるが、これも脳内血流量を常に上げ続ける手段(加療)を用いる事で、日々のQOLは維持出来る場合もある。ただ単に、症状の軽快過程の伸びが悪く、頻回治療を行い続けなければ離脱症状を脱する迄のQOLも極端に悪い。
薬剤性ALSに限らず、薬剤性由来の副作用や離脱症状の類に関しては、自然発症性の自律神経系症状とは全く異なる治療反応性と経過を示すものである。余談とはなるが、針治療と言うのは浅層から深層まで侵襲可能な手段である為、筋細胞の弾力等も手に取るように分かるものなのだが、本態性ALS、及び薬剤性ALSで生じた細胞と言うのは極めて弾力性に乏しいものである。

6)末梢神経の細胞仮死も時として全く治療に反応しない時もある
凡ゆる細胞は血液によって栄養され、血流によって維持される事は大前提である。皮膚も筋肉も骨も神経も血が滞れば、その細胞は死ぬ。1)~2)で神経細胞が損傷を受けた場合、「痺れ」や「皮膚感覚異常」「脱力」等を呈すると書いた。これらの純粋な整形領域疾患とて、あまりにも長期的に症状を抱え続けている(神経細胞の仮死状態)場合は、全く治療に反応しない場合もある。
ALS様症状が治るなら末梢神経系の症状なんて容易いだろうと勝手にイメージを膨らませない為にも書いてはおくが、どの症状も長期的に罹患した神経損傷(神経仮死症状)の臨床結果は厳しい。極めて時間が掛かる場合もあり、患者側が根負けする場合もある。どの時期のどのタイミングで、とまでは言えないが、長期罹患した諸症状である程、治療しても全く反応しない場合はある。しかし、僅かでも治療に反応した場合は繰り返す事により回復に至る事が出来る望みは充分ある。その為、神経仮死が明確な諸症状を抱える場合は一気に治しきらないと成功率が下がる一方となる。
ALSのような稀な症例は扠措き、高齢に伴う脊椎圧壊から派生した腰椎下位神経の損傷により、足底部の「痺れ」や「皮膚感覚異常」を抱える患者群は少なくない。そのような患者も治療に反応する人もいれば、しない人もいる。このような末梢神経系の細胞仮死状態も長期的に抱えた場合は全く反応しないのと同様、中枢神経系の細胞仮死も、長期的に抱えた場合は全く反応しない事も伺える症例はあるもので、罹患者として層が厚いのは脳血管障害の類を抱える群が顕著に教えてくれる。
先程も書いた通り、中枢神経系疾患(神経原性疾患)とて「もしかしたら」と言う大前提で書くが、神経細胞が仮死に至った時期が早期であり、且つ加療により脳内血流量を早期に上げ続ける処置を行う事で回復する可能性もあり、診断名如何に関わらず、そして世間一般では遷延性・進行性・難病と称される類のものに関しても、症状を止める事が出来る場合もあるかもしれず、その数も豊富になれば世間一般での遷延性・進行性・難病の概念も又変えられるかもしれない。

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イメージ 1 ~針治療から病態定義の見直しを~